今月の9日に元ビートルズのポール・マッカートニーさんが11年振りに来日し、二日後の11日の大阪・京セラドームを皮切りに71歳で元気な長時間のコンサートを展開し、ビートルズファンには懐かしいビートルズナンバーもたくさん演奏されたという。
毎日仕事中に自家用車のカーステレオで聴くFM放送でも、とても7たくさんのビートルズの曲とポールの曲を聞くことが出来たが、残念ながら生のコンサートでのポールを見て聞くことはできなかった。
実はポール・マッカートニーの来日コンサートが告知されて以来、毎日の様に聞くコンサートチケットの前売りのお知らせ宣伝を耳にしながら迷っていたのだが、二年二ヶ月ぶりに沖縄から息子夫婦が帰郷、来宅する予定が最初の大阪でのコンサート日程の11月11日と告知されたので、高額の1万6千円以上するチケット代もあって、諦めるこかくととなったのであった。
心は揺れていたが、せっかく久しぶりに帰えって来る息子たちと少しでも大切な時間を共にしたいという気持ちが、ポール・マッカートニーを生で観て、彼の歌声をじかに聞きたいという気持ちを上わまわったということである。
それにしても、関西地方、私の住む京都の南部にも、実は11日から「冬将軍」がやってきたので、常夏の島、沖縄にいつもは住んでいる息子夫婦にとっては、とても寒い時期と重なってしまい、特に息子は「寒い」を連発し、今年初めて出したガスファンヒーターを友として家ではとても寒そうであった。
さぞかしポール・マットにーさんも寒かったと思うのだが、彼の本国であるイギリスの方が緯度的には北にあるので、これぐらいの寒さは平気だったかも知れないなんて、勝手な想像もしながら、ポールの明るくテンポの良い曲を聴いていたのである。
まったく話題は違うのだが、11月に入って早くも例年の如く、我が家にも「喪中葉書」なるものが届き出していて、今日現在でも10枚以上にてなるのですが、実は私にとっても今年は4月に実の姉が急逝し、続いて9月には96歳になる実母が昇天しているので、我が家も「喪中」となるのだが、私はあまり「喪中」という習慣が好きではないというべきか、確かに亡くなった母や姉を偲んだり懐かしく思い出したりすることはあるが、決してしめっぽい感情や悲しい思いで縛られているわけではなく、日々の仕事や生活をつつがなく過ごしているので、敢えて「喪中葉書」を出すことはしないむことと決めたのである。
もうひとつの理由は、正月元旦に「年賀状」が届くのを楽しみに毎年しているので、来年のお正月にも多くの友人、知人から年賀状を心待ちに元旦を迎えたいと思っているからであり、いろんな考え方や価値観、シキタリ、習慣があるとは思うのだが、私は私流に勝手していだき「喪中葉書」は出さずに、正月にいただくであろう、友人、知人からの「年賀状」を楽しみに待ちながら、いただいた方たちには返礼として、正月明けに「寒中見舞い状」をお出しするつもりであり、その内容も母と姉の死は告知するとしても、決して暗いイメージや薄墨一色の葉書とはせずに、明るく元気な「寒中見舞い」としたいと思っているのである。
毎日仕事中に自家用車のカーステレオで聴くFM放送でも、とても7たくさんのビートルズの曲とポールの曲を聞くことが出来たが、残念ながら生のコンサートでのポールを見て聞くことはできなかった。
実はポール・マッカートニーの来日コンサートが告知されて以来、毎日の様に聞くコンサートチケットの前売りのお知らせ宣伝を耳にしながら迷っていたのだが、二年二ヶ月ぶりに沖縄から息子夫婦が帰郷、来宅する予定が最初の大阪でのコンサート日程の11月11日と告知されたので、高額の1万6千円以上するチケット代もあって、諦めるこかくととなったのであった。
心は揺れていたが、せっかく久しぶりに帰えって来る息子たちと少しでも大切な時間を共にしたいという気持ちが、ポール・マッカートニーを生で観て、彼の歌声をじかに聞きたいという気持ちを上わまわったということである。
それにしても、関西地方、私の住む京都の南部にも、実は11日から「冬将軍」がやってきたので、常夏の島、沖縄にいつもは住んでいる息子夫婦にとっては、とても寒い時期と重なってしまい、特に息子は「寒い」を連発し、今年初めて出したガスファンヒーターを友として家ではとても寒そうであった。
さぞかしポール・マットにーさんも寒かったと思うのだが、彼の本国であるイギリスの方が緯度的には北にあるので、これぐらいの寒さは平気だったかも知れないなんて、勝手な想像もしながら、ポールの明るくテンポの良い曲を聴いていたのである。
まったく話題は違うのだが、11月に入って早くも例年の如く、我が家にも「喪中葉書」なるものが届き出していて、今日現在でも10枚以上にてなるのですが、実は私にとっても今年は4月に実の姉が急逝し、続いて9月には96歳になる実母が昇天しているので、我が家も「喪中」となるのだが、私はあまり「喪中」という習慣が好きではないというべきか、確かに亡くなった母や姉を偲んだり懐かしく思い出したりすることはあるが、決してしめっぽい感情や悲しい思いで縛られているわけではなく、日々の仕事や生活をつつがなく過ごしているので、敢えて「喪中葉書」を出すことはしないむことと決めたのである。
もうひとつの理由は、正月元旦に「年賀状」が届くのを楽しみに毎年しているので、来年のお正月にも多くの友人、知人から年賀状を心待ちに元旦を迎えたいと思っているからであり、いろんな考え方や価値観、シキタリ、習慣があるとは思うのだが、私は私流に勝手していだき「喪中葉書」は出さずに、正月にいただくであろう、友人、知人からの「年賀状」を楽しみに待ちながら、いただいた方たちには返礼として、正月明けに「寒中見舞い状」をお出しするつもりであり、その内容も母と姉の死は告知するとしても、決して暗いイメージや薄墨一色の葉書とはせずに、明るく元気な「寒中見舞い」としたいと思っているのである。