ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

馬頭琴とスーホーの白い馬

2005年03月20日 | ガリバー旅行記

 「スーホーの白い馬」のお話はご存知の方が多いと思いますが、モンゴルと言えば最近は、大相撲の横綱「朝青龍」の方が有名になってしまいましたね。

 そう「朝青龍」は確かにモンゴル出身ですが、かつては外蒙古と呼ばれた、現在はモンゴル共和国のウランバートル近郊の出身だそうですが、私は毎年夏に、中国内モンゴル自治区、いわゆる内蒙古に友人、知人を通じて、「この指とまれ」方式で10日間の旅をしています。

 モンゴル人は、現在では主に、このモンゴル国と内蒙古、それにロシア共和国内のバイカル湖周辺のブリヤート共和国に住む蒙古族が主な居住地となっているようですが、かつてのジンギスハーンの時代の騎馬民族としての最大支配期には、西は現在のトルコ付近から朝鮮半島に及ぶ、広範囲に勢力圏を広げていた歴史があって、現在もその名残で、旧ソ連領土内の「---タン」と名が付く地方には、蒙古民族がたくさん住んでおり、「タン」とはモンゴル語で「骨」を意味するそうである。

 私が1988年に中国、内モンゴルに足を踏み入れて以来、一番関心のあるのが、自分達日本人のルーツの大きな源がモンゴル族であり、昔から赤ん坊のお尻の青い色を、「蒙古斑」と言うのは、れっきとした人類学的ルーツの証明であることは間違いない様である。

 大阪医科大学の名誉教授、松本先生によれば、日本人の血液型を医学的に調査して、ABO型だけではなく、平均的日本人の血液を根拠とするDNAに一番近い民族、人間が居住する場所を調査すると、何と先ほど述べた、バイカル湖周辺のブリヤートモンゴルと呼ばれる現代人が、日本人に一番近しい人類であることが証明されており、日本人のルーツは大陸のバイカル湖周辺から、中国、朝鮮半島を経て日本列島に渡って来たという説が一番信憑性が高いことが証明されているのである。

 私は17年間も、毎年のように中国内モンゴルに出向いているが、いまだにモンゴル語は少々の単語以外は習得できていないのだが、言葉を離せなくても人間的に非常に近い存在であることは、大草原の牧民たちのパオで生活を共にしていれば、何の不自由もないくらい打ち解けて一緒に遊んだり食事をしたりできるから不思議である。

 私たちのモンゴルの旅には、観光パオでの馬頭琴の演奏に始まって、時には若い馬頭琴奏者が草原での1週間ぐらいの生活を共にしながら、いつでも演奏と歌を聴かせてくれることがある。
 男の子の多くは馬頭琴を一度は習い、ちゃんと演奏できる青年も結構いるので、私たちの旅の演出には欠かせない存在であったりする。

 日本では小学校の教科書に、「スーホーの白い馬」が掲載されていて、自分のかわいがっていたスーホーと言う馬が亡くなったので、その毛並みを活かして箱型で2本の弦しかないが、馬の頭の形を残した哀愁と琴線にふれる音を奏でる「馬頭琴」という楽器を作って愛馬を偲んだ話しとして紹介されているので、記憶に残っている人も多いと思われる。

 兵庫県篠山市の人里はなれた遠方石ン堂にある「モンゴルの里」で馬頭琴ライブと「スーホーの白い馬」を読む本の世界が催されていた。

 「モンゴルの里」は私の友人でもある、内蒙古出身のスーチンドロンさんが、日本人の奥さんと共にやっているパオを使ったモンゴルレストランと小さなモンゴル博物館、また宿泊可能なゲルが立っている小さなテーマパークなのである。

 向い側には、草山温泉観音湯という、誰もが気軽に温泉を楽しめる施設もあり、京阪神から車で2時間前後で行ける、手頃な関西のモンゴル体験地となっているのである。

 モンゴルのお茶、スーティーツァイでスーチンドロンさんと智津香さんが歓迎してくれると思います。ガリバーに聞いた、もしくはガリバー通信を見たのでと言って立ち寄ってくださいな。「サンバイノー」って気軽に挨拶を交わしてね。
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春分の日のおでん!

2005年03月19日 | 地域の話題

 今夜、男の料理サークル「おりじ」の面々で,明日の「ふれあいまつり」の出店用の「おでん」を300食分、仕込みをした。

 でかくて美味しい有機栽培の大根、同じく無農薬栽培のジャガイモ、そして有機大豆を使って作られた厚揚げなど材料を厳選しているので、仕込み費用も相当なものである。あと卵、ごぼ天、ちくわ、こんにゃくと7点入って300円での販売の予定である。

 12名ものメンバーが、太いものだと10cmを越える径の大根を洗って、葉っぱを落として、1cmぐらいの輪切りにするが、おでんの材料としては大きすぎて、さらに半分か1/3か1/4に切らなきゃ他の食品が一人前のプラケースには入らないため、小さく切りそろえて角も煮崩れしないように削り揃えた。ジャガイモもお奇異、小さいがあるが丁寧に剥、小さなのは丸ごと、大きいのは半分にと切りそろえて、煮込む。

 一番厄介なのは卵である。煮抜きにするため、大きなナベに入れる時に少し皹を入れて、少し塩を入れて煮る。そしてゆで卵に仕上がったところで、水に浸して、水の中で剥くと剥きやすい。白いきれいなつやつやの卵も煮汁に入れて、味をつけておく。

 大根、ジャガイモ、こんにゃくと味を沁みさせたい食材から順に大きな寸胴鍋や両手鍋いっぱいに入れて煮る。だしと醤油とお酒と塩、砂糖で味付けをする。そこへ隠し味というか、より味わい深いものにするため、牛の筋肉を入れた。ぐつぐつと煮るが、ジャガイモ、大根は量が多くて、半分くらいしか鍋に入らないので、とり置いて明日、販売しながら順次煮ることにして、仕込み材料ストック用のでかいバケツに入れた。

 このように大掛かりな準備も、12名もの男手があったので、約2時間ほどで見通しがついて、LPガスのコンロの上に乗った、大きな両手鍋と、大寸胴鍋をメインに明日は、煮て選んでケースに入れて、販売し、追加の食材を順次煮込んで販売する予定だ。

 一番の問題は、お天気である。明日はお彼岸の中日。暑さ寒さも彼岸までと言うが、予報では結構気温があがって、春めいた温かな気候になると言う。困ったことである。『おでん』の販売だけを考えると、適当にちょっと寒い位が、売れ行きとしてはいいはずだが、こればっかりは思う様にはならないだろう。

 ぜひ、春めいたいい天気になっても、折角300人分もの大量の「おでん」を仕込んだのだから、ぜひ全品売り切れになる様に、皆さん、ご来場の住民の方々には買っていただきたいと心から、後は祈るのみである。

 実は私もメンバーである、混声合唱団も、このふれあい祭りの舞台には出演するのだが、私は『おでん』を販売する、男の料理サークル「おりじ」の世話役でもあるので、今回は残念ながら舞台には立たず、「おでん』の販売に専念するつもりである。

 美味しい「おでん」を多くのご来場者に食べていただいたり、お土産に買っていただいて、会場てせの催しや舞台を愉しんでもらいたいと願っている。わが家の同居人は、明日のまつりの舞台にも立つし、販売は『タイヤキ」をセミプロ的専門家の力を借りて、音楽連盟として販売に専念するらしい。

 どちらにせよ、地域のコミュニティセンターを日頃利用したり、活用したりしている地域住民とサークルメンバー達が、思い思いに出展したり、屋台のようなお店で食べ物も販売する。「ちらし寿司」「たこ焼き」「烏賊焼き』「珈琲とクッキー」など多彩な食べ物と飲み物もあって、半日たのしめそうな、地域住民の親睦と日頃の腕や成果を見せ合う、いい機会となると思われる。

 出来るだけ温か過ぎない日であってほしいな。「おでん」が美味しい気候であってほしいと祈るのみ。
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「談合」はなくせる!

2005年03月18日 | とんでもない!

 私は議員になって、ずっと機会ある毎に、公共事業における「談合」問題を提起して、公平、公正で税金の無駄遣いにならない入札制度の改革を提案し続けているが、何と建設部の職員、いや責任ある幹部職員は、議会での答弁で「談合」はないと思うと平気で答えるのである。

 戦後の日本の政治構造の中で、巨額の税金を歳出する公共事業の約九割が「談合」による落札だと言われている。ここ数年、日本でも漸く、オンブズマン活動による行政の不公平、不適切な税金支出が問題視される中で、この入札問題も改革の第一歩がスタートしたと言ってもいい時代になったが、行政の当事者の感覚は、いまだに「談合」なんて知らないに近い、驚くべき無責任な発言である。

 ここ数年、私は具体的な「入札改革」に対する、神奈川県横須賀市の事例を中心にして、具体的に説明もし、先進的事例を参考にIT入札も業務改革として採用して、著しい成果をあげていることを伝えている。

 わが市においても95%以上の落札率の、ほぼ「談合」間違いなしの入札が続いていることも指摘しながら、限られた業界のお互い顔見知りの数社による、競争入札では、ほんとうの自由競争による入札は決して行われなく、お互い様の業界内ルールに基づく,出来レース的落札が高値で演じられ、協力した業者間で業界利益の保全を図っているのである。

 この「談合入札」を助長し、かえって地元業者育成とか言いながら、業者の利害を最大限優先している行政の無責任さと自分達の腹は痛まない、税金の歳出の舵取りは、トラブルや強い批判を業界から貰わないための、事なかれ的制度の継続を続けているに過ぎないのだ。

 ひとりひとりの役人も人の子ではあるが、自分の責任や業者から睨まれるのを一番避けて、結局多くの納税者国民や市民の関心のなさと指摘の欠如をいいことに、従来通りの業界主導型のシステムを続けていて、少しづつは改善されては来ているが、業者と行政の癒着と言われても仕方がない様な、いや行政主導型の「談合入札」がいまだに絶たれていないのである。

 つまり、行政が本来の公正、公平を目指して、制度改革と業務改革を断行すれば、「談合」をできなくすることも出来るし、もし業界、業者が「談合」をしたり、許したら事業を継続できなくなることを覚悟するような罰則や掟をつくることで、徹底すればいいのだが、行政にそういった覚悟と責任ある対応をする気構えと意欲が欠落しているのが現状なのだ。

 「首長の決断で、談合は簡単にやめさせられる」というブックレットを発行されている、三重県の地方自治ベースキャンプの松葉謙三弁護士と宮西俊秀氏によれば、税金年間50兆円を談合で山分けしている建設業界の体質を、行政が断ち切らなければ、行政、業界の癒着による『談合」は続き、高値落札による、税金の多額の無駄遣いが野放し続くだろうと警告されている。

 その入札方法は、まず知り合い、仲間内だけの入札をやめ、30社から50社に及ぶ資格のある業者が自由に参加できて、相談による業界、業者の利益を優先した『話し合い」が出来なくなる方法を制度として、やることである。

 その上で、IT入札と呼ばれるインターネットによるネット上入札を基本として、行政の業務の省力化と、業界内外での「談合行為』の排除も可能なシステムを採用することで、飛躍的な落札率の低下を実証した横須賀市を始めとする、入札改革をすることである。

 行政はいまだに、中小業者においてのパソコン設置や技術力の教育、啓発、理解に時間がかかるなんて、屁理屈を並べて、IT入札導入の早期実施をためらっているのも、業界寄りの姿勢であって、真に国民、納税者のための公共事業を、出来るだけ無駄な税支出を抑えて、公平、公正に執行することより業界の顔色を覗っていると言っても過言ではない現状のままである。

 もういい加減にしろ!と言いたい。

 きっぱりと業界のご機嫌やご都合の視点から脱却して、真の納税者とまちづくりのための行財政改革の大きなテーマとしての「入札制度改革」に着手して、緊迫、縮小事態に対応する、地行政の財源問題に一矢を投じていただきたいと強く要望するものである。
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平和を希求する島「沖縄」

2005年03月17日 | 日本の課題

 春の彼岸の入りの日、関西地方は「春雨」に見舞われたが、梅は満開、桜の便りも近々届くだろう。

 国会では「憲法調査会」なる与野党の通過儀礼的「憲法改正」への議論が続いているが、ほぼ与党、自民党の憲法改悪骨子もまとまり、教育基本法の改悪案も、国会上程のタイミングを待つのみになっている。

 早くも「春」を迎えている沖縄県では、昨年夏宜野湾市の沖縄国際大学のキャンパスに米軍の大型ヘリコプターが墜落する事件が起きたにも関わらず、政府ならびに小泉首相は米国に対する抗議もせず、基地撤去を求める沖縄県民の思いとは裏腹に、静観というより蛇に睨まれた蛙のように、口を閉ざしている。

 国内にある米軍基地の約7割が沖縄に集中し、戦後60年経った今も現存しているということは、日米安保と地位協定によるものだが、全く日本の主権が侵害されている状態、つまり日本は軍事的にはアメリカ合衆国の属国、いや52番目の属州として機能を果たしている状態なのである。

 つまり日本国は、世界の先進国だと教えられてきたが、実は先進的部分もあるが、政治的、軍事的には全く主体的権利や選択の自由を持ち得ない、米国の支配下にあると言っても過言ではないのである。

 いつのまにか、日本の首相や政府関係者だけでなく、野党議員やマスコミ関係者も「日米同盟」という表現を意図的に、あるいは全く背景や根拠もなく使い出しており、日米だけでなく、日本は何処の国とも同盟関係で縛られていないのだが、日本は米国なしでは生きていけない国にさせられてしまっている。

 沖縄の宜野湾市市域の1/4を占める普天間飛行場の米軍の独占的基地使用が、昨夏の大事故に繋がったのだが、96年に日米間で全面返還の合意に達したはずなのに、8年経っても返還どころか、イラク戦争などの米軍訓練で飛行は激化していて、代替地問題も座礁気味で見通しが見えなくなっている。

 一昨年4月に宜野湾市長になった伊波洋一氏は、普天間飛行場の5年以内返還要求と県内移設も反対と訴えて、相手自民、公明推薦候補を破って当選されました。

 ヘリ墜落事故をきっかけに、大多数の宜野湾市民と市議会野党も協力して、普天間基地返還アクションプログラムの策定作業中で、米国内でも海外基地の再検討法案の検討が進む中で、返還の可能性が見えてきたと、市長は自信を深めておられるそうです。

 実は、この普天間基地に突き出た形で「佐喜眞美術館」という「戦争と平和」をテーマにした個人的経営の白い壁に包まれた美術館があり、丸木位里、俊夫妻の「沖縄戦の図」をはじめとした大作や各種作品が常時展示されているのです。

 私は数年前に宜野湾市の平和美術館を訪れ、暫しの間、丸木夫妻の絵を鑑賞し、深い感動を覚えた後、佐喜眞さんのお話を伺いました。彼は基地として強制使用されていた先祖の土地を米国の国防省の基地、施設担当と交渉して返還してもらい、大きな亀甲墓の隣に、私財で美術館を建設されたとのことでした。

 元読谷村村長、山内徳信氏ともお会いしましたが、彼も米軍基地の中に村の体育館を建設したり、村役場を建設するという交渉を、直接米国に赴いて実現するという行動力と発想の持ち主で、その後沖縄県の収入役をされて、今も沖縄をベースに日本の世界の平和のために闘っておられます。

 私達が戦争と平和を語ったり、望む気持ちの何倍か何十倍ものエネルギーと行動力を持つ沖縄県人、琉球魂は、あの昭和20年敗戦の年の春から始まった沖縄地上戦における20数万の戦死者、今は平和の礎の石碑に名を刻まれた人々の命の魂の叫びとして、今に続いているのだろうと思われます。

 戦後60年の2005年、日本と世界の平和を希求する、沖縄魂「命は宝」に学びつつ、「憲法」「教育基本法」の改悪の意味するものと、絶対日本を世界の平和に逆行する国家にしない手立てを見つけるため、歴史を見つめ直して祈りたいと思っています。

「平和を本当に希求する島、沖縄」に素直に学びたい。

 
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「もの忘れ!」は病気ではありません。

2005年03月16日 | 感じたこと

 
 「春眠暁を覚えず」と言う季節にはまだ早いかも知れないが、e昔の人は言っているが、春分の日を前にして三寒四温の変化はあるが、今日はほんと暖かくて、昼ご飯の後、仕事中にも関わらず、眠気が襲ってくる感じであった。

 そんな陽気のせいばかりではないと思うが、夕刻会った京都市内から来られた方々が、1時間ほどお話をして帰られて、暫くしてコートを忘れられているのに、気づいたのである。

 あわてて5階から、たぶんエレベーターで階下に降りられたと思って、コートを持って追いかけたのだが、建物の正面玄関付近にも、また職員通用口付近にもおられない。あっちこっちにお二人の姿をコートを持って探していた。

 しばらく経って諦めかけた時に、ご両人を発見してコートを忘れられていることを告げると、やっと気づかれた様子で、帰り際にトイレに立ち寄っておられたために、一時行方不明で、こちらは気づかず探しまわっていただけであった。

 あいにくの温かさのためもあって、建物から外に出られて駅へと向かうために歩き出されていたのにも関わらず、気が付かなかったとおっしゃるのである。

 何はともあれコートをお返しして、駅まで少々徒歩では時間がかかるので、私の車でよかったらとお誘いして数分間、車中で世間話となったが、ご本人は「全く年のせいかお恥ずかしい限りです。ほんとボヤーとしていますので」と恐縮されながら話されるのであった。

 最近、よく私より年配の方々はもとより、もつとお若い方々との世間話でも、よく「最近もの忘れがひどいのよ」と言った愚痴というか、諦めにも似た戯言、いや真剣な悩みを打ち明けられることがしばしばあるのだが、その都度、私はこの話を例に出して笑っているのである。

 30数年前、ご存知の方も多いと思うが、京都でフォーククルセーダーズという一世を風靡したフォークグループがあり、あの迷曲「帰ってきたヨッパライ」を世に送ったのであるが、そのメンバーの一人であった北山修氏は、今は九州大学の精神科の医師をされているのである。

 精神科の外来には、連日たくさんの高齢の患者さんがやって来られるそうで、ある時、あまりにも患者さんが多いので、限られた時間では問診、相談、診察、カウンセリングなどが不可能なので、大きな部屋に全員入っていただいて、講義ではないが、講演形式でお話をされたらしいのである。

 皆さんは今日来院されたのは、「最近物忘れが酷くなったので、何とかして欲しい」という願いからですかと、まず聞かれたところ、ほぼ全員が手を上げられたらしいのである。そこで続けて、「それでは皆さん、小学校時代を思い出してください」皆さんの中で、小学校時代に宿題や学校の先生から明日持ってくるものを指示されて忘れたことのある方は?と、また全員に聞かれたところ、また大半の方が手を上げられたそうである。

 そこで彼は「皆さん物忘れは病気ではありません。その証拠に昔から、皆さんは小学生の時代から、いつも物を忘れておられたのです。ぜんぜん大丈夫です。年をとって、物忘れを気にしすぎるから、病気のように思われただけでしょう。「心配いりませんから、診察は必要ありませんね」と話されたところ、ほぼ全員がニコニコと笑って帰られたそうなのです。

 つまり、物忘れは気にし過ぎると、病気のように思い込んで、精神科や老人痴呆症、いや最近は認知症というべきかもしれないが、医療機関の門をたたいてしまわれる場合が多いのである。

 大抵の場合は、確かに年を重ねると共に、記憶力も少しは低下もするが、そう試験や必要不可欠な課題としての、忘れてしまうと大変困ってしまうことは、少ないのではないだろうかと思われるのだ。

 つまり、年相応に、ちょつと物忘れがあるぐらいの方が、愛嬌もある場合もあり、何でもかんでも克明に覚えているような高齢者は、かえって若い人たちに、うさんくさく思われるかもしれないのである。

 「物忘れは病気ではありません」新しいことを覚えるためには、忘れることも必要なのです。人間、いくつになっても全てを覚えるだけの脳内に空間、キャパシティはないのです。限られたキャパの自分の脳の中で、本当に大切なことだけ覚えていれば、充分ではないでしょうか。

 たとえ、昨日の夕食に何を食べたかなんて、覚えていても何の役にもたちません。それよりも、その都度の夕食や食事と出会いや会話を、その時、充分愉しんで出来れば最高ではないでしょうか。

 決して「自分」だけは忘れないように心がけて、小さなことにくよくよせずに、おおらかに愉しく、毎日を感謝して送ろうではありませんか。

 たぶん、先ほどの方も駅に着かれて、財布を出そうとされればコートを忘れたことに気づかれたことだと思います。私が気づかずお届けできなかったとしても、ちょつと時間はロスですが、人生に大きな影響はなかったはずです。何事も楽観的にポジティブに考えて胸をはって、「忘れることもありますよ」と気にせず、必要ならば出直しましょう。

 物忘れは病気ではありません。

 
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ガラガラポン!しなくっちゃ。

2005年03月15日 | ちょっと可笑しいよ

 ガラガラポンって、何ですか?
 日本の政府や自民党をはじめとする国会議員も、行政官僚も、地方自治体の首長、議員、行政マンの言動や振る舞いを見たり聞いたりするにつけ、何故かガラガラポンの必要性を強く感じるようになっているのである。

 ガラガラポンは、子ども達が大好きな遊び場やスーパー、おもちゃ屋などにある、ガラガラと言う音を立てて、中に素敵なものが入ったカプセルが出てくる、100円か200円の小さな自動販売機を連想するガラガラポンなのである。

 今日の夕刊にも全く唖然としてしまうような、大阪市の職員厚遇問題に関連する記事が掲載されていたのである。その内容は改革委員会の提言を受けて百数十億円にも上る、職員の福利厚生関連の財政支出を来年度から削減することに引き換えて、今度は市民サービス窓口を今までの5時閉庁から2時間延長する案を決め、削減された手当などを、この事業の残業手当で補填すると言うのである。

 呆れて物も言えないというか、まったく公務員気質と言うか、「親方日の丸」の税金泥棒と言わざるを得ないばかりか、同じ市民、納税者の負担する税金による歳出には違わないのに、彼らにとっては、名目が違っても実質がさほど変わらなければいいとでも言う、事なかれ主義の典型的な対応としか思えない。

 現在市議会でも予算特別委員会が開催されており、来年度予算の審議中だが、団塊の世代を中心とする退職者の増加に対して、退職金の財源はどうかと質問したところ、担当課長は、退職手当組合の負担金で充分で心配要らないと答弁したので、その原資も全て税金じゃないですかと念を押したところ、いや私達も個人として負担していると答弁するのだ。

 公務員、つまり市職員の給与、手当、賞与、退職手当、また共済年金と、全ては税金で賄われているのであって、普通の市民、勤労者の事業や会社の業績に基づく給与、報酬ではないことが、まず公務員の皆さんの自覚に欠けている事が、改めて明確になったと言えよう。

 つまり公務員は昔は「公僕」と称して、「公の僕、おおやけのしもべ」であったはずが、今や民間企業の倒産やリストラなど、経済的不況下での厳しい経営環境を強いられている企業も多い中で、何があっても倒産しないし、給与や手当は保障される「親方日の丸」で、私達は働いているのだから、もらって当たり前の公務員気質に変化してしまっているのである。

 私たちの小さな市役所に働く職員でも、40歳平均の年収入は750万円前後であり、何と市議会議員の年収600万円弱を遥かにしのぐ多額の収入を得ている上に、定年を迎えると定年時の月額給与50万円の60ヶ月分の約3千万円平均の退職金が支給されるのである。

 そして定年後はどうかと言えば、公務員にだけ許された再任用制度といわれる給与は下がっても、年金支給年齢が65歳になっても困らないような再雇用制度もあるし、中には「天下り」と言われる役所に関連した外郭団体などの管理職や理事に就任する者もいて、一時が万事、仲間内の職員への厚遇は続くのである。

 その上、国民年金は20歳から40年間支払っても、毎月満額でも6万数千円、年額にしても最高80万円弱しか支給されないのに、税金で補填された公務員は共済年金として、何と年額300万以上が保障されているらしいのである。この差は驚きであり、空いた口がふさがらない。

 国、都道府県、市町村と給与、収入の中身はそれぞれ異なる部分はあるが、全国各地に生息する公務員と言う手前勝手な輩達は、一部のまじめに一生懸命、市民や住民、国民のために努力と研鑚を惜しまない数少ない公僕的職員を除いて、大半が親方日の丸族であり、私は敢えてガラガラポンしなくっちゃならないと想っているのである。

 たまにはいいものがプラスチックの丸いケースから飛び出すかもしれないが、大抵は100円、200円の対価にあまりソグワナイ物しか出てこない、このガラガラポンに期待しながら、納税者、市民が真剣に行政と行政マン、つまり公務員のガラガラポンを試みる必要がある。

 私たちの町、みんなの町が、三位一体改革と称する国の財政削減の嵐の中で、住民本位の本当の市民主体の住民自治運営をして行けるかどうかが、これからの時代の地方自治体の職員達、つまり公務員にかかっているのだから、市民参画の視点で参加と点検を厳しくする、ガラガラポンを皆でやってみようではありませんか。

 市役所や役場の職員のガラガラポンを市民、住民が積極的にしなくっちゃいけない時代でーす。

 
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ライブドアと大メディア

2005年03月13日 | とんでもない!
 2月8日に東京証券取引所の時間外取引で、あのホリエモンこと堀江貴文社長のライブドアがニッポン放送株を大量に買い付けたことに始まる、今回のホリエモンvsフジサンケイグループの熱闘は、大変面白くて、巷のおばちゃんまでもが、いろいろと話題にしている。

 この抗争の構図は、私が解説するまでもなく、多くの新聞、テレビ、雑誌はもとより、新たなメディアの世代交代とも言われている、インターネットの世界でも、多くの議論や評論、世間話が続いているので、特に記そうとは思わないが、あまりメディアでは取り上げられない見え方もたくさんある。

 3月8日にはフジテレビがニッポン放送株の公開買付(TOB)で、議決の拒否権を持つ1/3を越える36.47%を占めたことが判明し、フジテレビの日枝会長は、ニヤニヤと会見していた。

 しかし11日には、東京地裁がライブドア側のニッポン放送のフジテレビの子会社化を一方的に願った、新株の増資決定の差し止め訴訟に対して、差し止めを認めると共に、ライブドアの時間外株取引は違法ではないとの判断を示して、俄かに形勢が逆転した形になり、ニッポン放送、亀淵社長も、フジの日枝会長も、笑顔がなく困惑した面持ちになってしまった。

 そもそも、このライブドアによる株の買占めに対して、何と自民党の元首相、森喜朗氏はフジサンケイグループ擁護の立場から「カネさえあれば何でも買えるという考え方は問題だ」と言ったというから笑ってしまうのである。

 戦後、自民党政府が中心となって、金があれば何でも出来る国家を作ってきたはずだし、資本主義経済の下での上場された株式の売買は、当たり前の商取引のはずであり、かつて「日本は神の国」だと騒がせた、森元首相のお好きな「教育」のおかげ、そのものなのに、今の日本の教育の成果なのかとご不満の様なのである。

 また、ニッポン放送亀淵昭信社長は60年代から70年代、深夜放送オールナイトニッポンのDJでカメ&安弘の名パーソナリティーとして、若者の絶大なる支持を得ていた張本人であるし、日枝会長もフジテレビの台頭期の組合委員長として、鹿内一族支配を排除するために頑張った張本人である。

 どちらも若き時代、今のホリエモンこと堀江社長と同年輩の頃は、大きな旧守派的勢力に対して、若さと新しい発想で、問題提起をし続けて、会社や社会にアッピールしてきたリーダーシップの人たちである。

 人間は生まれて、家庭、学校、社会の影響や経験、学習を経て、成長したり、変化する。しかし今回の熱き両社というか、ライブドアと巨大なメディアのフジサンケイグループの戦いでの、主人公としてマスコミに登場する、この堀江社長と亀淵、日枝の人間としての意識の変化に、自分達の若き時代を思い出したり、気づきはしないのだろうか。

 どう見ても亀淵、日枝のご両人は、大会社の社長、会長職に出世したためか、保守的、旧守派的に変身してしまったことに、ご自身は全く気づかれていないのだろうと思うと、滑稽にすら映って見えるのである。

 フジサンケイグループと称する、大メディアの、ここ十数年の報道姿勢や理念に、大いなる疑念を感じているので、この会社が益々増長して、日本のメディアとしての巨大な影響力を、政治、経済、教育などの分野にリンクすることは反対なので、いい時期に、若きライブドアが挑戦し、フジテレビやニッポン放送を含むグループ全体に、新しい視野での新しい血が注がれることを期待している。

 巷のおばちゃんたちの会話でも、「何か大会社の偉そうな会長を相手に、まだ30過ぎの若造が、巨額な借金をしてまで、堂々と挑む姿に喝采を送りたい」と言う人が多い。

 また、停滞した日本経済と日本社会にした多くの原因を自らが作り、気づかずに守ってきた年寄り達と年寄りにゴマを擦って出世のみを考えている様な御仁たちに、冷や汗をかかして本当に必要な改革と、これからの社会やニッポンのビジョンを打ち出して欲しいと願っているのである。

 常に新しい時代を切り開こうとする若者の登場に対しては、必ず「何を言っているのか、何をしたいのかが全くわからない」と称する、「分かろうとしない」人々、つまり、このままでいい、このままの方が楽チン、新しい風や新しい手法はしんどいし大変やから、との思いでの、責任回避と言うか「事なかれ主義」の御仁たちがたくさん旧守派的になるのである。

 大阪市の職員厚遇問題で、改革の本部長として活躍が期待されていた、あの元やくざの女将さんで弁護士の大平光代助役ですら、最後の本丸とでも言うべき改革徹底の期に、本間大阪大学大学院教授と対立して、ついに産業経済省のお上のお墨つきで、この改革の主、本間教授を首にしてしまったのである。

 助役上がりの二世のお坊ちゃま関市長に、大胆な改革を提言して、市民が喝采するような改革をやり通すかと期待されていたにも関わらず、「ブルータスお前もか」の大平光代さんである。

 ともかく蟻が大木を倒すこともあるのだから、ライブドアよ、大メディア、フジサンケイグループの改革に、執拗に時間をかけても、これからの日本のマスコミのあり方の議論も含めて、挑戦し続けてほしいとエールを送り続けたいと思っている。
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コンビニは文化か退廃か。

2005年03月12日 | 日本の課題

 ちょっとした町には必ず何処にも、あそこにもとあるコンビ二エンスストア、略してコンビニがある。逆にコンビにのない町があるとすれば、相当な田舎と言うか人里はなれた町だと思われてしまう現代である。

 ローソン、セブンイレブンに代表される、この種の雑貨店だが今や世界中にあり、東南アジアでは日本でチェーン展開している馴染みのコンビニが至る所にあって驚くけど、気楽に入ってしまうほどである。

 便利でいつ、どこでもちょっとした買い物に立ち寄ってしまうのは、特に車で移動する人々と学生や若者だけだと思っていたが、最近では近所のおばちゃんたちや高齢者がコンビニに気軽にやってきて、日常の買い物を、あれやこれやと籠に入れてレジへと進み、結構たくさんの買い物をしているから驚きである。

 決して品揃えがよくて安いわけではないのだけれど、ちょっと小腹が空いたというか、何かちょっと欲しい時に、ついつい入ってしまうのがコンビニの様になってしまっているようである。現代人は、いつのまにかコンビニ症候群とでも言うべき日常生活での病気に陥っているように思う。

 決してとびきり美味しくて珍しいものが揃っているわけでもなく、安いわけでもないコンビニに客が入って行くのは、いつも若いお兄さんやお姉さんがレジにいて、たとえ105円のおにぎり一つでも、いらっしゃいませ、ありがとうございますと丁寧に挨拶してくれるからなのだろうか。

 何と無駄だとわかっていてもレジ袋に必ず商品を入れてくれたり、お客さんへの言葉かけを忘れず応対してくれ、大変親切に思えたりする接客態度や雰囲気に、どうも惑わされて酔ってしまっているのではないだろうかと思うのである。

 特に女性にとっては、買い物それ自体がストレスの発散であったり、スポーツ感覚に近い楽しみだったりするらしい。現代人の憩いとストレス解消のためにコンビニがあるわけではないが、男性も含めて、このコンビニ症候群に現代人の多くがかかっている様に思うのである。

 学生や若者の多くはコンビニのない町には住めないと断言する者がいる。経済性や必要性などからすると24時間営業など無駄だと思うが、いつでもどこにでも電気が灯った店が開いていることが、彼らには何とも安心というか,寂しくない大きな支えになっているらしいのである。

 コンビニの有無は何も都会や田舎のバロメーターでもなければ、文化的尺度でもないのであるが、何とも現代人には、コンビニのない生活はもう考えられないみたいになってしまっている。

 コンビニは文化ではなく、現代人いや人間の普通の生活の退廃を象徴したショップなのかもしれないと、最近私は感じているのである。

 特に食生活において子どもたちの「食育」が文部科学省をはじめ、教育関係者の間で問題視され出しているが、まさにコンビ二文化が、現代人の食文化と食育的嗜好や思考をストップさせているのではないだろうかと思うのである。

 健康や体のための食事や食物が、季節感や農業とは全く別世界で、売れる食品、食べやすい食品、味の濃いおやつ的食品を中心として販売され、飲み物、雑誌、漫画、化粧品や日曜雑貨と共に、いつでも手に入る商品として24時間店頭に並ぶ不思議さに、現代人は飼いならされ様としていると思えてならない。

 コンビニは文化ではなく日本人の退廃へのアプローチを早めるショップである。
 
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ふきのとう

2005年03月11日 | 感じたこと
 春が間違いなく近づいてきています。今日、あるお宅で桜が咲いているのを見せてもらいました。
その桜は温室で育った桜の枝を花屋さんで売っていたらしく、「春」を買ってこられたとのことでした

 本当に春本番かと思うほど温かな日が続いていましたが、天気予報では、からまた冷え込んで最低気温が零度になると言っており、昔から言われている「暑さ、寒さも彼岸まで」は、この頃の気候を言い当てた三寒四温と共に、春への序章を表現した「日本的天気言葉」だと思います。

 そんな中で、私の八百屋の農産物の中にも、春を告げる野菜が出回り出しています。一つは菜花、つまり菜の花であり、もうひとつが「ふきのとう」です。

 私は、このフキノトウが大好きで、春が近づいたことを、目でも味でも実感できる植物のひとつです。

 東北のおばあちゃん、佐藤初女さんのお話の中に、この「ふきのとう」の話もあり、私はその話も大好きなんです。

 まだ周辺を雪に覆われた「森のイスキヤ」で、彼女は雪を数センチ取り除いて、春を告げるフキノトウを見つけて、丁寧にひとつひとつ摘んで籠に入れて、急いで家に持ち帰って台所でてんぷらの用意をして、摘んだばかりのかわいいフキノトウの根っこのところに衣をつけて、油の中に滑るように入れると、何とフキノトウは「春が来たー」と思って、花を咲かすのだそうです。

 春を待ち遠しくて待っている人間達にとって、春を告げるフキノトウのちいさな蕾たちが、ひとつひとつ、お尻が熱くなって春だと思うなんてことはないだろうが、私はこのフキノトウの蕾に託した春を感じたい佐藤さんの感性が大好きなのです。

 わが家でも、いつも春が来る少し前に、フキノトウが入荷して、私は必ず一度は、この「春ダー」と思って花を咲かせるフキノトウに出逢いたくて、てんぷらにするのだが、なかなか、そういった感じの花が咲くフキノトウに出逢えないのである。

 毎年、この苦味のあるフキノトウのてんぷらを美味しくいただき、この味は日本人にしか分からないだろうなと自画自賛したり、味噌汁に入れたフキノトウの苦味は、たぶん子どもにはわかんねぇだろうな、と大人ぶって愉しんでいるのである。

 数年前、4月の初旬に北海道は女満別空港まで飛び、空港からまだ雪の残るオホーツク沿岸を経由して、目的地の「子どもの村」までバスに乗って暮れ始めた殺風景な道を走っていた。

 バスの通る道の脇に何やら大きな緑色の植物が点々と数多くあるのだ。最初は何かと思っていたが、これが何と巨大なフキノトウであると知って、それまでのかわいい、可憐なフキノトウのイメージが一掃されたことを覚えている。

 フキノトウも蕗の種類や時期、場所によって可憐なかわいいものから、巨大なお化けフキノトウまであることを初めて知ったのである。

 あの巨大なフキノトウはてんぷらにしてもたぶん美味しくないだろうし、ましてや花が咲くようなかわいい反応以前のものだろうと推察しているのだが、誰かあの大きなフキノトウを食した人はいるだろうか。

 「ふきのとう」は春を告げてくれる可愛い、苦味を伴った植物であってほしいと思うのは、私だけだろうか。私たちの世代では、フォークデュオ「ふきのとう」を思いだす人も多いかもしれない。
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きょうは何の日?

2005年03月10日 | 日本の課題
 1年365日、その日は何の日か、必ずラジオ、テレビや新聞で報道されている。

 3月10日は、さて何の日なのだろうか。昼のFMラジオでは、「砂糖の日」と「ミントの日」を紹介していた。いずれも3と10を「さとう」「みんと」とこじつけて読んで、業界などが毎年定期的に「砂糖」や「ミント」の拡販というか、奨励のための日としているのである。

 調べてみると何と他にも、「佐渡の日」「サボテンの日」「陸軍記念日」などもあり、夕刻のテレビニュースでは、山陽新幹線開通30周年の記念日の特集なども放送していた。

 誕生日では、藤谷美和子,シャロン.ストーン、ツトム山下、山田花子,ソンニ、藤井隆、鈴木大地、魔裟斗、杉浦太陽らがおり、命日では、金子みすず、峠三吉らが3月10日だそうである。

 今年は太平洋戦争、第二次世界大戦の終戦から満60年と言うこともあって、我が市の「平和都市推進協議会」が8月の「平和の集い」と「平和展」にむけて、展示内容やビデオ、映画の上映などの企画の準備で先日、大阪国際平和センター「ピースおおさか」へ展示物の借用願いのために出向いた。

 その時に3月13日が大阪大空襲があって、ちょうど60年目の3月13日に、漫才師として活躍された夢路いとし、喜味こいしの、弟さんのこいしさんが「戦争やって、何が残るんですか」という演題で記念講演をされるイベントのチラシをもらって、今私の机の上にあるのだ。

 この大阪大空襲の三日前、つまり3月10日は東京大空襲の日であり、現在は東京都の平和の日となっていることを忘れてはならないのではないだろうか。

 昨日、落語家の故林家三平さんの奥さん海老名香葉子さんが中心となって、下町東京での米軍の焼夷弾による大空襲で焼け野原になった実態と、その大空襲で亡くなった多くの人たちの霊を忘れまいと、石像を建てられたニュースが一部のテレビで放映されていた。

 戦後に生まれた世代にとっては、こうしたニュースや戦前、戦中を生き抜いて来られた、戦争体験者の方々の経験と実際のお話を聞いたり、見たり、読んだりすることしか、なかなか戦争の悲惨さや実態を知ることができないのである。

 東京大空襲や大阪大空襲は、米軍がそれまで軍事基地や施設を中心に爆撃していたのに、日本の降伏を早く実現させるために焼夷弾という爆弾、つまり木と紙で出来た日本のほとんどの建造物である民家に、大打撃を与える作戦としての大空襲であったのだと聞いた。

 海老名さんは、この3月の東京大空襲の大きな被害で、日本が敗戦を認めて降伏しておれば、広島、長崎の原爆被害や沖縄での悲惨な地上戦も戦わなくて済んだし、何十万人の命が助かったはずなのにと、悔いておられたのが大変印象的でした。

 3月10日は、60年前のあの東京大空襲の被災の日です。この日を覚えて、二度と悲惨な戦争に突き進まないように、政治の動向を見守り、日本国憲法の改悪、教育基本法の改悪などを阻止して、平和な地球を推進する原動力としての働きを世界に示せる日本であってほしいと切に願う,今日であった。

 砂糖やミントの日などは、話題性としては愉しいかもしれないが、放送局や大人たちが大切な日本の歴史にあっての実際のおおきな出来事である、東京大空襲のことを、しっかりと知らせたり、学ぶ機会としなくては、教科書からそうした記述や写真、情報も意図的に省かれていく昨今では、危険な「戦争への道」を日本が再び歩むことにもなるので、しっかりと記憶して、後世にも伝えていただきたいものである。
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