ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

「パッチギ!LOVE&PEACE」

2007年05月30日 | とんでもない!
 あの話題の井筒和幸監督の「パッチギ!」から二年経って、感動の新作として、「パッチギ!LOVE&PEACE}を観た。

 実は、前作の評判を見聞きしていたのだが、前作を見る機会がなく、今回の作品は必ずみたいと思っていたら、スマスマの吾郎ちゃんの月一の「映画ベスト5」でベスト1とされていたので、早速レイトショーで観たのである。

 あの毒舌の元ロマンポルノの監督で、「ゲロッパ」ヤ「のど自慢」などの評価の高い作品を世に生み出している井筒監督に、「フラガール」という傑作の脚本で有名になった羽原大介が脚本を共同で執筆して、今回の「パッチギⅡ」が実現した。

 簡単に言うと、在日朝鮮人の家族が、日本での生活で「差別」を意識せざるを得ない中で、第二次世界大戦での「皇軍」として参戦した苦い経験をダブらせながら、現代を力強く生きる「在日家族」の物語である。

 舞台は1974年。京都で大暴れしていたアンソン(井坂俊哉)が息子チャンスの難病治療のために、東京に引っ越してきたところから始まった。

 ある日、駅で宿敵に遭遇して大乱闘になり、国鉄職員の佐藤(藤井隆)に助けられたが、佐藤元首相が何故かノーベル平和賞を受賞したので、彼はノーベルと呼ばれるのだが、乱闘で相手に重傷を負わせたことで、彼は国鉄を首になりアンソン家族と仲良くなり、アンソンの妹キョンジャ(中村ゆり)に思いを抱くようになる。

 キョンジャは焼肉屋のアルバイト中に怪しげな芸能屋にスカウトされ、様々な思いを胸に芸能界に入り、著名な俳優の野村(西島秀俊)に声をかけられ恋に落ちる。

 一方でアンソンはチャンスのアメリカでの治療費を捻出するため、危険な仕事にノーベルを誘って賭ける。

 そんなストーリーの展開の中で、やはり「朝鮮人」である「差別」で野村と恋に破れたキョンジャが、女優として大作のプロデューサーと寝て、大抜擢されて準主役を演じ、その映画完成の舞台挨拶で、「自分の家族の戦争体験」として朝鮮人であることを告白して、映画は終幕を迎えるのである。

 「家族愛」「祖国愛」「友情」「反骨精神」「一生懸命」などの、現代の日本社会に見失われつつある、純粋かつエネルギッシュな「心」が、この映画からはほと走って来た。

 「笑い」と「涙」と「感動」という、エンターテーメントの要素を、随所にちりばめながら、現代の日本社会と差別、人権、平和を考えさせてくれる「映画」として仕上がっていた。

 「パッチギ」とは、「乗り越える」という意味があり、また「頭突き」という意味も持つそうである。在日に限らず、朝鮮人の力強い「乗り越える」力に敬服した。

 

 
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格差社会って、ほんとですね。

2007年05月29日 | 日本の課題
 先日、日本国内での自動車販売台数が低迷しているというニュースが伝わった。

 それもそうだろう、バブル景気がはじけて、もう15年以上経って、いくら景気が回復しつつあると言っても、日本人の少子高齢化の波は、どんどんと加速しているのである。

 しかも日本全体の人口も徐々に減少しつつあるのに、今さら「右肩上がり」の販売台数が続くわけはない。

 しかし、何と軽自動車と高級外車の売れ行きはいいのだそうである。

 つまり、貧乏人は「軽自動車」、しかも中古車で我慢しているのであるが、やはり現代人であり、少し不便なところに住んでいると「車」は欠かせない、生活必需品なのである。

 一方、外国輸入車が売れ続けているのだそうで、ヨーロッパのドイツ、フランス、イタリアなどからの高級外車は、最近のユーロの高騰で、何と二割近くも実質的には値上がりしているというのである。

 でも、何と外国輸入車専門会社の東京での、今年の輸入車ショーには、たくさんの「外車を買いたい人」が集まって、「欲しいと思った車なら、少し高くても買う」というのである。

 私たちにとって、近くのスーパーで食品を買う時に、日頃の二割高い品物は、よっぽどない限り買わないで、いつもの値になるまで待つだろう。

 しかし、彼らの「お財布」の中身はどうなっているのかは知る由もないが、たとえ2000万円の自動車が二割高、つまり400万円程度高くても、欲しければ買うというのである。

 貧乏人、いや普通の市民感覚から言うと、400万円もあれば、日本の高級車が買えるし、軽自動車なら新車が3台は買えるのである。

 とんでもない勘違いかもしれないが、私たちには想像もつかない、日常的な金銭感覚の御仁たちがいて、こうしたヨーロッパからの輸入外車を「好きなら買う」と言う感覚で乗り回しておられるのである。

 所謂ベンベント呼ばれるドイツノBMWを筆頭に、多種多様な高級外車が、狭い日本を我が物顔で、ハイスピードで「カッコよく」走りまわっているのである。

 所詮、軽自動車に日頃ご厄介になっている、私共庶民の金銭感覚だけではなく、生活における「価値基準」の全く違う生き方をされている方々がおられるのである。

 「格差社会」なんて、今に始まったわけではなく、たぶん有史以来、人間の生活するところには、いつも存在していたのであろうが、現代人の「格差」を実感する一つが「自動車」の違いであることは、間違いないと思われる。

 一度でいいから、高級外車、BMWでいいから、大阪から東京まで名神、東名と運転して行ってみたいものである。

 たぶん、人が変わり、偉くなったように錯覚するのだろうな。


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「誰が死んだの?」

2007年05月28日 | とんでもない!
 今日は、何故か「死の知らせ」が相次いだ。

 昼飯を食べ終わった頃、外にいたため娘から「ZARDの坂井泉水」の死が携帯のメールで知らされた。

 私は返信に「松岡農相が自殺を図って心肺停止」だとのニュースを聞いた直後だったので、今日は「死の知らせ」が多い日だと書いた。

 実は、今朝の10時頃、私の携帯に別な電話がかかってきていたのである。

 何と、大阪で独り暮らしの老いた母が、デイサービスでお世話になっているセンターから、「お母さんが息子さんが死んだ」と悲しんでおられるという電話だったのである。

 今年91歳になる実母が、夢を見たらしく、デイサービスへ行くバスの中で、施設の指導員さんたちに言ったらしいのである。

 電話をいただいた私が、その「息子」なので、何とも奇妙な電話というか、母の「夢」とはいえ、「殺された」のか「病死」なのか、「事故死」なのか、けったいな気分であった。

 その2時間後に、松岡農相の自殺とZARDの坂井泉水の転落死のニュースを続けて聞いたので、今日はほんとけったいな日となってしまった。

 昨日、実はいつもの「大住バザール」を晴天に恵まれて開催していて、いつもの様に、私は大好きな「ZARD BLEND」のCDも会場の受付、本部で流していて、「君に逢いたくなったら」とか「揺れる思い」など心地よく聴いていたので、彼女が子宮癌で闘病生活を送っていたことも知らなかった。

 あまりライブやテレビ露出もしない、謎に包まれていた彼女だが、「負けないで」の大ヒット曲をはじめ、多くのファンを魅了する曲の数々は、これからもずっと残るアーチストであった。

 一方の、松岡農相については、午後2時に死亡が確認されたらしいが、ニュース映像に出てくる、安倍首相をはじめとする、内閣、閣僚や自民党、公明党関係の議員達のコメントが、何故か白々しく思えたのである。

 坂井泉水の死は、やはりショックであり、弱冠40歳の才能あるアーチストの突然の事故死だが、ほんとに事故死なのかと少しは疑問に感じつつも、冥福を祈らざるを得ない。

 一方の松岡大臣に関しては失礼だが、真実や真相を隠蔽したまま、逃げてしまった感があり、無責任な「自殺」という行為は許されないとも思ったのである。

 いずれにせよ、「死人に口なし」であり、真相は分らないが、「死んじゃったらおしまい」である。

 私の「母の語った息子の死」の意味は何なんだろう。

 しばらく大阪へ母を訪ねて行っていない僕に対するメッセージなのかも知れない。

 「夢」でよかったと、夕刻電話した私の「声」に母は喜んでいたのでした。
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いい加減な旅行予定

2007年05月27日 | 感じたこと
 昨日から、私の20年来の友人でもある中国、内蒙古の張志遠さんが率いる、中国赤峰市林業局の訪日視察団が、大阪、京都にやってきている。

 私は、毎年中国、内蒙古への旅を続けているので、毎年の様にお世話になっている張さんの久しぶりの来日なので、何とか時間を作って、大阪か京都で彼に会いたいと思った。

 中国、内蒙古を出発する前に届いたメールによる予定では、北京から大阪空港着となっていて、昨日土曜日の午後6時過ぎの到着予定となっているのに、大阪海遊館、ショッピング、市内見学、そして宿泊が大阪泊となっていたので、ホテルに電話してみた。

 結局、到着の空港は「関西国際空港」であり、土曜日は観光など出来る時間もなく、泉南市のビジネスホテルに夜8時過ぎに着いたという。

 それだけなら大した「いい加減さ」ではないが、今日日曜日の行動と時間と内容を聞いて驚いたのである。

 日本に滞在して20年近くになる、別の友人のモンゴル人が、関西空港への出迎えから明日まで、一行18人と同行しているのだが、彼から驚きの内容を聞いたのである。

 まず、中国から10泊11日の日程でやってきている、林業局の役人達は男性ばかりなのだが、チャーターされたバスは20人乗りで、彼らの荷物で座席が4つばかりふさがってしまうので、4人がけの最後列のベンチシートに6人が窮屈に座って、他の席も狭いと言う。

 そして時間だが、どう考えても無理なのではと思えた、観光スケジュールとしての、大阪、京都を、何と今日一日で、大阪は海遊館、大阪城、道頓堀、そして京都は、竜安寺、西陣会館、清水寺とともかく急いで見学したのだという。

 「大阪城」では、裏からバスで入って、約30分間だけ、写真を撮って、天守閣にも登らず、ほとんどバスからの素通りだったと言うのである。

 しかも、道頓堀ではバスが行方不明になって、約40分間も路上で待ちぼうけだったと言うのである。

 ともかく、予定はこなしたみたいだが、時間や内容はハチャメチャで、しかもバスはぎゅうぎゅうづめ。

 でも、誰ひとりとして「文句」は出ないのだそうである。

 日本人の旅行客なら、とっくに「切れて」怒る人がいるはずなのに、手配して連れ歩く、中国人相手の旅行会社も会社だが、観光客と言うべきか、視察団一行の中国人の「我慢強さ」なのか、「何も感じない」なのか、付き添ったモンゴル人は、イライラしたと言う。

 つまり、旅行に関するサービスや接待の心などの次元が全く日本の感覚とは違っていても、誰も文句を言わないほど、彼らのお国での「サービス」に対する「期待度」が低いのだろう。
 
 これから明日は金沢、そして名古屋、箱根、東京、函館、札幌と旅して、北京経由で帰国する彼らの日本滞在が、好印象で終わることを望むが、さてどうなることだろうか。
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草亀は臭亀だった。

2007年05月26日 | 季節の話題
 土曜日は「やおやガリバー」の営業日。

 金曜日の朝に仕入れに行って、10個前後の荷物が宅配便で自宅に届けられ、午前中は、我が家の玄関は、まるで「やおや」みたいである。

 ともかく、金曜日の夕刻に種分けして、我が愛車「スバルサンバーディアス・クラシック」の荷台に積み込んで、夕方からが移動販売の営業である。

 週末の金曜日夕方から夜と、土曜日の朝から夕刻までが、「やおやガリバー」の営業活動時間なのである。

 明日は、私が主催し24年目になる「大住バザール」の開催日のため、毎回の様に出店されている、作業所の通所生のお母さんの荷物の配送を頼まれたので、八百屋の営業後、荷物を下して、先方に出向いて包みを数個荷台に積んでの帰路であった。

 昨日が久しぶりの本格的な雨の一日だったせいもあって、畑や田んぼの田植え前の田では蛙の大合唱が聞こえるのだが、小道を軽四輪で走っていると、何やら横断中であった。

 よーく見ると「かめ」である。亀もビックリしたのか、急ぎ足?でヘッドライトに照らされた小路を横断しているのであった。

 勢いよく走っていたら、轢いてしまいそうな感じだったが、幸い小路であり、踏み切り手前だったため、ほとんど徐行状態でブレーキをかけ車は停車した。

 何とも足の遅い「かめ」なのに、急いで横断している風情がかわいらしく思えて、とっさの判断で下車して、その「かめ」を荷台に取り込んだのである。

 というのは、我が孫のK君の家には水槽に、小さな亀を飼っていて、毎日餌をやったり、水をキレイにしたり、世話をしているので、ちょっと大きな亀を孫に見せてやろうと、突然思ったからであった。

 すぐに荷台に乗せられて、ビックリしたのか、その「亀」から異臭・?が放たれたのである。

 まるで、亀が「おなら」をしたと形容してもいいくらいの、臭い臭いだったのである。

 つい先ほどまで、やおやの荷台に積まれた食品や野菜たちは、倉庫や冷蔵庫、冷凍庫へしまったところなので、荷台には明日出店予定の方のバザールでの販売品だけしか乗っていなかったのは幸いだった。

 この「亀」は、たぶん「草亀」と呼ばれるポピュラーな「亀」で、日本の本州、四国、九州に多く生息していて、平地の河川や池沼、水田などに住んでいる「クサガメ」だった。

 雑食性のクサガメなのだが、ブリッジと呼ばれる甲羅と体の隙間かの腺から「におい」を出すことがあり、この臭いが臭いため「臭亀」とも呼ばれるらしいのである。

 孫に見せた後、あまりにも庭に放していても悪臭というか、ドブの臭いのような「臭い」が鼻につくので、諦めてすぐ傍に流れる小さな用水路に、この「草亀」君を放すこととした。

 1メートル程上の歩道から、体長20cm程の、臭い亀を三面張りの用水路に放したのである。

 孫のK君は、亀の行く先を追いながら、「くさー」と一言。サヨナラの言葉をかけていた。
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2万円のステーキ

2007年05月24日 | とんでもない!
 みなさん、私は人生で初めて2万円のステーキを今晩食べました。

 もっと高いステーキもあるのでしょうが、京都駅のホテルグランヴィアの15階のステーキ、鉄板焼き屋さん、屋号は忘れましたが、ともかく東本願寺のお蝋燭と言われる、「京都タワー」を真向かいに見ながらの夕食でした。

 五山の送り火と呼ばれる、京都の伝統行事が行われる「お盆」の8月16日は、五山のうちの四つが見えることもあって、一年前から予約で満員になるレストランだそうです。

 とんでもない「お店」に私を誘ってくれたのは、昔の職場の同輩で、その後自分で商売をして成功して、今は仕事を半ば引退してはいるが、お金には不自由しないと豪語する友人だった。

 私如きは、この年齢までおかげさまで健康で暮らせては来たが、どんなに高い夕食をとったかと言っても、せいぜい5千円程度のものしか経験がなかったものだから、ビックリしました。

 鹿児島産の黒毛和牛のサイコロ状になったステーキが、メインでぃっしゅで、あとサラダ、スープ、前菜、デザート、コーヒーなど付いて、一人前いくらだったのでしょうか。

 一杯のビールとウーロン茶も飲みましたから、たぶん「ステーキコース料理」については、たぶん15,000円位だったのではと思いますが、ともかく二人で4万円の食事代金をクレジットカードもゴールドカードで支払った、友人の世界にビックリしました。

 しかし、彼は、この年齢になるまで、何故か独身であり、最近「お金はあるが、一度は結婚がしたい」、「毎晩の食事が独りなのは寂しい」と言っているのです。

 贅沢な悩みかもしれませんが、私如きでよかったら、一月に一度位はお相手をしてもいいですよ、と言ってもいいくらい、彼の心境を聞くと、少しは同情しながら、いろんな人生があるものだと改めて思ったのである。

 「お金があっても、幸せとは言えない」だろうし、逆に「お金がなくても、幸せ」な人もいるだろう。

 どちらにせよ、一度しかない人生を、どう生きるかを考えていても、思った様に全ての人が生きれているわけではない。

 この年齢になって、また改めて「人生」のイタヅラか運命かは知らないが、同輩としての、私との生き方、また生き様の違いに、驚かざるを得ない心境となった。

 帰りがけに、彼の「思い」を察しながら、一度も結婚したことのない初老の男に、ふさわしい結婚相手はいないものかと思いを巡らせながら、帰路に着いたのである。

 女性は嫌いではないが、「女性にアプローチ」するのが、少し苦手と言う彼に、人生の一つの味わいとしての「結婚」をプレゼントできるか否か、ご馳走になったからではないが、考えながら家人の待つ、我が家へと帰ったのである。
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「王子」が好きな日本人?

2007年05月23日 | 日本の課題
5月20日の日曜日、また新しい「王子」が誕生したようである。

 岡山県玉野市で行われていた男子プロゴルフ「マンシングウェアオープンKSBカップ」最終日に、プロトーナメント初出場の高校生でアマチュアのゴルファー、石川遼選手が優勝してしまったのである。

 並みいるプロゴルファーを尻目に、弱冠15歳の幼き少年が、優勝賞金2000万円のプロトーナメントで、優勝したのである。

 1991年9月、埼玉県生まれで、小学一年生の6歳からゴルフを始めたというが、ゴルフの練習に行く父について行ったのがきっかけで、中学時代は陸上短距離選手で、二年生の時に全国中学校選手権で優勝したそうです。

 こんな彼の快挙について、早速テレビマスコミを中心に、どこかで聞いた様なキャッチフレーズとして、「ハニカミ王子」という称号をつけたのです。

 昨年の夏の甲子園を湧かせた早稲田実業の斉藤祐樹投手を「ハンカチ王子」と呼んだメディアですが、何と安易というか、また「王子」を誕生させました。

 確かにプロツアーで優勝した高校生である石川遼君は、初々しい青年であり、数多くの記者の質問やフラッシュの嵐の中で、少し「はにかみ」つつも、元気に明るくはきはきとインタビューに答えていた印象がありました。

 それにしても、気持ちのいい、清清しい少年、青年の登場で、アマチュアスポーツ界は、大騒ぎです。

 先の「斉藤祐樹投手」は、早稲田大学に進学し、一年生ながら先発投手として活躍し、ハンカチ王子の謂れの「青いハンカチ」こそ封印しているものの、実力を発揮して、人気だけの先行ではない真の実力派選手として活躍しています。

 一方、斉藤祐樹投手と投げ合って活躍した田中将大君は、ドラフトを経て、東北楽天イーグルスに入団し、そこそこの活躍はしていますが、「男前」と言われる顔ではなく、「ガキ大将」的なやんちゃ坊主のかわいい顔のため、「王子」と呼ばれることはありません。

 また石川遼選手の尊敬する先輩として紹介された選手も、アマチュアゴルフ界で、高校生として優勝経験がある実力者ですが、彼も決して「王子」とは呼ばれないでしょう。

 石川遼君と斉藤祐樹投手に共通するのは、さわやかな少年、青年像として、現代の大人社会が失くしてしまったかの様な「笑顔」と「誠実さ」なのです。

 あえてメディアの人たちは、「王子」と呼ぶことで、自分達も含めて失ってしまった「憧れ」や「魅力」として、誇張したかったのではないでしょうか。

 そのうたい文句である、「王子」たちを賞賛し狂喜乱舞する女性たちが急増していて、その「スター性」に対して、追っかけと共にストレスの解消を求めてる様にも思えます。

 宮里藍ちゃんやスポーツ界のスター性ある女性選手は、何故か「王女」や「「お姫様」扱いはされないのにね。
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「脳年齢 年金すでに もらえます」

2007年05月22日 | 日本の課題
 私も、もうすぐ「年金がもらえる年齢」に達しようとしているが、何と五千万人もの人の「年金記録」が不明だとの報道がなされていて、びっくりである。

 社会保険庁と言う名のお役所は、高い給料を職員に税金や年金の掛け金から払い続けていて、しっかりとした「年金受給者の権利」をチェックし、管理していなかったことになるのである。

 冒頭のタイトルは、今年で第20回となる、第一生命が募って毎年五月に発表する「サラリーマン川柳」の今年の応募作の中から第一位に選ばれた作品なのである。

 改めて「脳年齢 年金すでに もらえます」満33歳。というのは、皮肉と言うのか、若くして既に脳内だけは、60歳をとっくに過ぎていると言った「川柳」なのだが、現在は「年金の原資」が不足してきており、かつての定年後すぐに年金が貰える時代ではなくなってきているので、幾つをさしているのだろうか。

 ともかく、このサラリーマン川柳というのが、面白くて私は毎年注目しているのだが、今年の十位までを列挙する。

 第二位・「このオレに あたたかいのは 便座だけ」宝夢卵
 第三位・「犬はいい 崖っぷちでも 助けられ」オレも崖っぷち
 第四位・「アレどこだ? アレをコレする あのアレだ!」読み人知らず
 第五位・「ありがとう」そのひとことが 潤滑油 ココイコ
 第六位・「忘れぬよう メモした紙を また捜す」敢山
 第七位・「イナバウアー 一発芸で 腰痛め」小太りおじさん
 第八位・「ご飯ある?」「ツクレバアルケド」「ならいいです・・・」腹減った
 第九位・「脳トレを やるなら先に 脂肪トレ」鉄人28年生れ
 第十位・「たまったなぁ お金じゃなくて 体脂肪」サラ川小町

     以上が今年の第20回のコンクールの結果で、
  昨年11月実施の応募作品は、23,179句で、
  ベスト10投票は、今年の2月に実施され、79.631票あったそうです。

 ちなみに、今までの私が好きな傑作の一位作品をご紹介しますと、

 「プロポーズ あの日にかえって ことわりたい」恐妻男
 「昼食は 妻がセレブで 俺セルフ」一夢庵
 「課長いる?」返ったこたえは 「いりません!」ごもっとも
 「ドットコム どこが混むのと 孫に聞く」浦島太郎
 「わが家では 子供ポケモン パパノケモン」万年若様
 「早くやれ」そう言うことは 早く言え」新舞い
 「まだ寝てる 帰ってみれば もう寝てる」遠くの我が家

 など多数であり、サラリーマンの悲哀と奥様の生態がわくわかるのである。

 「年金問題」は、深刻な中高年齢の問題であるが、なかなか選挙や政治の争点になりにくく、曖昧なうちに、みんなが年をとって、決して豊かではない老後がやってくるのである。
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燻し銀の2000本

2007年05月21日 | プロスポーツ
 「燻し銀」なんて言葉は、もう今の時代には死語かもしれないが、先日の日本ハムファイターズ一筋の、田中幸雄選手の「名球会」入りの条件でもある、2000本安打は、まさに「燻し銀」にふさわしい活躍のむ結果だと思う。

 少し前に、日米通算2000本安打を達成した、ニューヨークヤンキーズの元巨人の松井秀樹選手の達成とは、全く違った「輝き」を感じたのは、私だけではないと思う。

 最も遅い、22年間もかかっての2000本安打の達成と言われているが、早ければいいというのではなく、人生と同様に、努力と研鑽の野球人生の成果として、評価されている。

 同期には、輝かしい名がたくさんいて、現在オリックスの清原和博選手や現在メジャーリーグに参加している桑田真澄投手がいるが、全く派手さもなく、コツコツと打ち続けてきた、どちらかと言うと寡黙な技術屋さん的な野球選手である。

 しかし、彼の根性と並大抵ではない意思は、FA宣言しても日ハムに残り、怪我やスランプと戦い続けて、この数年は2000本安打達成も危ういところまで、がけっぷち迄に及んだが、オーナーの配慮で残留し、2000万円の野球選手として2000本安打に到達したのである。

 実働22年目の彼は、誰よりも時間をかけて「名球会」入りした選手として輝いていて、本人は「いろいろな人たちの支えがあって、今の自分がある」と感謝している。

 この「日ハム」の田中幸雄選手誕生には、故人となった大社前オーナーの南九州視察の際に、32年間運転手を務めた都城在住の永岡実人さんがいて、「都城にいい選手がいるから獲ってください」と毎回会うたびに直訴し、当時球団幹部で後の監督となった大沢親分こと、大沢啓二氏がオーナーの指令で都城に飛び、練習を見て、「ドラフト三位」で指名を即決したという。

 彼は、日本ハムの本拠地が北海道札幌に移転した2004年に、後99本となっていたが、結局4年間かかって100本を達成したことになり、一時は試合にも出ることが出来ず、奥さんに「達成できずに終わるかもしれない」と愚痴をこぼしたこともあったと言う。

 思い出と「日ハム」と言えば、「後楽園・東京ドーム」で、記念すべき2000本安打を達成したわけだが、スタンドにはご両親も夫人と共に観戦し感激されたと聞く。

 ご両親にとっては、三人兄弟の真ん中の田中幸雄選手なのだが、ご長男は誕生後三日で亡くなり、また三男も六歳にして脳腫瘍で亡くなられたという悲しい運命を背負いつつ、二人の分も元気に活躍する次男である、幸雄選手の「親孝行」は、何にも変え難き殊勲だったと言えよう。

 おめでとう!! 燻し銀のヒーロー、田中幸雄選手。素晴らしいニュースである。
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勝手に、ドン何処ドン!!

2007年05月20日 | 日本の課題
 安倍内閣にとっては最近の国会は、思い通りに事が運んで、とっても気持ちのいいことだろう。

 国民不在というか、多数決原理の民主主義を掲げて、国会では彼らの目論む全ての法案が、通過儀礼の如く可決されていっている。

 憲法改正を目指すための「国民投票法」、イラクの復興支援のためという「イラク特措法」、そして教育基本法を改正したので、関連の教育改革三法案も難なく、衆議院を通過し、近いうちに参議院で可決される。

 夕方のテレビの報道番組では、国民、特に高齢者には死活問題とも言われている、「年金問題」のいい加減さが改めて報じられていて、柳沢厚生労働大臣の国会答弁や釈明が映像として流されていた。

 何のことはない。例の女性を産む機会だと発言して、大騒ぎになった「大問題」も時が過ぎれば、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」如き有様で、何事もなかったかの様に振舞っておられる。

 本人や内閣の任命権者の問題だが、もっと罪深いのはマスコミと国民、有権者ではないだろうか。

 統一地方選挙が終わって、約一ヶ月が経ち、もう参議院選挙へ、後二ヶ月を切ったとのことで、政治家先生たちは「参議院選挙モード」に突入されている。

 国会では、与野党党首による「党首討論」が先週の水曜日に久しぶりになされたそうだが、結局、安倍晋三首相と小沢一郎民主党代表も、「同じ穴の狢」であり、
争点がはっきりしない、お互いの傷の舐め合いの様な実態である。

 国民、有権者はと言えば、「格差社会」や「年金不安」を感じつつも、日々の生活と経済追求のために勤しんでいて、「何とかせねば」と言う怒りや疑問をぶつける機会としての「政治参加」は、選挙の一瞬だけであり、適当に付き合っているにすぎない。

 マスコミ、メディアも、テレビも新聞も、本当に見事なくらい、一過性の話題提供には一生懸命だが、時が少し過ぎれば、「何が問題なのか」「じっくり議論したり論評したり」する姿勢が非常に乏しい。

 そんな世情とでもいうしかない時代の流れの中で、安倍自民党総裁を担いだ勢力と財界、また多くの考えない国民達の支持をうけたかの如き政治勢力は、どんどん自分達の目指す方向へハンドルを切るために、必要なルール改正や手続きを、勝手に、ドン何処ドンと言った感じで進めているのである。

 アメリカという世界のボリスを自認し、世界の経済を独り勝ちの如く支配しようとしている国に追従する国、ニッポン。

 いつのまにか「日米同盟」と言う言葉を、勝手に定着させて、運命共同体の如く、アメリカの言いなりになって逝くニッポン。

 日出る東洋の神秘の国、ニッポンは、今やアメリカの属国、いや52番目の州として、忠実な僕頭である、安倍一族と世界的経済におんぶに抱っこの財界の皆さんによって、国民不在の「怪しく危険な国」へと成り下がりつつあるのである。
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