ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

さぁ、12月議会モードにチェンジ!

2004年11月29日 | ちょっと可笑しいよ
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 近づく12月議会に向けて、頭も体もモードチェンジが必要だ。
昨夜から今朝にかけて、寝床で、また夢で多くの市政の課題が頭をよぎった。
 
昨日もコンサート会場に来られた知人から、開演前に私たちの町にも、音響効果のいいホールがほしいねという、いつも私が機会あるごとに言っている想いを改めて要望された。いろんな活動を通じて、また八百屋で出逢うお客さんたちからも、時折は突然通りすがりの市民からも、意見や要望、苦情を聞くこともある。住民からは何とかしてよと、よく言われることが多い。私も議員としての立場の責任を感じながらも、声を大にして言いたいことが山ほどある市民の一人である。
 
 市議会は年に4回、3,6,9,12月に定例議会があり、私たち議員は事前の通告制で、一般質問を行い、いろんな市政に関する質疑をする。
 私は毎議会一般質問を通告して、市長を代表とする執行部の答弁を求めている。
 定例会が開催される1,2週間前から身もこころも切り替えなければ、質問事項をまとめ、また現場を見たり、関係者に状況を聞いたりするリサーチが出来ない。
 
 さて12月議会の一般質問の事前通告の締切は12月1日である。既に私のパソコンには今回の通告項目の概要は入力されてはいるが、肉付けと詳細については、この2日間でまとめるのである。昨夜から今朝、寝床の中でも夢の中でも、
 私なりにいろんな市民からの要望、意見や、常日頃感じている問題点についての推敲というか、検討をし、寝てもさめても頭の中で繰り返している。
 いづれにせよ、縁あって住んでいる自分たちの町が、少しでも人として住みよく明るく元気で暮らしやすい町になるように、ささやかな力だが精一杯多くの住民の声を聴きながら、自分らしい感性で問題点を絞り込んで、提案と共に行政執行者に対しての質疑、討論を行いたいと思っている。
 
 4期目の議員として、通算14年目。たぶん本会議での一般質問ならびに代表質問は通算55回目になる、12月議会の質問も初心を忘れず、謙虚にかつ大胆に質疑したいと思っている。今後も14年間政党、組織に一切属さない、いわゆる市民派的議員として活動させていただいているので、より自由闊達に、市民の視点と生活感覚を大切に市民与党的立場で発言していきたいと思っている。

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明日は混声合唱団の定演だ!

2004年11月27日 | ファミリーイベント

 いよいよ明日は、私が所属する混声合唱団の定期演奏会である。
 団が発足して以来第7回目であり、私は何とか全回出演している。
 今回も約1年半の間、多くの楽曲の練習をしてきたが、明日がその集大成としての発表の場である。
 
 第一部は木下牧子さんの合唱曲を5曲歌う。なかなかいい曲が続くよ。第二部は、こうしたコンサートのメリハリとしてなくてはならない?モーツァルトの宗教曲が歌われる。ラテン語と思われる歌詞はなかなか覚えにくいし、楽譜に釘付けでもなかなかちゃんと歌えない。しかし4人のソリストが加わって、何とか体裁をなすのではと感じている。聴衆にとっては如何なものなんだろうか。
 そして第三部は、一番愉しいステージになるはずである。日本のポピュラーソングをメドレーで、遠くへ行きたいから、いい日旅立ちまで25曲。日本列島を北は北海道から南は沖縄まで駆け足に南下していく。合唱としてのオリジナルアレンジをしていただいた親しまれた歌の数々である。楽曲全部を歌うわけではないが、聴衆の多くにとっては懐かしく、また一緒に口づさみたくなる曲が次から次へと続く圧巻のステージとなるだろう。
 
 30代から70代までの男女50名足らずのアマチュア混声合唱団だが、一応10年以上続けているので、それなりに愉しく聴いていただけるのではないかと思っている。

 我が娘たち夫婦と義母さんも孫を連れて,聴きにきてくれるという。
 本日、実際の会場で3時から8時過ぎまで、前日のリハーサルを行った。やっと明日という日時になって、ようやくみんなも本気のやる気が出てきたようだ。本番に強い私たちの混声ガッシヨウ団だから、きっと愉しく元気な合唱曲を皆さんにお聞かせできることだと思っている。リラックスして、歌の楽しさを伝え、自らが一番愉しみたいと思っている。



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男の料理サークル!

2004年11月26日 | 地域の話題

 男の料理サークルに関わって10年以上が過ぎた。毎月1回だが土曜日の昼下がり近くの住民センター、調理室をお借りしての自由、きままな料理サークルである。
 そもそもは、行政の地域住民センターが生涯学習的事業として、男の料理教室なるものを始めたので、面白半分半年参加したことが、始まりである。
 
 20人前後の男たち、しかもほとんどが定年を迎えて、生活のリズムは勤労者として通勤されていた頃とは、まったく変わって毎日が日曜日になったという方々である。
 私はまだ40代だったが、5回の教室としての講習を終えて、そのままおしまいではもったいないので、サークルとして立ち上げて継続しようということになって世話役を引き受けたのである。
 
 それ以来、これもたまたま私がささやかな有機農産物と無添加食品の八百屋を始めたこともあって、食材の調達やメニューの打ち合わせを講師である、地元のローカル紙の記者としながら、手を替え、品を変えて続けてこれたのである。会員は出入りがあるが大体20名前後いて、例会に参加されるのは10数名である。
 
 しかし特別に変ったことをしているわけではないが10年以上続いているのは、たぶん私と講師のアバウトな性格のためではないかと自己分析している。
 というのは、料理につきもののレシピや食材、調味料の分量などは、いつも適量であり、悪く言えば、いい加減である。また会員として集う男たちも、適当に料理を愉しみ、適当にだべって食べて帰っていく。
 
 こうしたささやかな料理サークルを続けているのは、実は私たちも何時かは老齢化し社会的な役割が少しづつか、それとも急にか個人的には違いはあるが、特に男性の定年後の地域での生活に、大いなる不安と危惧を感じているからである。
 
 颯爽と家族のため、会社のためにと毎日朝早くから夜遅くまで働いてこられた男たちが、リタイアーして家族の生活の場である地域に、じっくり腰をすえた時、隣近所や地域の人間関係があまりにも希薄で、まだまだ若いと思っておられるエネルギーを生かす場や受け皿が乏しく、折角の自由な発想での第2、第三のステージが灰色や暗いイメージになっている場合をよく見聞きするからでもある。
 
 つまり地域で、何か共通のキーワードさえリンクすれば、愉しくひと時を過ごせて、新たな出会いや楽しみと共に、生きがいに通じるご自分の人生をエンジョイ出来る、きっかけとなりうると確信しているからである。
 
 かっこよく書いたが、結局料理をつくり、食べて、だべって愉しむことが一番なのだ。
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ヨン様騒動と引きこもり殺人

2004年11月25日 | とんでもない!

 夕刻のテレビニュースは、冬のソナタで大ブレーク中のヨン様の来日と28歳の引きこもり青年の父母、姉殺人事件を前後してトップニュースとして報じた。
 
 日本という国は明るい平和な国なのか、屈折した暗い国なのか。いつの時代にも両面があるだろう。しかしノー天気な首相の[自衛隊がいるところが非戦闘区域だ」発言にみられる様な全く国民を馬鹿にした様な言葉が連日報道されても、もう国民は驚きもしない。
 また神戸の小学生の幼児殺人事件以来、長崎、そして少女による少女殺人、1週間前は奈良で下校途中の小学生女児が殺され、翌朝遺体で発見される事件があった。
 記憶に残る暇もなく、残虐かつ非道な殺人や不条理な事件が相次いで起きては、また私たちの脳裏をかすめて忘れられていっている。 
 そんな暗くて残虐非道な事件が連続して発生する日本に、いつのまにかなってしまっているが、この背景には、異常な経済優先の価値観や人権や人と人との豊かなコミュニケーションが欠落しての不信感、絶望感、虚無感が覆っているようだ。
 
 一方では、世の幸せなご婦人方なのか、テレビドラマの主人公として登場した素敵なヨン様に熱中し、加えて韓国旅行や韓流と呼ばれる韓国ブームが竜巻の如く、ここ数ヶ月際立っている。
 本当に韓国と日本が仲良くなったのであれば、それも結構だが、政治も経済も決して、仲良い国とはなっていない。そんな両国間でこのヨン様騒動や異常な韓流現象はどのようにとらえればいいのだろうか。マスメディアを中心に、多くの企業が先行して、このブームを演出していると言ってもいいのではなかろうか。
 
 大事な両国間の歴史的経過や偏見、差別に蓋をして日韓交流はありえないのではないだろうか。イラクも韓国も、日本にとっては外国だが、本当の人道支援を政府が掲げるならば、韓国への歴史的な人道支援こそ、現代の交流と共に必要なのではないだろうか。 ついでに、日本は自国の国民の本当の平安かつ豊かな暮らしのために、しっかりとした政策をとらないと、他国を支援、援助できるゆとりのある国ではなくなると思われる。
 
 決して経済的な支援だけではなく、人権を重んじ、殺人や戦争を擁護したり、加担しない国へと成長しなければいけない。
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愉しく暮らそう!

2004年11月24日 | 感じたこと

 今朝も秋晴れを予感するいい天気である。もう今年も残り1ヶ月余りとなった。
 早いもので、いつの間にやら晩秋の候となり、朝晩は寒さを感じるこの頃である。
 既に年賀状の発売がされ、年末ジャンボ宝くじも発売されている。あのエヌエッチ系の紅白歌合戦の出場歌手や冬のソナタで一躍奥様方の熱烈なる支持を得た,ヨンさまが出演するのか否かも大きな話題になっているようだ。
 
ほんとうに歳をとると、多くの人が、年々1年の経つのが早くなると言う。
 全く生れ落ちた零歳児にとっても、我々?中年にとっても1年の時間的経過は平等であるはずである。 
 なのに、早く感じてしまうのは何故だろう。私は思う。それは一日一日の愉しさや感動がだんだん少なくなってきているためではないだろうかと。
 
つまり、思い起こせば幼稚園、小中学生、高校、大学そして恋愛、青春時代と日々が変化に満ちており、楽しさと悩みと寂しさと熱い心を感じることなどで一杯だったのである。
 いつの間にやら、日々をつつがなく過ごすことだけに専念するようになり、自らが主体的に情報や企画を発信したりしなくなり、世の中の情報や発信を受けるだけで満足しているのではないだろうか。心身共に疲れを覚え、テレビと新聞と身の回りの限られた家族、友人たちとの会話や情報の中で、批判や文句やたわごとを言っていても、なかなか心が晴れないのではと思う。
 
いつも外出して思うことだが、特に電車の車中なので周りを見渡せば、人々の表情は疲れと暗さを感じる場合が多い。たまに若い学生たちや幼児たちの笑顔にほっとすることはあっても大人たちの顔から、何か愉しいことがおありでしたか、と窺えるお顔に出逢うことは極稀である。
 
日々の暮らしは、替わり映えのしない時間の経過の中で、いかに平凡であっても、心の持ち様で私たちの人生、暮らしはもっと愉しく、いつも笑っているとはいかないまでも、顔の表情に少しのゆとりと笑みをうかべることは出来る。昨日そして今日から明日へ、家族を始めとした子供たちや孫たち、そして多くの地域の人たちや友人、知人たちの生き様やエピソード、言葉、表情、笑顔を思い出しながら、常に明るくポジティブな自分からの発信、行動を心がけていけば、日々の暮らしの中に多くの喜び、愉しさ、明るさが潜在していることに気づくはずである。
 
この晩秋の秋晴れの朝、健康と多くの自然と人たちとの出会いと支えに感謝しながら、命を慈しみ与えられた人生を、少しでも明るく愉しく感謝して生きようと思う、今日この頃である。
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感動の命輝け第九コンサート!

2004年11月23日 | 地域の話題
今日は午後から京都北山のコンサートホールで行われた第六回命輝け第九演奏会に行きました。
 1996年からほぼ2年ごとに開催される、障害者も健常者も交じっての本格的なベートーベンの第九コンサートです。
 
京都市交響楽団を本多氏の指揮で聴きながら、車椅子に乗ったままの障害者や知的障害者約100名をも含む400人近い一般公募の合唱団が、命輝け第九合唱団と称して、8月頃からの練習を何度も重ねて、本日が本番でした。
 私の妻も過去にも何回か参加し、今回もアルトパート100数十人の一人として歌いました。圧巻は何といっても各パートのソリストが登場して、全員合唱が歌われた後半の約20分程なのですが、体全体でドイツ語の歌詞を精一杯歌っているハンディのある人々の顔、顔、声、声でした。
 
演奏の迫力もさることながら、一生懸命の姿勢が会場中に響き渡り、感動のフィナーレとなりました。
 延々と拍手が鳴り止まない会場を後にしたのは、演奏が終わって既に15分以上経ってからでした。
 バリアフリーなんて、もう古いぞ。今世紀はユニバーサルデザインの生き方こそ実現されなければならない世紀であることを、改めて実行委員会代表の言葉から障害者問題だけではなく、必要を感じました。
 
実に、多くの人たちの協賛と協力の輪がここにあり、大きなそして確実な平和と喜びのイベントが続いていることに、改めて大いなる感動を覚えました。
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甥の結婚式

2004年11月22日 | ファミリーイベント

昨日、明石海峡大橋を真向かいに見る、舞子ビラで私の妹の息子である甥の結婚式がありました。私たち夫婦は、今年米寿を迎えた私の母、甥っ子にとっての祖母を連れて車で京都から大阪経由で兵庫県まで出かけて往復200キロ以上の結婚式に参加しました。
 母は、昨日の天気を何度も、結婚式にふさわしい日本晴れだと車内で語りながら、嬉しそうに結婚式、披露宴と5時間近くを瀬戸内海に面した秋の海風を感じるホテルとチャペル、お庭で過ごしました。
 
披露宴では私は親族を代表してトップバッターで祝辞を述べることとなり、その日をたぶん喜んでいるであろう、今は亡き父とこの場に出席できた母の思いも込めて語りました。
 11月21日でしたので、昨日11月20日は、イイ連れをつくる日で、明日は11月22日で、いい夫婦の日であることて゛今日は1人と1人が出会って、2人となり、1つの家庭をつくる日だと、日にちをもじって語った後、お互いの信頼と感謝と思いやりが夫婦生活には大切だと一応先輩として述べました。しかし理想はそうだけども、我慢やあきらめもちよつと必要だと現実も述べておきました。
 
人生には登り坂と下り坂がつき物ですが、これも、まさかという坂もあり、それを乗り越えて良い家庭をつくるためには、今日の日のお互いの笑顔を忘れず、思い出して先輩兄弟やご両親そして私たち伯父や叔母夫婦をお手本に、末永くお幸せにと、スピーチをくくりました。
 
 実は私たちの父、結婚した甥の祖父は、橋梁の仕事をしていたので、30数年前に、この明石海峡大橋計画を生前は、夢の大橋として、私たちに語ってくれていたので、これも何かの縁で、こうして明石大橋のふもとのホテルと教会で甥達の結婚式が行われたことを、亡き父と長寿の母が一番喜んでいるのではと、私たちにとっては二重,三重の喜びの日と場所となった様な気がしました。
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元気の出ない新しいお札!

2004年11月20日 | 日本の課題
皆さん、もう新しいお札を手に取られたことだと思います。
私も野口英世の千円札と樋口一葉の五千円札はやってきたのですが、何故か伊藤博文さんの新札は、まだやってきていません。
 
 しかし、この11月1日から出回り出した新札ですが、あまり評判はよくありません。
 偽札防止とちょっとした消費意欲が増大することを願っての新札発行だそうですが、どうも、この絵柄いうか、お札の顔がしっくり来ないのです。今までも新札については、慣れるまでは、しっくり来なかったのかも知れませんが、今回の野口英世と樋口一葉は、どうも陰気かつ生前は借金で、親戚、家族に大変迷惑をかけたり、お世話になっていた人たちだといわれています。どうもお札の顔としては、ふさわしくないばかりか、暗いのではないでしょうか。
  
 私は、昨今の経済だけでなく、どうも世の中が暗く、元気がなく、明るさに欠ける時代だからこそ、新札を発行するなら、例えばイチローやゴジラ松井の様にメジャーリーグでの活躍が顕著で明るい希望のもてる人たちのデザインとか、ピカチューや鉄腕アトムみたいに世界で愛されるアニメやキャラクターでもいいと思うのですが、どうでしょうか?
 
 偽札防止のための細かい細工や人の顔のデザインでの困難さを求めるだけでなく、新札としての時代を切り開く、元気さや明るさも必要なのではないでしょうか。
 
 ぜひ、次回の新札発行に期待したいと思います。まだ新札の伊藤博文にはお会いしてない貧乏暇なしのガリバーの独り言です。少しでも明るく元気な日本に、世の中になることを心から願いながら、早くこいこい新札さん、でももっと明るい顔して来てね。
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眠い金曜日、八百屋です。

2004年11月19日 | 感じたこと
ともかく眠たい金曜日である。というのは、私ガリバーはウイークエンドだけの有機農産物と無添加食品の八百屋を宅配引き売りで、やっていて、94年の9月からスタートして丸10年になるのである。仕入れのために、金曜日の朝だけは、始めた頃は5時に起きて、軽自動車
での仕入れに6時頃出かけていたのである。
 
 この10年間だけでも、大きな仕入先が2つ倒産し2つ廃業した。その仕入先や荷受場所の変化で、現在は6時起きの7時頃に仕入れに出かけることで何とか,金、土曜日の八百屋の営業が成り立っている。
 しかし帰宅が早くても9時半になるため、午前中の公式行事などがある時は気がきではない。仕入先に無理を言って、早めの応対をお願いしたり、午後に時間を見つけて、走ったりする日もある。渋滞や事故は禁物である。
 
 金曜日の夕刻からの八百屋営業準備や段取りに追われて、眠いとは言っておれない。次から次へと来る宅配便を待ちながら、こうしてパソコンに向かっている時が一番眠気が襲ってくる。
 日常のリズムである起床時間よりちょっと早いだけの金曜日なのだが、自分の体は正直であり、眠気を感じるのである。
 
 しかし眠いなどとは言っておれない。金、土曜日に出逢う八百屋のお客さんたちのことを思うと、元気を出して、今日も美味しくて安全な食材を少しでも届けて、喜んでいただきたいとの思いで一杯である。
 こうして、新鮮で安全な有機無農薬農産物にこだわり、赤字をださない営業を10年間も続けてこられたことに感謝である。
 
 心身共に自分が健康であれることが一番の喜びであり、出会いのあった友人、知人となったお客さんのお元気で健康な姿に毎週励まされながら、眠気なんぞ吹っ飛ばして、元気な八百屋ガリバーを続けられれば幸せだと思うこの頃である。
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ブッシュ再選と日本の不安

2004年11月18日 | 世界の問題
 いろんなニュースが毎日、一刻一刻と駆け巡る中で、既に通り過ぎたかの様なアメリカ大統領選挙でのブッシュ再選は、今後の日米関係だけでなく、全世界の動向を左右さす、とんでもない事件である。
 私は決してケリー候補が米国大統領として、ふさわしい資質の人物だとは確信していないが、あのブッシュだけは再選を阻止してほしかった。
 
 アメリカ合衆国51州のうち、ものの見事に東部ワシントンやボストン、ニューヨークなどの大都会と西海岸のカリフォルニアを始めとする都市部を抱える諸州では、ブッシュ候補はケリー候補に完敗したのだけれど、日本の自民党と同じく田舎といったら語弊があるかもしれないが、農業を基盤とした地方の州での獲
得選挙人数でケリー候補を上回って、再選に辛うじてこぎつけた感じである。
 
 終盤戦のデッドヒートの盛り上がりでは、世論調査でもケリー候補が優勢を伝えられ、勝敗の鍵をにぎると言われたフロリダやオハイオ州でもブッシュが辛勝した。しかし民主国家のお手本の様に言われるUSA米国の選挙に、全く疑いがないかと言えば、前回のブッシュが大統領に初当選した4年前のゴア候補との大
接戦の末の、大騒動を思い出すし、今回も新聞の片隅に電子投票の怪とする、疑惑が小さく載っていたが、出口調査で8割以上がケリーとしたのに、電子投票集計では、全く逆転してブッシュが勝利を得た投票区がいくつもあった様だ。
 
 日本にいる在日アメリカ人の知人たちの数多くの声や多くの知識人たちも、このブッシュ再選の結果には納得していない。
 
 私も全く納得しない独りだが、小泉自民党、公明党連立内閣の米国追従、ブッシュのポチ政権は、ますます国民の期待や要望に耳を傾けず、憲法改悪や戦争の出来る国への迷走に猪突猛進していくであろう危機的状況となるであろう。
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