ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

市長選への準備でブログ休みます。。

2007年03月19日 | ガリバー旅行記
 とんでもなく超多忙な毎日を、体力勝負で元気に活動しています。

 感謝です。ほんとうにたくさんの方々に支えていただいて、市長選にチャレンジできる幸せを感じながら、思いっきり大好きな京田辺の住民の一人として活動します。

 この町をもっと住みよい町にするために、誠心誠意語り笑顔と明るい希望を抱きながら、子ども達と高齢者、しょうがい者を大切にした「住民主体のまちづくり」を目指しています。

 しばらく、「ガリバー通信」はお休み状態になりますが、あしからずご了承くださいませ、ませ。ありがとうございます。


 皆様も季節の変わり目、お風邪やインフルエンザ、花粉症などに悩まされないように、ご自愛のほどお祈りいたしています。

 また元気に、明るく「自然・いのち・元気」をスローガンに、選挙戦を戦い抜いた後に、ブログを通じてお会いできることを楽しみにしています。

 では、皆様に良い報告ができる様に祈っていてください。よろしく。ガリバー。
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ついに、選挙告示まで1ヶ月!

2007年03月15日 | ちょっと可笑しいよ
いよいよ選挙の告示まで一月となった。三人目の候補者が本日出馬表明を正式に行ったみたいである。

 私のチャレンジの決断は、先月2月中旬であり水面下で動き出したが、現職議員としての定例議会の一般質問、委員会審議、予算委員会の議論などをしながら、選挙準備に大わらわになり、今月5日に正式に表明し、翌日の新聞各紙で報じられてからは、準備に多忙極まりない生活となった。

 夜は24時過ぎまで多種多様な作業が続き、朝は5時前に眼が覚めてしまう、一種の興奮状態かもしれないが、ともかく考えて、行動して、人と話して、議会での質疑をして、政治団体用の自家用軽四輪の、スピーカー装置や看板取り付け、キャッチフレーズの文字貼り付けなどと、ネットワークのスタートの集会の準備、それを知らせるチラシや選挙へのリーフレットなどを同封した封筒の、別納郵便の準備と、市内りの知人、友人、理解者へのポスティングと休む暇はない。

 季節は春、学校、幼稚園の卒業シーズン、そして入学式に来賓として出席するので、昨日は中学校の卒業式、明日は早朝の八百屋の仕入れの後、幼稚園の卒園式と、式典はスーツにネクタイなので、八百屋の気楽な服装を時には車内で着替えて、ギリギリ間に合う様に車を走らせている。

 選挙用事務所がようやく決まり、明日より事務所準備と併行して市内の知人宅へ
のポスティングを行う予定だが、時間の余裕が無い中でサポートしていただく方々には、お礼を言いたい。

 ネットワークとは名ばかりの体制ではあるが、来週月曜日から正式に事務所が使えるようになる予定で、☏、ガス、電気、水道なども再開させて、自宅の書斎兼、事務所から歩いて三分程の、事務所としての一軒家で告示前の選挙準備に突入する。

 来週からは私の街頭宣伝演説と車載スピーカーからのテーマ曲も流れるようになり、大いに現職議員としての強みを生かした事前活動を開始する予定である。

 3月25日には「京田辺いきいきネットワーク」主催の「市長選への集い」を地元の住民センターのホールで行うので、いろいろ準備も始まっている。

 政治集会や選挙の決起集会というと、応援の政治家やゲストが次から次へと演説するだけで、聴衆にとっては「聴くだけ」のつまらない?集会になりがちなので、私はひと工夫して、ちょっと変わった企画を織り交ぜた集いにしようと思っている。

 会場の立派な花は市役所の課長で友人とも言ってもいい方が、いけばなのグループの達者でセンスのいい方なので、花の依頼を二つ返事で引き受けてくれ、華道としての素晴らしい花が楽しみである。

 また、私が敬愛するが画家の素晴らしい作品の展示と友人のモンゴルからの留学生の女性のモンゴル舞踊と馬頭琴演奏、近くに住む米国人の友人の音楽家のピアノ演奏など、聴衆、観衆としても楽しんでもらえる集いとしたいのである。

 さて、体力勝負の告示までの一ヶ月と、本番の一週間を戦い抜く気力と熱い思いを再確認して、元気に明るく訴えたいものである。
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やっと春を告げる「お水取り」

2007年03月14日 | 季節の話題
 奈良、東大寺の「修二会」と正式には呼ばれる「お水取り」の行事がクライマックスを迎えたと新聞が報じているが、奈良時代からの大和、日本の歴史の変遷の中で、始まって以来ずっと続いている伝統行事である。

 何と752年に始まったというから、1255年になるという、信じられない「春を告げる」行事である。

 地元京田辺市でも、30年前から復活した「竹送り」という行事が、毎年2月11日の朝、市内の普賢寺地区の「大御堂」というお寺を拠点に、立派な孟宗竹を数本切り出して、根つきで「奈良東大寺」の「お水取り」に献納する行事として続いている。

 「お水取り」は、「水」を連想する行事名ですが、実際は「火」の行事と言うべき、勇壮な松明が、東大寺二月堂の本尊である、十一面観音に、僧侶達が「世の中の罪を一身に背負って、人々に代わって、苦行を引き受け、国家安泰などを祈る」祈願の法要なのです。

 3月1日から、既に行事は始まっているのですが、12日から14日にかけてが、二月堂の欄干を移動する、「大松明」の火の粉が飛び散り、この燃え残った炭を持って帰ると、「無病息災」であるということで、観光客や集った人々が群がって、見つめている行事でもあります。

 奈良の春を告げる「火」の行事としては、毎年昔は「成人の日」としての1月15日の夕刻から夜にかけての「若草山の山焼き」が、年明けの恒例行事としてあり、毎年たくさんの人々が、「山焼き」を楽しむのですが、数年前からの「成人の日」の祝日としての日が毎年変わるためと、天候の都合で順延したり、少ししか見られなかったりすることが多く残念です。

 東大寺、二月堂の「お水取り」は、天変地異や気候不順など、全く関係なく、毎年、いや1255年もの長きにわたっての伝統行事で、関西地方では「お水取り」が終わらないと本格的な「春」にはならないと信じられている一大イベントとなっています。

 今年の天候不順、気象異変は、地球環境問題としての「地球温暖化」と間違いなくリンクしているという実感を、多くの住民は感じているのですが、政府、地方公共団体、企業などの、指導的かつ主体的に「排出ガスの削減」すなわちCO2の抜本的削減への動きは、まだまだ鈍く、しかも「排出量取引」といわれる様な、発展途上国から「排出量枠」を大金で買い取って、自分の国や地域は、「排出ガス」を今まで通りか、少しの削減しか行わないという、とんでもないルールや約束をしているようでは、「地球」規模の四季、すなわち、日本の「春らしい季節」は、今後全く期待できないでしょう。

 「春を告げるお水取り」が、全世界の本当の「春」を告げ、地球人が自分達と多くの生物達が棲む。この地球を後世にちゃんと残すための警告をはっしていると受け止めて、私たち現代に生きる人間達が、日々の生活を正し、質素で心豊かな生き方、またスローライフな生活をしなければいけないと思うのである。
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選挙の前哨戦の準備

2007年03月12日 | ガリバー旅行記
 なんと、市長選、市議選の告示まで33日となっている。

 本日の議会、予算特別委員会では、来年度すなわち平成19年度の骨格予算の審査が始まって、総務費の中ではひときわ目立つ歳出が「選挙費」なのである。

 選挙管理委員会費が1900万円、選挙啓発費が72.3万円のほかは、実質的に三つの選挙にかかる財政支出であり、国政の参議院選挙費が2730万円、府議会議員選挙が1620万円、そして市長、市議会議員選挙が5700万円の予算である。

 すなわち冠雪経費も含めて、62000人ほどの人口規模の小さな地方都市でも、何と合計1億2千万円強の税金が支出されるのである。

 その内訳は、担当職員二人分の給与、手当と選挙管理委員会委員の報酬などと、投開票管理者などの報酬、開票などのための職員の時間外勤務手当などを含む人件費及び手当、報酬に、消耗品費、印刷製本費、通信運搬費、制作委託料、アルバイト賃金、会場借上代、選挙に関わる公費負担分などである。

 いずれにせよ、参議院議員は一人、府議会議員2人、市長一人、市議会議員21名を選ぶために、相当のお金がかかるのであるが、市民、有権者は、こんなにお金が税金から支出されていることすら関心なく知らないのではないだろうか。

 行政施策や住民サービスと言っても、全て自治体の予算によって決められており、毎年度の四月を前に、年度初めの当初予算の審議を七日間もやるのだが、今年は市長も改選期が市議会議員選挙と同日の「統一地方選挙」のため、骨格予算としての暫定的とでも言える必要不可欠な予算を審議、検討する予算委員会となっている。

 私は、この4年間、全ての予算、決算委員会と前半の2年は文教福祉常任委員会の委員として、また後半の2年は建設経済常任委員会委員として、時間の許す限りの質疑と事務調査をしてきたので、毎定例議会毎の「一般質問」と共に、現在欠員一名のため議員20名の中では、間違いなく一番数多く発言し、発言時間、回数ともトップである。

 今回は、一ヶ月余で告示される予定の「京田辺市長選挙」に立候補予定になったために、この定例議会が議員としての最後の議会となるため、思いも新たに精一杯の質疑、討論を行っているのである。

 そのために、選挙体制の人、場所、作業、印刷物制作、印刷、決意文やリーフレットによる本人紹介をはじめとする、市長選への実質的なネットワークのスタートの集いの案内などとお手伝いのお願いなど、多種多様な準備が交錯しているのに、予定候補者としての動きが十分でせきない面もあるのである。

 しかし、ネットワークと言う名の、実態の無い選挙体制の中で、私を支持し応援していただく方々の協力が徐々に始まっていて、今日も選挙参謀的に準備をして下さる御仁と隣町からやってきてくれた女性とで、私のいない間に、多くの前述の事務的な仕事をしていただいていたのである。

 事務所が決定して、今週末から、いよいよ市長選挙の前哨戦の実質的スタートである。
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団塊の世代の奮起!!!

2007年03月11日 | ガリバー旅行記
写真に自分を登場さすことは極力控えていたのだが、いろんな事情と時代と責任から、徐々に自分を言葉だけではなく、直接顔を伴って表現しなくてはいけない世代となったような気がする。

 先日のブログにも綴ったが、同年輩の日本画家であり、私の20年以上の友人のひとりである「鈴木靖将」さんは、亡くなられた奥さんで画家としての同労のパートナーであった「三橋節子」さんとの同時期展を開かれたので、鑑賞に行った際のスナップを掲載した。

 鈴木靖将氏は、とっても大きく温かなお人柄で、私をも同輩として包み込んで下さる方であり、私の尊敬できる画家のひとりであるだけでなく、団塊の世代の同輩としての誇りをも感じる人である。

 今回の鈴木氏と三橋さんの同時期展では、私は自分史の中の60年代から70年代の青春期を重ねながら、まだまだ青い心と経験のない若さゆえに、何事にも一生懸命だった心と、あの時代が持っていたエネルギーを、少し屈折した心の襞と共に強く思い出したのである。

 あの時代の持つ社会、経済、政治、生活などの各々の分野での、うねりとでも言うべき、ふつふつとしたエネルギーに、つき動かされるように私たちは語り合い、議論し、行動し、落ち込んだり、挫折したりしながら、少しの青空を求めて彷徨っていたのである。

 しかし、いつの間にか「団塊の世代」と十束一からげに「塊の世代」の如く語られだし、「団塊の世代の功罪」や問題点として、多くの論評や批判も受けなければならない事態に陥っている。

 確かに私たちの世代は、戦後の日本の復興期に「ベビーブーム」の落とし子として生まれた多人数であり、高度経済成長期の労働力として社会や会社を支えつつ、ニューファミリーや新人類として、消費者、変革者とも揶揄されて生きてきたのである。

 今、その「団塊の世代」が会社や社会的責任からリタイアしつつある時期を迎え、世の中では「2007年問題」とやらで、困りごとのように扱われることもある。

 とんでもないと思う。世代の人間の数が多いだけで、如何にも社会に迷惑をかけて来たかの様に言われることが多いが、どっこい、たくさんの時代的貢献もしてきたという自負もある。

 私は、先月中旬に、地元の京田辺市の市長に立候補することを決意して、本日から「京田辺いきいきネットワーク」という「勝手連」的な人の繋がりのご協力、ご支援を得て、縁あって住まうことになり、とっても大好きな町となり、終の棲家となるであろう、この京田辺市がより一層、生活者や訪問者にとっても、心通う素敵な町になるために、行政の仕事は欠かせないとの認識から、シティマネージメントとしての、市行政の舵取り役の仕事をしようと決意したのである。

 団塊の世代の再びの奮起である。全国各地で団塊の世代の奮起が待たれる。
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供託金1200万円消える!

2007年03月10日 | ちょっと可笑しいよ
昨年12月の市議会、建設経済常任委員会での事務調査の中で明るみにでた事件である。

 市内で行われていた、いわゆるミニ開発に関連して、住宅造成工事およぴ分譲販売した業者が、開発申請の過程で、袋小路になってしまうミニ開発住宅地の状況の中で、奥まったところに消防車や救急時の車両などの回転広場を設けることと、出入り口が一箇所しかないので、避難通路を設けることが事前協議で指導されていた。

 都市計画法で設置が義務付けられている災害時用避難通路を整備するため、住宅販売業者と市が覚書を約8年前に締結し、業者は小切手で1200万円を供託金として納入していたのである。

 覚書では、業者は翌年二月までに避難通路を完成させ、市に引き渡すことと、業者が出来ず通路が引き渡せない場合、市が供託金を使って整備するというものであった。

 ところが業者は通路用土地の確保と整備をせず、何と市と土地地権者が土地の賃借契約を結んで、業者が賃料を払うという形で急場をしのいでいたが、五年後に賃料の支払いが止まり、仮の避難通路は閉鎖されてしまい、住民からの苦情が出て、市は金庫に保管されていた小切手を現金化して対応しようとしたが、既に業者は倒産していて現金化できなかったのである。

 とんでもないことである。1200万円もの多額のお金を、小切手という形で預託金として当時の収入役名義で「納入済通知書」まで発行して受け取っていながら、まったく現金化せず、五年間も市役所の収入役室にある金庫に封筒にいれたまま保管されていたという珍事というか、考えられないずさんかつ怠慢な事件が発覚したのである。

 供託金、もしくは預託金といわれるが、業者からの避難通路整備のための担保としての財産であり、公金としての管理、チェックが全く見過ごされていたとしか言いようのない醜態である。

 市民のための住環境整備ならびに安心、安全のまちづくりに従事すべき、市職員並びに理事者が、この事象については、全く無責任な対応で放置していたために、
結局、不便かつ緊急時の避難ルート確保への通路整備に、新たに税金を使って整備をしなければならせなくなったのである。

 商業活動として宅地造成及び、住宅分譲を生業としている業者の、やり得となってしまった対応に、まんまと乗せられてしまったかの様な市の対応は、住民に説明のつかない無駄な税金の出費を余儀なくされることになり、その責任は誰がどういう形で補うのだろうか。

 市は当面、地権者と新たに賃借契約を結んで避難通路の再整備を急ぎ行うそうだが、倒産してしまった業者へり費用請求をするというが、も実質的には無理な状況だと推察される。

 今朝の地元、京都新聞に昨日の議会建設経済委員会での質疑を通じての再確認された事実を下に、大きく「京田辺市、供託金1200万円回収不能、小切手5年放置→業者倒産」と報じられている。
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開発許可って誰のため。

2007年03月08日 | ちょっと可笑しいよ
 写真の緑の人工芝で美しいのは、わが市のほぼ中央部に位置する、新しくできる「防賀川公園」のフットサル専用コートであり、今年の4月8日にオープン式典が予定されていて、5月より一般市民、学生など使用が可能になるという、とっても素晴らしいコートなのだ。

 今朝、議会の建設経済常任委員会の議案審査を前に、現地確認のひとつとして見てきたのだが、二面のテニスコートと共に、駐車場も含めて、このフットサルコートなどが一部使用可能となって、防賀川公園として市民にお目見えするのである。

 私は、この防賀川流域全体としての問題提起を行う中で、防賀川公園の存在並びに意義を問うた。

 というのは、今から20年ほど前になるが、ご記憶の方もおられると思うが、当時の竹下内閣の時代に「ふるさと創生基金」として、全国の自治体に何と一億円づつが政府から提供されて、使用用途は自由に各地方自治体で決めればいいという、自治体にとっては夢の様な資金が届いたのである。

 ある自治体は一億円の金の延べ棒を買って展示したりもして、一時は話題をさらったが、さて本当に「ふるさと創生」に繋がったかは甚だ疑問であるが、我が当時の田辺町は、前述の「防賀川」を水辺空間を整備した「ふるさとの川もでる事業」として約7500万円を使って整備し、残りの2500万円は、国際交流基金として積み立てて、後に交流目的で海外に行く人や海外からの人をホームステイさせる人などの申請によるサポートに支出しているのである。

ともかく防賀川という内水河川で、一部まだ天井川のままの河川の下流域を三面張りの味気ない整備から、自然回帰とでも言える「近自然工法」による整備をして、ふるさとの川として市民に親しまれる川としようとしたのである。

 しかし、実際は見た目は一時きれいに整備されたのだが、人工河川特有の「水の流れない川」の状態が普通で、イベントや必要な時は周辺の地下水や農業用水をポンプアップして、川へ水を流すという、不自然な形で「川」の面目を保っていたのである。

 いずれにせよ、内水河川として存在している限りは、一番危険なのは集中豪雨などの異常気象や天才の様な「雨」が降った場合は、狭くて流域水量に限りのある河川は、溢れる危険性があるのでって、周辺の田畑や住宅地に多大な影響を与えることもあるのである。

 しかし、この防賀川流域の中流部の右岸地域の市街化区域が、隣接する幹線道路の利便性の拡大が予想される開通時期が迫る今、開発業者による造成、住宅分譲を目指した著しい開発行為が急増しているのである。

 どうみても治水や調整池の必要性を法的には不要とする規模に開発を限定して、行政への開発事前申請を出していて、権限者の府も当事者自治体である市も、しっかりとした指導並びに治水面での厳しい注文をせずに、開発業者の違法すれすれの行為を許していて、危惧が募るばかりなのである。

 住民、市民生活の安全、安心をどれ程、地元自治体が担保できるかが重要なのに、民間デベロッパーの開発手法をサポートするかの様な、甘い行政指導が目立っていて、自由民のためのしっかりとした開発抑制の指針や指導も厳しくしてほしいと願うものである。
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寝不足だが、充実。

2007年03月07日 | ガリバー旅行記
 なんだかんだと言っても、市長選への立候補を心に決意してからというもの、実際には、布団に入ってもなかなか眠れないのである。

 気持はすっきりし気力も充実していて大丈夫なのだが、昨日の一日も多忙と言うのか、走り回っていたことを書こうと思う。

 定例議会中なのだが、金曜日の私の一般質問中の昼休憩からが俄かに忙しくなったのである。私は一般質問を終えて、日曜日の候補予定者説明会に出席した時点で「市長選立候補の意向」がはじめて伝わり、翌日記者発表をする予定だったが、突如O氏が出馬の意向を固めたというニュースが飛び込んできた。

 正式に私が発表する前に、第三の候補者、それもよく存じているO氏の立候補宣言にはビックリしたが、当事者同士でどうこうする話ではなく、挨拶を交わして、お互いの意思を確かめ合って、数日後の記者発表となり、市役所内の雰囲気がガラッと変わったようで、何とも奇妙な静寂とみんなの視線を感じるようになった。

 昼休みに私の大好きな『カレー屋』さんに行って、食事をしながら調理をするオーナーの息子と話していたら、お店のカウンターに以前も見たことがある常連客の男性と髭を蓄えた華奢な僕よりは若い中年男性が座っていた。

 昨日の候補予定者説明会の顔ふれと共に、早くも次の朝の朝刊紙上で「私の市長選への出馬」が写真入の記事として出たのである。

 親父さんの入院後、孤軍奮闘でカレー店のマネージメントと調理をしている息子と私は、「2週間近くぐっすりと眠れない」話と「市長選」の四方山話をしていたら、隣のカウンターに座っていた髭の客が、「眠れないのなら、私のとこに来なさい」と声をかけてきた。近くで開業する精神科医で2週間以上は予約で満員だ「カレー屋で出会った者」と言ってくれれば、特別に優先的に、すぐ診察すると言う。

 夜には数年前に合併して、滋賀県湖東市となった町で、町議18年と町長を一期4年やったことのあるS氏を訪ねたのである。久しぶりご自宅に寄せてもらい、いろいろと先輩としての首長の経験談を、同じような新興住民地住民と旧来地域との壁やハードルなどの意見交換もしたのである。

 人生でも10歳ほど先輩の彼は、数年前に町長を一期やり、国の思惑での合併市の初代市長選にも立候補したが叶わなかった、元町長である。

 S元町長夫妻と約3時間、首長選挙のことだけでなく、多種多様な話題を語り合い意見交換し、奥様も最後まで話を聞いて下さって、笑い、愉しく歓談でき、帰路についたのが23時を過ぎていた。

 急いでお願い事をひとつして軽四輪の車を走らせ、名神高速の竜王インターから、途中瀬田東から京滋バイパス経由で小椋インターを出て、24号線バイパス、京奈和自動車道の通称百円橋を渡って、なんと自宅にたどり着いてのが23時50分、すなわち40分ですっ飛んで帰ったのである。

 寝不足が続いてはいても元気で、一日、一日がとっても充実しています。時折急に睡魔が襲ってきて、このブログの執筆中も少し眠ってしまったが、運転中なら危険だよね。

 告示まで38日しかないが、熱い心で誠意をもってやりぬくよ。
 

 

 
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風を制する力をもとう!!!

2007年03月05日 | ちょっと可笑しいよ
今日、三月議会本会議の9名の通告議員の「一般質問」が全て終わり、今年最初の定例議会は、後半の常任委員会での議案審議と事務調査と予算特別委員会の「来年度骨格予算」の審議に移るが、先週の金曜日に行った私の最後の一般質問のテーマと表題は次の4つであった。

 ①市民参画条例制定と公平、公正な行政運営を
 ②行政改革の推進で、職員等の給与、手当削減を
 ③違法建物の指導対応と増改築課税の徹底を
 ④市民要望に応えた優先策と支援を

 自分に与えられた持ち時間は40分しかないので、最初の質問は原稿を用意して要点と背景を語り、21分を費やしたが再質問以降の質問は一問一答方式のため、出来るだけ簡略に質問し、理事者、職員の答弁を出来るだけ引き出そうと工夫して、結局答弁に要した時間はトータルで48分で、私の目いっぱいの質問40分との計88分が一般質問の時分となった。

 最後のと書いたのは4期16年間、町議から市議へと名前は変わっても、市民の視点、生活者の立場からの問題提起や提案、行財政チェックを、無所属、市民派的スタンスで、あらゆる政党や組織との関わりやしがらみもなく活動してきたのだが、今回の一般質問で最後となることは間違いなく、市長への立候補をした時点でい議会議員は失職するのである。

 今日は午後4時半から「京田辺いきいきネットワーク」という名の、私を代表とする小さな政治団体の確認届けを出したグループで、私の市長選への立候補と選挙を支えて下さる有志として、21市民の眼の同僚議員と元市職員で郷土史家でエッセイスト、企業の定年後地域の環境活動に熱心に関わる同年輩の市民と3人の女の子の子育て真っ最中の女性の4人と共に、市役所の記者室で晴れがましく?、「記者発表」記者会見に臨んだのである。

 そのために30程前に一緒に記者会見に同行していただくメンバーのお一人で、現在は文化、歴史の研究家でもあるF氏が、写真の如きメッセージを書にしたためて持参されたのである。

 私は彼の思いと強いエールを送ってくださる気持に、とっても感動し感謝した。

 下記はその檄文と書の内容である。

 「風を制する力をもとう」

 そよかぜの
 一つ一つが集まれば
 千の風にふくらむ
 しがらみや談合などを絶ち切るのは
 千の風のちから
 すきとおった五月の風に
 たちばながゆたかに香る
 二十一世紀のそんな街を私は歩きたい
 君もそう思わないかい

 この様な文書をプレゼントされたのである。

 この感激の中で、市長選立候補の正式発表と記者会見を済ませた。

 明日の四大紙の朝刊各紙の京都南山城地域の地方版に、写真入で私の立候補表明が掲載されることでしょう。

 さぁ心と体を労わりつつ、充実した愉しい選挙活動を始めたいと、決意を新たにしたところです。感謝。



 
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ひと休みした風景

2007年03月04日 | ガリバー旅行記
 ここ3週間の多忙さは、尋常ではなかった。

 先月2月中旬に「市長選に立候補」の決意を固めたが、私も歌う「田辺混声合唱団」の第8回定期演奏会があったし、開会した今年度最後の市議会で私の最後になるであろう「一般質問」が3月2日にあったので、それが終わってから公表しようと心に秘めて多様な思いを封印していたので、なかなか眠れずに、うとうとして目覚める「寝不足」が連日続いていた。

 昨夜は、有機八百屋の移動販売を終えてから、急ぎ着替えと髭剃り等の身だしなみを整え、友人から紹介のあった京都市内の写真館へと車を走らせ、選挙用ポスターやリーフレット用の写真撮影をしていただいた。

 デジタルカメラによる撮影で夜半遅くに、出来上がりの写真とCDロモへのデータ落としに、多種多様な作業や試行が繰り返されて、やっと見本にプリントされた「我が身の写真」を携えて帰路についたのである。

 深夜、今日開催された「市長並びに市議選挙の予定候補者説明会」に出席するための準備を行ってから床にはついたが、案の定少ししか眠ることが出来なかった。

 言い訳以外の何物でもないのだが朝、気がつけば左目が充血していて、少しはれぼったくなっていた。

 説明会後、新聞各社が「市長候補」としての「写真撮影」をしたいとのことで、会場横の壁の前に立ち、まるで逮捕された容疑者みたいに、自らの手に「京田辺市長候補者」とマジックで急遽書かれた紙を持たされて、しかも背が高いので膝を少し折り曲げて、カメラ目線で撮影に応じるという格好になった。

 ともかく「腫れて充血した左目」を気にしながらも、やむを得ず5社の被写体となってから、急遽取材に応じるという形で、「市長への立候補予定者」としての一日目がスタートした。

 一緒に説明会に出席し今回の選挙を支えて下さるお二人と共に、打ち合わせを兼ねて昼食を近くのレストランで済ませた後、私は立候補予定者の説明会会場に一度戻って、市議会への予測されていた立候補予定者の確認を行った。

 噂も含めて予定通り、私を除く29陣営が来られており、全陣営から立候補者が出たとすれば、定数21の議員数で8名が落ちる厳しい選挙となることが予想される。市長選挙は現在で3人が立候補者確定で、共産党系からもう一人出られる可能性もあるという。

 その後、隣町の友人宅に大工であるご主人に依頼していた選挙カーの上に載せる箱型の看板の取り付けに向かったのだが、疲れがどっと出てきて途中で軽い居眠り運転になっていて、危険すら感じる状態になった。

 そこで、看板取り付けの作業を任せて、ご自宅に上げていただいて、コタツに足を突っ込んだ状態で、少し眠らせてもらうことにした。

 結局、しっかりとは眠れなかったが、体を休め、風呂に入れていただき、少しリフレッシュして帰途についたのである。感謝。コタツの上は、写真の如き家庭の安らぎと、おやつや果実などが並んで見えた。

 
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