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ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

「生活者財源」って。

2008年04月30日 | 日本の課題
 今日、午後五時過ぎに衆議院で「道路特定財源の暫定税率を元に戻す」法案が、自民党、公明党の出席議員の多数の賛成で可決し、再びガソリン一リットル当たりの価格が、ほとんどのスタンドで約30円前後大幅に値上がりすることが決まった。

 いろいろと議論されていた中で、たった一ヶ月だけの短い期間だったが、消費者国民は、安いガソリンに飛びつき、運送業者を中心に暫しの安堵感を楽しんでいたのにも関わらず、「元の木阿弥」となるのである。

 福田康夫首相は、午後六時過ぎの特別記者会見で、道路特定財源を来年度からは一般財源化して、「生活者財源」とすると言明した。

 何とも言葉で誤魔化そうとしているとしか思えない見栄みえの苦し紛れの「新キャッチフレーズ」だったが、よくもまあ白々と国民に嘘がつけるものだと感心するしかない。

 国民の納税による全ての財源は、当たり前だよ「生活者財源」でなくてはならないはずであるのに、敢えて今回の一般財源化を政策的に言い切ったために、道路建設経費などのために使った後の残金は、福祉や医療などの「生活者」に少しは当てると言っているに過ぎないのである。

 いい加減にしてほしいものである。道路特定財源の暫定税率維持を先に決めておいて、苦し紛れの来年度からの「一般財源化」を宣言したが、道路族議員や利権に関わる土木建築業界に「目配せ」しながら、大丈夫ですよ、ちゃんと道路建設はしますからと一方で言いながら、国民の怒りや不満に対して、ちゃっかり「生活者財源」にも当てますと言ってといるに過ぎないのである。

 この一ヶ月間だけ、国民、消費者や自動車運行者を結果的に喜ばしてくれただけで、後期高齢者医療制度での年金天引きによる保険料負担や食料品をはじめとする各種の生活必需品の諸物価の高騰も徐々に拡大している最中に、何が「生活者財源」なのだろうか。

 福田赳夫元首相のお坊ちゃまが親子二代の総理大臣になられたまでは国民も、そのいい加減差に気づかなかったのだが、ここ数ヶ月の「福田節」の記者会見を聞いている限り、本当の国民庶民の生活実態や経済的困窮さなどのリアリティは全く判らない「宰相」であることが明らかになった。

 何とも先の党首会談で「可愛そうなくらい努力している」なんてフレーズが自分の責務である仕事としての執務に対して言ってしまうほどの「お坊ちゃま」であることが改めて明らかになったのである。

 後期高齢者医療保険制度にしても、二年間の準備期間があったにも関わらず、混乱や不平不満が高齢者を中心に渦巻きだした今になって、やっと舛添厚生労働大臣
は「十分実態を調査する」というコメントである。

 十分議論し調査し検討した結果の策ではなかったのだろうか。

 全ての政策が、政治家と官僚たちにより作られた「机上の空論」が先行していて、本当の庶民の生活実態や感情、経済を無視したものであると言わざるを得ない、お粗末な「お坊ちゃま内閣」であり、戦後60年近くのほとんどの国家権力を握り続けてきた自民党政権の「構造疲労」としか思えない実態である。

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「竹の子会」

2008年04月29日 | ガリバー旅行記
 春の竹の子のシーズンである。竹の子とは、もちろん孟宗竹の赤ちゃんの「タケノコ」なのだが、これを「筍」と書く謂れを、つい先日知ったのである。

 孟宗竹などの竹の赤ちゃんであるタケノコは、雨後のタケノコの如くとも称される様に、よく出て、よく伸びるものである。

 そこで、つまり「旬」といわれる十日間で「ぐんと伸びる」ものなので、竹冠に旬と書くのだと言うのである。

 なるほど、地中から少し気配を感じるくらいの「タケノコ」の出ばなを感じて「タケノコ掘り」の名人は、見事に大きなタケノコを掘り出すのだが、私が名づけた「竹の子会」とは、私たちの小学一年生の頃の同級会のことなのである。

 今から半世紀ほど前の、大阪市立長池小学校に誕生した、なんと「一年い組」の担任の先生が「佐竹先生」だったことから、十歳の頃に先生が他の小学校に転勤されることを知った時から、先生のお誕生日のお祝いを兼ねて始めた同窓生の会を「竹の子会」と名づけたものなのである。

 実は団塊の世代の真っ只中の我々のクラスは、たぶん出入りのクラスメイトは、のべ六十人以上いたと言われているが、その内の有志によるミニ同窓会が、今まで五十年近く続いているのである。

 最初の頃は、みんなで百円、二百円と出し合って、先生のお誕生日ケーキを携えて、先生のご自宅に伺って、みんなでご馳走になって帰ってくる様な同窓会だった。

 そのうち、みんな高校生、大学生と成長し、オリンピックの年には出来るだけ多くのクラスメイトに呼びかけての同窓会ととして発展して、ほとんどが結婚し、所帯を持ってからは、奥さんや子供さんも同伴でのにぎやかな集いも何年か持った。

 野山に「竹の子」が顔を出す頃に集うことが多かったためと、「佐竹先生の教え子」ということでの「竹の子会」なのだが、みんなは「筍」のようには成長していないかも知れない。

 しかし、今年の先日の集いには、何と半世紀ぶりの仲間が東京から駆けつけてくれるという「楽しい集い」となった。

 広島から毎回顔を出してくれるT君をはじめ、男子七名と女子一名の総勢八名のミニ同窓会だったのだが、実は恩師の「佐竹先生」が三年前に亡くなられているために、恩師なき同級会となっているのである。

 消息も含めて、セピア色の小学入学式の写真を見ながら、話は尽きないのだけれど、大学の教授が判明しているだけでも四名いるし、日銀に就職した輩もいるらしい。

 しかし、団塊の世代の我々は、昨年から今年にかけて全て「還暦」を迎えたために、第二、第三の人生を歩む実態が見えてきていて、まだまだ心は若い連中なので、話は発展していくばかりであった。

 まだまだ「伸び行く」、育ち盛りの「竹の子会」であった。
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政治の構造改革

2008年04月28日 | 日本の課題
 昨日の山口2区の衆議院補選で、野党民主党の公認、社民党の推薦候補が自民、公明の与党の推薦候補に、歴代の保守地盤にも関わらず2万2千票の大差をつけて勝利した。

 テレビや新聞報道によれば、ガソリン税問題と後期高齢者問題が響いての、野党の大勝利となったと伝えている。

 確かに75歳以上の後期高齢者医療保険制度に対する反発やガソリンの再値上げに繋がる道路特定財源の暫定税率の延長を再議決するという自民党、公明党への逆風が、今までの自民党支持の強かった有権者を奮い立たせたことは事実だろう。

 しかし、政府関係者は、口々に決して「山口2区」の選挙結果が民意だとは思わないと、全く有権者を無視した言動で、公明党との約束も交わして、明後日30日には、衆議院での三分の二以上での再議決を強行しようとしている。

 そもそも、今回の福田康夫首相誕生後の初の国会議員選挙での国民の審判は、ガソリン税と後期高齢者医療保険だけの問題ではないのである。

 小泉首相の郵政民営化を含む規制緩和と構造改革という政策を皮切りに、安部政権、福田政権と続く状況下で、テロ特措法の延長問題、年金制度の不満、医療改革の負担増、防衛省の欺瞞と贈収賄、国土交通省の既得権的無駄使い、そして日銀総裁への財務官僚の天下りなどの与党の常套手段と対応への怒りが沸騰していたのである。

 すなわち、自民党と公明党が権力維持のために手を組んだ与党体制下で、衆議院の三分の二を集約すれば、何でも思い通りにできる状況下を突っ走り始めた日本の政治権力に対して、辛うじて国民有権者が昨年の参議院選挙でストップをかけたくて野党勝利を導いたのである。

 そんな国民の民意を無視して、今回も憲法に保障されているからと言って、「民意を省みず」、テロ特措法の取り扱いに続いて、道路特別財源を与党と称する自民、公明両党の政治家たちが「粛々と断固、再可決」すると決定したのである。

 ガソリン税の再値上げに対してと後期高齢者医療保険制度については、7割から8割の国民が「ノー」と言っているのに、民主党の責任の如く、戯言を言いながら、全く国民の声を聞かずに自分たちの権力死守のために、官僚たちにもオドロサレて強行しようとしているのだ。

 ここ数年の政治課題の真の課題は、「官僚政治から真の民主主義政治へ」の転換なのではないだろうか。

 戦後の日本の形式的民主主義を利用して、自民党を中心とする保守政治家たちが、官僚たちと業界の利権につながり、選挙の構造、組織、金を牛耳って勝つための「政治」を繰り返してきたために、いつの間にか「政治」は、国民のためりのものではなくなっていたのである。

 つまり、大きな政治の「構造改革」が、このチャンスに出来なければ、少子高齢化が益々進む日本の、今後の「福祉」「医療」「教育」「地域づくり」は出来なくなるのではないだろうか。

 また国際的な視野に立った、「ボーダレスな地球人」としての「政治」が不可欠なのである。
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命は地球より重いか。

2008年04月26日 | 感じたこと
 あの尼崎のJR電車脱線転覆事故から満3年が経過した。

 107名の犠牲者の追悼の花や読経や焼香が4月25日に再びなされ、新聞各紙やテレビマスコミも一斉に事故の特集を組んで、「福知山線事故の教訓」を報道していた。

 一方で、路線を管理し点検する「保線区」の職員らのインタビューによると、JR西日本の、その後の安全対策や事故防止に向けてのマニュアルや社長のコメントなどは、やはりきれいごととしか思えないとのコメントがあった。

 「人の命の尊さは地球より重い」と誰が言ったのかは知らないが、時折マスコミや学校の教師などの口から耳にすることがある。

 しかし、本当に「命の重さ」を誰が知っていて、ちゃんとどのように伝えているのだろうか。

 昨日、仕事の移動中に聞いたラジオ番組に寄せられた聴取者の投稿による、ご年配の方の悲しい思い出が読まれていた。

 聞き入ってしまったが、こみ上げてくる悲しみを感じて、さぞご両親やご親族には今も「悲しみ」が癒えない話だろうと感じたのである。

 それは数十年昔、昭和四十年代のことだが、妊娠されて待望の赤ちゃんを授かったご夫婦の「喜びの一瞬」になるはずの「出産時」に、時間が経って分娩室から医者が飛び出して来て、「奥さんの命と赤ちゃんの命とどちらを守りますか」と尋ねたそうなのである。

 若い夫と妊婦の母親は、ひと時の間をおいて、異口同音に「母親を」と口走っていたと言うのである。

 それからしばらく経って、若き父親には毛布でくるんだ3キロ近い重さのあるわが子の亡骸が手渡されたそうなのだが、悲しみで涙がこみ上げてきたと言う。

 出産後、命を保って回復した奥さんは、わが子の顔すら知らぬままに、父親は近くの八百屋で「みかん箱」をもらってきて、周囲を布で覆って「小さな棺」を作って火葬場へ運び、小さな白い煙と共に、「名もない赤子」は天に召されたという。

 しかし、そのご夫婦は、その子に「みつこ」と名づけて、その後恵まれた三人の女の子にも写真もないお姉ちゃんがいたことを告げていると言う。

 昨日、全く別の話を耳にした。

 前世で「ベトナムの少女」だったと確信している日本女性の脳裏に、米軍による焼き討ち皆殺しにされたベトナムの村と、自分の胸に刺された銃剣で血が噴出した模様が今もくっきりと思い出され、「米軍は大嫌い」だと言うのである。

 「人を殺したら刑務所に入れるから」などの理由で、また自分勝手な計画性から他人の命を簡単に奪ってしまう最近の殺人事件や、国や地域が自分たちのエゴと利害のために「人殺し」をする「戦争」での行為も、全く「人の命の重み」などと言う「考え」すらないに等しい。

 本当に「人の命は地球より重い」のかどうか、もう一度一人一人が考え、語り、家族で、学校で、仲間と話合う必要があるよね。

 ほんとうに赤ちゃんや子供の「笑顔」と「元気さ」に、命の重みと喜びを感じる日々である。
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添加物山盛り弁当

2008年04月23日 | とんでもない!
 ここ一年、おっさんフリーターとして外回りの営業を仕事としているので、お昼ご飯を外食することが常となっている。

 しかも無農薬、無添加の食品を中心に扱う仕事なので、余計に「お弁当」や「食事」には気を使うことが多い。

 今週号のある雑誌に、添加物山盛りのコンビニ弁当の特集記事があったが、私もどうしてもコンビニ弁当だけは買わない様にしているし、たまに手にとってコンビニ弁当の添加物を含む食品表示を見ると、ほんとうに驚くほどの添加物が使用されていることがわかり、買って食べたいとは思わないのである。

 所謂●●弁当チェーンなどで扱っている弁当であっても、またスーパーで扱っている弁当でも、ほとんどが添加物山盛りなのだが、その場で調理されたものは、いちいち食材、原材料を記載しなくてもいいので、わからない場合が多いが、結構添加物が含まれている食品が多いのである。

 ともかく、販売競争に勝てる「弁当」とするために、見た目や栄養価も大事だが、とりあえずコストがかからず安く販売できることが先決なのだろう。

 手軽に食べられるのが魅力だとして、昼食時だけでなく「コンビニ弁当」の売り上げはうなぎのぼりで、昼前後の街のコンビには、労働者やOLたちも含む人たちで大変賑わっている。

 これらの各種弁当たちに、どの様な添加物が盛りだくさんで含まれているかを週刊誌は記載している。

 サークルKサンクス、ローソン、セブンイレブン、ミニストップ、ファミリーマート、ampmなど全国展開している大手コンビニチェーンの各店で扱っている「コンビ二弁当」の数は一日何百万食か知らないが、「あんしん」とか「無添加」を謳っている商品も、決して全ての食材が無添加や有機食品ではないのだ。

 お弁当に書かれた添加物の主なものは、アミノ酸調味料を筆頭に、乳化剤、PH調整剤、酸化防止剤(VC)、グリシン、酢酸Na、ソルビット、トレハロース、膨張剤、乳酸Na、炭酸Ca、増粘多糖類、香辛料、酸味料、イーストフード、リン酸塩Na、着色料、色素、香料、漂白剤(亜硫酸塩)、甘味料、発色剤ゅ88(亜硝酸Na)、増粘剤など、びっくりするほど大量である。

 「保存料・合成着色料不使用」との表示があるコンビニ弁当が最近多いのだが、実は陰の保存料と言うべき添加物がたっぷりと使われているのである。

 食品衛生法や法令遵守の安全、安心で美味しい弁当と言われても、これだけ多くの添加物が称されている「弁当類」を毎日の様に食していたら、蓄積する添加物の見えない量はとんでもない量になっているはずである。

 日本人の三人に一人は癌で死ぬと言われている昨今であるが、目に見えない合法的添加物での中にも多くの発がん性物質が山積していると言われている。

 出来る限り、外食する場合も持ち帰り弁当ではなく、その場で調理される食事をいただくことを心がけて、安くても安全な昼食を取りたいものである。
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元少年に死刑判決。

2008年04月22日 | 日本の課題
 1999年4月に山口県光市で当時23歳の主婦と生後11ヶ月の女児が殺害された事件で、当時18歳一ヶ月の少年が逮捕、起訴された事件である。

 9年に及ぶ裁判の経過がマスコミにおいても注目されていて、今日の広島高等裁判所での元少年27歳に対する差し戻し控訴審の判決公判にも、三千人以上の傍聴希望者が集まるという異常な事態の中で判決が言い渡された。

 最高裁判所の差し戻し控訴審は、無期懲役とした高等裁判所の判断に対して問題ありと突っ返された形で、求刑通りの「死刑」が言い渡されたが、事件の内容よりも、死刑制度の是非と少年法の適応など、日本の裁判制度の現状と極刑化が進む現状での裁判員制度の実施などと絡んで、国民の注目を集めた判決であった。

 この裁判に関しては、控訴審後に被告人の弁護団が大きく変わり、被告人の主張も大きく変わるという状況の中で、現大阪府知事となった橋下弁護士が、その当時出演していたテレビ番組で「弁護士懲戒請求」を呼びかけたことで、逆に訴えられ今も係争中である。

 日本の裁判制度に基づく現状の極刑である「死刑」と「無期懲役」との刑罰の隔たりは非常に大きいが、今回の裁判を通じて、再び「死刑制度」の是非についての議論がなされていることは好ましいと私は思っている。

 今回の事件に対する、容疑者、被告人の主張については、新聞報道やマスコミを通じての情報を見聞きするにつけて、被害者遺族の感情や気持ちを察すれば忸怩たる思いがすることは否めないのだが、だからと言って、極悪非道の犯罪者は「死刑」にすべしと判断してしまっていいのだろうか。

 「死刑制度」そのものは、人類史上の有史以来続いていることは承知しているが、近代に入ってから「死刑」を廃止または再検討する国が増えていて、2008年1月現在、91ヶ国で「死刑廃止」がなされ、戦時下以外は死刑を廃止している国が11ヶ国もある。

 主な死刑廃止国は、北欧のデンマーク、フィンランド、ノルウェイを初め、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、メキシコ、スイス、スペイン、オーストリア、フランス、オランダ、ギリシャ、ベルギー、ポルトガル、コロンビアなどに及んでいる。

 その上、死刑をここ10年以上執行停止している、所謂死刑執行モラトリアムの国が全世界には33ヶ国もある。

 欧米諸国を中心に死刑制度の廃止や停止が多いから、日本も死刑制度をやめろと言っているのではない。

 今、日本国と日本人が、国連の人権問題に関する提言においても「死刑制度」の廃止を決議している中で、じっくりと考え議論する必要があると思うのである。

 宗教的風土や歴史的経過の違いはあるが、どんどんと極刑化が進むことが「犯罪の抑止力」だとの見解だけで、「死刑」という国家権力による「殺人」を、これ以上続けて行っていいのだろうか。

 「罪を憎んで、人を憎まず」は、なかなか凡人には出来ないことかも知れないが、先月岡山駅で起きた、突き落とし殺人の被害者の父の言葉が深い。
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「人の痛みをわかる」とは。

2008年04月21日 | 感じたこと
 今日、仕事帰りにいつも通る交差点の小屋の壁に「人の痛みをわかるようになろう」という標語でもないが、書がポスターの様に掲げてあった。

 うん、人の痛みがわかる人間になれれば、少しはより他人とのコミュニケーションもうまくいくだろうし、ともかく仲間や友人、そして他人の信頼を受けることだろうと思うのであるが、なかなか「他人の痛みを理解する」ことは難しいことでもある。

 先日、NHKテレビの「その時歴史は動いた!」で、思い切った企画かもしれないが、所謂「差別」に関しての「誕生まで」を放映していたことを思い出した。

 今日夕刻にも再放送されていたらしいが、奈良の被差別に生まれた青年が、自分が被差別に生まれたことを隠して上京し生活していたが、「米騒動」を機会に故郷に帰って、「差別撤廃」への運動を始める「」の設立までを描いた歴史ドキュメンタリーであった。

 ともかく、特に関西地方では、私の幼い頃にも、また成人してからも「問題」については、一定の知識と問題を感じてはいたが、なかなか議論したり素直に語ったりは出来難い話題であった。

 江戸時代から歴史的に作られた身分制度と共に、士農工商、エタ、ヒニンなどと呼ばれて、人間としての尊厳はもとより、常に結婚、就職を含む「差別」的対応を余儀なくされていたのである。

 明治時代以降も、この「出身」ということでの「差別」は、厳然として残っていて、今なお旧戸籍などが、その人の出身地を「」と限定したりして、まともな人間関係に及ぶ前に、とんでもない差別を強いられていたのである。

 私も学生時代に始めて「」の存在を知り、その非科学的な作られた人種差別構造のからくりを学ぶ機会があって、人間の醜さ、寂しさ、不条理さを知ったのである。

 しかし、そうした民と呼ばれた人たちの「痛み」を知ることは、感覚的にはわかるが、簡単には「痛みがわかる」などとは言いえぬ、深くて暗い歴史の重さがあるのである。

 確かに「差別」に関わらず、他人の心の痛みを知ることは大変難しいものであって、軽はずみに「わかるよ」なんて慰めの言葉を語ることは出来ないのである。

 同じような体験や経験をしたものであっても、人それぞれのケースバイケースで、なかなか他人の痛みの全てを感じることは難しいものである。

 しかし、少しでも「人の痛みがわかる」人間になることによって、人と人との対話や信頼、理解が深まることは間違いないことだろうと思うので、少しづつでも、ちょっとでもも「わかる人間」になれればと思っている。

 ちょっと傷ついた子供相手に、「痛いの痛いの飛んで行け!!」と言い放って、子供の痛みを和らげてあげたいと思う様に、他人の立場と心を察するイマジネーション、つまり「想像力」が大切なのだろう。

 人の痛みがわかる人になれますように。
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「大過なく」過ごしていいの?

2008年04月20日 | とんでもない!
年度が変わって、2008年度になり二十日が経った。

 昨年度の初めまで議会議員として16年間仕事をさせていただいて、毎年年度末に迎える幹部職員の退職挨拶を、議事堂で他の議員たちと一緒に聞く恒例行事があった。

 ここ数年は、所謂「団塊の世代」と称されるベテラン職員が多く退職期を迎えて、彼らは緊張の面持ちの中で用意された原稿を読む人、また素で自分の思いを語る人と様々だが、地方公務員として奉職した何十年を個人的に振り返って、感慨深かめに挨拶される方が多かった。

 私は議員席から、各々個人としての長年のお勤めに対しては、「ご苦労様でした」という思いで感謝と慰労のための「拍手」を一同と共にしたが、いつも拭い切れない引っかかった言葉があり、自問自答せざるを得なかった。

 退職者の多くが部長職以上の職責を経験された方たちだが、「採用されて以来、●●年間、大過なく過ごさせていただいた」とおっしゃる方が多い。

 私は、この「大過なく」と言う言葉に、どうも違和感を感じ、拘りを感じていたのである。

 「大過なく」とは大きな過ちがない、大きなトラブルもないということなので、一見当たり前の如く普通の人は納得する常套句かも知れないのだが、私は、「そりゃそうだよね、事なかれ主義では。」と感じて、特に大きな問題提起とかアイデアや手法、発想での仕事をしなければ「大過なく過ごせる」と思うのである。

 地方公務員が、住民の福祉や日常生活に大いに役立つために、住民本位の視点に立って仕事をしていたら、いくら遵法精神を持っていても、仕事でをいろいろと問題にぶちあたたったり、トラブルも起きるはずである。

 民間企業の仕事でも同様だが、そうしたトラブルや問題を感じた時に、どう対処するか、またどう戦うか、どう新しい提案と努力をして「変えていくか」が、仕事ととしての「やりがい」ではないのだろうか。

 地方公務員に関わらず多くの日本人の習性は、「大過なく」に通じる、避けて通ったり、責任逃れの先送りしたり、少しの葛藤はあるだろうが、まともに「トラブル解決」に根本的に向き合わない性分が根付いているのではないだろうか。

 永年勤続を果たして退職して行く人たちの口から、異口同音の如く「大過なく過ごさせていただいた」などと言う、納税者、市民からすると、違和感のある挨拶にいつも「疑問」を抱いていた。

 ぜひ、どんな仕事、立場でも、「大過なく過ごす」のが目標では困るわけで、トラブルメーカーではないが、トラブルや問題に突き当たってこそ発揮できる、自分らしい戦い、すなわち「仕事」を切に願わざるを得ない心境である。

 仕事にはトラブルが必ずある。それを乗り越える英知と誠実さと努力が必要で、大過ではなくなく小過にトドメテ、改善、改革していく情熱を持って仕事をしよう。

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交通安全週間が終わった。

2008年04月17日 | 日本の課題
 春の交通安全運動の10日間が一昨日終わった。

 警察庁は、期間中の交通事故状況を発表し、交通事故による死亡者数が昨年同期より37人少ない125人で、現在と同様の10日間行われるようになった1970年以降、最も少なかったらしい。

 今回は飲酒運転の根絶をテーマに取締りを行ったらしいので、飲酒運転による事故は全国で100件にとどまり、昨年同期の225件より大幅に減少し、飲酒運転による死亡も12人で昨年より9人少なかったという。

 こうした成果を強調する警察庁であるが、果たして全国的な交通取り締まりは、どのように行われていたのだろうか。

 聞くところによると、各警察署管内で確かに交通取締りが頻繁に行われていたみたいだが、シートベルトや携帯電話使用なども含めて「軽微な違反」の摘発が多かったらしい。

 中には、一方通行違反や右折禁止違反など、いつもは知らない車も安全確認をした上で通行していた道路の入り口をちょっと入ったところで「待ち伏せ」しての「違反摘発」が目立っていたと言う。

 確かに道路標識はあっても、いつも生活道路として通行している車両ならばわかるが、初めて通過する車両の運転手などにはわかりにくい標識や規制が、結構住宅地内や幹線道路との接続道路には多いのである。

 ある運転手は、幹線道路から看板を見つけて、ファーストフードの店に入ろうと右折シグナルを出して待機していたところ、反対車線の渋滞気味の車線で間隔を空けてくれたドライバーが、「どうぞ」と手招きしてくれたので、右折したところ「違反」と警察官に呼び止められて摘発され、反則金切符を切られたという。

 また幹線道路に出る小さい路地から安全確認を執拗にして、車両の流れに逆らわずに合流したドライバーを、自転車に乗った警察官が追いかけてきて、「信号無視」だとして摘発されたケースもあったらしい。

 いずれも、運転者にとっては見落としたのかもしれないが、全く自覚のない「違反行為」を摘発する警察官とは、いったい何なのだろうか。

 確かに「違反」は「いはん」なのだろうが、交通安全を目指すならば、飲酒運転行為の摘発やスピード違反や、赤信号を突っ走って行く車の取締りなど、ひどいドライバーが横行する昨今であるので、こうした悪質ドライバーやモラル無視の運転手の摘発や検挙に力を注いでもらいたいものである。

 良心的なドライバーが細心の注意を払いながら恐る恐る街中を走っている時に、見知らぬ道路で、急に飛び出してくる警察官に摘発されるケースの方が断然多いのではないだろうか。

 つまり、「交通安全運動」とは、良心的なモラルあるドライバーを摘発し反則金をふんだくって行く、警察官と警察署の「稼ぎ時」となっているだけで、真の「交通事故」を未然に防ぐ、抑止的効果はほとんどないのではないだろうか。

 誰もが「交通安全」に気をつけて車を走らせることの出来る世の中にしたいものである。
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ケニア人と友達になった。

2008年04月16日 | ガリバー旅行記
 今日、前から電話で連絡をとっていたケニア人の男性二人と初めて会って、友達になった。

 彼らは大阪枚方に住むケニア人で、一人は7年前に来日し、日本人の奥さんとの間に二人のかわいい女の子がいる青年である。

 もうひとりは関西外国語大学に留学している独身男性で、何と身長は189センチとちょっとあるという長身のハンサムボーイであった。

 私にとってはアフリカ人の人と口を聞くのは、これで二回目ということで、以前に会った人はエチオピア人であったが、日本で英語を教えていて、やはり日本人女性と結婚している人であった。

 今回出会った二人の長身の黒人男性は、いずれも面白い大阪弁も話す青年であり、アフリカン太鼓を中心とするバンド演奏もお手のものというミュージシャンでもあるのだが、日本でアフリカ、ケニアの文化や民族性、国を知ってもらうためのあらゆる活動をしたいと言っていた。

 音楽だけでなく、料理、民族衣装、旅行、風俗習慣、子供たちの遊び、言語などの国際的交流をする中で、お互いの歴史や文化を尊重しながらお互いを理解できるようなイベントをしようと言うことになった。

 まず私の友人でもある宇治の小さな知的ハンディのある青年たちの作業所を拠点に、アフリカンリズムを楽しむ集いを企画して、その延長上で毎月か隔月に楽しく交流できるようにしたいとお互い話し合ったのである。

 そんな話の中に飛び出したのが、今年2月に起きた「ケニア暴動」の悲惨な被害者たちの救援活動であった。

 私たち日本人にとって、確かにアフリカ大陸は地理的には遠い大陸ではあるが、本当に海外のニュースも歴史的学習においても、そのほとんどが欧米とアジアを中心とする内容であるため、ケニアの暴動のニュースは、ほとんど記憶になかった。

 しかし、昨年12月の大統領選挙が発端で、再びケニアの主要部族である3部族間の対立が激化し、中には600人もの子供たちが親と離れ離れになったり、死に別れたために、雨季に入ったケニアの大地で悲惨なホームレス状態にあるというのである。

 食べるものにも事欠いて、首都ナイロビの街中でも餓死寸前のみ子供たちもいて、ビニール袋だけで雨と寒さを凌いでいる子供たちが多くいるというのである。

 如何に私たちは地球上の争いや悲惨な日々の生活に苦しんでいる人たちがいることすら、知らないで生活していることかと自問自答しながら、彼らの話を聞いていた。

 彼らと友達になって、これから少しでも私たちに出来ることをお手伝いしたいと思うが、彼らはとっても明るく元気なケニア人であり、かえって日本人の私たちが励まされる要素がいっぱいなのではないかと思うほど、彼らのエネルギーと感性は果てしなくある感じで、大変これからの交流が楽しみである。

 ケビンとエリック。これからもよろしく。ジャンボ、アサンテ。
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