ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

馬頭琴とスーホーの白い馬

2005年03月20日 | ガリバー旅行記

 「スーホーの白い馬」のお話はご存知の方が多いと思いますが、モンゴルと言えば最近は、大相撲の横綱「朝青龍」の方が有名になってしまいましたね。

 そう「朝青龍」は確かにモンゴル出身ですが、かつては外蒙古と呼ばれた、現在はモンゴル共和国のウランバートル近郊の出身だそうですが、私は毎年夏に、中国内モンゴル自治区、いわゆる内蒙古に友人、知人を通じて、「この指とまれ」方式で10日間の旅をしています。

 モンゴル人は、現在では主に、このモンゴル国と内蒙古、それにロシア共和国内のバイカル湖周辺のブリヤート共和国に住む蒙古族が主な居住地となっているようですが、かつてのジンギスハーンの時代の騎馬民族としての最大支配期には、西は現在のトルコ付近から朝鮮半島に及ぶ、広範囲に勢力圏を広げていた歴史があって、現在もその名残で、旧ソ連領土内の「---タン」と名が付く地方には、蒙古民族がたくさん住んでおり、「タン」とはモンゴル語で「骨」を意味するそうである。

 私が1988年に中国、内モンゴルに足を踏み入れて以来、一番関心のあるのが、自分達日本人のルーツの大きな源がモンゴル族であり、昔から赤ん坊のお尻の青い色を、「蒙古斑」と言うのは、れっきとした人類学的ルーツの証明であることは間違いない様である。

 大阪医科大学の名誉教授、松本先生によれば、日本人の血液型を医学的に調査して、ABO型だけではなく、平均的日本人の血液を根拠とするDNAに一番近い民族、人間が居住する場所を調査すると、何と先ほど述べた、バイカル湖周辺のブリヤートモンゴルと呼ばれる現代人が、日本人に一番近しい人類であることが証明されており、日本人のルーツは大陸のバイカル湖周辺から、中国、朝鮮半島を経て日本列島に渡って来たという説が一番信憑性が高いことが証明されているのである。

 私は17年間も、毎年のように中国内モンゴルに出向いているが、いまだにモンゴル語は少々の単語以外は習得できていないのだが、言葉を離せなくても人間的に非常に近い存在であることは、大草原の牧民たちのパオで生活を共にしていれば、何の不自由もないくらい打ち解けて一緒に遊んだり食事をしたりできるから不思議である。

 私たちのモンゴルの旅には、観光パオでの馬頭琴の演奏に始まって、時には若い馬頭琴奏者が草原での1週間ぐらいの生活を共にしながら、いつでも演奏と歌を聴かせてくれることがある。
 男の子の多くは馬頭琴を一度は習い、ちゃんと演奏できる青年も結構いるので、私たちの旅の演出には欠かせない存在であったりする。

 日本では小学校の教科書に、「スーホーの白い馬」が掲載されていて、自分のかわいがっていたスーホーと言う馬が亡くなったので、その毛並みを活かして箱型で2本の弦しかないが、馬の頭の形を残した哀愁と琴線にふれる音を奏でる「馬頭琴」という楽器を作って愛馬を偲んだ話しとして紹介されているので、記憶に残っている人も多いと思われる。

 兵庫県篠山市の人里はなれた遠方石ン堂にある「モンゴルの里」で馬頭琴ライブと「スーホーの白い馬」を読む本の世界が催されていた。

 「モンゴルの里」は私の友人でもある、内蒙古出身のスーチンドロンさんが、日本人の奥さんと共にやっているパオを使ったモンゴルレストランと小さなモンゴル博物館、また宿泊可能なゲルが立っている小さなテーマパークなのである。

 向い側には、草山温泉観音湯という、誰もが気軽に温泉を楽しめる施設もあり、京阪神から車で2時間前後で行ける、手頃な関西のモンゴル体験地となっているのである。

 モンゴルのお茶、スーティーツァイでスーチンドロンさんと智津香さんが歓迎してくれると思います。ガリバーに聞いた、もしくはガリバー通信を見たのでと言って立ち寄ってくださいな。「サンバイノー」って気軽に挨拶を交わしてね。
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