![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/f9/a6c32aa1a3f7caeff39d6b52c5b3bbb9.jpg)
我が町京田辺にも珍しく小雪が舞って、日中も寒さが厳しく感じられた今日だったが、小雪が舞っていたかたかと思いきや、小さな霙となっていたりして、車内や家の中から見ると何とも美しい光景とも感じられたが、東北、北陸地方を中心に大雪に苦闘する地域の方々にとっては、「とんでもない雪害も起きていて、雪フル風情どころではない」と思われる。
そんな中、京田辺市のJR同志社前のコンビ二前の横断歩道付近で、一羽の小鳥、たぶん「シジュウガラ」だと思うのだが、小雪が舞う中、一羽だけがチョコ、チョコと路面にくちばしを突けては、小さな餌をついばんでいる光景が目に飛び込んできたのであった。
私は、このシジュウガラの一挙手一投足?に目を奪われてしまった感で、雪フル最中とは言え、同志社大学の学生さんやコンビ二に出入りする客さんたちが行き交う中、一心不乱に飛び立ちもせず地上に餌を求めて歩く姿に感動すら覚えたのでありました。
道行く人々は、そんな小鳥が一羽いることなど目に入ってない様子で、近くを通り過ぎて行くのですが、一羽の小鳥は自動車や人間の行き来の最中を、信号が赤にも関わらず横断したり危険をも顧みずに、ともかく餌を求めて必死のひと時を過ごしていたのでした。
こんな小さな小鳥が厳しい冬の真っ最中、しかも街中での餌を得ることの難しい中で、一生懸命にいのちを育むために「捕食」に熱中している様を見て感動しつつも、途中にやってきた「雀たち」の様に群れをなして飛び舞う様もなく、たった一羽だけで、単独行動しているシジュウガラに見とれてしまったのですが、人間の生き様とダブらせて見ると、とても孤独で寂しい日々の一コマの如く感じてしまったのでした。
八百屋の営業も終えて夕食後のテレビを見ていると、何と高崎山の野生の猿たちの中の、母親を亡くしてしまった乳飲み子的存在の孤児である、生後三ヶ月ほどしか経っていない「タクマ」と名づけられた小猿の感動的秘話が紹介されていました。
自然に生きる千頭以上の野猿たちを保護している大分県高崎山の地域なのですが、まだ乳飲み子にも関わらず母親を亡くしてしまい孤立している幼い猿であった「タクマ」を注意深く見守る、高崎山の案内人、河野光治さんがおられ、自然界で生き延びることを願っておられたのだが、ある時一瞬見ると小さなタクマが死んでしまったかの如き状態で見つかる大事件が起きて、河野さんが発見し保護されて手厚い手当とミルクを飲まされて、幸いにも翌日には自然の群れの中に帰されたのだった。
その後寒い冬の最中は、お客さん用のストーブの脇で一匹だけ「暖」を取るタクマが目撃されていたのだが、ある時突然テンテンという名の幼き我が子を亡くした母猿に救われて、我が子の如く暖かく世話をしてくれる様になるという、奇跡的な出来事が生じたのでした。
しかし、テンテンが何と悲しくも11ヶ月後に亡くなってしまって、またタクマは一人ぼっちの小猿に逆戻りしてしまったが、その後タクマをじっと見守っておられた河野さんも定年退職されるという事態になり、タクマの今後はどうなるのやらと心配もされたのでしたが、河野さんが退職された約三年後に高崎山を訪れられた時、四歳の青年として元気にタクマは生きつづけていて、河野さんだけでなくテレビを通じてタクマを知った人々も安堵の思いで見守ったのでした。
これからのタクマは、そろそろ群れから出て大人への自立の道を自ら体験しなければいけない年齢に達するそうで、人生も猿生も同じ様に、厳しくも感じますが自分の道を自らが切り開いて、タクマシク生き続けてほしいと祈るばかりです。
く時が迫っている様です。
あの一羽の「シジュウカラ」の鳥生の今後や如何に!も祈るのですが、野生の動物たちも厳しい中生き続けているのですね。
そんな中、京田辺市のJR同志社前のコンビ二前の横断歩道付近で、一羽の小鳥、たぶん「シジュウガラ」だと思うのだが、小雪が舞う中、一羽だけがチョコ、チョコと路面にくちばしを突けては、小さな餌をついばんでいる光景が目に飛び込んできたのであった。
私は、このシジュウガラの一挙手一投足?に目を奪われてしまった感で、雪フル最中とは言え、同志社大学の学生さんやコンビ二に出入りする客さんたちが行き交う中、一心不乱に飛び立ちもせず地上に餌を求めて歩く姿に感動すら覚えたのでありました。
道行く人々は、そんな小鳥が一羽いることなど目に入ってない様子で、近くを通り過ぎて行くのですが、一羽の小鳥は自動車や人間の行き来の最中を、信号が赤にも関わらず横断したり危険をも顧みずに、ともかく餌を求めて必死のひと時を過ごしていたのでした。
こんな小さな小鳥が厳しい冬の真っ最中、しかも街中での餌を得ることの難しい中で、一生懸命にいのちを育むために「捕食」に熱中している様を見て感動しつつも、途中にやってきた「雀たち」の様に群れをなして飛び舞う様もなく、たった一羽だけで、単独行動しているシジュウガラに見とれてしまったのですが、人間の生き様とダブらせて見ると、とても孤独で寂しい日々の一コマの如く感じてしまったのでした。
八百屋の営業も終えて夕食後のテレビを見ていると、何と高崎山の野生の猿たちの中の、母親を亡くしてしまった乳飲み子的存在の孤児である、生後三ヶ月ほどしか経っていない「タクマ」と名づけられた小猿の感動的秘話が紹介されていました。
自然に生きる千頭以上の野猿たちを保護している大分県高崎山の地域なのですが、まだ乳飲み子にも関わらず母親を亡くしてしまい孤立している幼い猿であった「タクマ」を注意深く見守る、高崎山の案内人、河野光治さんがおられ、自然界で生き延びることを願っておられたのだが、ある時一瞬見ると小さなタクマが死んでしまったかの如き状態で見つかる大事件が起きて、河野さんが発見し保護されて手厚い手当とミルクを飲まされて、幸いにも翌日には自然の群れの中に帰されたのだった。
その後寒い冬の最中は、お客さん用のストーブの脇で一匹だけ「暖」を取るタクマが目撃されていたのだが、ある時突然テンテンという名の幼き我が子を亡くした母猿に救われて、我が子の如く暖かく世話をしてくれる様になるという、奇跡的な出来事が生じたのでした。
しかし、テンテンが何と悲しくも11ヶ月後に亡くなってしまって、またタクマは一人ぼっちの小猿に逆戻りしてしまったが、その後タクマをじっと見守っておられた河野さんも定年退職されるという事態になり、タクマの今後はどうなるのやらと心配もされたのでしたが、河野さんが退職された約三年後に高崎山を訪れられた時、四歳の青年として元気にタクマは生きつづけていて、河野さんだけでなくテレビを通じてタクマを知った人々も安堵の思いで見守ったのでした。
これからのタクマは、そろそろ群れから出て大人への自立の道を自ら体験しなければいけない年齢に達するそうで、人生も猿生も同じ様に、厳しくも感じますが自分の道を自らが切り開いて、タクマシク生き続けてほしいと祈るばかりです。
く時が迫っている様です。
あの一羽の「シジュウカラ」の鳥生の今後や如何に!も祈るのですが、野生の動物たちも厳しい中生き続けているのですね。
自然界の厳しさと共に、偶然かもしれませんが、母を亡くした子と子を亡くした母のしばらくの蜜月は感動でした。
元気にタクマが独り立ちして、いい伴侶と仲間に囲まれた幸せな猿生を送れます様にと祈ります。
野生の猿に人は関与すべきではない。テレビ局はもう反省してほしい。