ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

見えない物を見る。

2005年01月30日 | 感じたこと

 新しい年が明けて、早や1月が終わろうとしている。年月の経つのは、ほんとうに早いものだと思う。

 今晩から明日にかけて、大陸の寒気団が西日本にも侵入してくる模様で、ここ2.3日と違って、日中の最高気温も10度近く下がり、各地で大雪も予想されるような本格的な「冬将軍」が到来するらしい。

 私は2月の寒い季節になると何故か必ず思い出すことがある。それは学生時代に体験したことである。

 ある朝、その日はとっても寒い日であったが、街中では珍しくどんよりと曇った天気に、もやと言うか、霧のような蒸気が蔓延していて、2.3メートル先が見えない程で、道行く人々も不安げな面持ちで、行き来を始めていた時間であった。

 いつものバス停で、いつものバスを待つ数人の学生、通勤客の列の中に私もいたのである。しばらく経っても、いつものバスがやってこない。いらいらし出した中年の男性が「何時になったら、来るんや!」と半ばあきらめ声でため息交じりで口に出してぼやかれていた。

 その時である。少し前にたたずんでおられた女性が、よく見ると白い杖を手にしておられるので視覚障害者、目が見えない人の様であるが、その方が「大丈夫ですよ、バスはそこまで来てますから」とおっしゃったのである。   

 はじめは何のことかと思ったが、彼女にはバスの排気音なのか、エンジン音なのかは定かではないが、いつもの大型バス特有の音が確かに、バス停に近づいてくるのが感じられた、いや聞こえていたらしいのである。一瞬狐につまされた様な空気が流れたが、暫くして大きなバスの全景と音が迫ってきて、その事実が全ての停留所で待つ客には分かったのである。

 その当時は、現在のようにバス停に、バスの接近を知らせるGPS等による表示板などあるはずもなく、
目の見えないであろう彼女以外の誰もが、今か今かと「見えないバス」を待っていたのである。

 しかし、彼女には「見えていた」のである。つまり私達健常者である、見える者には見えていない物が、
視覚的には見えていない障害を持った人には、見えていたという驚くべき事実を、初めて知ったのである。

 私達は、見えているつもりで、見えていない物もたくさんあるし、たとえ見えていたとしても、自分の関心や興味のないものは、見えていないも同然かも知れないのである。

 私達の五感、あるいは第六感も含めた感覚、能力は、ほとんどが生まれながらに、与えられた能力の様に思っているが、肉体、生物学的には見えたり、聞こえたり、感じたりしているはずの現象や事実を、必ずしもしっかりと認識できているかと言うと、必ずしもそうではないのではないだろうか。

 日常生活において、私達が認識して、何不自由なく生活しているように思っている場合がほとんどだが、
多くの自然現象に始まり、季節の移り変わりや人々の所作や行動や言動も含めて、多くの場合が自分的な見方や感じ方というフィルターを通してしか見たり、聞いたり、感じたりしていないのではないかと教えられたのである。

 いつも全身全霊を尽くして、見たり、聞いたり、感じたりすることは不可能に近いけれども、本当に真剣に必要を感じた時には、しっかりと見て、聞いて、感じなければ、本当の情報、事実を感知すること困難なのである。

 見ることと、聞くこと、感じることは、そのほかの五感、第六感もあわせて、総合的にリンクして情報をキャッチするためのツールのひとつに過ぎないのである。だから私達は、目を研ぎ澄まし、聞き耳を立て、時には全身全霊を集中して、物事に立ち向かったり、情報を感知する努力を怠ってはならないのである。

 まだ私は「見えないバス」が「もうそこまで来てますよ」と言えるだけの感性を持ち合わせてはいないことを改めて確認し、冬の寒い朝の出来事から学んだ、自分の至らなさ、いい加減さ、集中力のなさを自認しつつ、日常生活と人間関係に対処しなければならないと思っているのである。





 



 
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癌と闘う女性たち

2005年01月29日 | 地域の話題

 昨日、今日、京都の日中は春を思わせるような暖かないい天気だった。

 私は金曜、土曜と有機農産物と無添加食品の移動販売八百屋をしていて、わが町だけでなく周辺の市町も含めて2日間、お客様の家の前まで、愛用の軽自動車に荷物を満載して伺い、「まいど八百屋でーす」「まいどガリバーです」と毎週走っています。

 ところが最近、大変気になることと言うか、心配なことがあるのだ。それはお客様でもある、二人の女性が癌の治療のため入院中だからである。

 一人は50代の元気な小学校の先生で、小さな学校でエネルギーあふれる授業を子ども達と共に愉しんでおられたのだが、乳癌が発見され、手術をされて退院、その後は担任を持たず、新任の若い先生達の指導担当として、頑張っておられる女性である。

 昨年暮れにお訪ねした時は、日中ひとりで自宅で療養していると、話し相手もなく寂しいこともあるので、誰か家事を手伝って下さりながら、話し相手になってくれる気さくな方がおられたら、自宅療養の自分みたいな人は、とっても助かるのだがとおっしゃっていたが、2度目の入院の必要で暮れから入院されたのである。

 もう一人は、2年ほど前に胃がんの手術をされて退院されたのだが、同じ様に昨年暮れから再入院されている女性である。彼女は10数年前からジョギングからマラソンへの挑戦をして、毎日の様に、近所の幹線道路や木津川沿いの自転車専用道などを走っておられ、とっても明るく元気なおかぁさんである。

 どちらも時を同じくして、再入院という形で入院療養中なのだが、ご家庭をお訪ねしても、ご主人にご病状を根堀りはおり聞くけにはいかず、『いかがですか?、お大事に。ご回復を祈っています」としか言いようがないのだが、お二人の病状を案じて、何とも心細いのだが、祈るしかできないもどかしさの中にいる。

 八百屋で、夕刻の訪問時間になる、このお二人のご自宅の前を通る時、家の中に明かりが灯っていれば、何故か安心できるのだが、時には夜半8時を過ぎても、明かりがなく、真っ暗な時などは、どうも暗い気分になってしまって、心はドキドキ、気が定まらず、あらぬことまで考えてしまうものである。

 今日は、二度一方のお宅の前を通って、二度目に家からの明かりを見届けたので、思い切って久しぶりにお邪魔して、顔見知りであるご主人と、二言、三言とお話しをした。

 今もふたりは、それぞれに時を刻みながら、病院のベッドの上で、何を考え、何を思いながら白い病室の天井や月明かりの窓の外を眺めているのだろうか。それとも多くの医療器具に囲まれて、チューブや点滴、各種のサポート用具に包まれて、ほとんど自由の利かない体勢で、ベッドに横たわっているのかも知れない。

 乳癌にせよ、胃がんにせよ、癌と闘う彼女達の生命力を喚起させて、ご家族達の懸命の看病と願いを。どうか神様、聞いてください。私も心から彼女達の闘病を応援し、時間がかかってもご回復を心から念じて、祈るしかできないけれど、神様に「どうか彼女達を救ってください。病魔から脱出し、再び家族と家庭の人とさせて下さい」と祈らざるを得ない心境である。

実は、私の3歳上の姉も子宮ガンで昨年手術を受けたし、二卵性双生児の私の妹も5年ほど前に胃がんで、胃を2/3ほど摘出しており、共に術後の経過は良好のようだが、いつ転移や異常がでないとも言えず、心配しており、不安はぬぐいきれないでいる。

 いずれにせよ、私の周囲に癌と闘う女性たちが多くいて、見えないがん細胞と病魔との葛藤を繰り返しているのだ。ぜひ、ご本人達が生きる気力、体力、前向きな精神力で、適切な治療を受けながら乗り越えてほしいと願うばかりである。放射線治療による女性の頭髪の抜ける脅威にもめげずに。
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ガンバローが出来た!

2005年01月28日 | ちょっと可笑しいよ

 最近の新聞、テレビ、雑誌などのマスコミでの記事や報道の中に、あまりにも多くの外来語というか、カタカナ語があふれていて、時には話したり書いたりしている本人も理解していないのではと思うような表現や言葉がある。

 行政が関わる施策やサービスにも数多くのカタカナ語が使用されている。よく問題にされるのが、高齢者を中心とする介護保険の施設、及び在宅サービスのメニューとしての、デイサービス、ホームヘルパー、ショートステイなどである。

 私の母も高齢の独居であるため、介護保険の要介護の認定を受けて、デイサービスとホームヘルパーのお世話になっているのだが、何度言ってもホームヘルパーさんとは言わないで、お手伝いさんと言っているので、少なくともヘルパーさんと教えているのだが、・・・。

 世の中に、その時代のニーズや新しい考え方が導入されて、新しい制度やルールまたは発想を、どう表現するかは、大変難しいところである。

 ホームヘルパーを居宅介護支援員、デイサービスを一日給食風呂付居場所と表示するよりも、カタカナ語で表示し、内容や説明を一度して、利用者や関係者の認知を得れば、しっかりとひとり歩きして、役立つ用語となっていると思われる。

 行政関係では、アメニティ、バリアフリー、DV、ダイオキシン、インキュベーション、マンモグラフィー、リデュースなど、続々とカタカナ語が登場して,広報その他では、その都度説明を要する場合もある様に思っている。

 数年前の本会議で文教委員会の委員長が、議会事務局の作った原稿を朗読する形で、委員長報告をされた時であった。私は隣の席にいて聞いていたのだが、「青少年野外活動センターに、新たに5棟のガンバローが建設され」と言われたので、あ、読み間違えられたと思い、小さな声で隣から「バンガロー!」と口添えをしたのである。しかし緊張しながら一生懸命の委員長の耳には届かなかったのか、再び「このガンバローが有効に使用される・・・」と表現された時には、あきらめと共に、バンガローではなくてもガンバローという呼称でも青少年施設としていいのではないかと思う様になっていた。

 私が言いたいのは、カタカナ語ねつまり外来語や新しい造成語など、新概念や新しい物品などの呼称など、その由来は、れっきとした外国語に起因していたとしても、日本での、いやその地域、業界での特殊かつ特別な呼称があってもいいのである。

 つまり極端に言うと、外国語もそうであるが、その国、民族、地域、業界、仲間うち、世代等などの中で通用する言葉や表現、方言、業界用語などがあるわけだから、決して、こう言わねばならないではなくて、その周辺の人々や、伝えたい人たちに伝われば、その表現が正しいか、間違っているかは、さほど問題ではないのではないかと言うことである。

 例えれば、幼い子どもたちが、言葉を覚えていく過程では、誰もが「あっーあ」と発音されていても、周囲の親や家族、知人は常識的に、その状況や時を判断して、「おかぁさん」と言うてるとか、「何か食べたい」んやわ等と推察して理解しようとしているのではないだろうか。

 人間同志である。学校や学会、または仕事上の契約や約束事など、誤解や理解に差が生じては困る場面においては、正しくまた間違いない表現が必要であり、また望まれる場合が多いが、大半の日常的会話や、家族や友人間での会話や表現においては、それほど重要ではない場合が多いのではないか。

 最近の携帯メールの表示や若者言葉の乱れなどと、大人ぶった人たちは問題にするけれど、コミュニケーションが取れれば、時には暗号めいた表示や遊び心を生かした言葉や表示もOKではないか。
 ただし伝えたい人たちには、解かる表現でないと困るが・・・。

 歳をとると?かな。「あれがあれしてそうなるの」で通じる会話もあるし、息子の汚れた靴下を見て、バタバタと忙しく家事をするお母さんは「早よ、冷蔵庫に入れとき!」息子は「はぁ!何で靴下を冷蔵庫に入れなあかんの?」すかさず、お母さんは「冷蔵庫言うたら洗濯機のことやろ、わかってるやろ」。

 全て思いやりと言うか、相手の立場やその時の状況を考えれば解かる表現である。

 外来語、カタカナ語から、ちょっと飛躍したが、ともかく言葉や呼称は、わかることが大切なのであり、横文字やカタカナ、漢字が問題なのではなく、相手がわかりやすい表現、手段で、語ったり表せればいいのである。

 議会での委員長のガンバローと称した表現は、私にとっては、議会でのエピソードであるとともに、カタカナ語が苦手な高齢者や、違った角度から考えると、子ども達や外国人にとっての日本語や難しい表現を、どうわかりやすく、時には面白い呼称や表現でするかの、お手本?、きっかけになった様な気もしている。

 


 
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匿名でない市民自治を

2005年01月27日 | ちょっと可笑しいよ
 みなさん、こんにちわ。私はこのブログ「ガリバー通信」を始めて約3ヶ月が経ちました。
私自身を知っている人も読んでいただいていると思いますが、インターネット上でアクセスさえ出来れば、誰もが見れるし、読めるページですから、見ず知らずの方々もお読みいただいていると思います。

 しかし私は地方自治体の議員という立場もありますので、ほぼ公人的な立場で日頃の活動や私的な日常まで書いていますので、同じ地域の方々や検索をすれば氏名やその他の個人的データも、ある程度はわかってしまいます。

 でも、このガリバー通信に対して、いただくコメントの大半や、日頃の活動や議会報告に対する質問、意見、要望、ご批判などの大半が「匿名」であります。

 特に以前、議会人として多くのご批判をいただいた際は、苦言、ご批判はことごとく無記名か、匿名でありました。また私の通信には個人のメールアドレスを掲載していますので、非常に誹謗、中傷のメールがたくさん舞い込みました。

 ある程度は、公人として仕方がないと思っていますが、個人宛であったとしても、家族が出る場合もある電話や誰もが読めるハガキでの中傷誹謗には参りました。たぶん、こうした匿名氏は、そうした「いやがらせ」的行為を楽しんでいる人だと思わざるを得ませんでした。

 やはり、匿名ではなく何処の誰かを名乗ってのご意見、ご批判の場合には、誠実に返答できたり、こちらの意向を真摯に伝えることも出来ますが、一方的な鉄砲の弾と同様で、何処から飛んで来たかわからない批判や意見には、答えようもなく、誠実に対応しにくいものではないでしょうか。

 最近、よくメールを下さる男性がおられて、その方は環境問題を中心に、自分の生活圏の細かなゴミの放置や歩道整備、不法投棄などを指摘され、知らせてくださいます。私自身はできるだけ、匿名であっても、現場を確認し、それなりの行政対応が必要だと感じたものは、担当課に市民の要望として、伝え改善を願うわけですが、行政の担当者は「匿名氏」には直接何ら対応されません。

 そのことが、匿名氏には不可解らしく、私の方へ行政の対応の不誠実さを訴えてこられます。

 私は、以前の経験や自分の議員としての職責から、やはり市民、住民も責任ある立場で発言したり、要望したりしなければいけないと思うのですが、その匿名氏は、現在の行政は信頼がおけないし、住所、氏名がその要望や指摘から特定されることを、非常に嫌がられている様です。

 多くの市民、住民の考え方はどうなのでしょうか。特に大げさな問題でなくても、いろいろ要望や指摘はあるが、自分が矢面に立って発言したり、行動すると、逆にうるさい人とか文句が多い人とかのレッテルを貼られて、自分自身だけでなく家族や仕事にも影響すると思っている人が意外と多いのではないでしょうか。

 いつのまにか、日本は本当の市民自治からどんどん遠ざかって、ますます匿名での指摘や要望はあっても、行政はしっかりとした対応はせず、地域の有力者と言われる人々や権力者?等の言いなりになっていくのではないかと危惧しています。

 それは市民、住民がどんどん匿名化して、顔や生の声の見えない、幽霊のような市民、住民とされ、サイレントマジョリティ、つまり「もの云わぬ人々」として、行政や権力者に都合のいい、選択肢や施策を推進していくことに、加担していることになると思います。

 ぜひ、みなさん、社会に対して、地域の問題から行政サービス、行政課題などに、大いに匿名ではなく、明確な市民、住民として、「もの申す人々」として発言していただきたいと願っています。

 「匿名」は自分にふりかかる責任と、住民市民としての義務や、具体的な市民参画をも拒否したり、自分自身は参加しないが、やらないが、誰かが、または行政がやってくれればいいとする、無責任な対応だと私は思わざるを得ません。

 正々堂々と云うべきことは云う、匿名ではない市民、住民が多く増加すれば、行政は誠実にまた時には市民参画を願いながらの行政と市民の「共同」を越えた「協働」参画事業として、新たなまちづくりや行政サービスが発展していくと確信しています。

 恐れずおびえず、市民住民としての責任ある批判や要望、提言を臆せず、堂々と市民としての自覚で、「匿名」ではなく、所在と氏名を明確にして、行っていただきたいと切に要望します。

 明るく、気持ちのいい人間関係で、意見の違いや思いの違いはあっても、よりよい,住みよいまちづくりへ、誰もが責任ある参画をすることが、本当の市民自治であると思うし、その代弁者や仕事としての責務を担う私達議員が市民、住民の声として届けることにも、はっきりとした顔が見え、声が聞こえる関係でやりたいと願っている。

 もっと人を信じ、人と接し、話し、意見を交換し、責任ある私人として発言し続けたいものである。

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「もんじゅ」を廃炉に!

2005年01月26日 | 日本の課題
 「もんじゅ」とは知恵を司る菩薩であり、文殊の知恵とは、すばらしい考えのことである。また三人寄れば文殊の知恵と言われる所以である。

 高速増殖炉「もんじゅ」は、原子力発電の廃棄物として出たプルトニウムを再利用した原子炉であり、福井県敦賀市にあり、現在は95年12月8日のナトリウム漏洩火災事故以来、運転が停止されているものである。

 この「もんじゅ」をめぐっては、1983年に設置が許可され1985年10月に着工されたが、同年9月に建設運転差し止めの民事訴訟と設置許可無効確認の行政訴訟が提訴され、2003年1月27日に行政訴訟は、名古屋高裁、金沢支部が原告勝訴の設置許可無効確認の判決を出したが、国側が上告し、今年3月17日に最高裁判所で口頭弁論が行われ、5.6月頃結審を迎えようとしている。

 そもそも、この高速増殖炉開発は危険性と財政的高負担のため、米、英、仏,独など原発先進国が撤退や建設中止、閉鎖を余儀なくされた問題の計画なのであるが、国、経済産業省と原子力開発事業団は、事故後もあくまで「もんじゅ」の改造許可を申請し、この計画を推進しようとしている。

 高速増殖炉「もんじゅ」の危険性とは。
① 高速増殖炉は暴走しやすい。
  高湿,高燃焼で燃料を使用するため、燃料が集まる危険性があり、原爆に近い原子炉である。
② 危険物のナトリウムが冷却材に使われている。
  水とナトリウムは激しく反応し、水素ガスを発生する。またナトリウムはコンクリートとも反応する。
③ 地震に弱い。  
  配管は1次系・2次系・3次系まであり、構造が複雑で、しかも管の壁が薄い。
④ 燃料は猛毒のプルトニウムであり、これは核兵器の材料である。

 このような危険かつ実用性においても疑問の多い、高速増殖炉「もんじゅ」の廃炉に私は賛成だが、現在福井県知事は美浜原発の事故やもんじゅの事故にもめげず、原子力施設の安全確保の上、設置を容認していく方針だと思われる。

 そんな中、もんじゅ事故で「うそ強要され自殺」と動燃次長の妻が東京地裁に提訴の記事や、核燃料サイクル開発機構が、福井県JR小浜線利用促進事業の協力費として2001年度から年間7千4百万円づつ負担し、もんじゅ再開まで理解促進のためと最終的には5億円超を支出するとしている。

 一方、青森県六ヶ所村の核燃料再処理工場も、放射性物質の劣化ウランを使う稼動試験をはじめ、2006年の操業を目指している。

 ともかく、国内にある50数器の一般原発から出る使用済み核燃料からウラン、プルトニウムを再処理してMOX(プルトニウムとウランの混合酸化物)燃料を作り、プルサーマル計画で利用するとする方針で、日本の原子力長期計画は推進される模様で、安全性、エネルギーの安全保障、環境への適合性、経済性などの大きな難題を無視して、「国是」として核燃サイクル政策は維持推進される。

 ほんとうに必要なのか「原子力発電」。多くの犠牲者と環境汚染や災害の危惧の中、突っ走る日本の原子力政策。私達の日常生活の便利さをサポートする電力発電の1/3が原子力ならば、関西電力のCMにあった朝の食パン3枚の1枚をやめてでも、原発による発電はチェルノブイリの原発事故の例だけでなく、多くの地球環境に負荷と平和への危惧にも繋がるので、反対したいと思っている。

 高速増殖炉「もんじゅ」は、みんなの素晴らしい知恵ではなく、財界や大きな利害でうごめく、政治家、電力会社、原子力産業関係者の知恵でしかないと断言する。

 「もんじゅ」の廃炉を心から願い、もんじゅ裁判の勝訴を祈る。

 
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男の2007年問題

2005年01月24日 | 日本の課題


 最近やたらと、いわゆる団塊の世代と呼ばれる、昭和22年から24年にかけての世代が定年を迎える、2007年を大きな社会的問題として取り上げる、関係記事や報道が目立っている。

 私も、その一員の1947年生まれであるので、関心を持たざるを得ない状況である。確かに我々の世代は、戦後のベビーブームとやらと称された、学年としても非常に児童、生徒が多い学年をずっと経験してきたので、いわゆる競争社会の悲哀もたくさん経験してきた世代である。

 2007年問題とされているのは、ひとつは労働人口が急激に減ることに対する、社会的不安として語られているようである。しかし多くの団塊の世代の勤労者は、未だに元気な世代であり、願わくばまだまだ働きたいと願っている世代でもある。

 年金問題や老後の生活などと言われる、一般的勤労社会から抜け出して、暫くは疲れを癒したい人や、会社人間と形容されて、家庭よりも会社や仕事を優先して働いてきた連中が多いので、ちょっと一休みして、自分のための時間や趣味、旅行、スポーツなどに専念したいと思っている人も多い。

 しかし数年もたたないうちに、たぶん多くの団塊の世代は、培われた競争意識や仕事人間としての心意気がむくむくと起き出して、自分の仕事を報酬や給与は二の次でもしたいと動き出すに違いないと思っている。

 そのための社会の受け皿や仕組みが必要ではないだろうか。60歳になったら、もう必要なしではあまりにも寂しいし、まだまだ経験を生かして、心身共に働ける人が多くいるのだから、中間管理職や若年労働者に少し遠慮はしながらも、働ける場所をみんなが探し出すだろうと思っている。

 一方、もう働きたくない。もう会社や仕事に振り回されたくないと、明確に仕事とおさらばする人たちもいるだろう。しかし人は元気なうちは、そうは思わないようだが,老いて行くに連れて、家庭でも社会でも、また会社や組織でも自分に課せられた期待や責任が少しづつ減って、いつかは全く期待や責任を感じない立場に追いやられていることに気づくのではないだろうか。

 私は、こうした高齢化する社会にあって、特に男性の老いについて、しっかりとした社会の受け皿と信頼できる制度づくりが必要だと思っている。

 現在も、2007年を前にして、その兆候は顕著に地域社会の中に表れていて、昼下がりに住宅街を歩いてみると、女性の高齢者の多くは、以前から地域的生活関連での繋がりがあって、ご近所の同年輩の女性や買い物ついでの世間話などに花を咲かせておられるところを多く見かける。

 しかし男性の高齢者は、ほとんど一人で前かがみに自分のちょっとした買い物や郵便局、公園の散歩などされている場合でも、とっても孤独感がにじみ出ていて、颯爽と歩く元気な高齢者を見ることは少ない。
 家庭では「濡れ落ち葉」や「粗大ゴミ」のように扱われて、行く場所も限られて,彷徨う男性徘徊者も、これから増加するであろう。

 男性よ、会社人間から社会人間に、うまくシフトチェンジして、自分の生活圏で元気に人間関係を育みながら、明るく有意義な熟年高齢者として、地域社会やいろんな活動に役立てる存在になれるように、再度チャレンジする必要がある。

 それは決してボランティアやNPO活動や趣味の文化、スポーツ活動だけでなく、生涯学習活動や社会貢献活動などを通して、自らがまだまだ人とかかわり、人から期待と責任を課せられる、大いなる人生でのラストステージの演出が必要なのである。

 さぁ、2007年を前に多くの団塊の世代の男性諸君、この数年を新たな社会に適応するための、ソフトランディングを試みるシュミレーションを、各自、自分の個性と今までの経験と、趣味、得意分野を生かして、模索しようではないか。

 周りの地域社会を、よーく観て、慌てず、ニーズと可能性をじっくりと観察して、まだまだ負けない熟練のエネルギーを発揮できる、場所と人間関係と時を見計らってスタートしよう。

 2007年問題なんて私達には負の遺産ではなく、新たなプラス思考の出発への準備を促していただいているとありがたく感謝して、立ち向かおうではありませんか。同年輩、同時代を生きてきた同志諸君、老いるのではなく、新しい熟年高齢者のパワーとセンスを社会に還元しましょう!



 
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永遠のヘップバーン!

2005年01月23日 | 感じたこと

 私の書斎兼事務所の壁には、あの往年の大女優、オードリー・ヘップバーンのポスターと昨秋に京都駅伊勢丹美術館「えき」で開催された「オードリー・ヘップバーン展」のチラシとチケットが飾ってある。

 私は小学生の頃、まだまともに映画を観たことがなかった時に、8歳年上の姉について初めて行った映画がなんと「ローマの休日」だった。その時は、つまらなくてか、退屈して寝てしまい、姉には迷惑だったらしい。

 しかし、その洗礼のお陰かどうかは定かではないが、大学生になって自分のアルバイトで稼いだ金で、自分の好きな映画を観るようになってからは、大阪、京都の名画座的なところで、ヘップバーン主演の映画を見つけては、ひとつひとつ観ることが愉しみになっていたようである。

 「ローマの休日」は再度、ちゃんと観たし、「昼下がりの情事」「シャレード」「パリの二人」「緑の館」「マイフェア・レディ」「暗くなるまで待って」「戦争と平和」「麗しのサブリナ」などと、すぐに思い出す作品の数々を、今も決して忘れない。

 何故、ヘップバーンの何がいいのか?一口では言えないが、清楚で利発で知的な美しさに魅せられているのである。やはり「ローマの休日」の時のアン王女が一夜町に飛び出して、平民の生活を新聞記者と体験するストーリーの中での、清楚でお茶目で知的なかわいらしさが最高である。

 昨秋のオードリーの展覧会は、ファッション性を中心とした、彼女の映画での衣装、ドレス、靴、帽子、化粧品なども、会場狭しとばかり並んでいた。しかし私は、具体的な彼女のファッションセンスや着用していたドレスや帽子、靴などよりも、やはり彼女の永遠の眼差し、瞳の魅力に改めて釘付けであった。

 ほんとにか細い体つきではあるが、いつも彼女の演技と視線には、非常に強い意志と愛情を感じざるを得なかったし、今もビデオやテレビで再上映される時に感じる、鋭く心地よい演技と共に、彼女の眼差しの深さ、暖かさに心惹かれているのである。

 オードリーは、ユダヤ系の生まれで、バレリーナとしての才能で発掘されて、ハリウッドにスカウトされた天才的少女であり、往年の数々のスクリーンシーンでの活躍は、まぶたを閉じても今も永遠に、私達の脳裏にくっきりと残っていて、心を暖かく、明るく勇気付けてくれるのである。

 こんな大女優は二度と現れないと思うし、現在活躍中の多くの有名女優を思い出してみても、彼女に匹敵するような眼差しと演技力の魅力を持った天才的な女優はいないと断言しても過言ではない。

「オードリー・ヘップバーン」は20世紀の映画産業にとってだけでなく、20世紀の半ばに青春時代を送った我々中年の永遠のマドンナであり、永遠の美少女であり続けてほしい。晩年、彼女は数本の映画に出演しているが、私は未だに見ていないし、これからもあまり観たいとは思わない。

 私の心や脳裏に生きつづけるのは、あの「ローマの休日」の時の「オードリー」その人であり、私の青春時代の宝物的な唯一の女優である。
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「先生」って呼ばんとって!

2005年01月22日 | 感じたこと

 今日は、ほんと「冬」らしいキリリとした寒さを感じられた冬日で、うれしかった。

 私の金曜、土曜日は、有機農産物や無添加食品の宅配八百屋として、軽自動車で馴染みのお客様の玄関に伺うのだが、今日の寒さは凛として心身共に締まった気分で気持ちよく一日走ることが出来、喜んでいる。

 ところで、私は「先生」が嫌いだ。いや学校の先生が嫌いなわけではなく、世の中に何故か闇雲に「先生」と呼ばれる職業や存在が多過ぎて、本当の「先生」以外の先生と呼ばれる人々の存在が嫌やなのである。

 20数年前、私は子どもたちの遊び場のリーダーとして働き、生活していた。我々は自分達をプレイリーダーと称して、子ども達の遊び場のお兄さん、お姉さん役として、社会の「禁止、汚い、危ない,やかましい」などとする大人の価値観との防波堤として、遊びの提案、リーダーシップを仕事としていた。

 その当時、プライベートに我が子や近所の幼稚園、小学生の子ども達を連れて、車で15分程の隣町に出来た、公営のプールに水遊びに行った時のことである。

 私は強度の近眼、乱視で、風呂に入る場合もメガネをはずせない位に目が悪いので、この日も子どもたちの監視役として、プールにメガネをかけて入り、泳がず歩いて様子を見ていた。するとピィーとホイッスルが鳴り「そこのお父さん、メガネははずして下さい!」と叫ぶ若い監視員の声が飛んできた。

 私は「これはプラスチックレンズで、たとえ落ちても割れないので、大丈夫です」と返答しても、アルバイト学生らしい監視員は「規則ですから、はずして下さい」を繰り返すだけであった。

 そこで私は、その監視員と押し問答をしたが、らちがアカナイノデ責任者を呼んでもらった。そして私は、教育委員会の名札をつけた責任者とされる人物と、プールサイドで話し始めた。何故に安全か、危険がないのか、何故規則がいるのかと話に熱が入ってきて、繰り返し、このメガネは大丈夫と力説していた。

 すると、その責任者は突然「アナタは先生ですか?」と聞くので、あまりにも対応が高飛車なことに、少々うんざりしていたので「先生と言われる程バカじゃない」と返答してしまった。すると相手は教育委員会の職員だったためか「先生の何処がバカですか!」と売り言葉に買い言葉の様に怒ってしまった。

 そうです。「先生」がバカなのではなく「先生」と軽はずみに誰彼なしに呼ばれるのが問題であり、呼んでほしくもない人に、表面的には「尊敬、お上手」におだてたり、気をよくさせるために「先生」と呼んどいたら無難だとの発想があるのではないだろうか。

 学校の先生、弁護士、国会議員、作家、著名な文化人など「先生」と呼ばれる職業や立場の人は、この世の中には多いだろうが、「先生」と呼ぶことで商売や自分に都合よく相手を利用しようとする人たちの呼び方ともなっているのではないだろうか。

 飲み屋や歓楽街では「先生」「社長」が横行して、いいお客さんとなっている様である。

 私は、その後一地方都市の市議会議員となったが、「先生」と呼ばれたくもないし、間違って呼ばれた時は、まず「先生」ではありませんので、名前か敢えて役職をつけるなら「議員」と呼んで下さいと、お願いしている。

 しかし、そうお願いしても「先生」と呼べば、誰もが嬉しいだろうと思われているみたいで、「先生」と呼ぶことが癖になっている人もいて困ってしまう。「先生」って呼ばれて、私は嬉しくないし、返ってバカにされたり、嘲笑の対象の様な気がするから、呼ばれたくないし、「先生」は好きではない。

 世の中から学校の先生以外の「先生」と呼ばれる人たちが少なくなったら、社会はもっと風通しの良い、気持ちのいい人間関係が生まれ、差別や上下関係などの不平等が少しは減って、真の人間的信頼が育まれると確信している。

 お願いやから「先生」って呼ばんとってな。

 
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人と出逢うこと。

2005年01月21日 | 感じたこと
 「であい」は人にとって欠かせない物事の始まりである。喜怒哀楽があり、恋があり、遊びがあり、学びがあり、仕事があり、別れもある。

 私は人と出逢うことが大好きである。「出逢い」と敢えて記すのが好きである。「合う」「会う」「遭う」など「であい」は様々であるが、やはり「出逢い」たいと思っている。決して「逢瀬」などと記される男女の偲びあいの出会いをイメージするのではなくて、偶然や突発的な出会いでも、そこに必然的な人と人の関係があるからである。

 今までの人生で、やはりとっても印象に残る出会いがいくつもある。しかし人に語れば、多くは「そんな偶然の出会い」もあるんだね、と普通は言われてしまう。しかし僕には偶然の出会いはなくて、意識するしないに関わらず、必然的な「出逢い」ばかりであると信じているのである。

 私の敬愛して止まない某国立大学の名誉教授であるO先生は、「それは全て、歴史的必然性なのだ」とおっしゃる。私も最近特に、そう思う様になった。

 まさにこの世に生まれ落ちた時から、人の人生は「出会い」の連続であるが、私にとっても多くの場合は根当たり前のことだが,産みの母との出逢いがあったはずである。中には不幸にして、産みの母を何らかの理由で全く知らなかったり、覚えておられない場合もあるだろうが、人は赤ん坊としてこの世に生まれ、実母との出逢いに始まる人生の長くて短い旅に出ているのではないだろうか。

 私にとっての「出逢い」は両親、兄弟姉妹、親族にたぶん始まり、幼稚園の先生、小学校、中学校の先生、そして多くのクラスメイトや近所の友達と家族達。そして、その行動半径が広がるに連れて、同じ学校や町内だけでなく、遠い町に出かけたり、いろんなきっかけで知り合った人たちとの出逢いが増えてくる。

 特に私の場合は、20代から30代にかけて、フォーク系の音楽関係の事務所に勤務し、自らも音楽出版社を自営した関係で、全国を若きミュージシャンたちと共に旅して、出逢った地元のひとたちや観客達、また30代から40代にかけては、子ども達の遊びの活動に関わり、主に西日本各地を「遊び場情報誌」の取材で訪れて、また多くの活動をされている人たちと出逢ったのである。

 今、50代半ばを過ぎても、毎日のように出逢いを求め、また出逢いの喜びをと機会あるたびに車で走り、また地方都市に行くチャンスがあれば、その折に旧知の知人を訪ねたり、また新たな始めての出逢いを経験したりしている。

昨日も大阪の実家に様があって朝から車で行ったのだが,、帰路の途中に昔お世話になったF氏のことを思い出して、今お住まいの近くを通るのでお寄りしようと、電話したしたところ、ご本人が少し調子がよくないとのことで、お大事にとお見舞いの言葉と、また春にでも伺いますと告げて今回は会うのを断念した。

 しかし私の住む町に近づき、また久しく訪問していないH氏ご夫妻のことを思い出し、突然だったが寄って見た。幼児の頃から知っているお子さん達も、それぞれ中学生、高校生と成長されていたが、お言葉に甘えて、ご家族の夕食の団欒にお邪魔してご馳走になって、いろいろ刺激的なお話を伺い、私もいっぱい話した。

 今月末の小さな仕事の旅路でも私は時間が許せば、多くの知人、友人との再会や、また新たな出逢いがあるのではと楽しみにしているのである。

 人は人と出逢うことなくして、人生と言うことはできないのではないだろうか。人それぞれが生まれ持った個性と育ち、仕事や趣味や仲間の環境を通して、多種多様な生き方をされている。

 自分の人生にとって、いくら欲張っても、ひとりの人生の限られた経験の中での思考や想像には限度があるが、他人の人生や経験を通して、多くの体験的思考や示唆を与えられることが、出逢いの楽しさを増幅させてくれるのだろうと思っている。

 ぜひ、これからも人と出逢うためのエネルギーだけは惜しまず、また「来るもの拒まず、去るもの追わず」の受身的出逢いの人生ではなく、自分から積極的に出逢いに行く人生を送りたいと思っている。

 それが私の生きる道、それが私らしい出逢いの哲学であり、多くの友人、知人、今まで出逢った人たちに感謝しながら、これからも多くの人たちと再会したり、新たに出逢いたいと心から願っている。

 人生は人と出逢うための旅である。
 
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公務員天国!

2005年01月20日 | 日本の課題

 今日は大寒で暦の上では一番寒い日だそうだ。実際にも結構冷え込んだが、もっと寒い話が世の中にはいっぱいあるものだ。

 議員として14年、行政と関わり、市役所、市職員を見ながら仕事をしてきたが、私自身も税金でご飯を食べさせていただいている身なので、あまり偉らそうなことは言いにくいのだが、最近発覚した「大阪市の職員厚遇」のニュースから、やはり「公務員天国」と言わざるを得ないのである。

 条例にないヤミ退職金や年金、また特別勤務手当てや職員互助組合への公費負担、職員の生命保険である共済保険の全額負担など、一般の民間会社や個人事業者では考えられない公費支出が問題にされただけでもいっぱいあった。

 やっと指摘された点について、職員組合も「適正化で生み出した財源を市民のために還元する」と言わざるを得なくなったが、今まではもらい放題、既得権のような給与以外の補助や支給がたくさんあっても、当たり前だったわけである。大阪市で年間70億円もあったそうだからびっくりである。『還元」ではなく、今までの分を返済しなくてはいけないのだ。

 実は公務員には本給の最高10%の「調整手当」なるものがあったり、何やら給与本給に15パーセント上乗せの特別計算方式があったりして、あやしい給与支払い実態が少なくとも、どの自治体にもあるらしいのである。「調整手当」は昭和30年代後半の高度成長経済期に、民間給与と公務員給与の格差是正として組合的交渉の結果獲得した、公務員給与を民間並みに近づけるための苦肉の策である。

 しかし、近年のような不況、不景気で逆になっても、この調整手当は依然、既得権として存在するばかりか、私が廃止や見直しを提案すると、市当局は見直しを考えており、組合から6%を8%にとの要求があるのでと、全く逆の見直しを答弁するなど、ひどい実態である。

 これは氷山の一角にすぎないことだと思うが、勤労手当や特殊勤務手当なども含め、業務として公務員としての採用時において当たり前の職種においても、特殊勤務と称して手当をだしていたり、土日祝日以外は毎日勤務するのは当たり前でも、勤勉手当なる手当が出ていたりするのである。

 お金だけの問題ではなく、勤務実態も天国と称しても過言ではない実態は多くある。パソコンが各職員のデスクに1台づつ設置されている現在は、パソコンに向かい合っていれば、画面の中身や仕事と言えるかどうかは不確かでも、仕事をしている風情には見えるもので、何人かの職員のパソコン画像に、どうみても仕事と関係がないと思われるページの閲覧などを垣間見たことも何度もある。

 市民が市役所に出向くと、多くの市民は「何であんなにたくさんの職員がいるの?」と素直に疑問を抱く位職員がいて、果たして忙しそうに働いておられるのは、ごく一部の職員だけではなかろうか。

 私が最近目撃した、気になる光景では、受動喫煙禁止法制定以来、市役所の中での喫煙が全面的に禁止されたために、正面玄関脇に「来庁者用」と裏の駐車場脇に「職員用」の喫煙ルームが特設されたのだが、ほとんど『来庁者用」に喫煙者を見たことはないのだが、『職員用」には、いつも数人から多い時には十人以上の職員がプカプカとやっている。

 ともかく言い出したらきりがないくらいで、よっぽどの犯罪や社会的問題を起こさない限り、なんぼさぼっていても、仕事をしなくてもへっちゃらで、年功序列の高給優遇である。セクハラやちょっとした横領事件など起こしても、自粛や謹慎どまりで免職や解職にはなっていないのである。

 今や、いや昔からでもあるが役人天国、公務員天国であり、昔の言葉かも知れないが「公僕」と称して、公に仕えるという、公務員気質はほとんどなく、我が物顔で市民や国民の税金を使い放題で、先輩達の知恵と伝統を受け継いで、仕事もしないで権利とお金は要求する人種に成り下がっている、公務員が多すぎるのである。

 この際、大阪市だけでなく、全国の自治体職員の厳しい労務管理と責任体制を明確にして、給与に纏わる各種の手当を常識的、民間の視点で見直して、大鉈を振るわなければならないのである。

 公務員よ、天国に安住しないで、正々堂々と仕事を通じて、権利やその対価としての報酬の情報公開を市民にしながら、責任ある対応と自信をもった市民サービスに徹していただきたいと,切に願うものである。
 
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