ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

市議選前哨戦!

2011年03月31日 | ちょっと可笑しいよ
 弥生三月も今日でお終いで、明日は四月となれば、「サクラの開花便り」もあちこちで聞かれる本格的な「春の到来」というところだが、今年は例年より「花の便り」もちょっと遅く感じる気候が続いているし、ともかく連日連夜の「東日本大震災関連のニュース」と「福島原発の放射能漏洩の不安」が重なって、気分的にはどうしても明るくできないムードの中、私にとっては市議選の告示まで約半月ということで、この一週間は連日足が痛くなるほど歩いて、自分の自己紹介リーフレットと「ガリバー通信」の再活動号を届けている。

 四年前に「やむを得ず」、市長選にチャレンジしたために、この四年間はふつうの市民として仕事をしていたために、なかなか活動をするといった時間もなく、「ご無沙汰しています」という状態で長くお会いしていなかった方々とも久しぶりに言葉を交わす機会ともなっているので、「私は健康に恵まれて元気です」と告げるのだが、先方さんの近況やご家族の動向、または震災、原発関連の思いなども聞かせていただきながら、いろいろと懐かしさと共に嬉しいニュースもたくさん聞けたのである。

 子どもさんにお孫さんが誕生したニュースやご結婚された話などが主な嬉しいニュースなのだが、一方亡くなられた方やご不幸を知らなかったことなどもあって、あるご家庭では故人となられたご主人様のご霊前に手を合わせるために上がらせていただいたり、お茶をいただいたり、いろんな再会や励ましをいただくこととなり、こちら側からの「選挙に出る」というご報告の機会なのに、いろいろと気を使っていただいて「頑張ってください」とエールを送られる「うれしい知人たち」に多く出逢えたのである。

 たった四年間なのだが、過ぎ去った日々はお互いの近況や周辺のお子さん、ご家族に変化が出ているのは当たり前のことなのだが、日ごろのご無沙汰があって、なかなかそうした情報を耳にすることが久しく、とっても嬉しい気分にさせてくれることが多かった。

 印刷しだしたのが三月二十二日だったので、翌日の23日から配布を開始して約一週間、約一万部印刷したリーフレットと手作りの「ガリバー通信」をセットにして、市内の北部から配布を兼ねての「挨拶回り」を始め、現在約7000部、つまり一日に平均1000部前後を配布しているので、足は棒のようになり、階段があって10数段登らなければならない玄関の多い地域もあるので、この季節だが汗をかいて一日に二度は下着とシャツを着替えなければ風邪を引きそうにもなるので、注意して二時間から三時間ほどで休憩をとってはいるが、たいそう疲れるものである。

 四年前は市長選ということもあって、若い学生さんたちにもおおいに手伝ってもらったのだが、精神的にはまだまだ若いつもりの己の肉体、体力の減退を止む無く感じざるを得ない「疲れ」を感じつつも、自分の仕事と肝に銘じて「歩く」ことに専念しているのである。

 「市議選・前哨戦!」は、如何に歩き多くの知人たちと挨拶をし多様な近況や問題を会話することにあり、マイクや他人に頼ってはいられない過酷な日々であるが、そのぶん大変楽しく嬉しい言葉やニュースを聞くことができるので、また明日への活力となっているのである。ありがとう!
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市議選告示まで25日!

2011年03月22日 | ちょっと可笑しいよ
 ここは京田辺市、私の第二の故郷と言っても過言ではない。

 1980年に移り住んでなんと31年が経過して、その間に京都府綴喜郡田辺町だった約3万数千人の町だったのに、1997年に「京田辺市」となって早や14年。人口も63000人の地方都市として、京都府の南部に位置するが、大阪、奈良にも近く、通勤、通学にも便利な交通アクセスとして近鉄京都線とJR学研都市線が市の中心部を走っているので、「京田辺」に来るのはとても簡単です。

 JR京都駅からだと、奈良、天理、橿原神宮行きなどの急行で約23分で、最寄の駅である「新田辺駅」に着くし、大阪からだとJR環状線の京橋で乗り換えて学研都市線でわが町の北の表玄関である「松井山手駅」まで快速に乗ると約28分で到着するし、近鉄電車なら奈良西大寺乗換えで快速や急行に乗れば約45分かかるが、あっと言う間に到着してしまう近さである。

 いずれにせよ、あの漫画の「一休さん」で名を馳せた「一休禅師」が室町時代の晩年を過ごした寺として「酬恩庵」というのが正式名称の禅寺なのだが、『一休寺』として有名になっているのだが、落ち着いた方丈から見る「枯山水のお庭」や大晦日に「除夜の鐘」を毎年の恒例行事として衝きに行く「鐘楼」がとっても感じのいい建物として残っているのです。

 それから今年でもう何年になるのか我が同志社大学の京田辺キャンパスも忘れてはならない、京田辺の南部にあって多くの若い学生たちが近鉄興戸駅やJR同志社前駅を使って通学して来ているのだが、バイトや遊ぶ場所が少ないことから、いずれ3回生になったら京都市内の今出川のキャンパスに通学するケースが多いため、京田辺市内に下宿するより、近鉄沿線の城陽や宇治、または京都市内の伏見区あたりに下宿して通学している学生さんたちも多い。

 自然環境が良くて、生駒山の南端の丘陵地帯にある甘南備山と三重に源流を発する木津川にはさまれたなだらかな平野部を中心に、近年は住宅開発が進み、近郊の市や町から移り住んで来る若い世帯も多くて、いまや「京田辺市」は、「住みたい町」の中にあげられるくらいの人気の町となっているらしいのである。

 玉露をはじめとする宇治茶の生産地でもあり、田辺ナスやエビ芋などの農産物もちょっと有名で、米づくりの田んぼと近郊畑作も残る、住宅都市として一層発展しつつある「京田辺市」の市民派市議会議員として四年前まで四期16年活動してきた私なので、前回は市長選にやむを得ず出たため失職した市議に、再度立候補して挑戦することとなっているので、この「ガリバー通信」も、選挙準備に没頭するためにしばらく選挙が終るまではお休みさせていただくこととする。

 いつも気軽に覗いていただいている皆さんにはお礼を申し上げたいと思います。

 東日本大震災に遭遇された被災地の皆さんには、本当に心からお見舞い申し上げます。

 また、元気で明るいブログを皆様に読んでいただける様に、選挙戦も戦った上でご報告をさせていただきます。

 しばらく「さよなら」、またブログで「逢いましょう」

 
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生きていることに感謝して大切に歩もう。

2011年03月17日 | 感じたこと
 ほんとうにほんとうに東日本大震災は、福島原発の度重なる爆発や放射能漏れの危険性も相まって、未曾有の大惨事になっていて、死者、行方不明者の数も16年前の阪神淡路大震災をはるかに超える人数となってきて、一千人の遺体が海岸に打ち上げられているとか、津波によって町の大半が壊滅状態とか、避難所に避難している人たちが再び原発の危険性から避難を強いられて、ご病気の人たちが搬送中や避難場所で亡くなられているニュースもあり、何ともいえぬ心が重たく悲しい知らせばかりである。

 そんな中、生きて再会を果たされたご家族や知人、友人の安否がわかって、ほつと胸をなでおろしておられる方々もいらっしゃると思うが、自分の家族、親戚、知人、友人だけでなく、まだまだ大勢の人たちが救出や救援を待ちわびておられると思うと、自治体や大手企業だけでなく、地元の社会福祉協議会やボランティア団体も受け入れ体制を整備して、全国のボランティアとして働きたい人で、自分の食糧や寝泊りを自己完結できる人の受け皿を作ってもらいたいと思うのである。

 続く余震や原発の危険性から、なかなか素人の「ほっとけない人たち」であるボランティアの受け入れまでは手が回らないのが現状だと推察できるが、震災から一週間が経過し、避難された方々や自分の住居が壊滅状態の人たちも、自分たちの家や故郷に、何かしら思い出や記憶にとどめられる物があるのではないかと捜索や片付けに行きたい方も出てくるのではないだろうか。

 そんな時にお手伝いしたり、救援物資の配送や炊き出しの手伝い、介護や子どもの遊びのサポート、病院関係者だけでなく、精神的に落ち込んでいる人たちへの、少しでも邪魔にならないサポートが出来るならばと、いろんなアイデアを考えてボランタリーな精神で手伝いたい人たちがたくさんいることは嬉しいことである。

 しかし、今は少しの我慢が必要な様で、阪神淡路大震災や中越地震などの場合とは全く異なった「地震だけでない大津波」の被災は、町の道路アクセスも遮断し、搬送、輸送に使える車とガソリン、運転者も欠くようで、しばらくの猶予が必要のようである。

 「他人の為に役立ちたい」と思う青年たちやボランティア志願者はたくさんいることはいいことだが、むやみやたらに個人として現地に入ったりして、何から手をつけたらいいのか、また行政職員や現地の活動を行っている人たちに邪魔になったり、ましてや「自分は何をしたらいいのか?」などと聞いているような人では、救援活動やサポートにはならないで、かえって迷惑になるであろう。

 徐々に救援、支援の体制が整う状況が見えてきて、今日全国のボランティア団体を統括する「東日本大震災救援ネットワーク」が立ち上がったとの報道があったので、しばし待って、そのネットワークのやり方や要望に沿った活動が出来るボランティアとして現地へ入ることのできる場合が出てくるのであろう。

 善意だけでは何の役にも立たない場合があって、足手まといや邪魔になるケースだけは避けなければいけないのである。

 
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やっと仙台と電話が繋がった!

2011年03月16日 | 感じたこと
 三月十一日の三時前に発生した「東北関東大地震」で安否確認どころか全く連絡がつかなかった友人、知人たちと漸く地震発生後5日目にして電話で話すことが出来た。

 「東北、関東大地震」と呼ばれているが、東京や横浜の人たちは比較的大きな揺れは体験されたのだが、あの大津波や原発の危機的な怖れから避難を考えたり、実際の大災害を目の辺りにされているケースは少ないので安心していたのだが、仙台周辺や東北各地の特に太平洋側にお住まいの方々の状況は、テレビの報道などから推測するしか出来なかった。

 大地震発生直後から携帯電話も固定電話も全く電波や回線が繋がらない状態であったので何度か電話を試みたのだが、無事を祈るだけしか出来なかった。

 今日になって昼の仕事休みに、宮城県柴田町に住む小学校の先生をしている友人宅に電話をしてみたら、何と呼び出し音が聞こえて、本人が電話口に出てたのでビックリしたのだが、小学校は休校状態で教師は自宅待機で、車のガソリンもなくほとんど自宅からは歩いて周辺を見て回るしかできない状態だが、海からは遠いので津波の被害もなく無事だったという。

 夜になって自宅から小学校時代の友人で、仙台でNPO法人を立ち上げて「高齢者介護や弁当配達、障害者レストラン」などを企画して運営している理事長の女性宅と電話で繋がったので、いろいろと状況を聞けた。

 彼女は仙台市内の大きなホテルで行われる予定だった「ソロプチミスト」の記念大会の前日準備をしている時に震災に遭遇し、大きな長い揺れが収まった直後に判断して、自分の車を停めてあった地下駐車場が真っ暗の中、キーレスのリモコンで自分の車の灯りを頼りにたどり着いて、何と大地震直後に山の手にある自宅まで40分ほどで帰宅したらしい。

 彼女の関係するNPOの高齢者へのお弁当配達は、ちょうど二時前後に弁当の調理を終えて、三時前後に配達をすることになっていたので、この日も地震直後に待っておられるお年寄りを中心とする方々に「温かいお弁当」を運転ボランティアの人たちが届け、地震直後の安否確認も行えたという。

 その後障害者と共に開いたレストランで、被災された方々やご近所の方々のために「炊き出し」に近い形で、お握りやお惣菜を皆さんで作って配って大変感謝され、また近くのお魚屋さんが冷蔵庫がダメになったのでと持ち込まれた鮭などの魚をLPガスの燃料でフライパンで炒めて、お豆さんの煮物と一緒にお惣菜として安価で販売されたそうだ。

 ガソリンが枯渇し道路や倒壊した建物などの影響で遠くへの配送ができないのだが、近くで顔見知りの人たちからも感謝のお礼を何度もされて、今まで以上にNPO活動が広く役立ったと喜んでおられた。

 やはり、大事故や自然災害の際の救助や支援は、まずはご近所同士から始まって地域ごとの組織や行政の支援と広がりを見せるのだが、地域の情報と交流がなければ叶わない事象もたくさんあるので、人々の相互扶助という人間同士の助け合い、譲り合いの精神が一番であると改めて実感させられる実態がたくさんあった様だ。
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中学校の卒業式

2011年03月15日 | 季節の話題
 全国一斉ではないが、今日は京都市内の公立中学校では「卒業式」が行われていた。

 小学校に入学するのが普通は六歳で六年間の小学校生活を終えると三年間の中学校生活で、日本の場合は義務教育とされる9年間の公教育を終えることとなるのだが、多くの生徒たちは高校進学や専門学校も含む高等教育機関へと進学する場合が都会では普通となっている。

 しかし、ご両親や関係者、ご親戚などにとっても、子どもたちの成長の大きな「けじめ」として、この中学校の卒業という一段落を迎えることについての「喜び」はひとしおだと察するのだが、全国各地で行われるはずだった「中学校の卒業式」が、今回の大震災に見舞われた「東北・関東」の各県では、それどころではなく「卒業式」が開けなかったり、当事者である15歳の春を迎えるはずだった「卒業生」が行方不明や亡くなったしまったというケースもおられると思うと心が痛むばかりである。

 仕事で市内を営業活動していて、昼ごはんのために「ファミレス」に入ったのだが、そこでは中学生だけではないが若い学生、生徒、児童たちが「春休み」に入ったところもあってか、たくさんの友だちや家族と「食事」にやってきていて、「笑い声の絶えない食卓」となっていた。

 一方、私は一人寂しく「昼ごはん」を食しながら、友からの「大震災に何か出来ないか?」という携帯メールに対する返答を綴りながら、京都では「何事もなかった」様に、家族団欒の食事や友達と談笑している中学、高校生がいることを不思議な気分で見ていたのである。

 遠いとは言え、先月に発生した南半球のニュージーランドで発生した「大地震」の日本人犠牲者も続々と身元が判明し、語学の留学で海を渡った前途洋々の若い学生たちの多くが、クライストチャーチの語学学校の入っていたビルの全壊で犠牲となられたことは記憶に新しいのだが、28名の行方不明者とされていた人数の数百倍の未曾有の人々が犠牲となった可能性が徐々に明らかになりつつある、今回の「東日本大震災」のことを思うと、同じ日本の国土の千数百キロ先の東北の大地とは言え、実感に乏しいテレビ映像だけが、その悲惨さを告げていても、日常生活に戻れば「ウソの様な」大地震の実態なのである。

 今日、晴れて「中学校」わ卒業された若き前途洋々の人たちに「おめでとう!」と言いたいのだが、同じ日本の中で起きている大惨事を思うと、なかなか「おめでとう!」とは言いにくい重たい気持ちに苛まれてしまうのは私だけではあるまい。

 東北各地の特に太平洋側の海に隣接した各市町村では、「中学校」それ自体が多くは「避難所」と化していて、卒業生だけでなくそのご家族や先生方の安否すら判明しないところもあると思われるので、遠い京都の地から「卒業生や関係者」の無事を祈りつつ、一ヵ月後でもいいから晴れての「卒業式」をしてあげられればと願うば
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福島原発の水素爆発!

2011年03月14日 | とんでもない!
 東日本大震災と新聞は称しているが、政府の今回の大震災の命名は「東北関東大震災」だそうで、どう呼ぶかの統一性もないままに、毎日犠牲者や行方不明者の数は増すばかりで、死者は二千人を超え、行方不明者は何と2万人にのぼる大惨事の報道が続いている。

 そんな報道の中で、一番注目されているのが「原発の事故、爆発」ではないだろうか。

 一昨日の福島第一原発1号機の水素爆発についで、今日3号機も同様の水素爆発を起こし、火柱と共に異常な黒煙がきのこ雲の如く立ち上がって、テレビ映像を見た視聴者、市民もびっくりしているが、周辺地域に住んでいた避難住民は生きたここちがしないほどの衝撃を受けているものと思われる。

 3号機の水素爆発事故では、作業員1人と自衛隊員6人の安否が不明という報道もあって、一時はふたたび「原発の大惨事」として、スリーマイル島事故やチェルノブイリ原発事故をも連想させる恐怖と共に、「原発の危険性」を立証するごとき事故であることは間違いない。

 国の経済産業省の原子力安全・保安院は原子炉内の水位低下で露出した燃料が過熱して溶けて大量の水素が発生し、酸素と結びついて爆発を起こしたと見られると発表し、あくまで「原子炉格納容器」は安全で、「設計上の最高圧力をわずかに超過したが設計値には余裕がある」ので、直ちに原子炉そのものが爆発する危険性はないと説明している。

 いずれも建屋内の水素圧力が高まったために建屋が爆発で飛んで骨組みが露に見えてしまう様になったが、被曝量は普通一年間に被曝する量を一瞬のうちに身体に被った危険性があり、多くの作業員や周辺住民なども放射能被災についての検査や調査を受けていて、中には病院に搬送された者もいるらしいが、政府も東京電力も「真実は語らず」、密かに最悪の原子炉爆発を食い止めるべく最大の努力をしているらしいのである。

 今回の東北関東大震災の被災地域には福島第一原発に6基と第二原発に3基のほか、東海村に1基、また女川に3基の原発が稼動していたわけで、福島第1原発ではさらに2基が計画されているというほど東京首都圏の電気需要を原発で充当しようとする政府、電力会社、原発推進企業のメッカでもあったのである。

 今回の大地震による影響でたとえ原発の原子炉爆発と言う最悪の事故は免れたとしても、今のところ2基の原発が海水も含む大量の水で高温上昇を食い止める作業をしたために、今後の使用が出来なくなり「廃炉」を余儀なくされるらしいが、鉄とコンクリートで出来ている原子力発電の建屋を含む「廃炉」の処理は大変な放射性物質の残留する巨大ゴミとして始末に終えない巨額を要して地中に埋めても、長期にわたって放射性廃棄物としての危険性が残るという厄介な「お荷物」となるのである。

 いつも現代生活は、「原発のお陰」の様に宣伝してきた電力会社と日本政府だが、今回の事故による「廃炉」を通して、今後の「原発政策」を改める大きなきっかけに出来れば、原子力に頼らない「安全なインフラ整備」へのハンドルを切り替える大きなターニングポイントになるのではないだろうか。

 
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SAVE JAPAN!

2011年03月13日 | とんでもない!
 とんでもないマグニチュード9.0という前代未聞の世界が初めて経験するという大震災が宮城県沖を震源に一昨日午後に発生して、テレビは全てといっていいほど報道特番で「東北関東大地震」と名づけられた「大災害」の模様を刻々と放映していて、ほとんどの通常番組は観られない状態に陥っている。

 ともかく、最初に金曜日の午後の車のラジオで聞いた一報では「震度7、マグニチュード7,9」と報じられていたのだが、その夜の移動販売八百屋の途中にお客さんのお子さんが「ガリバー!マグニチュード8,8で阪神淡路大震災の180倍の大地震やで」と教えてくれたのだが、今朝のテレビ報道によると「何とマグニチュード9、0で世界一の巨大地震」だというのである。

 本当に映画やテレビのフィクションのコンピューターグラフィック、所謂CGで創作された如き「大津波」が地デジ化されたテレビの大画面に映し出されていて、怖いというよりも「本当なのか?」と思ってしまうほどの実際の映像が次から次へと流されていて、お客さんの中には「テレビに釘付けになって足が痺れた!」人や「気分が悪くなってしまった」という人まで現れて、被災地の人々や関係者だけでなく、日本中が大パニックと言っても過言ではないくらいの大惨事となっている。

 昨日午後には、この大地震の影響で東京電力の福島原発一号機の屋根が吹っ飛ぶ爆発が起きて、あわや大放射能漏れに繋がる原子炉の大爆発かと危惧するニュースが飛び込んできて、よもやチェルノブイリの再来かと一時私自身も心が騒いで暗くなったものであった。

 不幸中の幸いなのか、今のところ「原発の爆発」という最悪の事態だけはなんとか免れている様子だが、放射能漏れは間違いなく起こっていて、数名の方々が通常の百倍近い放射能を浴びて検査とチェックを受けたというのであるが、現在自衛隊や現地での防災体制で、海水や真水などでの原子炉の冷却化や手立てを尽くしているというのが実情だという。

 それにしても、未曾有の大津波の各地での映像をテレビカメラだけでなく、一般の住民の方々も撮影しており、全世界にテレビを通じて放映されているので、全世界からの救援隊の派遣や多大な救援物資の輸送が始まっているらしい。

 しかし、大惨事なので止む得ないことだが、アメリカ、ロシア、中国、韓国といずれも日本との外交面では緊張と大問題を抱えている国々が、「出来るだけの支援とサポートはする」といち早く表明し、具体的な救援活動のための部隊を派遣してくれているのだが、なにやらキナ臭かった諸外国との外交面とは異なった民間レベルの「人道的支援」に感謝と共に、政治家や国家の利害が交錯する複雑な心境にもなる面を感じている。

 日本政治の現在の大黒柱である「民主党、菅首相」にいたっては、前原外務大臣を辞任に追いやったと同じ、在日韓国人である方からの献金問題が発覚した直後の「大地震と大津波」に何だか救われたカタチで「初期救援活動」の指揮官として翌朝に宮城県を中心に空からの視察を行って、作業着姿での陣頭指揮というパフォーマンス的映像で、しばし救われた感がある。

 
いずれにせよ、東北関東地方の大惨事に見舞われた被災者の心労を察し、亡くなられた方々の冥福を祈り、行方不明者の一時間でも早い救出を祈るばかりだが、救済、救援活動をされている方々にも二次災害や疲労などの無理がないようにと祈るばかりしか出来ないもどかしさを感じている。
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ガリバー再び始動!

2011年03月10日 | ちょっと可笑しいよ
 三月十日、今日は「初雷」だという。

 雷はなかったが、昨日は宮城県沖を震源とする地震があったり、今日は外回りの仕事中に「小雪」が降って来てまだまだ「春は遠い」と感じるのだが、四月下旬の統一地方選挙での「市議選」への「立候補」のために、 私は急ぎ目覚めて「動き出す」時期を迎えている。

 現在はまだ平日はパート職員とはいえ営業の外回りの仕事で毎日勤務しているために、なかなか「選挙準備」ができないでいるが、あと一ヶ月ちょいに迫った「告示」に向けて少し焦りを覚えつつ、来週迄でパート職員を退職し、本格的に「選挙準備体制」に入ることとした。

 ほんとうに仕事をしながら選挙準備をするのは並大抵なことではなく、市役所の選挙管理委員会に「立候補届」の事前審査を受けに来いとのことでも、平日の9時~4時に予約をとって審査を受けろという、「お役所仕事の時間内」という制約がある。

 そこで、無理を言って私の場合は「一次の審査」をパスして、二次審査が始まる3月22日以降に「審査」を受けることとして、実質的には3月20日で退職することとなったのである。

 実は、議会議員当時の議会報告のタイトルが「ガリバー通信」だったので、この『ブログ』と同じタイトルなのだが、ガリバーの再始動版を再来週から印刷、発行して自らで出来るだけ多く各戸配布することとなったので、その書き出しを紹介する。

 「ガリバー再び始動!}

 4年前の市長選挙に「やむにやまれず」立候補したが、今春ふたたび動き出しました。

 石井明三現市長の4年間の市政運営を市民の立場で見守りつつ、一人の生活者市民に立ち返って、平日はパート職員の営業仕事をする傍ら、週末は自営の有機農産物と無添加食品の八百屋の移動販売を続けてきました。

 多くの市民の皆さんと、八百屋を通して安全な食材、食品の話から、環境、教育、福祉などの行政課題に関する諸問題のいろいろな意見や要望を耳にしながら、もう一度議会を通じて、市民の目線から市政をチェックしたり、提案することが必要であると痛感しました。

 現状の議会は、相変わらずの「市長与党体制」といった感じで、本来の議論を通じて「是々非々」で決定をするべき民主主義的な議会とはなっていません。

 ほとんどが市長提案の議案で、結局全て「可決」するという、数の論理のみの議会では、何人議員がいても意味がありません。
『議論』を通じて、ほんとうに市民にとって、より良い選択肢を提案したり、修正する積極的な取り組みが欠けているのではないでしょうか。

 ぜひ、政党や組織の利害や立場ではなく、普通の生活者市民の目線で、市民にとってのより良い選択を議論を通して導き出す「議会」に変革しなければ、京田辺が「住んで良かったまち、住みやすい町」にはなりません。

 今後、少子高齢化がますます進む日本社会ですが、地方都市の地元の自治体行政が市民を守り、市民に役立つ「市役所」に近づくためには、市民が選出する「議会議員」と市民参画による行政チェックと監視が必要なことは言うまでもありません。
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前原外務大臣の辞任。

2011年03月07日 | 感じたこと
 菅政権の外務大臣として半年前に就任した前原誠司衆議院議員が外務大臣の職を辞任した。

 昔からの京都の近くの焼肉屋のおばちゃんから毎年五年間五万円の寄付をね貰っていたのだが、その「おかあさん」と呼んでいたおばちゃんは日本名で日常生活を過ごしていたそうだが、在日の方で韓国籍だったために、外国人からの献金を禁止した「政治資金規正法」違反であるとの指摘で、前原氏は熟慮の末菅総理に辞任を申してで、菅首相は留意を望んだが本人の意思が固く辞任会見となったという。

 果たして「外務大臣」の辞任という形が必要だったのかは甚だ疑問なのだが、財界や利権に絡む大手建設会社などからの大口の企業献金の方が大問題だと思うのだが、一応法律違反と言うことで、外務大臣を辞任というカタチで早期決着を図り、民主党の統一地方選挙前の不評、悪評の波を断ち切りたかったのだろうと推察するのだが、日本の政治ではすぐに「責任をとって辞任」という追求が野党的立場からの攻撃の主たる攻めとなる場合が多く、予算関連法案の審議や地方選挙への影響をこれ以上悪くさせまいとの決断だったと思われる。

 日本の政治状況は、長年続いた戦後の55年体制と呼ばれた自民党政権と万年野党の日本社会党という与野党攻防のカタチから、ようやく民主党を中心とする政権交代が行われたのだけれど、政治の体質とでも言うべき政局や国会での与野党の攻防は、全く与野党が逆転しただけで、ちっとも変っていないというのが多くの有権者国民の素直な感想である。

 そんな中、私にとっても来る統一地方選挙での京田辺市議選への再度の立候補準備が始まってはいるのだが、生活のための日中の仕事を終えてからの限られた時間で準備することがいっぱいで、どうしても普通のサラリーマンが「選挙」というリスクを背負ってまで、立候補し議員へチャレンジするというのが難しいというのが実感であり、被選挙権というのは多くの国民も持っている権利なのだが、実際に議員や首長の選挙に立候補するというのは組織、団体、政党などの援助や支援がない場合は非常に困難なのが実情なのである。

 その上、一般市民への選挙協力をお願いしても、「地方政治」という身近な自治体の議員や首長、すなわち市議会議員や市長選挙ですら、なかなか協力を快くしていただける場合が少ないのである。

 日本では、「政治にかかわりたくない」とか「○○候補」の応援をおおっぴらにしていると見られたくないとか、選挙に関わること事態が何かグレーもしくはいけないことといったタブー視する傾向すら未だにあるのではないだろうか。

 ある親しい奥さんに、政治団体用の候補者名を記した看板ご自宅脇に立てるお願いをしたところ、どうしてもおじいちゃんが許可されないというので、残念ながらお願いが断られてしまったのだが、もっと「選挙」そのものが「お祭り」の様に気さくに参加できるイベントの様にならなければ、日本の政治状況も大きく変らない気がしてならないのである。

 つまり、自分たちの身近な市や町の議会や市長、町長を選ぶという大切な「選挙」がいつあるのかも関心が少なく、その上に出来ればかかわりたくないという立場の市民、住民が多いということでは、その町の行政やまちづくりが大きく変ることはないと断言してもいいのではないだろうか。

 自分たちの町や市のあり方、まちづくり、行政施策を、少しでも住民本位のものに近づけるためにも、選挙に関心と協力をお願いしたいものだと痛感している。
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『啓蟄』

2011年03月06日 | イベント
 「啓蟄」って、暦の二十四節気のひとつで、雨水後の15日目の三月六日というから今日が「けいちつ」にあたる日だったわけです。

 何とも、「啓」は「ひらく」「蟄」は「土中で冬ごもりしている虫」の意味だそうで、文字通り「地中で冬ごもりしていた虫が春の到来を感じて、草木が芽吹くと同時に地上へと這い出してくるという意味の「節気」で、北の国では「福寿草」が咲き、東京では「モンシロチョウ」が観られるそうです。

 有機八百屋の農産物の仕入れにも「ふきのとう」という「春を告げる」商品の入荷が可能となり、今週に仕入れしようと思っていますが、私の住む京都府南部の山城地方では、木津川の右岸の城陽市青谷地区一帯で「梅まつり」が行われています。

 太陽年をその黄経従って24等分すると約15,何日かになるわけで、季節を表すのに用いる中国古来の言葉として伝わっていて、立春に始まったそれぞれの「節気」は、雨水、啓蟄と続き煮は春分、清明、穀雨、立夏、小満と続いていくそうです。

 二三日前には夜半にほとんど0度に近付くという冷たさを経験して、春は遠いなぁと感じたのもつかの間なのですが、やはり自然界の植物や動物たちは徐々に「春を感じている」様子で、梅の花についで日本の春を彩る「サクラの花」の蕾も、徐々に膨らんでいて、春まっさかりに備えて「開花」の時期を待っているようです。

 町を走っていると、いろんな住宅街やマンション、アパートの前に大きな「引越し用」のトラックが停車していたり、外歩きの営業仕事で住宅街のご家庭を訪問すると、春休みの高校生や大学生にもよく出会う季節なので、もうすぐ進学、入学の季節だということがよくわかります。

 そんな「春待ち遠しい季節」なのに、ほんとうにわけの分からない、とんでもない幼児殺人事件が発生していたり、例の大学入試での携帯サイトからのカンニング事件など、春の喜びとはほど遠い話題も多くて、心の中はなかなか「春らんまん」とはいかない様です。

 全く話は変りますが、政府、民主党を取り巻く政局的話題として、菅直人首相の首の据え替え時期が論評されていたり、前原外務大臣や議員たちの「個人献金」に、在日外国人からの献金や「脱税容疑者」からの献金が収支報告書から判明したとのことで大騒ぎになっているようですが、確かに政治資金規正法などの法律的には違反もしくは好ましくない献金だとされていて問題なのでしょうが、大臣辞職や議員辞職などと大騒ぎする問題ではないのではないかと私は思っているのですが、マスコミの騒ぎ方が異常なこの国では大問題になっているようです。

 マスコミ、特にテレビ、新聞などの報道ぶりの異常さというべきか、本当に大切な問題提起はおろそかであっても、ささいな中傷や誹謗に近い政治家同士の「痴話げんか」や「足の引っ張り合い」には敏感に反応して、大々的に書き立てるという、何ともお粗末な報道ぶりが目立っていて、国民有権者のひとりとして「報道の仕方に嫌気」がさして仕方がありません。

 そんな報道ばかりの中、「啓蟄」に、動き出した「赤いテントウムシ」の話題は、少しほっとした季節を感じる記事でした。
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