ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

薬よりも食事。

2008年05月31日 | 日本の課題
 今日も週末移動販売の「有機八百屋」で朝から車を走らせて、お客様の玄関先にお邪魔して、商売というよりもおしゃべりに時間を費やして、少し仕事をしながらの一日を終えた。

 途中、最近寄る隣町の薬屋さんでは、いつものニコニコおばさんが、電話相談やら来客者に薬用か食用かどちらが目的かわからないが、「体にいい」飲み物を振舞いながらおしゃべりの真っ最中であった。

 私は先客万来の店先で、少し遠慮しながら話を耳にしていたのだが、お子さんのアレルギー気味の症状を訴えられているオカァサンに対して、薬剤師のおばさんが漢方や自然療法の立場からの薬効効果のある薬や飲み物を勧めておられ、そのお母さんも化学薬品の詰まった「お薬」ではないお勧めの品を買って帰られたのである。

 その店先に、「あなたの食の安全は?」と題する「添加物テスト」なるものが置いてあったので、私はそれを見ながら、「お薬より、安全かつ自然な食事がなにより」と自問自答しながら、テストの質問に目をやっていた。

 ①スーパー、コンビニ、デパートなどの弁当、お惣菜を利用しますか。

 ②加工食品が数種類並んでいたら、少しでも値段の安いものを選ぶか。

 ③食品を買うとき、パーッケージの裏側(原料表示)を見るか。

 ④手軽で便利な顆粒の「だし」と、自分で作った「だし」のどちらをよく使うか。
 ⑤市販のめんつゆやドレッシングをよく使うか。

 ⑥調理の際、化学調味料をよく使うか。

 ⑦スナック菓子をよく食べるか。

 ⑧ハム、ソーセージ、ベーコンなどをよく食べるか。

 ⑨インスタントラーメンをよく食べるか。

 ⑩ファーストフード、ファミレスよく利用するか。

 こんな設問だったが、Aよく,3点。Bふつう,1点。Cあまり,0点の三段階で採点してみて、10点以上は要注意!という簡単テストであったが、ほとんどの人が知らずに「添加物」をたくさん食べていて、自分の食べている食品のことを知らないことがわかりました。

 例として、あのコーヒーなどに入れるフレッシュと称する「ミルク」が、水とサラダ油と添加物、香料だけで出来ているから、常温で何日放置しても腐らないことや、キレイに見える「お弁当」や「おにぎり」に添加物や着色料がたくさん使われていることなど、気にならないのでしょう。

 年間に多い人は、ひとり当たり10キロ以上の添加物を口に運んでいて、どうにもならないなんて不思議はありません。

 今の日本人は普通でも推定年間、3,4キロの添加物を摂取しているわけですから、まず食生活を見直すことが先決で、症状に対する対症療法も必要でしょうが、根本的な食事の改善、改良が必要なのです。

 遊びや車や趣味、お洒落にはお金を費やす人たちも、自分自身の健康の源である、「安全な食生活」にお金を少しかけてでも改良する価値観が大切です。
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日本の外交は不可解!!!

2008年05月29日 | 日本の課題
 何と、中国四川の大地震の救援に、日本の自衛隊機が中国本土に向かうという可能性が報道されている。

 大地震の救援に関しては、ミャンマーのサイクロン被災地に対する日本の救援部隊がミャンマー軍事政権の面子と国情を知られたくないという意図から拒否され、72時間のいのちの救援のタイムリミット過ぎてから承諾が出たが、結局ひとりの命も救出できなかった上、今頃になって医療チームの派遣が決定されたりと、相手方の受け入れの問題はあるものの、日本政府の対応にも甘さと危機管理的行動力が欠如していると言えるのではないだろうか。

 中国四川の大地震は未だ行方不明者が大量にいると見られる中、生存者の生活復興に当たっての救援物資の輸送に中国政府も困っているとは言え、何故に日本の軍隊である自衛隊機の派遣許可の検討となっているのか見当がつかない。

 現地周辺の人民感情からしても、第二次世界大戦の日中戦の際は、重慶は日本軍が侵攻しての激戦地となっていたので、特にご年配の現地の中国人にとっても「複雑な思い」であろう。

 それにしても、日本政府が国際援助法に基づいて、救援物資を輸送したり救援豚や医療チームを派遣するのは望ましいが、民間機のチャーターで行うのが国民感情からしても妥当ではないだろうか。

 ミャンマーへの医療支援部隊は民間機で行くのに、何故に中国四川地域には自衛隊機で行かねばならないのか、はなはだ疑問である。

 中国政府も何故に諸外国の軍隊による支援も拒まずとの姿勢を示したのかがわからないが、日本政府はいくら災害復興支援だとしても、他国への自衛隊の出動や協力は控えるべきで、民間による国際援助や支援に徹するべきだと思うのである。

 一方、今朝の報道によると、何と「クラスター爆弾の全面禁止条約」に対して、日本は未だ態度を保留しているというのである。

 不発弾被害の深刻なクラスター爆弾の全面禁止を非政府組織や米、露、中を除く約四十カ国が「オスロプロセス」に合意して、明日には条約案が採決されて、12月上旬に各国が批准、署名して発効する予定だ。

 それなのに、唯一の被爆国ニッポンの態度は、未だ「賛否」を明言せずという、恥ずかしい対応の状態である。

 町村官房長官は、「今審議中で、詳細は聞いていない」と語っているらしいし、高村外務大臣も「首相の意思もあるので、日本としては積極的に貢献し、良いコンセンサスを得られるようにしたい」と言いつつも、アメリカのご都合やご意見を伺っているに過ぎない。

 日本の平和への貢献や国際的な援助活動を見ていると、いつも「お金」を拠出はするが、本当に大切な支援や国際的にリーダーシップを取るような積極的な行動が見受けられない。

 いつも後手、後手の上で、米、中、露などの大国の出方、様子を鑑みながらの追従的姿勢しかなく、平和と環境に寄与する積極的外交を示してほしいものである。
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かあさんの下駄

2008年05月28日 | ガリバー旅行記
 皆さん、「かあさんの下駄」という曲をご存知だろうか。

 実は、私が70年代に音楽事務所をやっていた頃にマネージメントしていた一人の歌手、といっても当時は俳優としての活躍の方が有名だったかもしれない「中村ブン」というアーチストの自作自演の作品として、79年に発売したシングルレコードであった。

 今日の毎日新聞の夕刊の芸能欄の「私の3枚」というコーナーに、音楽評論家の伊藤強氏が、シングルの②に「中村ブン/かあさんの下駄」(テイチク、1200円)として紹介されていて、①の「堺正章/忘れもの」と並んでいるのを発見して大変喜んでいるのである。

 「中村ブン・かあさんの下駄」は、長年、独自の活動を続けてきた作者の作品。
幼いころ、小遣いをためて母親にプレゼントした下駄の思い出がテーマ。話は古いが、それなりに涙もの。とコメントされていたのである。

 中村ブンちゃん、と言っても、いまやいい大人の小さなおっさんなのだが、当時は俳優として「柔道一直線」や「太陽にほえろ」にも出演していて、宇津井健さん主演の「たんぽシリーズ」にも必ず出ていた、小さくて目と口が大きくて色黒の俳優さんだったのである。

 その当時、フォークソングやニューミュージックと呼ばれる若者中心の音楽シーンの中で、小さな音楽事務所をやっていた私は、とある時にワーナーパイオニアのディレクターから「中村俊男」という、後の「中村ブン」を紹介されて、彼の素朴で日本人の心を語る歌に感動して、自分の事務所である「ゼロ音楽出版」でマネージメントを始めたのである。

 「自転車にのって」「花泥棒」「冬」などの名曲を次々と発表し、LPレコード一枚とシングルレコード三枚を出したのだが、私がマネージメントとして関わった最後の曲が、この「かあさんの下駄」だったのである。

 授業参観やPTAにも男物の鼻緒の下駄を履いてくる母親に、彼は見かねて毎日もらう弁当代のおつり銭の五円玉をタコ糸に通して貯めて、ある日「赤い鼻緒の下駄」を買って母親にプレゼントするのだが、母親はどっかから盗んできたと思って怒るのである。

 しかし、彼が必死で「そうじゃないんだ」と説明したら、内職していた母親の目から大粒の涙が新聞紙の上に落ちた、という概略の歌詞なのである。

 当時、この歌を酒屋の配達の途中に車のラジオで偶然聞いた、私の友人は涙が止まらなくなり、踏切を渡ったところで、自動車を停めて聞き入ったというエピソードも後に聞いてびっくりしたことがあった。

 その名曲「かあさんの下駄」が約30年ぶりにCDとして、昨年11月に再発売され、今注目を集めるシングルとして評判になってきているというのである。

 とっても嬉しいことであり、皆さんにも機会があれば、ぜひ聞いていただきたいし、出来れば買っていただきたいと思うのである。

 忘れかけていた日本人の優しい気持ち、貧しくても暖かな親子愛が感じられる秀作である。

 「中村ブン」の「かあさんの下駄」をよろしく。
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夫の悲哀!!!

2008年05月27日 | 季節の話題
毎年、五月に発表される「サラリーマン川柳」に、シュールな笑いや現実を突きつけられるサラリーマンやご主人たちが多いことだろう。

 今年のベストテンもなかなかの秀作揃いであった。

 私のお気に入りのベストワンは、携帯メール華やかな時代の中にあって、ぎこちなくメールをしているお父さんの風情が浮かぶのだが、少し怖い長年連れ添った妻に、出先からの「帰るメール」を打つお父さんも多かろう。

 「今帰る」妻から返信「まだいいよ」えむサンの作品であり、第二位となっている。

 一位は、あのギャル語からの流行語にもなっている「KY」にちなんだ作品で、「空気読め!!」それより部下の気持ち読め。のりちゃんの作品だが、私はほとんど部下だとか平社員だとかいった大きな会社や組織で仕事をしたことがないので、どうもピンと来ないが、若いサラリーマンには切実な訴えかもしれない。

 第三位は、減っていく・・・ボーナス、年金、髪、愛情。でピュアレディさんの作品であった。

 私の好きな作品としては、もうひとつ第四位にランクされていた「円満は、見ざる、言わざる、逆らわず」であり、これも中高年のお父さんたちの偽らざる本心が見えて、ほんとにほほえましいと言うべきか、涙ぐましい限りである。

 五位以下は次の通りであった。

 ⑤ ゴミ出し日 すてにいかねば すてられる。 読み人知らず
 
 ⑥ 「好きです」とアドレス間違え、母さんに。 蒼空

 ⑦ 国民の年金、損なの関係ねぇ。       官僚

 ⑧ 社長より 現場を良く知る アルバイト。  ゴッドマウンテン

 ⑨ 赤字だぞ あんたが辞めれば すぐ黒字。  はぐれ鳥

 ⑩「いつ買った?」返事はいつも「安かった」  騙されない夫

 と続いていて、どれもほんとに良くサラリーマンや夫たる者の悲哀が浮かび上がってくる秀作揃いである。

 今年の作品の中では、ベストテンからは外れたが、

 「忘れても、忘れたことに 気づかない」もの忘れパパ

 「安い値のガソリン探して遠出する」などの現実的作品もあって、暫しほくそ笑んだり、感心したりさせていただき、ありがとう。

 他人様の作品ではあるが、毎年楽しませてくれる、この第一生命の「サラリーマン川柳」は、世の流行や変遷の中でも、奮闘するお父さんたちの悲哀と現実を、五七五の短い言葉遊びで語ってくれているので、心から喜びたいと思う。


 私も最期に一句「パソコンに 向かって仕事 してるフリ」。

 市役所でも、会社でも、課程でも、世のお父さんたちに多い風情ではないだろうか。
 
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チェ・ゲバラの娘。

2008年05月26日 | ガリバー旅行記
 国境や国籍にとらわれない平等主義者だったチェ・ゲバラが亡くなって40年以上が経ち、その娘である「アレイダ・ゲバラ」さんが現在来日していて、全国各地で講演活動と共にキューバと日本の平和の橋を架けようとしている。

 1960年代の日本の学生たちにとって、チェ・ゲバラは、キューバ革命の英雄的活動家で、政治や変革に興味のない若者までもが、「ゲバラ」の名を語るほど有名な革命指導者である。

 ゲバラは、ラテンアメリカ諸国での反政府活動を行う中で、フィデル・カストロと出会って、キューバ革命に参画し、革命軍の指導者として勝利に貢献したのだが、その後ボリビアでの活動中に、政府軍に捕らえられて、1967年10月9日に銃殺されたのだが、今もチェ・ゲバラの理念がラテン・アメリカの人民の精神的礎となっている。

 その娘、アレイダ・ゲバラさんは、7歳で父を亡くしたのだが、父と同じく医師ととなり、現在は小児科医をしている女性である。

 現在は、キューバの親善大使を務めながら、全世界を飛び回って、国境なき平和と共に、子供たちの医療活動も行っている。

 彼女の日本講演では、必ず「広島の原爆」の話が登場するらしく、父ゲバラが日本の広島と原爆については多くを語っていたらしいのである。

去る五月二十日に大阪府立青少年会館でキューバ・ジャパンフェスタが開催されたのだが、平日のために私は参加できなかったが、私の古き友人たちの中には、「ゲバラ」と聞いて、若き青春時代を思い起こして参加した者もいたのである。

 キューバという国については、ゲバラとカストロの国であり、アメリカ帝国主義に反旗を翻し続けている共産国として知られてはいるが、都市の野菜自給率が100パーセントとか、医療は予防医学を中心として、学校教育や福祉も全て国家が責任を持つ形で、無料であり、歌と踊りをこよなく愛する国民性であり、国内中ヒッチハイクを交通手段として使う国としても有名である。

 キューバの人々は、勤勉な私たち日本人に尊敬の念を抱いてくれており、さらに八月六日に広島。長崎の原爆慰霊祭を行ってくれていることをご存知でしたか。

 ただ「ゲバラ」という今は亡き偶像を崇拝するのではなく、現実的な国家としてのキューバを少しでも知って、日本に足らない政策や情熱を参考にして、今後のキューバと日本の友好活動を、このゲバラの娘の来日を期に、再び大切にしようではありませんか。

 音楽・ダンス・野球だけではないキューバの新しい顔は、食糧危機が近いとまで言われている現在の地球上にあって、市民の食糧を都市の至るところの畑で、無農薬で栽培しているという国でもあり、食の安全、地産地消、省エネ、農的生活、スローライフ、コミュニティづくり、持続可能な社会へのヒントに満ちた国だと言えます。
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相撲は国際大会。

2008年05月25日 | プロスポーツ
 大相撲夏場所で、久々のモンゴル出身力士以外の優勝力士が誕生した。

 ここ数場所は、朝青龍か白鵬の横綱になった二人のモンゴル人のどちらかが優勝する場所が続いていて、少し新鮮味に欠けていた日本の大相撲に、久々の若きヒーローとして大関「琴欧州」がぶっちぎりの14勝1敗での幕内最高優勝を飾った。

 どうも日本の国技だと言われる大相撲だが、どうしてもモンゴル出身力士のオンパレードで、少し嫌気というべきか食傷気味な感が否めなかった、最近の相撲界だったが、あの朝青龍事件以来、益々人気も低下気味だったところに救いの神とでも言うべき、新しいヒーローが誕生したわけである。

 残念ながら日本人ではなくて、ブルガリアからやって来て五年9ケ月の美青年、カロヤン・ステファノフ・マハリャシャフ、25歳がなんとなく時津風部屋暴行事件や朝青龍八百長疑惑など、大相撲界の暗雲を吹き消すようなさわやかな笑顔で、すがすがしく優勝したのである。

 千秋楽の一番でも大関、千代大海を堂々たる四つ相撲で寄り切って勝利して、愛くるしい笑顔で優勝の味をかみ締めていた琴欧州に対して、千秋楽の結びの一番を取った朝青龍と白鵬の横綱対決の相撲は、何と朝青龍の勝利で終わったのだが、突き落として両手をついた白鵬を朝青龍が突くという蛮行を行い、白鵬も突き返すという前代未聞の醜態を土俵上で披露してしまった。

 何とも後味の悪い、モンゴル出身の横綱同士の喧嘩を見せられてしまったために、余計に琴欧州のにこやかで屈託のない笑顔が輝いて見えたのかもしれない。

 優勝を目前にした緊張感からか、十三日目だけは安美錦に完敗した琴欧州だったが、朝青龍と白鵬の両横綱との相撲をはじめ、堂々たる勝ちっぷりであり、来場所の成績如何ではヨーロッパ出身の初の横綱誕生も確実な予感のする相撲内容であった。

 昨年8月に66歳で亡くなった先代の佐渡ヶ嶽親方(元横綱琴桜)に育てられた大関、琴欧州の幕内優勝だが、師匠に見てもらえなかったのは残念だが、大関昇進後の怪我や苦労も乗り越えて、引き継いだ元関脇、琴ノ若の現佐渡ケ嶽親方の指導の下で根気強く肉体改造や稽古に励んで、ついに栄光を手にしたのである。

 ブルガリアから昨日日本に駆けつけたお父さんの国技館での応援に応えての堂々たる優勝であり、新たな日本の大相撲が真の国際的な「SUMO」へと展開することを予期させるような欧州勢初の幕内優勝となった。

 大相撲の番付を改めて眺めても、前頭四枚目までの上位陣18名中に、モンゴル出身力士が7人と欧州出身力士が4人、日本人が7人という状況の中で、次の場所の優勝者も外国人となる確立が大いに高いと予想され、国技などという看板ではなく、「国際SUMO場所」と銘打った方がよさそうな勢いである。

 ともかくすがすがしい国際派の「琴欧州」の優勝おめでとう!!!。

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不審者情報。

2008年05月24日 | 地域の話題
 昨夜のことである。静かな住宅街である私の家のピンポンが珍しく鳴った。

 午後9時半ごろであった。

 二軒となりの若いご主人が「近くで例の事件の不審者によく似た人物が目撃された」との情報が入ったのでご連絡いたします。とのことであった。

 そういえば数日前、大きく報道された大阪府で自転車に乗った主婦が襲われて、12万円入りのバックが奪われ、携帯電話カバーごと一緒に取られた事件が発生した直後に、いつもは子供たちの安全な登下校のためのメール通信に、この事件の犯人と思われる男が、京都府南部に逃亡した模様という警告メールがあったそうである。

 以前にも何度か、幼稚園や小学校に通う子供たちの保護者たちの携帯メールに「不審者情報」なる怪しい人物の出没を告げるメールが来たことがあるらしいが、その後に、その情報が誤報だったとのメールがきたことがあるらしい。

 「狼少年」の話ではないが、昨今の報道される事件や事象を見聞きしている我々にとって、身近に起きる可能性を感じつつも、まさか自分たちの身の回りに近いところに「不審者情報」が来ると、どうしてよいか全くわからないものである。

 確かに「怪しい」と感じる人がひとりでもいたら、それは「不審者情報」となって、周辺の子供たちを持つ保護者たちには、携帯電話メールで「不審者出没」の情報が行渡るのである。

 先日、仕事で宇治市のとあるマンションの前の空き地で、そのマンションの住人である子連れの二家族と話していると、近くの少し年配のおばさんが近づいてきて、近くの植え込みの端に腰をかけて座っている「おじさん」のことわ、若い二人のおかぁさんに「あの人注意しいや」と告げにきたのである。

 あまり深い理由や因果関係は知る由もないのだが、間違いなく指をさして「不審な男」を断定していたのである。

 たぶん、そのおじさんがお酒を飲んでいることが多く、近くをぶらぶらしているらしいので、特別な事件に成ったわけでもなさそうなのだが、そのおばさんが警告を発していたのである。

 ことの真相や、可能性については簡単に判断はできないのだが、その周辺地域で一度誰かが「怪しい」または「不審な行動や言動」を目撃したことがきっかけで、
その御仁は、完全に「不審者」「怪しい人」となってしまっている様であった。

 よーく考えてみると、冒頭に記したように、普通の静かな住宅街の一戸、一戸を夜十時前にピンポンして回るだけで、十分「不審者」と間違われる要素はあるわけで、たまたま知った若い人だったので、私自身は全く不審とは感じなかったが、知らない人にとっては「不審者」同様に感じて、家の玄関を開けないかも知れないと思ったのである。

 つまり、「不審者情報」が飛び交うことが多くなった昨今の世の中であるが、果たして、客観的に誰もが不審者として断定できる人なんているのだろうか。

 知らない他人は全て夜間や非日常的空間で出会うと「不審者」と呼ばれても仕方がないような「行動」や「言動」に見えることも多いものである。

 軽はずみな「不審者」情報としての発信や警告は差し控えるべきかも知れないし、もし本当だったとしても、各自が防犯や危機管理には勤めなければならないのは当然である。
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「年金」ってどうなる?

2008年05月22日 | 日本の課題
国会は、六月末の会期切れまで残すところ一ヶ月少々となったが、政府、与党は「道路特定財源」の確保など、彼らにとっての主要法案を再可決してしまったので、現在はもっぱら福田康夫首相も、七月の洞爺湖サミットに向けてのパフォーマンスや調整のための外遊に勤しんでいる風情である。

 「風情」と敢えて記したのは、やっぱり国民不在の、政権維持や自分たちの特権維持、すなわち、次の政局とやらを論じているように見えて、結局は自分自身の議席や立場の継続を目論んでいるとしか思えない面々ばかりが目立っている。

 世の中の一般の労働者や家庭人たちは、目先の経済とでも言うべきか、諸物価の高騰ぶりに一喜一憂しているものの、ほとんどの人々は「政治状況」については、選挙の前後しか関心がないのではないだろうか。

 ここ一年前後、小泉首相の例の「郵政民営化」を主問題として戦われた「総選挙」での自民党の大勝以来、安倍晋三首相、福田康夫首相と、国民・有権者の信任を全く受けないままで、自民党、公明党の連立内閣が続いていて、後期高齢者医療制度をはじめ、年金問題がクローズアップされているものの、議論や改革の行く末は不透明のままである。

 中でも「年金問題」は、社会保険庁のずさんな記録の照合などを目的とした「年金記録特別便」なる確認の手続きも巨額の税金を使ったままで中途半端に消えうせようとしているので、各地域の社会保険関係官庁は、未だに不安を抱いた中高年齢者でいつもいっぱいである。

 中でも最大の不安を感じているのが、定年年齢を前にした団塊の世代や自営業者たちと無年金状態が予想される保険料未払いの人たちである。

 ここに来て、やたら「年金の財源の総税金化」などが議論されだして、全ての基礎年金を税金で賄うためには、消費税を最高18パーセントにまで引き上げなければならないとの予測も語られている。

 とんでもないことである。消費税の値上げによる財源化は、一見平等な負担と思えるかもしれないが、所得や健康などに関わらず、全ての消費財にかかる一律の税金という形で襲ってくるとんでもない増税にほかならない。

 現在の国民年金をベースにした基礎年金というものは、全額受給しても月六万円少々であり、そこから介護保険料や後期高齢者医療保険料など天引きされると食費に充当できるお金がやっとである。

 「年金格差」などと簡単に言うが、年金生活者の中には年額500万円以上の受給者から100万円以下の受給者まで千差万別であり、生活保護費を受給した方が楽という家庭も多くある。

 一方には、厚生年金の月額約23万円強、公務員の共済年金で月額25万円強という方も多く、年額300万円以上の年金受給者が現在は50%以上もいる。

 しかし若者世代の「年金不信」は頂点に達していて、20、30歳代の不信感は、何と87%に達していて、年金制度が間違いなく崩れるのは時間の問題である。

 急遽、年金制度改革だけでも、きっちり議論し改革を断行していただきたいものである。
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キムタク首相誕生か?

2008年05月21日 | テレビマスコミ
日頃、テレビと言えば、ニュース番組か阪神タイガースの野球中継は見るが、TVドラマを観ることは少ない私だが、今回の月9は、何と「キムタクが首相に!なる」という奇想天外な脚本だと聞き、初回と二回目を見てしまった。

 国民的視聴率を稼げる人気タレントとして、今までも木村拓哉主演のドラマは、いつも30%以上の高視聴率を稼いでいたというから、大したものである。

 今回のフジテレビの「月9」と言われるドラマ枠に、春先から「キムタク主演」で、総理大臣になるというドラマが準備されているとの噂は聞いていたが、4月からの番組改編時からのスタートではなく、ゴールデンウイーク後の5月12日からの第一回放送という異例のスタートとなった。

 現在の日本の政治状況とよく似た設定の部分や脚本もあって、昨年春まで一応政治家の端くれをしていた私にとっても、興味深いテーマではあるが、補欠選挙に小学校教師であったキムタクが突然立候補せざるを得なくなった上、僅差での逆転当選を果たすという、あり得ないフィクション的面白さであった。

 第二回は、既に「国会議員」となった35歳の新人「朝倉啓太」議員が、衆議院議員としてのスタートを切り、美人でキャリア経験のある秘書、深津絵里演じる美山理香との二人三脚で歩む、国会王子の顛末が続くのであった。

 しかし、料亭での与党の大物政治家との宴席を予定していながら、議員事務所にやってきた陳情客である、泉谷しげる演ずるおっさんの話に耳を傾け、結局大物政治家たちを待たせた上に、大幅に遅刻し料亭に着いた時には、既に大先生たちは帰ったあとであった。

 しかし、この大物政治家たちが画策したのが、政治不信の頂点に達している現在の政治状況下にあって、スキャンダルで突如辞任を発表した現総理大臣にに変わる次期与党総裁選に、キムタク演ずる朝倉啓太に立候補をとの筋書きになっていたのである。

 政治と言う舞台を、少しでも面白く、テレビ視聴者、市民にとっても楽しい世界の如く演出するには、もってこいの題材かもしれないが、やっぱり唐突過ぎるのか、脇を固める助演陣の役者さんたちにも大物が多いが、視聴率の方は、期待通りではなく、初回も、二回目も23パーセント前後に留まったという。

 伊東四朗演ずる内閣総理大臣の人気は最低で、内閣支持率4パーセントの歴代最悪の状態でのセクハラ疑惑で総理の職を辞任するなんて筋書きは、現在に至る自民党の歴代首相の中にも似た人がいたようにも思うが、中村敦夫、神山繁、寺尾聡、風間杜男らが政界の日本政友党関係を演じ、阿部寛や加藤ローザが深津絵里と共に、キムタクの傍にいる。

 さて次回の第三回以降の展開は知らないが、こうした脚本、演出、キャストでの政治を舞台にしたドラマが、果たしてどれだけの視聴率を稼げるのか、木村拓哉人気と共に、見守りたいものである。

 
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S君の命日。

2008年05月20日 | ガリバー旅行記
 今日は、私の親友のひとりであったS君が、ALSと呼ばれる筋萎縮側索硬化症という難病で亡くなった日であり、私にとっては心重たくもあり、彼を思い出す日でもあるのだ。

 ご存知の方も多いと思うが、この病気は写真にあるように著名な歴史的人物も、この病で倒れて帰らぬ人となったと言われる難病で、発生率は二万五千人に一人という統計があるらしいが、日本にも五、六千人の患者がおられ難病指定されているとは言え、経済的にも家庭的にも大変な苦労をご家族がされている。

 歴史的にはアメリカ・メジャーリーガーだった、ルー・ゲーリック選手が患った病気のために、ルー・ゲーリック病とも称されるが、運動性神経が次々とやられて、病気は早い進行性で、手足の不自由さから、言葉の不自由、そして食べ物の誤えんを起こし、ついには呼吸が自分自身で出来なくなるという難病であり、死に至るケースが多いとされている。

 私の親友であり、明るく元気な青年であったS君が、この難病を発症したのは、友人同士で結婚し、女の子を授かってまもなくの頃、すなわちまだ若い30代の前半であった。

 可愛い女の赤ちゃんがパパのお膝に座って、パパとスキンシップという親子の愛情が一番感じられる頃に、彼は発病していたらしく、しばらくは原因がわからなかったために、可笑しいなと周囲が感じるほど、対応がちぐはぐになっていたのである。

 大学病院に数ヶ月経って診察をしてもらって、このALSと言う名の難病だと判明した以降は、どんどんと病状が進行し、会うたびに体の自由を失って行く様子を見届けるような、つらい出会いが続いた。

 病院を転院したり、違う病院での診察、治療を願ったりと、奥さんはもとより、ご両親はじめ多くの友人たちもお見舞いを繰り返し、出来る限りのサポートを各々がしていたのだが、治療といえる顕著なものはほとんどなかったのではないだろうか。

 亡くなる十日前に私が彼を見舞った時には、既に彼に声はなく、集中治療室での約三十分ほどのお見舞いが、大変心重たかったことを今もはっきりと記憶している。

 というのは、病気で治療のために入院している方々を見舞う場合は、大抵の場合、「早くよくなってほしい」という願いから、声をかけながら励ますものだが、彼の病状、容態は、もう既にそういった状況ではなかったからである。

 集中治療室の扉を開けて消毒をして、お見舞いに入った私も白衣を着て、彼のやせ細った手首に手をやりながら、思いの丈を語っていたのだが、病室を後にする時の「後ろ髪をひかれる」思いは今も鮮明に覚えている。

 それから十日が経っての訃報に、愕然としつつも、それ以来、残された未亡人と幼きお嬢さんを少しでもサポートできる様にと心がけて、早14年が経ったのである。

 ギターやバンジョーを弾いて、フォークソングやカントリーの曲を歌っていた、大好きなS君の面影を思い出しながら、お嬢さんが今春元気に高校生となったこと喜び、彼の冥福と未亡人とお嬢さんの将来の幸せを祈らざるを得ない。
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