ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

「腰痛」克服、治癒。

2011年10月31日 | 感じたこと
 今月の十日過ぎのある朝目覚めて起き上がろうとしたら、なにやら自分の左腰の部分に痛みがあって、さっと立ち上がれない感じで、何が原因かは定かではないのだが、なにやら「やっちゃった!」と感じる「腰痛」の症状が自覚されたのであった。

 二日間ほどは女房に背中を押してもらったり、簡単なストレッチ的運動のサポートをしてもらったりして様子を見ていたのだが、痛みがすっきりとは解消することなく、かえって日増しに腰痛が増す感じになったので、やむを得ず近くの整体院に初めて治療に赴いたのであった。

 その治療院は歩いても行ける近所に数年前に出来た新しい治療院だったのだが、なにせ腰痛のため歩く姿も痛みを和らげたり庇ったりするためにギコチナイ格好だったので、ほんの2,3分ほどの距離なのに車で通院することとなった。

 最近の整体院と言っても、千差万別の治療方法や先生の手当てがあるのだと思われるのだが、ここではまず腰痛だとの訴えに対して、10分ほど電気治療の第一段目として、患部付近を含む腰の部分をヒーターで暖めてから、ベッドに移動して腰の両端に電極をセットして、しばらくの電気治療、すなわち自覚できるほどの電気を患部とその反対側にも当てて、なんとも奇妙な感じでしばらく横になった上で、先生の手による治療がされるのであった。

 若い整体師の先生は、優しく語る様に話ながら、患部を中心にマッサージをされたり、簡単なストレッチ気味の手当てを繰り返してされるのだが、やはりプロの手当てであるので、なんとも気持ち良く感じて、初めての整体院での治療はとても心地よく終了したのであった。

 金曜日と土曜日にはいつもの移動八百屋で車での営業で、それなりに重い荷物を車から出し入れしなければならないので、それまでの状態では、少し仕事に差し支えるのではとの心配があったので、急遽治療に赴いたというのが実情であり、仕事に支障がなければ自然治癒が出来ればと思っていたのだが、やはり緊急対応が必要となつたのであった。

 その週の週末は、何とか両腰のサイドに湿布を貼って、腰を精一杯庇っての仕事となったのだが、何とかひどい痛みや腰痛を悪化させるところまでには至らなかったので、幸いだったのだったが再び月、水と治療院に出向いて、同様の治療とマッサージを受けて、徐々には痛みの解消に近かづきつつあるとの実感はあったのだが、幸い一ヶ月ほど前から予定していた、仲間との温泉旅行がその週の木、金と予定されていたので、温泉の入浴を丹念に一泊二日の間に三回ほど繰り返し、入浴後のベッド型のマッサージ機に2回ほど30分近く横たわって、もっぱら腰痛の解消へと専念したのであった。

 また幸いなことに、その週の日曜日は、近くのご高齢のご夫婦と共に、酵素プロへとお供する約束もしていたので、ゆっくりお湯ではなく酵素のおがくず風呂に30分以上体の全身を埋めての「入浴」をしたことで、なんとも私の腰痛の痛さはほとんどなくなり、翌月曜日に治療院に出向くと、整体師の先生がほとんど体の歪みもなくなり、たぶん痛みも取れたのでしょうと太鼓判を押して下さったのであった。

 腰痛の兆しを感じてから、約二週間で痛みと共に腰痛の症状を整体師が手当てしてわかるという、体の歪みも矯正された様で、幸いなことに私の腰痛が治癒したと言ってもいい状態になったのは、とっても幸いだったのだが、やはり早めの治療とできるだけ安静にすることも大切だが、積極的に軽いストレッチと屈伸やマッサージを繰り返して、患部には二週間は湿布を貼り続けた成果もあっての今回の完治に至ったものだと思うのであった。

 実は、この腰痛の前にした小さな怪我があるのだが、それは自分の車のサイドドアに、仕事中の不注意から右手薬指を咄嗟に詰めてしまい、痛みと共に爪がほぼ死んだ様な状態で真っ黒の内出血状態になったのだが、こちらは医者にも行かず自己流の治療でバンドエイドで覆って、時間薬が解決するだろうとの見通しだつたのだが、やはり素人治療は長くかかりそうで、いまだ治癒には至ってなくて、このパソコンを打つ際にも右手薬指は使えず、不自由なままの状態が続いている。

 「餅屋は餅屋」とでも言うべきことかも知れないが、腰痛は二週間でほぼ完治したが、右手薬指の怪我は一ヶ月を経ても、いまだ完全に治癒するには至っていないばかりか、まだまだ当分経過を観察しつつ、洗顔や入浴の際にもビニール手袋で覆ってしか出来ない状態がしばらくは続く状態で、初期治療をプロに任せなかったツケが今に及んでも少しの痛みと不便さを感じながら、ささやかな怪我と付き合っているのである。
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ナベツネの文句。

2011年10月30日 | 感じたこと
 大好きなプロ野球も、今シーズンの末期を迎え、我が阪神タイガースはセリーグでクライマックスシリーズへの挑戦権も得られない、単独4位に甘んじてしまったために、真弓明信監督が事実上の責任をとらされて辞任し、来期からは生え抜きの阪神一筋で頑張ってきて和田コーチが昇格し、三年契約でチームの建て直しと共に優勝への新たな挑戦を、このストーブリーグから指揮を執ることとなった。

 一方、今年は東日本大震災の影響もあったてか、セパ両リーグのクライマックスシリーズのファーストステージ前に、恒例のドラフト会議が開催されたために、現在の監督が出席したチームもあれば、次期監督予定者が会議に参加しくじ引きを引き当てたりと、どのチームも、まだ日本シリーズに向けての戦い真っ最中のチーム事情もあって、悲喜こもごもであった。

 そんな中、一番注目を集めたのが、原辰徳巨人軍監督の甥にあたる東海大学の左腕投手、菅野智之投手であったのだが、大方の予想にあった「読売ジャイアンツ」の単独指名による獲得が当然視されていたのだが、日本ハムファイターズが同投手を第一次選択選手として選出し、ドラフト会場及びテレビ中継された画面を通しての視聴者の喝采を浴び、しかも一位指名2球団による「くじ引き」で、何と幸運にも日本ハムが「交渉権」を獲得するというハプニングとも言うべき、画期的な結果が実現したのである。

 この「巨人の思惑」が瓦解したことについて、何とまた例の球界の帝王、すなわち「我がままナベツネ」こと、読売新聞社の渡邊恒雄会長が苦虫をつぶした様な顔つきで、「ルール違反だ!」と噛み付き、文句を言ったのであった。

 何故に「ルール違反」なのかは説明がつきにくいのだが、彼の思惑からすれば、当然「巨人が単独一位指名」して、文句なく菅野投手を獲得するというのが、既成の事実となっていたのだろうが、そもそも「ドラフト会議」なるものは、どんな選手だったとしても、事前の交渉や約束ごどて入団が決まるのではなく、どのチームも自由競争の原則にのっとって、この会場で突如決めたとしても、選択希望選手を指名することが出来るというのがルールなのである。

 ナベツネさんにとっては、事前に選択希望選手として名を上げさせてもらうという、事前の挨拶や言及がないままに突如指名選手として名指ししたことが、如何にもルール違反の様に怒っておられるみたいなのだが、全く根拠のない駄々っ子の一方的な文句以外の何物でもないのである。

 今回の件では、会場にいた原辰徳監督自身も明らかに不満そうな顔つきで、日ハムが選択権を獲得したくじを決定した時点からご機嫌が悪く、インタビューに対しても「監督としても叔父としても残念だ」という言葉のみで退散していた様子だったが、翌日東海大学を訪れた日ハムのスカウトたちは、大学野球の日本一を決めるまでは、交渉には入らないというスタンスで、ただちには交渉に入ることを回避する姿勢をとり、納得のいかない選手本人の心情も少しは理解できるが、社会人もしくはこれからの社会的信義にも反する明らかな「拒否」姿勢で、会うことはしなかった様である。

 また、前述した如くドラフト会議では中日ドラゴンズは既に次期監督に決定している高木守道氏が選択競合選手のくじ引きに登場し、初仕事として東海大甲府高校の希望選手の選択権を得たのだが、日ハムファイターズは、梨田現監督がクライマックスシリーズまでは指揮を執るとはいえ、来シーズン以降の活躍を期待しての新人選手の選択会議に栗山次期監督内定者の出席はなかったのだが、阪神タイガースも和田次期監督就任が内定していたのに、彼の出席はなかったのであった。

 そんな早やストーブリーグ的最中ではあるが、まだまだCS出場のセパ両リーグの上位核チームとは裏腹に、下位3チームはもっぱら来期への体制づくりと選手強化策に躍起になりた゜゛していると思われるのだが、横浜ベイスターズだけが蚊帳の外とでもいうべき状況下にあって、オーナー会社であるTBSが昨年度も身売りを表明したのだが買い手が決定できなかったばかりか、現在交渉中のIT新鋭企業DeNAが最終段階まで買収、譲渡のつめを行っている段階で、再びナベツネが横槍を入れているのである。

 つまり、DeNA側は、主力商品のブランド名である「モバゲー」なる名称を球団名につけて、多大なる広告宣伝効果を期待しての球団買取作戦なのだが、読売巨人軍のオーナー的存在のナベツネが反対を唱えており、会社名のDeNAなら許諾できるが、モバゲーという商品名に近いブランド名ならオーナー会議で反対するというのである。

 プロ野球の野球協約によれば、球団の譲渡、買収に際しては既成の球団の3/4の賛成がなければ成立、認証できないとなっているのだが、現在のところこのナベツネ氏の文句と同様に賛同しかねるという意思を表明しているのは、楽天ともう一球団あるとされているが、当然譲渡する側の球団である現横浜ベイスターズの親会社TBSを含む他の9球団が賛同の意思を表明すれば、この球団譲渡、買収は今月末にも決定にこぎつけるのである。

 いずれにせよ、ナベツネ氏の文句、意見、考え、我がままが全てのプロ野球のルールを曲げたり、微妙に改変してきた歴史がある様にも思うのだが、決して一人のいや一球団のオーナーもしくは関係者の駄々っ子たいな意見や文句で、プロ野球機構の行く末や球団のあり方、またドラフトのあり方などを変えたりしてはならないのである。

 とにかく、今までもドラフト会議だけではないが、巨人軍及びその関係者の横暴、勝手、我侭でどれほど、日本のプロ野球のルールやあり方が改変されてきたかを思うと、いずれも自球団にとって都合のいいルールや規制を提案し、強引にルール化していきたという、巨人中心主義的日本のプロ野球史が否応なく浮かんでしまうわけで、現在のプロ野球の様に巨人以外の球団の実力や人気が分散して、均等化とまでは行かないまでも、プロ野球機構全体の今後の展望の中で、将来的にも巨人という名の読売ジャイアンツの偉そうな我侭に追従していてはならない時期が既に来ているのである。

 
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コーヒーフレッシュなんて。

2011年10月27日 | 感じたこと
 皆さんはたぶん当然ご存知だろうと思うのだが、喫茶店だけでなくコーヒーをお飲みになる際についてくる、いやサービス?される例のやつ、コーヒーフレッシュなるものの正体の話である。

 未だに、喫茶店で「ミルク頂戴!」と言ってウエイトレスやウエイターに注文して、実際のミルクやクリームがサービスされている店もあるとは思うのだが、大抵はこの代物「コーヒーフレッシュ」と名づけられた怪しげなコーヒーミルクがやってくるのではないだろうか。

 よーく考えて見ればすぐに判るはずなのだが、本当の牛乳、ミルクならば常時、店内やテーブルの上の籠や入れ物にずっと置いてあるコーヒーフレッシュなる液体入りの小さなケース、これらは高温多湿な場合でなくても、冷蔵庫に入っていない状態なので三四日で腐敗してしまい、入れ替えなくてはならないはずである。

 しかし、いくらコーヒーショップの店内が冷暖房完備だとしても、たぶん営業時間中、しかも二三日どころか客が消費したり、持ち帰ったりしない限り、補充はされていても賞味期限の添付されたものも含めて、長時間いや相当な日数が経っても、数多いコーヒーフレッシュが山積みにされているのが、ほとんどの喫茶店の現状ではないだろうか。

 ファミレスや喫茶店のカウンターやテーブルの上に無造作に置かれているコーヒー用ミルクなるものの正体は、植物性油脂を主原料にした「ミルクに似せた偽液体」なのである。

 あるコーヒーフレッシュの原材料名をよーく見てると、植物性油脂、乳化剤、増粘多糖類、PH調整剤、着色料、香料となっていて、何処にも乳飲料や乳製品とは記されていないばかりか、植物性油脂とは記されてはいるが、なたね油なのかヤシ油なのか、サラダ油なのか、それとも混合した油なのかの実態はわからないまま、これらに増粘多糖類と称するタンパク成分を加え、油とタンパク質が混ざりにくいので、安定させるためにモノグリセライドと称する食品添加物の乳化剤を使用しているらしい。

 その上に、保存性を高めるためにポリリン酸ナトリウムやフマル酸ナトリウムやPH調整剤を添加して、最後によりミルクに近い感じにするために着色料を入れて、香料で仕上げているというのが、あの「フレッシュ」の実態なのである。

 最近は、少しだけ乳脂肪を入れた商品も出回ってはいるが、これはミルクに近いために冷蔵庫に保管する必要があるので、喫茶店などでは客の注文に応じて出される場合しかコーヒーにはついてこないので、喫茶店などでのコーヒーを注文して飲まれる場合にはチェックが必要ではないだろうか。

 私の場合は、いつも気にしてコーヒーフレッシュなるものを絶対に入れないというわけではないが、大抵はインスタントコーヒーも含めてブラックで飲用し、あの甘さを増すためのシロップも入れないのだが、家で飲む場合は必ず牛乳を入れて飲むことにしているのである。

 最近は少なくなったとは思われるが、中高年の特におばちゃんたちは、喫茶店やファミレスになどに置いてある、あのコーヒーフレッシュだけではないが、「タダで貰える?」物に弱い様で、お茶を飲んだ後によくチャッカリ!とハンドバッグやポケットに、例のフレッシュの小さな入れ物を何個か手で取って頂いて帰る人がいて、家に持ち帰ったりまたは別な機会におもむろにバッグから便利そうに、親切そうにあの植物性油脂を主原料にする「ミルクもどき」を出して、他人様に勧めているのであった。

 またカロリーを気にするご婦人が最近は特に多いのではないかと思うのであるが、このコーヒーフレッシュなる偽物のミルクもどきは、植物性油脂ということもあって、実は乳脂肪を原料にした物と比べてもカロリーは高くて、決して健康や体にはいいとは思えないのである。

 いずれにせよ、世の中には数多くの偽物食品や似せた食品があるもので、飲料だけでなく口から食する各種の食品すべてを疑ってかかるわけではないのだが、百円寿司のネタだけでなく、数多くのコピー食品、すなわち本物を超えているとまで言われている「人造イクラ」をはじめとして、数多くの偽物食品が世に出回っているので、日頃の食生活において少々、それらを口にしたからどうなるというものではないかもしれないが、現実を知った上で食したり飲用したりすることが必要なのではないだろうか。

 何せ、食糧自給率が40%を下回り、全世界から食材が輸入される時代になっている現状で、人々がテレビメディアをはじめとするグルメ番組や食べ物、飲食店情報に踊らされる如く、「美味しい店」「美味しい食材」または「安くて美味しい料理」を
求めている感じの実情からは、こんなコピー食品や食品添加物情報などにはコダワッテはいられないのかも知れないが、これからの成長と健康をる願う、子どもたちが食するであろう食品、料理には少しだけでも気を向けて選択してほしいものである。
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カラオケって文化?

2011年10月26日 | 感じたこと
 先日、おっちゃん仲間と久しぶりに一泊温泉旅行に行ったのだが、そのグループとしては初めて宿泊したホテルで、夕食時間までの一時間余を「カラオケ」をすることとして過ごしたのである。

 泊まったホテルだけでなく、最近の旅館、ホテルには必ずと言っていいほど「カラオケ」設備はあると思われるのだが、いつも満員のことが多く、今回は幸いにも空いていたので、利用することとしたのだが、なかなか楽しいひと時となった。

 世の中で、この「カラオケ」が当たり前のレジャーというか、若い人たちのデイトでも定番の様な楽しみ方のひとつとなって久しいが、いまや日本だけでなくアジアのどの国に行っても、日本語のカラオケがそのままの発音で通用するという形で、「カラオケ」は世界に通じる言葉となっている様である。

 しかし、果たして「カラオケは文化」なのかどうかは定かではないが、文化だと言い切る人たちもいる様である。

 先日の久しぶりの「カラオケ」では、私ともう一人の友人が数曲歌ったのだが、もう一人は何とか「知っている曲」を二曲か三曲歌ったが、もうひとりは「私は音痴だから」と一曲も結局歌わず、最後まで聴衆としてカラオケルームに座っていただけであった。

 最近はあまりないと思われるが、スナックなどで仲間内で盛り上がったカラオケごっこは仲間たちには楽しいことだと思われるが、知らない他人様の上手くても下手でも歌を聞かされるだけの時間は、とっても退屈と言うよりも忍耐以外の何物でもなく、長時間はごめん蒙りたいとさえ思うのだが、一曲も歌わなかった友人にとつては、ただ知っている人が歌っていたというだけで許されていたのかどうか気になるところであった。

 若い人たちや奥さんたちのカラオケブームは、いまだブーム以上のレジャーの常道であり、学生同士や会社の同僚たち、同世代を中心とする仲間で行く「カラオケ」は、同じ世代としての共通の得意な曲や思い出曲が同様なので、大変盛り上がるのだろうと推察されるのである。

 ましてや最近の様に、「AKB48」や「EXILE」などの多人数で歌って踊ってという楽曲においての盛り上がり方は異常なほどで、歌を楽しんだり上手に歌うというよりも、ともかくノリで日頃のストレスや運動不足を解消するが如く、激しく踊りながら叫ぶ様にも歌っているらしいのである。

 全国にチェーン展開する大手のカラオケ店だけでなく、地方色豊かな「カラオケルーム」がたくさんあって、それぞれにユーザーがいて、結構流行っている様で、特に不況時のレジャー、時間潰しのお遊びとしては、相変わらずの人気である様である。

 一方、家庭内での家用カラオケも結構普及しているらしいので、毎日毎夜練習と共にいずれ出番がある人前でのカラオケで歌う曲の選定と練習を欠かさない人たちも潜在的にはたくさんいるのだと思われるのだが、どれほど時間をかけて練習されているのかは不明だが、現状としては外でお金を使うよりは良いということで家でのカラオケも盛んだと聞くのである。

 十数年前だったと思うのだが、ある自治体の議会で、その町の文化、芸術活動の発展のための予算審議の際に、音響設備の整ったホールや環境整備に、行政も税金投入、すなわち税支出をすべきだとの意見に対して、首長さんの答弁が「私もカラオケは好きなので、何とか検討します」だったとのことで、次元の違う音楽文化としてカラオケの認識がされていた様に感じたのだが、未だに「カラオケ」を文化だと言い張る人もいるので、人間の行動、行為は何でも文化に通じるのではないかとさえ感じているのである。

 それにしても、高齢者や中年の市民を対象とした、市の老人福祉センター的な公共施設での「カラオケルーム」や「カラオケ設備のある部屋」が最近、何処の自治体にもある様なのだが、こうした施設や設備を利用する住民、市民がいつのまにか固定してしまっていて、新参者として参加するのには非常に厳しい競争もしくは戦いがあるという話を聞いたのである。

 つまり、施設や設備を利用開始時刻からし切っている御仁がいる様で、その方の許可や許しがなければ、新参者は勝手には歌ったり参加できないという雰囲気だけでなく、目に見得ないルール、鉄則がいつのまにか出来ているケースが多く、誰もが利用できる公共施設のはずが、実際は限られた人たちとそのボスによる独占場となっているというのである。

 一般的に公共の福祉に供する目的で整備された環境、設備を行政側が管理しきれない状態の中で、ある一定の利用者やいつのまにかボス的存在となってしまった常連の利用者、市民が独占しているとしたら、これは困った事態であり、何とか誰でも利用し、楽しめる「公共的カラオケ場」にしなくてはならないのではないだろうか。

 カラオケだけに限られたことではないが、最近よく耳にするのは、公共施設の住民サービスとしての、特に中高年齢層向けのレジャーや言葉は悪いが、時間潰しのための環境整備が、ごく一部の人たちだけの利用を許して甘えさせているという指摘があるようなので、文化だとか言う前に、公共施設利用の自由さ便利さを優先しつつも、特定もしくは限られた人たちだけが利用しているのではと言われる指摘にならない様な、ソフトな管理、チェックが必要だと痛感するのである。

 誰もが楽しめ、ほとんど歌ったことのない御仁でも、初心者として「歌う楽しさ」を体験できる場として、公共施設でのカラオケが見直される様な「しかけ」か「柔らかな指導」が必要なのではないでしょうか。

 「私は音痴だから歌わない」という人の自由も許されてもいいとは思うが、やはり音痴でも下手でも「歌うこと」は、ストレスの解消だけでなく、「声を出す」ことは大いに健康にもいいし、とにかく気持ちのいいものなのだから、誰でも「歌えるカラオケ」を今後の高齢化時代に、より一層楽しんでいただきたいと思う老婆心からの提案としたい。
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大阪市長選挙!

2011年10月25日 | 季節の話題
 一政令市である「大阪市長」を新たに選ぶ、大阪市長選挙を約一ヵ月後に控えて、異例の公開討論会なるものが大阪毎日放送ラジオとテレビで行われ、大阪府知事から鞍替えして市長選に挑む「橋下徹大阪府知事」と「平松邦夫現大阪市長」が他の二人の立候補予定者と共に討論に及んでいた。

 ここ数日、橋下大阪府知事が辞職を言明し、大阪市長選に打って出ることが正式に決定したことで、府知事選挙と同一日に同時選挙が行われることが確実となり、東京都につぐ「大阪都」の誕生を目指す橋下氏と彼が率いる地方政党「大阪維新の会」が推す、松井現府議会議員が立候補することとなっている「府知事選挙」が俄かに大阪だけの問題ではなく、全国的な関心事として全国区で報道されているたいである。

 そもそも、四年前に遡るがほぼ同時期に知事と市長になった、橋下徹氏と平松邦夫氏は、いずれもそれまでの首長のイメージとは異なるテレビを中心に活躍していたタレント弁護士と民放地方局とはいえ、大阪では知る人ぞ知る著名な元アナウンサーとして名の知れたタレント的存在だった人として、従来の官僚、役人上がりの候補者とは全く違う改革への期待を有権者が抱いて当選したという面では、同じような首長だつたはずである。

 しかし、当初肩を並べて府と市の協調、改革への相互的理解を示していたと思われたのだが、いつのまにか両者はお互いに市長、知事を批判する形で、敵対する首長となってしまい、いまや「犬猿の仲」とでも言うべき、お互いを「独善的」とか「役所の言いなり」とか断言する相互理解どころか、「水と油」の様な存在となってしまったのである。

 その上、今までの「大阪市役所」という役所を解体し、真の地方分権、住民主権を実現するためには、大阪市と堺市の現在の行政区分を撤廃し、だいたい人口30万人ほどの新たな行政区に区割りし直して、その行政区を地方自治体として、財源を十分に配分して、その地域に根ざした政策実行のための権限を与えて、地域の活性化と経済、福祉、教育の発展に寄与する自治体に再編成するとする「大阪都構想」をスローガンにした橋下氏の主張と、「大阪をめちゃくちゃにしようとしている」と訴え、静かなる改革を徐々に実現しつつあるという平松氏の主張の間には、もう救いようのない感情的亀裂と不信感が渦巻いていて、全く議論にはならない様子であった。

 他の二人の共産党推薦の立候補予定者と前兵庫県加西市長の中川氏も同席はされてはいたが、もっぱら司会者はどうしても、橋下氏と平松氏の主張の違いを何とかうき彫りにして、視聴者に分かりやすく「違いを伝えよう」とはされていたと思うのだが、一般の視聴者にとっては、なかなか分かりにくく、「組織的解体」と「住民サービス向上」という二つのテーマが両立するのかすら、どちらの主張においても確信できるような主張とは言い難き議論たかと思われて終了してしまつた感が強かったのである。

 巷の意見、町の声と題して、一般の市民、生活者へのインタビューも試みていて、いくつかの人がマイクに向かって考え、感想は述べてはいたのだが、賛成派も反対派も、十分な情報や考え方を理解しているとは言いがたい状況のまま、感想的意見やイメージからの賛成、反対を表現していたにすぎない感じで、なかなかその真意や「今後の大阪市のあり方」をシュミレーション出来るまでには至っていないと思われる状況だと思われた。

 いずれにせよ、来月11月27日に投開票されることが決まっている「大阪府知事と大阪市長」の同時選挙まで、約一ヶ月しかないのだが、大阪府民、大阪市民にとって、橋下徹氏率いる「大阪維新の会」の知事候補と橋下市長候補に対して、政策や考え方の違いを訴える、反橋下氏派の知事候補者が誰となるのか、また現大阪市長である平松邦夫氏が再選に向けて、十分納得できる主張と実績を橋下徹候補にぶつけて、府民と市民の賢明なる判断、支持をどちらの方が多く得られるのかが、勝敗を決するのだが、マスコミ、メディアの報道内容や仕方が大きく左右することは間違いないのではないだろうか。

 つまり、一般の府民、市民は、実は日常生活においては、大きな違和感や問題意識を感じている人は、そんなには多くないのが普通の生活者の実感であるので、いくら「改革の必要性」を訴えても、また「実績」を訴えても、要は候補者や政党、その選挙戦術におけるムードやイメージが大きく選挙結果を左右すると言っても過言ではない、また現状維持や大きな改革などと言っても、すぐには実現しないことは自明の理なのだが、選挙民はマスコミを中心とする事前の雰囲気や空気に敏感な場合が多いので、今までのメディアの利用効果においては、橋下派が一枚上手を行っている感が強いので、反橋下派の候補者陣営の奮起がなければ、大変な結果の選挙戦になってしまう危惧が大きいと思われる。

 これほど地方都市の首長選挙が、こんな風に取り上げられて全国的話題となっていること自体が、大きなマスコミ、メディア利用を得意とする「橋下徹氏」一派、すなわち「大阪維新の会」の戦法と言っても過言ではなく、今後の他の候補者と陣営がしっかりとした明確な主張、施策を打ち出せなければ、一方的なアッピール度において、言葉を変えればパフォーマンス的であったとしても、「きっぱりとものを言う」とか「改革してくれそう」といったイメージを際立てている橋下氏派が「地すべり的な勝利」を獲得してしまうのではないかという危惧を抱かざるを得ないのである。
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「サプリメント」って効きますか?

2011年10月19日 | 感じたこと
 先週、少し腰痛気味になって、このままでは仕事にも差し支えると感じたので、たいそうにならないまでにと近くの整体院へと足を向けて約一週間が経って、ようやく痛みも和らいで、やっぱり専門家の治療が的確だと、それなりに治癒へ向かうものだと、改めて感心するやら、快調になってきて喜んでいる。

 先週に二回と、今週二回、計4回通院して、毎回腰の部分に暖かい電気を当ててから、ベッドで両腰に電極をつけてビリビリと電気を感じながらの刺激でしばらく経った後、若い整体師?と言えばいいのか、先生が全身、特に痛みを感じていた患部を中心に、手で揉み解して下さって、仰向けに寝たりうつ伏せになったりと、指示通りに体を動かして、最後は椅子に座って、腰の辺りをつまんだりもんだりで、立ったり座ったりを繰り返すという風な治療を二日に一度づつぐらい行っていただいたのであった。

 今朝も治療院に足を向けて、約30分程の治療中だったのだが、隣のベッドに横たわった別の患者さんの女性が、先生に対して親しげに質問されていたのを耳にしたことがきっかけで、「サプリメント」についての疑問、考え方、実際を考えたりしたのであった。

 「サプリメント」と言えば、いまや毎日毎日、新聞、テレビを通してだけでなく、雑誌や電車のつり広告なども含めて、ありとあらゆる広告媒体に、何らかの形でコマーシャルされていることが多く、食品なのか、お薬なのか、それとも栄養剤かしらないが、多種多様なものがあって、その服用の目的も、腰痛にはじまって、ダイエット用?、栄養補助食品、その他の病気や日常的な元気を保つための作用を期待してのものまで、ほんとうにたくさんあるたいなのである。

 私自身は、以前にもガリバー通信で書いたと思うのだが、もし痛みを和らげるためなら、医師の診断による処方箋での、服用焼く塗り薬や湿布薬が必要だと思うし、元気を取り戻したいと思うのなら、しっかりと栄養バランスを考えた上での、食品、食事をしっかりとすることに尽きると感じているのだが、現代の世の中ではそうではなくて、サプリメントの服用なども大いに流行っていると言っていいようなのである。

 整体治療院での、ある患者さんの女性の先生への問いかけは、「サプリメントって先生、効くのでしょうか?」だつたのであるが、先生は間髪入れずに「そうですね、効くと思う人には効きますが、効かないと思っていると効かないでしょう!」という、珍答とも言うべき、見事なお答えだったのである。

 私は、横で聞いていて吹き出しそうになったが、その会話は続いて、彼女がこう言ったのであった。「○○先生は、それは趣味の領域ですね」と言ったそうで、すなわち、やはり好きか嫌いかであって、薬効効果の次元とは違った返答をされたというのである。

 また別の先生も、「あんなに高いサプリメント代を負担するなら、医療費、すなわち医者に通院したり治療を受けたりする方が、絶対的に効果、結果が得られますよと、当然の如く、医者や専門家としての自信とブライドのせいだけではなく、きっぱりとではないが、ほとんど「サプリメントの効果」については、「ない」と言っておられる様であった。

 でも、多くのサプリメントと称する各種の服用する食品か薬品の様な代物は、たぶん結構売れている様で、連日、無料サンプルとやらも含めて宣伝されていて、「今すぐお電話下さい!」の類も含めて、宣伝が繰り返されているところを見ると、間違いなくたくさん購入されている実態があるのだろう。

 一ヶ月分、特価で5千円前後の商品が多いのだが、高齢者を中心とする年金世代が一番消費しているのではないかと思っているのだが、仕事からは引退したりして、日々の生活の中でテレビや新聞をじっくり見たり、暇つぶしに読んだりしている方々が多いと思われるのだが、こうした「サプリメント商法」に、まんまと引っかかっていると言っても過言ではあるまいと、やはり思うのである。

 私の様な「サプリメント大嫌い人間」でも、腰痛や健康のためのサプリメント如き宣伝を何度も耳にしたり、見ているので、いつの間にか、「グルコサミン」「ヒアルロンサン」「「コンドロイチン」など、よくわかんないけれど、効用成分らしいカタカナ名称を覚えてしまっているのだから、治療院やクリニックの待合室などで、患者同士が「●●薬品の×××がいいらしい」などという情報交換が盛んに行われていて、口コミも大いに手伝っての「サプリメント商戦」が盛んになっていると言えよう。

 ともかく、医者の言うことが正しいとは言えない面もあるし、商売敵とも言えるので、どちらが正しいとは言い切れないかも知れないのだが、日本の現状の「サプリメント騒ぎ」は、ひょっとしたら「無用の長物」なのかも知れないと私は思っているのだが、皆さんにとって生活費の余裕や医療以外の自己治癒を目指す思いでの「投資」としての「サプリメント」だとすれば、できる限り、「趣味」の領域の範囲でとどめておいた方が賢明だと言わざるを得ないのである。

 サプリメントは、効くと思う人には効くし、効かないと思う人には効かないのだから。(笑い)
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環太平洋経済連携協定。

2011年10月18日 | 日本の課題
 菅前首相時代から、よくメディアを通して見聞きする「TPP」、すなわち「環太平洋経済連携協定」への参加を検討する課題が話題となっていて、特に野田政権誕生後、初訪問したアメリカでオバマ米国大統領と会談し、沖縄の普天間基地移転先としての名護市辺野古海上沖埋め立て飛行場基地建設の件と共に、このTTP問題が来月のASEAN首脳国会議までに結論をとの要望に対して、政府、与党内での議論と賛否両論が激突し、いまや「TTPおばけ」などと揶揄される難問題として浮上している。

 過去にも日本の国際貿易に関する関税や貿易協定の改定や新たなルールづくりにおいて、各企業だけでなく関係団体が反対の大きな渦を国会や政府、各省庁に向けて発信し、何とかその業界の先行きに対しての不安や危機を回避しようとしての動きがあって、政府関係だけでなく多くの地元からの意見も踏まえた国会議員たちが右往左往したことはあったが、今回のTTPおばけに対する賛否は真っ向から対立し、来月中旬までの結論という方針が全うされるか否かは非常に微妙な段階にあると言っていい。

 とにかく、大げさに言えば幕末の「黒船」の襲来に端を発する「開国か鎖国か」の選択を迫られている時期の如く、今後の日本の世界市場における経済、すなわち貿易を中心とする収支や国民総生産GNPにも直接関わる大問題だとして、多くのメディアで連日、評論家、政治家、コメンテーター、業界団体代表などを巻き囲んでの大騒ぎが続いているのである。

 私は結論から言うと、賛成だとか反対だとかという次元ではないが、現代の国際的物流、人の交流、経済の国際化、インターネットによる情報伝達の即時的時代にあって、日本と言う国だけが「私はいやです」とでも言う様な態度や「知らん振り」は出来ないのは自明の理ではないかと思っている。

 すなわち、当座の大きな課題と思われる諸問題への危惧は大きいと仮想できる業界、特に農業、医療、労働力、金融、公共事業などが、マイナスのイメージを抱かざるを得ない様だが、鎖国に近い状態で、日本の農業を守ることも出来ないし、医療、福祉、エネルギーなどの問題も、将来的に考えれば国際化なしには改善されたり発展するとは、どうしても考えにくいのである。

 つまり、地球上の70億人にも及ぶ世界各国、地域の住民が、願わくば格差や貧困のない幸せな暮らしが理想なのだが、現状としては世界の各国が、「自国の利益」を最優先した政策や要望を国際的議論の場に提出していて、特に経済大国として今だ世界各国の中でGDP世界一を誇るアメリカ合衆国が、この「環太平洋経済連携協定」に対して、「日米同盟?」とまで言われている、アメリカの属州だと揶揄される面のある日本が、中国にも実質抜かれたGDP3位の立場としては苦渋の選択を迫られており、TTP、環太平洋経済連携協定への加入の動きを今回避することは困難だと思われる。

 確かに、当座は農業問題だけではなく、医療、労働、金融、公共事業など、この協定の24分野と言われる各業種や業界において、新たな外国、特にアメリカのスタンダードや要望、基準やルールを受け入れる方向性があるのだが、そこは日本人、日本の特殊性、日本独自の優秀さをアッピールしての戦いとでも言うべき、選択肢を政府が明確にして、よーく吟味してもらって、消費者だけでなく、それらを受け入れる業種、団体、企業が主張しなければならないのではないか。

 つまり、農業分野を例にとって言えば、特に「お米」の関税がなくなれば、日本米の1/3から1/4の価格でアメリカ産や東南アジアの諸国で作られた米が輸入されて、すぐさま日本の全家庭の食卓にのぼるかの様に伝える向きもあるが、決してそうではないのではないだろうか。

 食品、特に加工された商品はともかくとして、純粋な意味での「農産物」においては、安全性と美味しさが最優先に求められるのだが、この重要な二点において群を抜いて、日本各地で奮闘されている農業事業者の伝統的手法と環境的な「米づくり」の適合性、水と空気と太陽と土壌、それに優れた種籾があって生産される「米」が、輸送コストを負担しても安価だからと言って、全ての市場を占拠するとは考えられないと思うし、全ては経済論理だけではないのではないだろうか。

 確かに、農業に関しては農業者の平均年齢が60歳を超えていて、しかも新規に農業へ参入するためのハードルが高い、すなわち従来からの農業、農地、農協などの制度や構造が、当然現状の農業を大きく疲弊させていて、若い人たちにとってだけではないが、「農」への関心や興味、または仕事としての「魅力」を欠く状況を作り出している事実があり、そうした既存の問題点を改めて、改革するチャンス、きっかけを私はTTPが与えてくれたとさえ思っているのである。

 既存の業界団体や組織が、いわゆる「外圧」なしに改革への方向性を見出せれば一番幸いなのだけれど、長い伝統?と既存の価値観の上に胡坐をかいている現実に、当事者やふるい体質を守っている関係者がなかなか気づかず、こうした「外圧」に屈しないという点だけで「反対」を叫んでいるとすれば、地球上の全ての人たちの幸せと健康な生活を求める視点からすると、アメリカ合衆国という巨大な資本主義の経済帝国の意のままに従うのではなく、自らのしっかりとして議論と共に、日本だけの我がままを通すのではない、よりよい選択をTTPをはじめとする世界的視野の経済だけではない協力、協議に参加して行くべきだと考える。
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嘘、偽り、戯言、虚栄心。

2011年10月16日 | 感じたこと
 今夕、京都市内で私が学生時代に出会って以来、40数年友人だった一人の男性が亡くなったことを知って、大学時代の友人と相談して、故人を偲ぶささやかな夕食会を催すこととなって、ご遺族をふくめて10人ほどが集まった。

 夏の終わりに友人からTさんが6月に亡くなったことを知らされて、当然お通夜や告別式には参列できなかったこともあったので、せめていろいろとお世話になったり、思い出話も気軽に話し合える「偲ぶ会」などと仰々しいものではないが、会食を残されたご家族と共にしようということとなったのである。

 私の場合、亡くなった彼とは19の春に東京の下町で突然出会ったことがきっかけで、それ以来いろんな仕事や活動を通じて、行き来をしたわけではないのだが、エールを送られたり、時には突然ひょっこりとやってきては、彼特有の視点からの指摘やおしゃべりをして帰るという御仁だったが、非常にテレやさんでもあったが、人なつっこいとでも言うべき憎めない人柄で、長年のお付き合いとなったと思っている。

 出会った頃から彼自身は大変まめな男で、何かにつけてはがきや手紙を記したりすることにマメで、生涯に四冊の自叙伝とでも言うべき自費出版に近い出版物を刊行し、その都度一冊を私如き友人にも丁寧に贈呈本として送付してくれており、その書物に目を通せば、彼の生い立ちから東京、京都を中心とした交友関係や問題意識、家庭生活、奥さんや子供さんたちとの夫、父親としての関わりまで、ご自分の思いで記されているので、よく分かっているつもりであった。

 しかし、今日ご結婚される前から少しは知っていた奥様を除いては、二女、一男のお子さんたちには初めて直接出会ったこともあって、我々が出会ったきっかけや、それからの各種様々な彼とのエピソードや思い出が語られて、故人となった彼が家庭人としてどうだったかやお子さんたちにとっての「父親」としてはどうだったのかをも含めて、ザックバランに語っていただいたのであった。

 人は「外面」と「家庭での姿」が全く同じと思われる人もいるが、彼の場合はお子さんたちの口からの証言では、いわゆる「外面」はいいが、家庭では無口で、いつも好きなお酒を飲んでは炬燵で寝ていたり、仕事のない日は日中でも子どもが学校から帰宅すると酒を飲んで寝転んでいる父親像しか浮かばなかったらしく、父親が亡くなってから、生前の出会いや仕事を通じて関わりのあった人たち、友人、知人から亡くなった父親の全く知らなかった別の姿やおしゃべりを聞かされて驚くやら、自分たちの知らない父親像が初めて見えてきたと異口同音にご子息たちは語られたのであった。

 たまたま別の話題なのだが、私がここ二年足らずだが懇意にしていただいているご年配の奥さんが、昨日ちょっとしたお茶のみ話に語っておられたことと重なるが、そのご婦人の言葉によれば、多くの他人様の話の中には、たくさんの「嘘や偽り」があって、自分の存在や姿、人生、生き方、価値観に及んでも、自己演出したりされている場合がほとんどだと感じておられる様で、自分がありのままの生活や感じていることを語っても、その方々は「たぶん自分と同じ様に嘘か偽りだろう」と思われるみたいだと言われるのであった。

 つまり、多くの人たちは他人と出会った機会にいろんな話をするのだが、なかなか本音と言うべきか、正直な思いや現状を語ることなく、当然の如く「演出した自分」や少しでも「かっこいい自分」、あるいは「上等な自分」を語っているらしく、それが彼女にとっては「嘘であったり、虚栄心であったり」するのではないかと思われているらしいのであった。

 さて、私たちの日常生活において、皆さんもいろんなケース、出会い、友人、知人との関係をお持ちだと思うのだが、決して故人に鞭打つわけではないのだが、亡くなった彼を偲びながら、「外面、内面」の話を聞いていると、やはり人間は意識しなくても多少の自己演出や嘘や虚栄心のなせるわざかも知れないが偽りを語ったり、見せたくなる動物になってしまう性を持っていると言えよう。

 誰も悪気や人を陥れようとか騙そうとか思っているわけではないが、自分が一番大切であり、かわいい存在なのだろうと思われるのであって、いくら自分なんかと劣等感や人より劣っていると感じる面があったとしても、他人様に対しては少しでもよく見てほしいと、無意識に願い、意図的ではないがちょっとした嘘や装飾を自らの言葉や生き方、他人との接し方の中で演出してしまう生き物だろうと思うのであった。

 今回集った友人の中には、自分ほど自分をさらけ出して嘘偽りなく生きているものはいないと語っている男もいたが、失礼ながらそんな彼とて、無意識に自分を守るために触れてはほしくない話題や言葉があるのではないかと私は感じていて、決して脳裏に咄嗟に浮かんだ言葉もあったが、彼に対しては絶対に語らないという感じの対応をしている自分がいて、これは結局私自身も自分を最終的には守るための自衛策としての本能的対応なのだろうと、自問自答している自分がいたことは明らかであった。

 公人、私人などと世の政治家や著名人の一挙手一投足に関して、特にマスコミは報道したりしている様だが、果たして「真実を伝える」という使命を感じてはいるだろうが、実際のところは「真実」を伝えているとは言い難い記事や情報が多いのではないかという疑問や現実に、多く接する特に昨今だと思うのだが、人間の「嘘、偽り、虚栄心」などはなくならない「性」なのだから、いくら取材を繰り返したり「裏をとったり」したとしても、正確かつ真実な事実が見えて来ないという現実があるのではないかと、特に最近感じている私である。

 まったく関連性のない話題と思われる方々もおられると思うが、人間と言う生き物の性として「ショウガナイ」では済まされない面もあるが、人それぞれ思いは違うし、感じ方も違うのが当たり前なのではないだろうか。
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指揮官の去就。

2011年10月14日 | プロスポーツ
 プロ野球のレギュラーシーズンもようやく大詰めを迎え、パリーグのソフトバンクホークスについで、セリーグはヤクルトを最後に突き落として、中日ドラゴンズがリーグ制覇の栄冠に輝きそうである。

 今年度は東日本大震災の未曾有の被害を鑑みて、プロ野球も日程を大幅に遅らせて、3月25日開幕を二週間以上経った4月12日にしたためもあって、各球団とも10月に入っての過密日程をこなしつつ、クライマックスシリーズとやらの日本シリーズへの出場権を決める第一ステージと第二ステージが行われる10月下旬に向けて、最後の戦いを挑んでいるという状況である。

 今年は統一球の採用と公式審判のセパ統一というプロ野球界にとっては、初めての試みもあって、いつものシーズンとは異なった感の試合運びや展開も多く、そこへ東日本大震災の影響での電力不足が懸念されるというので、試合時間も3時間半を超えては新しいイニングには入らないとの特別ルールが定められたためもあって、引き分け試合が大変増加し、ヤクルトに及んでは引き分けが15ゲームもあるといった状態であるだけでなく、テレビでの試合の生中継が地上波では極端に減少し、大きくプロ野球のあり方も変わらざるを得ないターニングポイントとなったといってもいい今年ではなかっただろうか。

 そんな現状の中、セリーグの人気球団である阪神タイガースの真弓明信監督の去就が突然報道され、阪神がクライマックスシリーズに進出できなければ、来年までの二年契約にも関わらず、監督を解任するといったニュースが伝わってファンを中心に驚きと共に賛否両論の意見が寄せられているという。

 そもそもプロ野球だけではなく、プロスポーツと言われるサッカー、相撲、野球は当然だが、実業団やセミプロと称される場合もある、リーグ戦を戦っているバレーボール、バスケットボール、ラグビーなどにおいても、そのチームを束ねて指揮する「監督またはコーチ」の仕事は、成績と共にスポンサー企業、オーナーである首脳陣のお気に召さなければ就任は当然だが、継続して指導、指揮を執ることは困難なのは当たり前である。

 特に相撲は個人技での番付の上下はあっても部屋の親方たちが成績不振で解雇されたり辞任することはほとんどないといってもいいが、プロ野球やJリーグを戦うプロ球団にとっては、成績の良し悪しと共にファンの支持、すなわち観客動員数などり顕著な営業的側面も含む経営陣の判断が大きく左右するのは当然だといえばそうである。

 阪神タイガースは21世紀に入っては、野村監督三年、星野監督二年、岡田監督五年と及んで真弓監督にバトンタッチされたわけだが、星野監督の2年目の2003年と岡田監督の2年目である2005年にはセリーグ優勝を果たしたものの、真弓監督は初年度4位だったが、昨年最後まで中日と優勝を争ったものの最後に力尽きて2位に終わり、今年は優勝を期待されたにも関わらず前半戦から低迷し夏場に盛り返したものの、再び9月には低迷し、遂に先日の巨人三連戦での連夜の逆転サヨナラ敗戦と言うファンにとっても諦められない敗戦が続いて、「もう今年は終わった!」と思わせる戦いぶりであった。

 真弓明信監督だけの責任とは言えない面もあるとは思うが、やはりプロスポーツは「勝ってファンを喜ばしてナンボ」の世界であり、今回の終盤戦での低迷と期待はずれは、ファンにとっては言い難いショックであったことは間違いなく、球団幹部も「CS出場を逃したら解任!」という決断をしたものだと思われる。

 終盤戦の中で、大阪ドームでのヤクルト三連戦には3連勝した阪神タイガースではあったが、観客動員数ではなんと2万人を下回るという、甲子園では考えられない減少傾向が顕著に現れたことからもわかる様に、阪神ファンのみならず、プロスポーツファンの多くは、「強いチーム」、「魅力ある選手集団」を常に望んでいるので、こうした現象はただの偶然ではなく、ファンに「そっぽを向かれた」、現象が現れたと球団幹部は見たのだろうと推察できるのである。

 一方、今日にもセリーグ優勝を決定するであろう中日ドラゴンズにあっては、昨年と今年とセリーグ連覇という球団にとっては初の快挙を成し遂げるといったチーム成績にも関わらず、早くも球団は落合博満監督の解任を決定していて、球界に波紋を投げかけたのだが、プロ野球ファンとしても何故か納得してしまう決定であり、たぶん勝っても観客動員の増加には繋がらない様子の監督のイメージと、その表情や動向であり、簡単に言えば「面白くもなんともない」といった監督であり、エンターテーメントすなわち興業面での「楽しさ」や「喜び」を感じさせない、ただの勝負師ではダメなのである。

 最近何かにつけて話題の女子サッカー日本代表の「なでしこジャパン」を率いる佐々木監督についしては、常に笑顔であり「おじさんギャグ」や日常生活での夫唱婦随ぶりも含めて、人間的な魅力と共にチームを束ねてワールドカップを制覇し、ロンドン五輪の出場権を決める予選でも勝利し、来年のロンドンオリンピックの終了までは指揮を執るという契約延長が決まったというから、やはりプロスポーツは結果と共に人気、ファンの支持など、多方面からの評価がなければ「監督業」は勤まらないものなのであると言えよう。゛
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パレスチナ問題

2011年10月13日 | イベント
テレビを通して、あらゆるジャンルの専門家と称する人たちが連日連夜のニュースや出来事に際して登場し、こんな専門家なんて聞いたことがないといった類の可笑しな「○○評論家」や「専門家の●●さん」などがともかくひっきりなしに出演しているのが現在の日本のテレビ業界だといっても過言ではないだろう。

 そんな現状とはいえ、昨夜の朝日放送テレビの「池上彰が伝える世界」という番組では、世界情勢から日本の未来を考えると題して、北朝鮮の現状、アラブの春のその後、そしてパレスチナの現状、中国共産党の一党独裁などのテーマについての現況と解説を、元NHKの「子どもニュース」の担当者であった池上彰氏が、分かりやすく解説する専門家として登場し、スタジオにいるタレントさんたちと一緒に我々一般の視聴者に対して語りかけておられた。

 私だけではあるまいと思うのだが、日本と言う国に生まれ育った多くの視聴者にとって、世界情勢や世界の政治や経済の力学というのはなかなか理解しがたい問題を孕んでいる場合が多いのだが、今回のテーマのうちで一番面白く、またわかりやすく感じたのが、アラブの春と言われたアフリカ北部の独裁国家の民主化運動のその後に連動した「パレスチナ問題」であった。

 中東のイスラエルという国の中に占拠した様な形で数々のパレスチナ難民?居住区があり、なぜにユダヤ人たちがパレスチナ人と称するアラブ人たちを抑圧したり追い出そうとしているのかが、私たち極東のニッポンという島国に住む国民には非常に分かりにくいことではなかっただろうか。

 つまり、池上彰氏の解説説明によれば、第二次世界大戦におけるドイツヒットラー帝国が、ユダヤ人の一掃を期して、アウシュビッツに代表される強制収容所などにあらゆるユダヤ人を幽閉し、そのうちの多くの人たちを毒ガスなどにより殺戮したという、悲惨な歴史は知ってはいるが、そのヨーロッパ各地にいたユダヤ人たちが、かつての自分たちの祖先が住んでいたといわれる、現在の中東の地中海の東端の地域のアラブ人たちが住んでいた地域に集団的に移動し、戦後「イスラエル」という国を建国してしまったことに始まるのである。

 現在イスラエルに住むユダヤ人は、約500数十万人なのだが、彼らの強制的な移動進入によって、住む場所を一方的に追われたアラブ人たちが「パレスチナ難民」と称されて、イスラエルの中のガザ地区をはじめとする限られた地域に集団的に住むことを余儀なくされているというのが、そもそものパレスチナ問題の起因なのだというのである。

 今春に次々と連動して起きている「アラブの春」と称する、アラブ人たちの民主化運動の波は、現在アフリカ北部だけでなく、中東へと影響が拡大しつつあり、イスラエルにあるパレスチナ自治区のアッバス議長は、パレスチナ国民の大きな願いを、国連への「正式な国」として参加することを求めるという行動に出て、国連議長に正式に要求したことで、全世界が注目しているのである。

 そこで、国連の重要な決定を担う世界中の国々のうちで、常任理事国と称されるアメリカ、イギリス、フランス、ロシア、中国という五つの国々が、この「パレスチナ」を正式に国として認めて「国連に参加」させるかどうかの鍵を握っているのだが、現在アメリカ合衆国が「拒否権」を発動して、これに反対するかも知れないとの憶測が主流となっているのである。

 つまり、アメリカ合衆国のオバマ大統領は、国際的な人権問題としては、パレスチナ難民の現状を是正するためには「国連に正式な国として加盟させる」という思いを一年前には抱いていて演説でも明言していたのに、ここに来て来年の大統領選挙での自分の再選へ、アメリカ国内に住むイスラエルの人口に匹敵するほどの500数十万人のユダヤ人と、その関係する企業からの多額の政治献金などへの影響もあって、現在はパレスチナの国連加盟の正式決定を回避したいとの憶測がたっているのである。

 つまり、国際的な人権問題を優先するよりも、自分の地位の保全、すなわち大統領への再選の可能性への厳しい選挙戦を如何に優位にするかの方が勝っているらしく、アラブの春と言われた北部アフリカの諸国での民主化運動の流れの数々も、多くは石油利権を中心としたアメリカやヨーロッパ諸国の思いや、ロシア、中国などの大国のエゴが後押しするか否かで、行方が決まると言うほどなのである。

 世界中の大きな経済の流れは、一政治家、大統領の思いだけではなく、世界の大財閥であるロスチャイルド財閥を率いるユダヤ民族の意向如何によって左右されるといっても過言ではないほど、世界経済の舵取りは難しく複雑な背景があるたいなのである。
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