五月も下旬、一番いい気候の頃だと思うが、明日には近畿地方も早くも「梅雨入り」するとの予報がもたらされていて、一年の半分が過ぎようとしている今年も、寒さが続いていたかと思うと突然に暑さがやってくるといった感じで、人間だけでなく自然界の草花や小動物たちも困惑しているに違いない感じである。
ここ数日は、仕事で自家用車を走らせていても、町並みの中の生垣や各住宅地に咲き誇る「さつき」や「バラ」そして、名は知らぬがとても初夏を感じさせてくれる草花の美しさが目を楽しませてくれるばかりか、心から「幸せ」を感じさせてくれるのである。
特に大きな喜びごとや出来事があるわけではないが、日々の移ろいの中で健康に働けて、出会う人々との何気ない挨拶や会話が如何に自分自身を元気付けてくれているのかがよくわかるのである。
それぞれの出会いは何も予定されたものではなくても、日々の天候や草花の咲き誇る様や中にはミツバチの動向や飼い犬や猫の様子といった普通の話題や会話が自然の移ろいの中で生きている自分たち「人間」の営みを形づくっているという、当たり前の日々の時間と空間の中での存在感を意識させてくれるのである。
人間にとっ手、大切な「間」として上げられる3つの「間」、つまり「人間」「時間」「空間」を無意識のうちに移動したり感じたりしながら、一日24時間を過ごしているのが毎日なのだが、如何に大切にこの3つの「間」とつきあっているかどうかを考えると、少し流れに任せている感が強いのだが、それでも日々の時間と空間の間で「人間」と出会う自らに喜びを感じる「幸せ」という価値観がつまっている。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/a9/212fde9acfe526d1d1aec38a63b7b1ee.jpg)
自然の移ろいとしての季節の移り変わりの中で、直接会って話せる人、電話で話せる人、そしてメールやフェイスブック等を通じてコミュニケーションしている友人や知人たち。
時間の経過とは関係なしに、日々の移ろいをツイッターの如く情報のひとつとして発信している人たちと、直接ではないが間接的にスマホというツールを通じてつながっているという存在感は、自分だけの一方通行ではなくて友人、知人たちとの相互確認として存在しているのであろうと思うと、ちょっとした記事に対しての「いいね」のクリックさえも、少し楽しくて幸せに感じたりするものである。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/c4/196643559962ad42cef040b07915df8e.jpg)
ある毎日訪れるお客様の玄関先では、愛犬のベルンが私の車の音を遠くから早く察知して、思い切りしっぽをふってお出迎えしてくれて、玄関先の網の隙間から私の手の指を嬉しそうに舐めまくるのが習慣となっていて、その家の御仁もほんとうにびっくりする程のセレモニー的しぐさとなっているのである。
また、ある上品なおばぁちゃんは、いつも丁寧に挨拶をしていただき、季節の天候の話し、お庭の草花のこと、毎朝お部屋から聞こえて来る音楽のことなど、数分間ではあるがおしゃべりを楽しみにしていただいている様子であり、今朝もご高齢ではあるが生きている限りの「夢」についての話をしたのである。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/af/2f67f8830cc3db5ddb41d23429393969.jpg)
哲学的な難しい話ではなく、今を生きていて今日も出会うという必然に対して、やはり大切な時としての自覚が重要であり、ひょっとしたらその時が最後になるかもしれないということもありうるのが、私たちの日々であり、特に出会いは偶然ではなく必然的なことだからである。
そういう日々の空間、時間の必然的な人間の出会いを、如何に楽しむかが私たちの幸せ感につながっているわけで、如何にそのことが幸せかを直感できれば、日々は素晴らしい時の連続となるのである。
今年のプロ野球も開幕から約二ヶ月が経過して、ただいま交流戦のまっ最中なのだが、昨夜の阪神のドラフト1位の藤浪晋太郎投手と日ハムの同じく一位ルーキー大谷祥平選手の甲子園でのプロとしての初めての対決という必然的なシーンは、満員の球場に駆けつけたファンだけでなく、全国の野球ファン、とりわけ阪神ファンにとっては結果としての勝利も含めて、最高の幸せなひと時でもあったのである。![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/c7/24d662c7800e137b792199345f708a80.png)
これからも続く、この二人の必然的な運命の対決は、プロ野球シーンに多くの幸せを運び、歴史に名を残すほどのこととなりそうである。
ここ数日は、仕事で自家用車を走らせていても、町並みの中の生垣や各住宅地に咲き誇る「さつき」や「バラ」そして、名は知らぬがとても初夏を感じさせてくれる草花の美しさが目を楽しませてくれるばかりか、心から「幸せ」を感じさせてくれるのである。
特に大きな喜びごとや出来事があるわけではないが、日々の移ろいの中で健康に働けて、出会う人々との何気ない挨拶や会話が如何に自分自身を元気付けてくれているのかがよくわかるのである。
それぞれの出会いは何も予定されたものではなくても、日々の天候や草花の咲き誇る様や中にはミツバチの動向や飼い犬や猫の様子といった普通の話題や会話が自然の移ろいの中で生きている自分たち「人間」の営みを形づくっているという、当たり前の日々の時間と空間の中での存在感を意識させてくれるのである。
人間にとっ手、大切な「間」として上げられる3つの「間」、つまり「人間」「時間」「空間」を無意識のうちに移動したり感じたりしながら、一日24時間を過ごしているのが毎日なのだが、如何に大切にこの3つの「間」とつきあっているかどうかを考えると、少し流れに任せている感が強いのだが、それでも日々の時間と空間の間で「人間」と出会う自らに喜びを感じる「幸せ」という価値観がつまっている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/a9/212fde9acfe526d1d1aec38a63b7b1ee.jpg)
自然の移ろいとしての季節の移り変わりの中で、直接会って話せる人、電話で話せる人、そしてメールやフェイスブック等を通じてコミュニケーションしている友人や知人たち。
時間の経過とは関係なしに、日々の移ろいをツイッターの如く情報のひとつとして発信している人たちと、直接ではないが間接的にスマホというツールを通じてつながっているという存在感は、自分だけの一方通行ではなくて友人、知人たちとの相互確認として存在しているのであろうと思うと、ちょっとした記事に対しての「いいね」のクリックさえも、少し楽しくて幸せに感じたりするものである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/c4/196643559962ad42cef040b07915df8e.jpg)
ある毎日訪れるお客様の玄関先では、愛犬のベルンが私の車の音を遠くから早く察知して、思い切りしっぽをふってお出迎えしてくれて、玄関先の網の隙間から私の手の指を嬉しそうに舐めまくるのが習慣となっていて、その家の御仁もほんとうにびっくりする程のセレモニー的しぐさとなっているのである。
また、ある上品なおばぁちゃんは、いつも丁寧に挨拶をしていただき、季節の天候の話し、お庭の草花のこと、毎朝お部屋から聞こえて来る音楽のことなど、数分間ではあるがおしゃべりを楽しみにしていただいている様子であり、今朝もご高齢ではあるが生きている限りの「夢」についての話をしたのである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/af/2f67f8830cc3db5ddb41d23429393969.jpg)
哲学的な難しい話ではなく、今を生きていて今日も出会うという必然に対して、やはり大切な時としての自覚が重要であり、ひょっとしたらその時が最後になるかもしれないということもありうるのが、私たちの日々であり、特に出会いは偶然ではなく必然的なことだからである。
そういう日々の空間、時間の必然的な人間の出会いを、如何に楽しむかが私たちの幸せ感につながっているわけで、如何にそのことが幸せかを直感できれば、日々は素晴らしい時の連続となるのである。
今年のプロ野球も開幕から約二ヶ月が経過して、ただいま交流戦のまっ最中なのだが、昨夜の阪神のドラフト1位の藤浪晋太郎投手と日ハムの同じく一位ルーキー大谷祥平選手の甲子園でのプロとしての初めての対決という必然的なシーンは、満員の球場に駆けつけたファンだけでなく、全国の野球ファン、とりわけ阪神ファンにとっては結果としての勝利も含めて、最高の幸せなひと時でもあったのである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/47/c7/24d662c7800e137b792199345f708a80.png)
これからも続く、この二人の必然的な運命の対決は、プロ野球シーンに多くの幸せを運び、歴史に名を残すほどのこととなりそうである。