ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

大晦日恒例は・・・。

2004年12月31日 | 地域の話題


 大晦日恒例と言えば、NHKの紅白歌合戦なんて時代は、もう昔である。
 しかし、もっと昔からの恒例行事は何と言ってもお餅つきと墓参りと除夜の鐘である。

 お餅撞きは隣りの家と一緒に、裏の台所を出た路地のスペースで大晦日にしていた。
寒くて低い気温の昼頃から、薪を燃やして前夜から水に浸けていた餅米を蒸篭で蒸す。湯気と共に美味しそうな匂いが立ち込め、頃合いを見計らって順に石臼へと運んで、何人かの男手が餅をつくのである。

 隣のおっちゃん、お兄ちゃん、我が家のおやじも杵を持つ。ぺったん、ぺったんと小気味のいい音と掛け声で、一臼約二升から二升五合の餅がつきあがる。つき立ての餅を板の上に運び、撒いた上新粉や片栗粉の上で、お鏡餅や仏壇、神棚などに供える二段重ねから丸めて形にする。

 次は皆んなで寄ってたかって、丸もち、豆餅、あんこ餅など、いろんな餅を成形する。最後は関西では猫餅と呼ばれる、餅箱一杯につきあがった餅を入れて、関東でいう伸し餅をつくる。
 やっぱりつき立ての餅は、やわらかくて独特の美味しさなので、その場で形の定まらない状態で子供たちも含めて、砂糖醤油、きな粉、大根おろし、納豆などで食べるのである。うまい!。

 昔は紅白の時間帯に、おやじが少し固くなったネコ餅を切っていた。この角餅と丸もちが大量に用意されて、正月三ヶ日たけでなく、お雑煮には歳の数だけ入れて食べ、またお昼には焼いて醤油やきな粉、時には海苔を捲いて食べる。ちょっと御節をつまみながら、また餅、モチ、もちだらけである。しかし飽きない。その間はみかんでお腹を休める。

 ほんとによく餅を食べたものだ。今の子どもの3倍は食べていただろうと思う。昔は正月三ヶ日の間はお店は休みが常識で、今の様にコンビ二やスーパーが年中やっていたり、百貨店も元旦から開店なんてことはなかった。

 大晦日のもうひとつのイベントは、百八つの煩悩を拭い去る「除夜の鐘」である。NHKの紅白歌合戦が終わると「行く年、来る年」が始まり全国各地の有名な、また貴重な鐘の音を聴かせてくれていた。
 京田辺市には室町時代に建てられた、あのトンチで有名な一休さんの晩年過ごされた寺がある。通称一休寺と呼ばれる「酬恩庵」であり、誰でも除夜の鐘を撞かせてもらえる。

 私は10数回、この一休寺の除夜の鐘を撞きに行っている。ここ数年ご無沙汰していたが今夜は娘たちと一緒に出かけて、久しぶりに撞きたいと思っている。

 大晦日の恒例行事、もうひとつはご先祖様の墓参りである。本日も午前中、あいにくの雪の中を母を連れて墓参りに行った。寒さが厳しかったので花を挿して線香に火をつけて、お水をお墓にかけて約15分の墓参りであったが、母は大晦日に墓参りができて「すっきりして新年を迎えられる」と喜んでくれた。

 私の大晦日の恒例行事は「餅」と「墓参り」と「除夜の鐘」だが、皆さんの恒例行事は何でしょうか?
 まだ紅白歌合戦なんて古いよ。でも、もっと昔からある伝統的な日本人の文化と年が改まる節目のイベントとして、これからも大切に続けてほしいものも多いのではないだろうか。

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16時間労働!

2004年12月30日 | 感じたこと


 いよいよ後2日、今年も12月晦日の日となった。朝から生協のトラックが住宅街の生活道路にやってきている。

 私も有機農産物と無添加食品の販売をする、「無農薬やおや」を10年以上続けている。生協なんぞと大違いの、個人の引き売り専門、しかも週末宅配やおやである。それでも少しは年末、年始のお客さんのご要望にこたえ様と、昨日は一日中16時間労働の八百屋に徹した。

 いつもは金曜日の早朝に仕入れに出向き、宅配便などで到着するパン、牛乳、卵や加工品、冷蔵、冷凍品などを、夕方整理して、金曜日の6時頃から10時頃まで、小さな車に満載して50キロほど走り、翌朝9時過ぎから夕刻7時頃まで、80キロほどお客さんのお宅へと営業をしているのである。

 しかし昨日29日は年末の特別営業日として、この金、土曜の両日分のお客様のご家庭を、朝から夜まで休みなく、朝7時の仕入れから、整理、積み込み、営業を続けて、やっと自宅に帰り、荷物整理とお金の精算を済ますと、何と夜の11時になっていたので、何と16時間労働の日となったのである。

 当然昼食も、軽い夕食めいたものも車中の移動中に、手でつまめる助六寿司と売り物のパンの中から売れ残りそうな菓子パンを二つほど口に運びながらの仕事優先となった。

 やはりいつものレギュラー営業の日と違って、前もってお知らせしておいたとは言え、お出かけや年末のご予定のためパスのお客様の家もあったが、毎週末に2日かけて回るお得意さまの家を一日でほぼ同じルートで走ったのである。仕入れも含めて走行距離は約180キロに及んだ。

 さすが疲れを心身ともに感じて、遅い夕食を自宅でとって、風呂につかると肩の凝りと何とも形容しがたい疲れを感じて湯船に、暫く体を沈めて温めて、癒すというか、少しでも疲れを回復させようとじっとしていた。12時過ぎにコトンと就寝、今朝8時前に目覚めたが、やはり疲れは残っているようだ。

 世の中、不況、不景気、サービス残業やら、リストラ寸前の厳しい経済事情や会社、商店事情の背景もあって、こうした16時間労働などは日常的や、当たり前となっていると、おっしゃる方も多いのではないだろうか。こうした久しぶりの経験に50代半ばを過ぎた、わが身は疲れを感じたと言っているが、毎日こういう状態の続いている勤労者、自営者もおおくいることを思うと厳しい限りである。

 ようやく冬の兆しが本格的になってきた昨今であるが、高齢者や病気療養中だった方たちだけでなく、中高年層の、あまりにも早いと思われるような、逝去のニュースや身近な人々のあっけない死を知らされることも、さほど稀なことではなくなっている。

 日本人だけではないが、いわゆる働き過ぎや、過酷な条件下での過度の労働は、知らず知らずの内に、心身の疲労を蓄積し、思わぬ病気や体力消耗になっているケースも考えられる。

 無理をせず、適度な運動と労働を愉しくやりながら、中高年も含めた日々の生活を、ゆつたりとした時間の経過と気持ちで過ごしたいものだ。

 ある定年後の男性に昨日会った。八百屋のお客さんの奥さんが出かけられており、ひとり愛用のバイクの掃除をされていた。あいにくの海が4メートルもの波で、今日は断念された海釣りのお話をされていて、話は尽きないくらい愉しげだった。

 もうお一人もご主人だが、奥様が癌で入院中で、ご様子お尋ねすると、あまり良くない状態だとおつしゃつていた。

 いずれにせよ、年老いた母が電話や会った時に、必ず言う合言葉のような台詞がある。「とにかく健康第一やで」。働き過ぎや考えすぎや食べすぎを自制して、明日へ、あさってへと先送りできることは、無理せずに、出来る時にしよう。周りの家族や相手先に失礼のない範囲で済ませて、新年を迎えたいものだ。
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雪と大津波の惨事

2004年12月28日 | 日本の課題

 この冬一番の冷え込みになりそうな明日の朝は、京都に初雪が降る予報が出ている。
私の住む京都南部には雪は降りそうにないが、この町京田辺に移住した頃は冬に3,4度は雪が降っていたものだ。

よく玄関前で子供たちと雪だるまをつくったり、登校中の児童らが、あちこちの水たまりの氷を手に手に持って、嬉しそうに冷たいのにも関わらず、自慢げに学校まで運んでいた光景が、まぶたに残っている。

たくさん降った日には、近くのゴルフ場がプレイが出来なくなるのを幸いに、プラスチックのそりや手製の竹ぞリを持って、なだらかな起伏が創ってあるゴルフ場を、雪遊びの格好の場所として愉しんだものだ。今となっては懐かしい思い出であり、ゴルフ場には無断で入っていたが時効である。ごめんなさい、でも大いに遊んで愉しかったよ。ありがとう。

 こうして冬の到来が遅かった日本も、京都もようやく冬の兆しが近づいて、年末年始の区切りの時を迎えようとしている昨日、とんでもない海底の大地震による津波で、マレーシア、スリランカ、タイ、インド、インドネシアなどの南アジアの海岸に面する各都市で、想像を絶する津波が急襲して、今日現在、約2万3千人の人たちが死亡、行方不明となる大惨事が起きてしまった。

 日本人観光客もタイのプーケット島をはじめ、各地に観光ツアーで出かけており、約20名が行方不明もしくは亡くなったのではないかと推測されている。観光ツアーを企画した旅行社は、各々のツアー参加者の確認を急いでいるが、通信回線などの不都合で連絡も十分取れず、不明のままのケースもあって、関係者は不安の中で対応に追われているようだ。

 日本人にとって南、東アジアはこの時期、冬の寒さを避けて暖かい冬を過ごす、格好の休息地がたくさんある。家族連れでクリスマス休暇を海で愉しんでいた西洋人もたくさん犠牲となった様だ。
 地震の規模はマグニチュード9.0と発表されており、阪神淡路大震災が6.9あるいは7.0とされているのと比較すると、とてつもなく強い海底地震であり、想像を遥かに越えたエネルギーが海中を伝って、海辺への津波となって襲ったと想われる。

 私自身も海辺に生活したことがないので、なかなか想像しがたいのだが、北海道奥尻島の地震津波による大災害を思い出す。小さな島の海岸線に肩を寄り添うように建っていた島人たちの商店や住宅が10メートルを越える津波で、あっと言う間につぶされて流されてしまったのである。悪夢としか言いようのない惨事だったが、今回は警報や警告すらほとんどなかったようである。

 明日の朝は大変な寒気団がやってきて、雪が降るでしょう。と京都府の気象予報は告げている。しかし、この地震と津波に関しては、研究が進んでいると言っても、まだ予報や警告が事前には出来ない。
 せめて地震発生時に、津波予測と可能性による沿岸部を持つ、国々や都市に警告が出来なかったものか。

 地震すら起きないと想われていたインド洋沿岸都市の危機管理のなさが、今回のような大惨事に至った、人為的原因となるであろう。多くの現地のアジアの人々と日本人も含む多くの観光客、旅行客外国人の犠牲者を追悼し、怪我や救助を待っている人たちへのサポートを日本政府も、ぜひ協力に即時してほしいと要望する。

 明日の朝の雪は、京都に冬の風情をもたらすだろうが、インド洋での津波の大惨事は大きな年末の人間の驕りと愚かさへの警告であろう。
 
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年賀状!

2004年12月27日 | ファミリーイベント


 いよいよ今年も忙しない年の暮れとなった。
 年々「大晦日と元旦で何も変らんだろう」とか「今年の年末年始は特別なことはしないで過ごそう」なんて口々に言ってた人たちも「もう年賀状書いた?」となってしまう。

 私もやっと今、賀状を制作して印刷中である。数百枚刷るのに結構時間がかかるものである。
 しかし「年賀状なんかメールで済むじゃないか?」とか「年賀状は虚礼だ」と言われる方もいるだろう。
 
 私は年賀状は虚礼ではない!と言える。一年の始まりに友人、知人同士や親戚、家族が大切な心温まる一枚の葉書交換で、健康と近況等を確認し合える、とっても素敵な日本的伝統かつ実用的な習慣であると思っている。

 私自身も学生時代は賀状を数枚書いて投函していたに過ぎないので、いただく枚数もわずかだったと記憶している。しかし結婚して子どもが生まれ、故郷を離れた頃から書く枚数も増え続け、今は数百枚となっている。

 始めは手書きだった賀状も、ミニプリンターなる謄写印刷、プリントごっこと変遷し、今やインクジェットの年賀状にパソコンでデザインした3種類を創って出すに至っている。

 私にとって、元旦の我が家の郵便受けに賀状が届くのを今か今かと待つ時間は、至上の喜びの時である。
 届いた年賀状の束を、ゆっくりと時間の許す限り何度となく一枚、一枚、宛名の文字と差出人を確認しながら、裏面のデザインを見て、相手の顔や近況を想って文章を読む。

 小学校時代の女の先生は、もうずいぶん歳を重ねられて今は特別養護老人ホームに入居されている。
 先生から来る年賀状の宛名の文字は、毛筆からペン書きへと、ちょっとづつ変化し、今は家族の方の代筆となっている。

 また、出会った頃は幼稚園児か小学生児童だった、知人や友人の子どもたちやプレイスクールで一緒に遊んだ子どもたちも、もう立派な大人になって賀状をくれたりすると、自分の歳を改めて感じてしまう。

 人生は出会いの連続であり、その出会いを一年に一度は、お互いの文字でしっかりと確認したいものである。面白い賀状、真面目な賀状、素敵な家族、思い出の風景の写真、手書きのスケッチなどと共に、きれいなデザインの賀状など、来春のスタートを一杯愉しませてくれるだろう。

 友人、知人に「ガリバーも元気で生きてるよ」って明るく賀状に必ず一言添え書きして、元旦にコトンと相手の心に届く様に、早く投函したいと思っている。


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今年の10大ニュース!

2004年12月26日 | 世界の問題


 いよいよ押し迫って来ました。2004年も後5日とちょっととなりました。いろいろ今年もありました。新聞、テレビなどでも今年の10大ニュースをやるでしょうが、ガリバーの感じた「今年の10大ニュース」をお届けします。

 ①イラクへの自衛隊派兵
  人道復興支援と言う美名で米国の言いなり、アメリカの属国化した日本政府の憲法違反。
  米国ブッシュ大統領の小泉ポチ内閣は、自衛隊の派兵1年延長を日米同盟?のためと決定した。

 ②日本人イラク人質事件
 「自己責任」が流行語の様に語られた、高遠さんたちの人質事件と安田さんたちの事件。
  衝撃的だが予期された事件を何と個人の責任論にすり替えてしまったのは誰ですか。

 ③香田証生さんがバグダッドで殺される
  自衛隊の撤退を要求したテロリストに小泉首相は答えず、首を切断され殺害された。
  何とも後味の悪い、政府の責任を追求もしない野党と世論、マスコミ。何が怖いのか?

 ④ロシア、北オセチア共和国の学校での大量人質惨事
  チェチェン武装勢力とみられる集団による1200名もの人質事件で350人以上死亡
  民族、歴史、文化の違いが大きいとは言え、何故に幼い子供や学生を被害者にしなければいけないの。

 ⑤新潟中越大地震、余震も続き大災害に。 
  阪神淡路大震災から来年1月17日で10周年。またも大地震による大災害!被災者救援法を。
  天災である地震災害や台風、風水害の被災者に公的支援を。銀行支援や税金の無駄遣いをやめれば。  
 ⑥北朝鮮日本人拉致被害者家族の来日?
  蓮池、地村さん夫妻の子供たち5人に続いて、曽我さんの夫と二人の子供が来日した。
  拉致された当人たちは帰国だが、その子供たちやジェンキンスさんは来日なのだ。いらっしゃいませ。

 ⑦イチロー大リーグ記録の年間最多安打257更新!
  連日、連夜の中継、録画、ニュースで新記録達成を待ち、半世紀以上ぶりの快挙。
  いつもクールなイチロー鈴木が、喜びのダンスをロッカールームで踊っていたね。天才の努力が。

 ⑧アメリカ大統領選挙での意外なブッシュの再選
  決してケリーが良いとは思わないが、それでもブッシュ再選は最悪の結果だ。
  華氏911のイラクで死んだ米兵の母の嘆きと叫びを見て、ブッシュだけは止めさせたかったが。

 ⑨プロ野球の改革へ、初のストライキ決行!
  古田選手会長らがナベツネ読売巨人軍オーナーなどに屈せず闘い、改革の第一歩を。
  楽天、ソフトバンクなどの参入の道を創ったライブドア堀江社長の貢献度も高い。渡邊、堤時代の終焉

 ⑩あの吉野家の牛丼販売休止!
  BSE狂牛病問題でアメリカ産牛肉の輸入禁止で、280円の味が途絶えてしまった。
  やっぱり牛丼といえば、吉野家の早い、安い、うまいだよ。写メールに記録された最後の牛丼。
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X’masは終わった!

2004年12月25日 | 感じたこと


 クリスマスがようやく終わった。早いところでは何と11月中旬からクリスマスだった商店、商店街もあった。不況風からか年々クリスマスの飾り付けやセールが始まるのが早くなっている気がする。

 何故にここまで日本人にクリスマスは受け入れられたのであろうか。キリスト教徒や教会関係者は、せいぜい200万人にも満たない国のはずである。どちらかと言えば仏教国といわれている日本であるのに、この時期には、俄かクリスチャンかインスタントキリスト教信徒が激増する様である。

 お寺さんが経営する幼稚園でもキリストの誕生日を祝うクリスマスが催されたりしているに至っては、全く驚くというか呆れてしまうほどである。ただ子供たちの施設だから子供たちのために止むを得ずにされているのかと言えば、そうではなくて幼児、子供のためのクリスマスだけではなく中学生から大人まで、お年寄りが集う老人ホームやデイサービスでも、大抵の施設で乗り遅れまいとクリスマス行事が行われている。

 多くの仏教徒をはじめ世界三大宗教と言われるイスラム教もあるが、日本ではお釈迦さんの誕生日である4月8日の花の日やモハメッドの誕生日を祝ったり、愉しんだりする習慣は少ないと言ってもいいだろう。

 特に意識的にクリスマスが嫌いだったり信仰上の理由で拒否されたり、参加しない人もおられるとは思うが、12月25日までは、何処へ行っても猫も杓子もクリスマスであったのではなかろうか。

 ほんと日本は幸せな国なのだろう。島国日本は世界の中でどんな闘いや問題が起きていようが、サンクロースが町にもテレビにもあふれて、商魂たくましくケーキやプレゼントも含むあらゆる商品を売りまくり、お祭り好きな国民を巻き込んで、いろんなパーティーやら、集いが企画され大騒ぎである。

 どこかに少しは厳かにキリストイエスの誕生を祝い、喜ぶキリスト教徒たちの礼拝やミサの行われた教会や学校、病院などもあったとは思うが、大半の国民にはほとんど関係のない別世界だっただろう。テレビのニュースなどで紹介されて、あぁそうかクリスマスって、キリストの誕生日なのかと改めて教えられたり、知った子どもたちもいることだろう。

 いずれにせよ多くの人たちがクリスマスの時期に、家や職場や学校でクリスマスにちなんだ飾り付けをしたり、イルミネーションの小さな電球を一杯点灯させて愉しんだり、プレゼントの交換やクリスマスの食事を共にすることは、とってもいいことである。少しでも気持ちが和み、少しでも明るい会話や笑顔が生まれ、幸せな気分と平和への希求に繋がるきっかけになれば、たぶんイエスキリストも喜ばれることだろう。

 先ほど12月1日に点灯した、我が家のささやかなクリスマスイルミネーションも25日間の輝きを終え静かに消灯した。また来年のクリスマスの時期に、みんなの幸せと世界の平和祈って点灯したいと思っている。

 メリークリスマス!明日からは年賀状の準備と年の暮れ、年始の準備が始まる。家人は早くも部屋の飾り付けをクリスマスグッズからお正月バージョンに替えた。おやすみなさい。お幸せに。
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天皇誕生日とローン地獄!

2004年12月23日 | テレビマスコミ

 今日は天皇誕生日なん?・・・全く興味も関心もない。しかし新聞、テレビは天皇の71歳の誕生日の詳細と映像を報道している。

 全く関係ない様にも思えるが、以前から感じている、テレビや新聞または巷にあふれる、いわゆるサラ金、消費者ローンと呼ばれる、簡単高金利融資の現状と広告、CMについてである。

 私は、こうした金融ローン会社は名前を敢えて出さないが、法的制限ぎりぎりの高金利でお金に困った人たちに資金調達をしていて、タバコの「吸い過ぎには注意しましょう」同様の「ご利用は計画的に」と言う呼びかけや注意書の事前通告だけでは一度借りてしまえば、確実な収入や入金予定がない限り30パーセント近い年金利が日々上乗せされていく借金地獄に陥っていくのは「間違いない!」。

 日本の経済的特殊事情かもしれないが多くの消費や遊びや賭けの誘惑が渦巻く中で、ちょっと足らない現金を手軽に何処でも電話やメールでも、街中にあるショップでも借り出せる便利さなんて要らないのである。手軽にお金が手に入るなんてことは、あり得ないし、あっても危険なことこの上ないのである。

 つまり商売としてキレイなお姉さんたちがコマーシャルには登場し、優しく誘ってくれるこの消費者金融で、どれだけ多くの人たちが苦しんでいるか。私は全ての実態を知るよしもないが違法な悪徳闇金融もあわせて、個人破産だけではなく家族崩壊、紛争、失業、自殺へと追いやられた人たちも多い。

 その原因は、まず法的な規制があまりにも手ぬるいことがあげられる。銀行などでの一般的融資は、当然その担保や返済計画などの見通しがあってのこととは言え、住宅ローンなどは1パーセントを切る年利のものもあるが、高金利でもせいぜい5パーセント止まりである。しかしキャッシュローンと称される類は、安くても10万円借金すれば、一月で2万円以上の利息がつく場合が大半である。

 こうしたマネーゲームというか借金世界に突入すれば、前の借金を返すために別の高金利の借金を繰り返し行わざるを得なくなって、結局は借金地獄のルツボの中へマッサカサマに落ちて行くしかないのではないだろうか。

 決して救世主や棚からボタ餅的な、借金を一掃してくれるような出来事や賭けに勝ったり、宝くじが当たったりは起こらないのである。

 しかし世の人間たちは何処でタガが外れてしまうのか、日夜借金に追いまわされて寝ても覚めても金、金、金の毎日をおくらなければならなくなってしまうのだろう。

 私は、こうした借金ローンに苦しめられている日本社会の、総元締めの日本政府が国民ひとり当たり600万円以上となる700兆円を越える赤字借金を抱えていても平気でいられる現状が、根本的には日本人ひとりひとりの脳裏に微妙に影響していて、何とかなる何とかなるのではないかと、ますます泥沼に足を突っ込んで行っているのではないかと思っている。

 それともうひとつは、男性の場合はギャンブルとあらゆる遊びが、また女性はブランド物やら飽食グルメと新興宗教の活動などが、こうしたお金のみつぎ先となっているケースが多いのではないかと推察している。
 中には真面目に生活していてもリストラや病気、不慮の事故や事件に巻き込まれての急遽の金策で、こうしたローンに手を出さざるを得なかった例ももあるだろうが、人間のとどめを知らない欲求と社会が提供する多くの誘惑が、こうした地獄への階段を多くは合法的にさせているのが現実なのだ。

 法的金利制限を、もっと厳しく規制すると共にテレビや雑誌、新聞などへの広告の規制、また屋外違法広告物としての、こうした金融広告の撤去などの徹底した対策を講じて、本当に生活上,止む得ない事情の住民に対しては、行政が台風、地震災害の被災者支援などと同様に、一定の条件での金融支援を公的に行うべきである。

 天皇誕生日を報じる新聞、テレビなどのマスコミが、こうした借金で苦しむ庶民からの高利息収入の消費者ローンなどの企業の多額の宣伝広告収入などで経営されていると考えると、天皇家の生活費を含む宮内庁予算への税金支出と共に、報道するメディアの成り立ちも全くおかしな現実であり、厳しい規制、対処が必要ではないかと感じている。
{/hiyob_hat/
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X'MASが近づいた!

2004年12月22日 | 感じたこと
クリスマスが近づいて来た!昼前に近くの電気製品量販店に行き、年末年始に無くなりそうなFAX用インクリボンを2本買ったら、その店のポイントカードに1000円分貯まって支払いが千円安くなった。

何やら得した気分になったので、何となくスパークリングワインとケーキを、その勢いで買って家に帰ると、家人曰く「クリスマスはまだやで!」何とクリスマスとは12月24日のイブと25日当日だけなんだろうか?

世の中の大半のクリスマスは、決してキリスト・イエスの誕生をお祝いする日なのではなく、家族、友人知人、または恋人同士がプレゼントを交換したり、食事を共にしる日となっている様に思う。

私はそれでいいのではないかと思っている。キリストイエスも、自分の誕生をことさら祝われるよりも、世界中の人たちが、平和で幸せに暮らせる世の中を実感できる、ささやかでも楽しいひとときを、クリスマスの時期の前後に過ごせたら、十分クリスマスの意義があると考えておられるのではないかと思う。

 つまり、神様は愚かな人類の諍いや自己主張や利害の追求が原因と思われる、あらゆる紛争や戦いを好まず、人間本来の生まれながらに持ち合わせているであろう、愛と幸せを願う、果てしない追求、努力を求めて、この時期だけではないが人々が奔走する光景を、目を細めて愛しく,ほほえんで見ておられることだろうと思っている。

 日常生活の多忙さや余裕のなさの中で、忘れがちのこうした喜びの追求や共有は、なかなかきっかけがなければ生まれないので、クリスマスというチャンスに誰もが、共有できそうな家族や仲間や愛する人たちと共に、食事やお茶をして、プレゼント交換なども恥ずかしがらずに、大いにやるべきである。

 12月24日や25日にとらわれずに、ちょっとした余裕の時間があれば、ケーキとお茶でも、ワインと軽食でも、いつもとちょっと違った非日常的楽しい空間を演出できたらいいのではないだろうか。

 メリークリスマス!ちょっと早い目のクリスマスに乾杯!

 今晩、京都五条の恒例のローム本社周辺の16万個の光のファンタジーを見てきました。とても幸せな気分になれました。小さなクリスマスは何処にも、彼方のそばにもきっとありますよ。お幸せに。

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冬至はゆず湯とかぼちゃ!

2004年12月21日 | 感じたこと


 今日は冬至です。冬至といえば、「ゆず風呂」と「冬至かぼちゃ」がすぐに頭に浮かびますが、何故冬至には、かぼちゃを食べて、ゆず風呂に入る習慣がうまれたのでしょうか。

 たぶんインターネット上で検索を繰り返せば、その理由というか、その習慣の経緯がわかるはずだと思いますが、私なりの知識と推測で考えてみたいと思います。

 ゆず風呂の方は、冬至が湯治と同じ音読みでもあり、冬の真っ最中の暖かい風呂は何よりの健康へのご褒美にもなりますので、湯治をより愉しくするために、冬場の柑橘類であるゆずを湯船に浮かべて、その香りを愉しむゆとりを、またゆずリ愛の精神を大切に、師走といわれる冬の12月、しかも年の暮れまで10日ほどしかない時を忙しなくするだけでなく、せめて風呂に入った時くらい、世の時は金なりと言った様なあわただしさを忘れて、風流にのんびりと柚子香に身を浸す湯治が習慣化したものだと推察いたします。

 一方のかぼちゃを食べることは、さて何ででしょうか。冬至かぼちゃと命名された少し小さめの色合いもグレーに近いかぼちゃがありますが、味はさほど美味しいとは感じませんでした。しかし、どんなかぼちゃでもいいのではないでしょうか。かぼちゃは別名を南京(なんきん)と称し、この時期の健康にいいとされる「ん」の付く食品のひとつとして珍重されて、習慣化したものなのでしよう。みかん、きんかん、レモン等の柑橘類と共に、ちんげん(菜)、レンコン、人参、大根などの冬の野菜類も「ん」が付く美味しい食材です。

 たぶん、あまり理屈や理由など気にせずに日本人の季節の習慣として、多くの人たちが柚子湯につかり、かぼちゃ煮を食されたことだと思います。本格的な冬の到来を「冬至」を機に感じて、これからのクリスマスと年末年始の多忙の中で、楽しみの多い日々を、寒さに負けず健やかに過ごすための「おまじない」の様なものとして、これからも習慣として残し、言い伝え、楽しみたいものだと思います。

 是非みなさん、冬至にはかぼちゃを美味しく食して、柚子湯にゆったりと身をゆだねて、年末の英気を養い、新年への想いを育ませてください。きっと来年はいい年になりますようにと。

 
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キレイキレイなんて。

2004年12月20日 | とんでもない!


 ここ数年とても気になることがある。それは「キレイキレイ」等に代表される、除菌、抗菌や衛生商品の新聞、テレビ、雑誌などでの宣伝である。

 テレビでは、食事の前にお母さんが子供たちに「さぁキレイキレイしましょう!」なんて言わして、「いただきます」という挨拶の代わりにするという、何ともおかしなCMが放映されだしたのである。直感的に、これはオカシイと思ったのは私だけではないだろうと思う。

 世の中いつの頃からか、除菌や抗菌グッズや衛生商品が流行だして、今や大きな売上商品のひとつのジャンルとして、スーパーやドラッグストアでもコーナーを作って販売している。
 しかし、こういった商品は日常生活の必需品なのだろうか。私は全くおかしな清潔さが一番を謳った商品を売らんが為だけのブームが作られているに過ぎないと思っている。

 というのは、人間の現代生活には何処にも、また身体の隅々にも雑菌がたくさんいるのが普通である。またこの雑菌たちが、私たちの生活環境とか健康を守ってくれていると言ってもいいはずである。
 なのに家庭内や多くの人が利用する公共的空間なども含めて、雑菌を排除しなければいけないと言わんばかりの過剰宣伝である。

 電車のつり革や公共トイレの便座など、多くの人たちが利用する場所や物は、汚くて雑菌だらけだから、除菌するか抗菌グッズで防御しないと、自分の健康や清潔さを守れないとでも言わんばかりの描き方である。

 私たちの身体の雑菌類を全て除去することは不可能だし、また屋外空間や公共的施設等、不特定多数の誰もが、触れたりするものの除菌も完全には出来ない。しかしこうした除菌がもしできたとしたら、我々は、命の危険があるような大変な病人や新生児が除菌室に入れられる場合を除いて、無菌状態ではかえって私たちの健康を保つことはできないのではないだろうか。

 健康で清潔な生活は現代生活の理想ではあるが、無菌に近い状態では人間は暮らしていけない。
 除菌、抗菌商品のコマーシャルのオンパレードは、こうした商品がなければ健康で゜清潔な日常生活をおくることが出来ないかの様な詐欺的宣伝行為と言っても過言ではない。

 私たちは、実は多くの嫌がられている様に思える雑菌たちに免疫力や抵抗力をもらったり、ガードしてもらって日常生活を送っているのである。これらの雑菌たちを全てワルモノの如く退治して、除菌、抗菌したら、健康で清潔な暮らしが出来ると勘違いさせられる様な、商品宣伝に惑わされてはならない。

 私は敢えて言う。人間の健康な日々の暮らしには雑菌が必要であり、ある程度の雑菌と仲良くしなければ、私たちの日常生活は保てないのである。

 ぜひ皆さん、キレイキレイやファブリーズなどの今流行の清潔、抗菌商品などに惑わされず、自分の身体の内外の雑菌とも仲良くして、元気でたくましく生きる日常生活を保てるように精進しようではありませんか。何でも「キレイ」とか「美しい」とか言う美名や誘惑に騙されて、かえって抵抗力の乏しい無菌状態に近い危険を、わざわざ商品を購入して創り出す必要はないのではないでしょうか。

 ぜひたくましく、自分の周囲と身体にいる雑菌と友達となって、抵抗力のある元気さ、美しさを持続しようではありませんか。
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