ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

昭和の日に昭和町。

2010年04月29日 | 季節の話題
 今日は天気が上々で朝から大阪へと出かけた。

 4月29日は何の日だったっけ?と思いながら、ゴールデンウイークの初日、朝から高速道路の渋滞情報を見ながら、私はいつもの最寄のJR駅から学研都市線、大阪環状線経由で、母のいる阿倍野へと足を向けた。

 ほんとうに久々と言った感じの好天に恵まれたので、いきしに和菓子店で「桜餅」と「柏餅」を購入して、母とのお茶の時間を楽しんだ後、ちょっとした散歩にと近所を一回りした。

 年老いた母と手を繋いで、ゆっくりと歩くのだが、最初は足が痛いなどと言っていた母なのに、近所のお家の庭に咲くハナミズキの花やサツキの花の美しさに目と心を留めて、しばらくすると足の痛さを忘れて、ニコニコと散歩を楽しんだのであった。

 近くの小学校の校庭の柵の間から見え隠れしていたレンゲの花や小さな黄色い花を摘んだりしながら、帰る頃には手には小さな野草の花束がしっかりと握られていて、部屋に戻っては小さな水差しに花を生ける喜びとなった。

 あまりの天気の好さに、私自身は母と別れた後は、気持ちよく歩いて東へと私の実家の様子を見ようとテクテクと歩を進めていると、ある公園の周辺に人だかりがしていて、その陽気と人の多さに、いつの間にか吸い寄せられる感じで、公園の中へと足を向けたのであった。

 何と、今日は「昭和の日」ということで、昔の天皇誕生日が、後に「みどりの日」を経て、昭和の日となっていたのだが、この「昭和の日」にちなんで、阿倍野区昭和町一帯でのイベントとして、「どっぷり昭和町」というおまつりが開催されていたのであった。

 「昭和町」で、「昭和の日」に「昭和建築の文化財」で「昭和の文化」を味わうおまつり開催。というレトロな雰囲気の地域まつりのちらしが配られていた。

 関西から文化力、大阪ミュージアム、大阪府文化振興基金などの協力も得て、「どっぷり昭和町実行委員会」が主催し、大阪市、大阪市教育委員会などをはじめ、地元の阿倍野区王子連合振興町会や大阪市立苗代小学校PTAなども後援しているのだ。

 確かに古い昭和を実感させられる木造建築の長屋が立ち並ぶ大阪市阿倍野区昭和町界隈なのだが、私の妻の実家もその界隈にあるので、義理の母を誘って近所でお祭りを満喫しようと思い立って立ち寄ったが、あいにく来客中だったので一人でぶらぶらと楽しんだ。

 私たちが生まれ育った「昭和時代」を今も強く感じさせてくれる街並みの中に、大勢の人たちがやって来て、音楽ライブや落語会、そして子どもの遊びや縁日の様な手作りお店や、日頃の商店が店先で特売やイベントを仕掛けていて、とても賑わっていた。

 私は野菜カレーや特製のコロッケを昼食に買って、寺西家という古き民家の庭の縁側で食したり、長屋の二階から聞こえて来る音色に耳を傾けながら、町と人のコラボをゆっくりと見学することが出来たのであった。
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「敬客愛品」

2010年04月28日 | 感じたこと
 今日は久々にいい天気になって、日中は春を通り過ぎて夏を感じるほどの気温が上昇し、ティーシャツ姿の若者もちらほらと見受けられた。

 仕事の現場に社用車で行き来しているのだが、今日も朝から宇治、城陽、京田辺、精華町と、約80キロを走って、多くのお客様と話したりしたが、途中から暑さがこたえきれなくなって、車内で二枚ものシャツを脱いだり着替えたりした。

 途中、私の前を走る大型トラックを見ると、後ろに「○○運送」という社名と共に、同様の大きな文字で「敬客愛品」と書かれており、なかなかいいスローガンだなと思ったのであった。

 確かに、「お客さんを敬い、運ぶ商品を愛する」ということは理想なのだが、果たしてこのスローガン、もしくは目標通りになっているだろうかと半信半疑となった。

 
 以前中国に初めて行った時に気に入って買ったバッジに「四海一家」という四字熟語が書かれていて、「シーハイ、イージャ」、すなわち「地球上の人類は皆んな兄弟、家族である。」という意味の素晴らしい言葉なのだが、果たして理想は実現は出来ないだろうと冷ややかに感じたことがあった。

 日本語の四字熟語には、まさか「敬客愛品」などという言葉は無いのだが、たぶん西郷隆盛が好んだ言葉として残っている「敬天愛人」をモジッタ造語だと思うのだが、なかなかいい造語ではある。

 しかし、こんな理想、目標を掲げたスローガンを貶すつもりではないのだが、こうしたスローガンを掲げた「トラック運送会社」のドライバーや経営者が全て、「客を敬い、運ぶ商品を愛している」とは思わないし、目標とする言葉、スローガンが書かれているに過ぎないと藪にらみ的に感じるのは私だけだろうか。

 西郷さんの好んだ言葉である「敬天愛人」の精神も大変大切なことだと思うが、現代人だけでなく、多くの人間にとって、日々の暮らしや仕事に追われていて、「天を敬い、人を愛する」という心はあるとは思うが、日常的な生活空間には殆ど感じられないのが現状ではないだろうか。

 きっと多くのトラック運送会社だけでなく、このスローガン「敬客愛品」は使われている様だが、もう一度標語、目標を掲げた言葉の意味を反芻しながら仕事に従事していただけたら、さぞかし物を運ぶだけでなく、心をも運ぶことが出来るだろうと、門外漢の私ですら考えるきっかけとなったのである。

 西郷隆盛が、「敬天愛人」、すなわち「天を敬い、人を愛する」という好んだ言葉を、どれ程人生で生かしていたかは定かではないが、私たちも日常生活のちょっとした隙間ででも、「敬客愛品」と「敬天愛人」大切にする「心」を再確認したいものである。
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「牛乳」を飲もう!!

2010年04月27日 | 感じたこと
 数日前だったが、とある喫茶店で珈琲を飲んでいたら、隣の席に座っていた年の頃なら30代から40代にかけてのお母さんたちが、四人ほどでだべっていた。

 たぶんお母さんたちは子どもさんたちが同級生だと思われるご婦人方で、学校での授業参観か何かが終わってお昼ごはんを食べた後の「お茶タイム」の様子であった。

 元気な一人のお母さんが「うちの子は牛乳を一リットルでも飲む」ので、いつも一番安い牛乳で165円程度のものを三本ほど買うらしく、「あったらすぐに無くなるので・・・」と言っておられた。

 値段が安いのは家計にとって、お母さん方にとって魅力なのはわかるが、さて「165円の牛乳」とは、たぶん「牛乳」ではない「加工乳」か「乳飲料」と表記されている「牛乳も入った飲み物」なのだろうと推察できた。

 つまり一言で「牛乳」と称している「飲み物」だが、厳密に言えば「成分無調整」のものが「牛乳」なのだが、「成分調整牛乳」「加工乳」「乳飲料」など多種多様な加工が施された「飲み物」と化しているのである。

 先日、朝日新聞で連載されていた「あなたの安心」、「気になる牛乳の話」①から⑤で、その詳細が紹介されていたのだが、ご覧になった方もいると思うが、一般の主婦の方々はご存知でない方も多い、「牛乳の話」であった。

 現在、全国的に「牛乳」の消費量が減り続けていて、農林水産省の食料需給表によると、一人当たりの一日の牛乳消費量は2007年に95・5gと、10年前より13%も減少しているらしい。

 そんな中で、森永乳業が昨年3月に発売した「まきばの空」が売り上げ好調らしく、098年のヒット商品の一つに数えられ、発売後一年間で1億本を突破したらしい。

 しかし、この商品は厳密に言えば「牛乳」ではなく、厚生労働省の「乳及び乳製品の成分規格等に関する省令」の定めによると「成分調整牛乳」であり、生乳から水分や乳脂肪分の一部を取り去り、乳脂肪分が成分無調整の牛乳の3%に対し、2%台に抑えられている。

 牛乳は、そもそも乳脂肪が3%以上のほか、無脂肪固形分8%以上のもので、この無脂肪固形分に、たんぱく質、乳糖、ミネラル、ビタミンなどが含まれているのだ。

 昨春の飼料価格の高騰から牛乳の価格が10円から20円値上がりしたのだが、成分調整牛乳の値上げは小幅に抑えられたため、成分無調整の本来の牛乳との価格差がひらいて
格安感が増したのだそうだ。

 生乳100%のが「牛乳」と表示できるので、成分調整牛乳も牛乳と表示は出来るし、加工乳や乳飲料の場合も、生乳が50%以上含まれていればいいのだが、コーヒー牛乳とかレモン牛乳とかとの表示はできないこととなっている。

 欧米諸国の「牛乳」と日本の牛乳の最大の違いは、殺菌方法であり、日本の大半の牛乳は120℃から130℃で2、3秒の超高温短時間殺菌が主流なのだが、牛乳本来の旨みや栄養分を運んでくれる微生物が死んでしのまうし、加熱臭がしたりするので、賞味期限は少し短いが、欧米諸国では当たり前の低温殺菌牛乳の方が、大変美味しいし牛乳本来の栄養素が吸収されるという。

 私は大の牛乳好きで、今でも一日に必ず低温殺菌牛乳をコップに最低一杯は飲んでいる。
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鰆、だし巻き卵、赤だし。

2010年04月26日 | 季節の話題
 ようやく、ここ二日間は春の兆しを感じるお天気となって、昼のひなかに田起こしをしている田んぼを見つめながらお弁当食べている女性を発見したので、声をかけて少し話てみた。

 何と京都の百万遍近くで「畑カフェ」という名のおいしい無農薬野菜とお米でランチを提供している糸川さんの店のスタッフらしく、糸川さん自身が耕運機を動かして、田植えを控えての田んぼの土起こしをされていたのであった。

 日中は昨日、今日といい天気に恵まれたが、再び明日は天気が下り坂となって、今日よりもまた寒くなるという、ほんまにけったいな春である。

 仕事の現場に向かう社用車の中で聞いたFM放送では、魚ヘンに春と書く魚である「鰆」について話していて、サワラとは狭い腹の魚を意味する言葉が言語で「サワラ」となったらしく、スズキ目のサバ科に属する海水魚で、細長い体の大型肉食魚で、サゴシ、ナギ、サワラと名が変わる出世魚で、サーラとかヤナギと呼ぶ地方もあるそうだ。

 一般的には、赤身の魚で焼き魚として食べられるのだが、西京味噌を使った「西京焼き」や「唐揚げ」(竜田揚げ)などでも食べられ、身が軟わらくかくて煮物には向かない。

 岡山県周辺では鮮度の良い物を刺し身で食べるほか、北陸を中心とした地域では昆布締めにして食べ、香川県などではサワラの卵巣を使ってカラスミをつくるそうである。

 だし巻き卵は、溶き卵にだし汁を混ぜて焼き固める卵料理なのだが、特製の銅製の四角い鍋というかフライパンでしっとりふっくらと焼き上げた「だし巻き卵」の味わいは格別であり、FM放送では「京のお土産品」としての食材としてもいいぐらいの「美味しくて食べたくなる」関西地方独特のおかずとしての一品であり、「厚焼き卵」との違いは砂糖で甘めに焼くがだし巻き卵は味醂ので甘さは抑えたものである。

 関西地方では、このだし巻き卵をメインのおかずにした「だし巻き卵定食」などもあって関東地方の「厚焼き卵」とは一線を隔しているのであるが、ほんとうに美味しい「だし巻き卵」を焼く料理屋には行って食べたくなるものである。

 私が若かりし頃、大学時代にアルバイトで早朝のホテルの朝食メニューの段取りと片付けに行ったことがあったのだが、京都の老舗の和食料亭が、三条蹴上の有名ホテルに入っていて、毎食のメニューに、この「だし巻き卵」と「赤だし」をメインに温っかいご飯とセットで提供していたので、バイトの終わりに、手付かずで残って戻ってきた「だし巻き卵」と料理長が毎朝チェックにやってくる「赤出汁」を食すことが出来たので、ほんとうに「うまい!」と感動したことを覚えている。

 それに出来れば「さわらの焼いたん」か「鰆西京焼き」が付けば、最高の春の和食朝食メニューとなったであろうとイメージするだけで、唾が出てくるほど日本食のシンプルで旨い春の定番になると思ったのである。
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「きゅうたなべ倶楽部」

2010年04月25日 | 地域の話題
 地元京都府京田辺市に学校法人同志社の大学などがキャンパスを移転してきて、早や24年が経とうとしている。

 この同志社大学のキャンパスに通学するために兵庫県宝塚方面からJR福知山線から東西線、学研都市線経由で同志社前という名の小さな駅まで一応ひとつの線で結ばれているので、早朝から大学へと乗車した学生たちの内、何人かがあの忌まわしい尼崎電車脱線転覆事故の犠牲となって以来、5年の歳月が流れた。

 その事故があった2年前の同月同日の4月25日に、学生と市民の交流活動を主体としたNPO法人で、「同志社大学と京田辺市民のネットワークとして「きゅうたなべ倶楽部」が発足して、今日で7周年を迎えた。

 当時、私自身は縁あって、この町京田辺市に住んで23年を迎える市民の一人として、どうも学生さんたちとの関わりだけでなく、振興住宅地に引っ越してきた、所謂「新住民」のひとりとして、この町を住処として、この町を愛して活動し生きて行くためにも、何か足らない物足らなさを感じていた時に、地元京田辺でしか通用しない「地域通貨」としての「きゅう」をツールに学生や市民が多種多様な交流と出会いを経験できる仕組みを企てる団体としての「きゅうたなべ倶楽部」の発足は、大変うれしいニュースであり、早速元同志社大学生のひとりとして参加させていただいたのであった。

 私自身の同志社と京田辺との出会いは、何とも奇縁であったと言っても過言ではないだろうが、学生時代は産学協同反対との機運もあって、近鉄や住友金属などの大手企業との大学の連携や協力は、大学の自治や学究本来の純粋な目的がゆがめられて、企業の為の大学と成り下がる危険性ありという理屈で、学園中で反対の嵐が吹き荒れていた。

 その当時「田辺町」が何処にある町かは、大阪から一年生当時は今出川まで通学し二年生の秋には先輩の薦めもあって岩倉の寮に入寮した若者にとってはどうでも良かったのかもしれないが、全く知る由もなかった。

 それから月日が流れて、大学を5年間でフェイドアウト、すなわち中退した私は、しばらくして小さな音楽関係の会社に入社し、一年後結婚と同時に東京へと転勤し、8年間の東京暮らしをしていた。

 月日が経って、実の母も父を亡くして十年が経過し、年齢も65歳という高齢者の仲間入りをする時期に、一人息子としては、せめてもの親孝行と思って関西へと帰ろうと思案していた時に、先輩から『子どもの遊び場活動」のリーダーとして、現在の京田辺市への引越しでやって来たのが、同志社大学の移転先の「田辺町」であった。

 奇妙な縁とでも言うべきか、その町「田辺町」で、約十年後「議会議員」となって、三年前までの16年間、町議、市議として仕事をさせていただいたこともあって、より身近に同志社大学と京田辺市のリンクを考える機会が増えたのであった。

 心の故郷、学生としての母校が、ここに結びついて、より円滑なコラボが出来ればと、「きゅうたなべ倶楽部」に期待しているが、今後の関わり方と役割を再考する機会となった。
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「霜止出苗」だって?!

2010年04月24日 | 季節の話題
 明日は4月25日で、七十二候では「霜止出苗」といって、「しもやみてなえいずる」と読む日にあたります。

 読んで字の如く、季節的には「霜が降りるのが止まって、苗の芽が出る頃」という日なのですが、関西地方だけでなく日本中の昨今の天候不順で、今朝方は雨が降っていたかと思うと晴れてきて気温も上昇し、春の気配を感じる一日になるかと思いきや、すぐさま「お天気雨」が降ってきて、寒くなり「キツネの嫁入り」にしては、また晴れて、そして小雨がしとしとと降る繰り返しの「けったいな天気」でした。

 五年前の明日は、関西地区に住まう者としては忘れることの出来ない、JR福知山線の尼崎駅に向かう電車がカーブで全速力で遅れを取り戻すべく走ったために、脱線転覆し運転士をはじめ多数の死傷者が出た「大事故の日」なのです。

 この事故については、五年も経ってようやく事故を未然に防ぐことが出来なかった歴代のJR西日本の社長三人が強制的に起訴されることになったというニュースが伝わり、大企業の利益追求優先のための、しわ寄せが招いたと言われている大事故の責任の一端を会社経営側に明らかにしてもらう裁判が今後続くことになりそうです。

 「霜止出苗」については、お百姓さんたちは当然の如くご存知の季節用語ではあるが、私たち農業に直接たずさわらない庶民にとっては、目耳に新しくさえ思える言葉だが、この四月下旬は、たとえば「米作り」にとっても苗代を整え、田んぼの土起こしをして、田植えの準備に入る大切な季節なのだが、今年の気候不順は、とんでもなく手順を狂わせんばかりの異常な状態であり、田んぼには水が溜まっていて、田起こしが出来ないとか、寒さがぶり返して苗床が育たないとかで大変な状況だと聞く。

 私たちの食生活の基本である「米」づくりに大きな支障が出る恐れのある状況であり、ただですら地球温暖化の兆しが顕著なために、ニッポンの「米作り」もだんだんと北上の一途を辿っていて、九州などでは「米づくり」が適さないという時代が近くやってくるとの予測もでる程で、こうした季節が大きくずれたり、春が冬になったり、夏になったりと感じる様な不順さに一番敏感なのが、植物であり、米作りをばめとする農業にピンチの黄信号が点ったと言っても過言ではないだろう。

 農作物の苗から成長過程で一番大きな痛手は、苗が育つ過程で「霜が折りる」ことなので、この不順な気候で朝方の冷え込みで霜が降りるようなことになれば、農家は一年の収穫も見込めないなど大きな痛手を蒙ることになるのである。

 明日の朝も最低気温が五度前後で日中は十六度程度にはなるとの予報だが、地方によっては四月半ばも過ぎてゴールデンウイークに入ろうとしているのに、「霜の心配」をしなければいけないほどの天候不順が続く危険性が、今年はあるという異常な春といえよう。

 政界も含め、人間様のやること為すこと、自然界に対して失礼かつ無茶苦茶なことをやっている「示し」か「罰」が神様から授けられている様にも感じてならない。

 

 
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「辞めてやる!」

2010年04月22日 | 感じたこと
 今朝私がパート従業員として働いている事務所に出勤してまもなく、上司から同僚の32歳の若い青年が今日で退職するという電話があったと伝え聞いた。

 昨年の秋から約半年間ではあったが、一緒に現場に行く機会が多い同じチームに属していたこともあって、よく行き来の車の中で喋った仲間だったので、少し残念に感じだが、彼自身にとっては苦渋の選択だったのかもしれないが、その後私の携帯電話に彼からのメールが入り、自分にとっては各戸訪問をする営業は向いていなかったのではと書かれていた。

 私自身の感想を率直に言えば、仕事の内容が向いているとか向いていないとかではなくて、一週間の土日を除く平日の十時から五時頃までのパート仕事なのだから、仕事がきついというわけでもないのに、毎週必ず一日か二日は体調を崩したと言って欠勤していたことを思うと、仕事として続ける意思が弱かったとでも言うべきだと思うのだ。

 30過ぎの若さで、いくら週に三度ほどは夜間のバイトとして居酒屋の店員もやっていたらしいのだが、少し寝不足になることはあっても、頑張って出勤してくれば何とか現場に到着する前には目が覚めて仕事ができるのになぁと、いつも思っていたのだ。

 しかし、彼は土日の休みに彼女とデイトすることも含めて、遊んだりフットサルに興じたり、バンドの練習をしたりと、いろいろと活躍しているみたいなので、疲れることもあろうが、一週間の五日間連続で出勤できたことが少なかった。

 本人曰く、「自分には向いていなかった」らしいのだが、どう考えても「向く」「不向き」の次元ではなく、「仕事としてやり抜く」という精神が欠けていた様に思えてならない。

 上司に電話で辞意を伝えたと彼自身のメールには記されていたが、突然の知らせに私自身は残念に思うと共に、新たな彼自身の決断は尊重するが、今後の就職活動も厳しい中での退職に「大丈夫?」と突っ込みたくなる気持ちでいっぱいである。

 話は替わるが、最近二人か三人の高校生が入学して、まだ一年しか経っていないのに、今通学している高校を辞めてしまったとの話を聞いたのである。

 ひとりの男の子は、中学卒業と同時に受験した府立高校の工業科で、先生との馬が合わないとでもいうのだろうか、学校が面白くないと二年生を目前に退学してしまって、今後は定時制高校に通って、日中はバイトか仕事をするというのである。

 母親に言わせれば、せっかく入った高校なのに、「いったいどうしたいのかが分からない」と嘆いておられたが、先生との折り合いだけでなく、社会に出れば多くの人間関係の中で、自分の思うようにならないことも多くあるはずなのに、今の子供は「我慢が出来ない」と言う。

 しかし、子どもたちだけでなく、大人の仲間入りしているであろう30歳を超えた青年も「我慢を知らない」とでも言うべきか、すぐに「辞めてやる!」「辞めさせて下さい!」が多いのだから、「医師の上にも三年」の諺もナシのつぶてである。
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何が一流で誰がプロか?

2010年04月21日 | 感じたこと
 現代社会は、インターネットの普及で全世界が近づいたとも言われているのだが、はたしてそうだろうか。

 インターネットたるものは、既にこの世に生まれた情報やニュースを寸時に知ったり伝えたりするには、とても便利で役立つツールだろうけれど、いつもそれは既に過去のことなのである。

 つまり、子どもたちも含め多くの全世界の人たちがインターネットに向かって、すなわち携帯や端末機器を手にして情報を常に自分のものにしようと時間を割いているのは、他人の知恵や情報に動かされているにすぎないことなのである。

 私たちの日常生活は、日々の家庭生活に始まって、仕事や学校、もしくは難しそうに考えながら立ち向かう人間関係など、様々だろうけれど、よーく考えて見るまでもなく、自分が生きるためなのに、いつのまにか他人の情報や考え方に左右されたり影響を受けたりして、取捨選択する繰り返しを行っているのかも知れない。

 つまり、私が言いたいのは、多くの情報や過去の出来事の事実を知ることは何も悪いわけではないのだが、その前に自分はどう生きたいのか、どういう日々、時間を過ごしたいのかがないままに、日々の時間を多くの情報や他人の言動、行動に引きづり回されて生きていないかということである。

 そんな毎日の日常生活の中で、働き、食事をし、テレビや新聞を見て、いろんな著名人や専門家の意見やパフォーマンスに接するのだが、直接、間接を問わず、「さすがだなぁ!」と感動に近い衝動を覚える一流やプロに出会うことがどれほどあるのだろうか。

 既に多くの過去の情報に頭の中は占拠されていて、そういえば「よく聞いたことのある有名人」や「テレビで見たことのある著名人」などを私たちはその道のプロ、専門家と思ってしまっているだけかもしれないのである。

 自分自身の価値観、すなわち「美しい!」とか「美味しい!」とか「素晴らしい!」とか言う感じ方が本当に自分自身の審美眼や音、味、経験で心底感じているのだろうか、甚だ疑問なのである。

 つまり、名の通った人や作品や有名な物に、私たちは「さすが!」とか「素晴らしい!」とか言っているだけで、本当にその良さや素晴らしさを感じているのか、改めて問い質して見ればいいだろう。

 結局、私たちが思っている「一流」とか「プロ」は、その大半が過去の他人の評価や賞罰の有無などから、所謂マスコミが与えた称号とも言うべき「専門家」や「芸術家」「政治家」「○○の巧み」などという形で、私たちに刷り込まれているために、そう思ってしまっているに過ぎないのかも知れないのである。

 本当の一流やプロは、自分のことや自分の作品を自画自賛したり、賞罰の多さで語ることもないだろうし、他者が評価する中で勝手に「一流」や「プロ」と認識されていくのだろう。

 屈託のない幼い子どもたちから人生の長きを経験されてきた高齢者の皆さんまでが、拍手喝采するような、シンプルで理屈や解釈の必要でない「素晴らしさ」を持った作品や人物を「一流」や「プロ」と呼ぶことにしよう。
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鉄人も限界!

2010年04月20日 | プロスポーツ
ファンならずとも、阪神タイガースの四番打者として、広島カープ時代からのフルイニングス出場を続けていた、鉄人金本知憲選手が一昨日の横浜戦のメンバー交換5分前に、先発出場を辞退し、連続ふるイニング出場の世界記録が、1492試合でストップした。

 大阪ではなんとスポーツ紙の号外まで出る大ニュースとして取り上げられ、プロ野球の世界以外からも「惜しい!」との声や「お疲れさん」という労いの声も聞かれるほどの、当然の先発四番が突如として消えてしまったことで大騒ぎであった。

 しかし、右肩の痛みがどれ程かは知る由もないが、連続試合出場は継続させるとのことで代打としては登場し、ファンの喝采を浴びたが惜しくもセカンドゴロで凡打に終わった。

 月曜日の試合のない一日をはさんで、阪神ファンの本拠地、地元甲子園に帰って来ての広島戦も当然先発メンバーに四番、レフト金本のアナウンスとバックスクリーンの選手名掲示はなく、代わりに何と昨年までキャッチャーとして頑張ってきた狩野がスタメンから八番レフトに入って試合が始まり、なんと代役狩野が二度目の打席でセンターオーバーの見事なスリーラン本塁打を放ち、阪神タイガースは金本の先発出場なしで二連勝したのである。

 ベンチにいた金本は先発下柳の代打としてやはり登場はしたが、力弱い打球のセンターフライに終わり、今日も快音は聞けなかったが、金本自身の表情はさばさばした感でベンチで戦況を見つめながら、笑顔さえこぼれるリラックスした表情が印象的であった。

 真弓監督も一昨日の試合前に急に先発辞退の本人の要請を受けて、一時は説得し出る様に言ったらしいが、兄貴金本自身の決断は固く、前日の左翼での守備でまともに投球が出来なかった悔しさと無念さから、チームの勝利のためと先発辞退を申してで、自らの世界記録がストップしてしまったわけである。

 やはりプロスポーツ選手としては、歯がゆい思いだったろうが、潔い決断というべき辞退であり、多くのファンは改めて「鉄人・金本」の偉大さとプロ選手としての魂、心と体のアンバランスに悩む主砲の葛藤と決断に拍手を送ったのである。

 今日の広島戦は、元広島カープに所属していた金本や新井の古巣なので、少し複雑な気持ちもあったが、新四番に座った新井の二塁打を足がかりに桜井がタイムリーを放ち、その後に狩野が特大のスリーランを打って、試合を決めたので、金本の笑顔が見れたし、今後の彼の右肩だけでなく体の万全な回復へと日にちがかかるだろうが待ちたいと思う。

 鉄人・金本とて四月の誕生日で42歳を迎えた中年のおっさんであり、球界最年長でいまだ現役を続けている西武ライオンズの工藤公康投手とて、実際のところは若手に対する準コーチ的役割で日々を過ごしていると思われるので、金本知憲選手にも、今後の活躍も期待しつつ、十分なる休養と体のチェック、治療もしていただきながら、将来の指導者としての役割、ひいては阪神タイガースの将来の監督への道を歩んでいただきたいと、一ファンとしては願っている。
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何故に徒党を組むのか?

2010年04月19日 | ちょっと可笑しいよ
 昨日、山田宏杉並区長が代表で、中田宏前横浜市長が代表幹事を務めるという地方自治体の首長新党「日本創新党」が発足し、今日は橋下大阪府知事を代表とする「大阪維新の会」が府議会会派というグループだけでなく、府議や市議も服務新党として旗揚げしたらしい。

 とにかく、参議院選挙を約3ヶ月後に控えて、政権与党の鳩山内閣の支持率が急低下して、なんと33%というテイタラクの状況下で、あっちにもこっちにも少数政党が「雨後の竹の子の如く」誕生している。

 先の老人決断新党「たちあがれ日本」は五人の国会議員による新党という形なので、政党用件としての最低の議員を確保して、所謂「政党助成金」の対象政党として、税金からの政治資金を得られるのだが、「日本創新党」や「大阪維新の会」は、単なる政治グループであり、何故にこうも「徒党を組みたがる」のか、私には理解できない心情である。

 私自身は幼い時からやんちゃ坊主だったのかもしれないが、「お山の大将」になったこともなければ、グループを率いる闘士として活動したこともなく、親しい友人や協調できる仲間はいたことはあるが、「政党」や「○○組」などに所属したことは一度もない。

 悪く言えば「一匹オオカミ」なのかもしれないが、私自身は「私の考えや主張は私自身のもの」と思うので、テーマや課題においては協力や協調を求めたり、逆に協力したり同調したりすることもあった。

 しかし、常に「○○党の党員」だから、党の考え方に従うのは当然とか言った責任と義務が尊ばれる、従属的関係がある「○○グループ所属」を決して私は好まない立場で、政治的活動や町議、市議としての発言、行動もしてきたのである。

 「徒党を組む」とは、ある目的の為に同志を集めてパーティーを組むことなので、英語でいう「政党」とは「パーティー」というので、徒党をまとめるリーダーである党首を中心に戦略と戦術を考えて進む集団となるのである。

 逆に考えれば、私自身は、いろいろと市民生活のこと、日本人としての生き方についても私自身の考え方があるので、党や組織によって決定された結論に従うという形で、自分自身の発言や行動が制約されるのが不自由だし、出来ないのである。

 ある人は、返って政党人として政治活動をする方が楽だし、選挙の時も戦いやすいと思っているらしいが、私は全く逆で、自分自身が思ってもいない政策や考え方を主張したり、説得したりする行動や言動は許せないのである。

 「徒党を組む」とは、何でも一緒に一緒の目的の為に汗を流し活動し、達成感を得られるという盛り上がりや集団心理が大きく働くのだろうが、私はほとんど関心がなく、一人で主張し行動し、同調してくれる方がいたら、協力をお願いして共に、その問題においては行動を共にするといった、テーマごとのグループは容認できると思うのである。

 昨今の新党ブーム?!なのか、小さな徒党を組むグループの出現には、ほとんど関心も無く期待もない。

 一つ間違えば、自分の意見や考え方に同調しなければ批判と敵対の精神で戦うというファシズム的徒党になる危険性も孕んではいないだろうか。

 
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