ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

虐待やDV。

2010年11月30日 | とんでもない!
 ここ数年に始まったわけではないが、テレビを中心とするメディアや教育関係者、または行政で問題になつているのが、児童虐待や高齢者虐待となかなか表には現状がわからないDV、すなわちドメスティックバイオレンスである。

 全国に児童相談所や多くの学校、行政の民生、福祉の窓口や専門のカウンセラーが常駐するセンターまで最近はできてはいるが、一向に減少するどころか増加の一途をたどっていると言っても過言ではないのが、こうした普通は他人には見えない「虐待」や「DV」なのである。

 今日も京都市内の普通の住宅街を営業仕事で回っていたときのことであった。

 ある生活道路の少し幅のある左側に営業用の軽自動車を停めて、近くの住宅を訪問し数軒の訪問を終えて車に戻ろうとしたときであった。

 若い髪の毛がぼさぼさの女性、たぶんおかぁさんだと思うのだが、家から買い物か用事があって外出する場面であったと思われるが、まだ二歳くらいの男の子を小脇に抱えるようにして、自分の自家用車のドアを開けながら怒鳴っていたのであった。

 「なんぼ言うたらわかんの!はよう車に乗れ!」と命令口調で言い放ちながら、なんと小さな男の子の髪の毛をわしづかみにして無理やり車の後部座席に投げ入れようとしていたのであった。

 当然男の子は泣き叫び地面に落とされたのであったが、まったくの他人で通りすがりに過ぎない私には、驚きながらもどうすることもできない十数秒間であり、若い母親はこちらに少し視線を向けたが、知らん顔で再び男の子をつかんで車の後部座席へほり込んだのであった。

 どうみても、それまでの過程はわからないが、いつもこの様な口調と暴力で、わが子である小さな男の子に接しているのではないかとしか思えない光景を見てしまったのであった。

 世の中では虐待による致命的な傷を負って亡くなったけ例や餓死同然の状態で死んでしまったニュースが伝わってくるたびに、悲しくてやりきれないのだが、こうしたニュースに至るまでの過程で、なんとか止められないものだろうかと、いつも不思議に思うのだが、今日のケースが日常的かどうかは、長期的に観察するかしないとなかなか判断できかねるものである。

 夫婦間や恋人同士の間で生じていると言われている「DV」については、もっと厄介なのだが、大人同士の夫婦喧嘩や激しい喧嘩は場合によっては、「犬も食わない」、と言われるように他人が口出ししたり、止めに入ったりはできないケースがほとんどである。

 しかし、どんな関係性であっても、異常な暴力や人権を無視した言動をも含む「内なる暴力」にも、断固厳しい姿勢で「ストップ」をかけなければいけないのは当然である。

 人が突如として凶暴になったり、特に弱い立場の者に対して、とんでもない非情な手段で圧倒する「暴力」や「暴言」は、たぶんにその加害者の成長過程における環境や人格形成過程での欠陥があったものだと推察されているのだが、ともかく「止めなければならない」のである。

 行政や学校、教育機関など、公的窓口ではな日常的生活空間での「虐待」や「DV」の発見は困難なのだから、一般の市民、隣人や知人、友人が告発の手がかりを見つけた時に、勇気を出して「いのち」を守るために進言する必要を痛感している。
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市議会と市長の対立。

2010年11月29日 | ちょっと可笑しいよ
 先日来、名古屋市で「市議会のリコール」を求める市民署名運動があったが、残念ながら選挙管理委員会の署名簿の確認において不確かな署名が混じっていたとして、正式には法定の署名数に達しないとの判定が下されて、市議会のリコールへの住民投票がなされないことが決定し、この運動を率先していた河村たかし名古屋市長が辞任することで、改めて市長選挙が行われるという事態になっている。

 そもそも河村たかし氏は衆議院議員のときから「名古屋弁」まるだしの庶民派的議員として名をはせてはいたが、市長に当選以来は、市議会議員の定数の半減や市議会議員報酬の抜本的値下げなどと共に、市民税の十パーセント減税などを打ち出して、激しく議会と対立していて、今回が初めてではない「議会VS市長」の対立と言う地方自治体としてはめずらしい構図が続いている。

 また鹿児島県阿久根市においても、竹原信一市長と市議会が激しく対立しており、市長を支持する団体が「阿久根市議会リコール実行委員会」を結成し、市議会の解散請求の署名活動をして、有権者の三分の一、約6700人を超える署名簿を選挙管理委員会に提出したというニュースが伝わっている。

 この阿久根市においては竹原信一市長が再三再四、市議会を召集せずに市長の独断で、「専決処分」という名の重要事項の執行を独断で決めるという実態があり、議会側は副市長の選任や予算執行に関するの決定を、議会軽視や地方議会のあり方に対する挑戦だとして、議会側は一方的な違法行為だとして無視したり、鹿児島県庁からの指導もあるのだが、竹原市長は抵抗していたのである。

 愛知県の県庁所在地である大都市名古屋と、鹿児島県の小さな市である阿久根市とでは状況が大きく違うのだが、いずれも構図は市議会と市長の対立と言う実態があからさまに露呈している、きわめて珍しいケースである。

 私自身は、四期十六年の地方議員の経験からすると、今回の稀と思われるケースは大いに結構だと評価せざるを得ない構図であり、つまり今までの地方議会はほとんどが市長与党と称する過半数議員が極端に言えば「市長のいいなり」もしくは、「市長擁護」の立場に徹していて、徹底的に市民の生活感覚や要望とはギャップのある従来通りの予算の継続や新規事業もままならぬままに、旧態依然とした市政運営を長期にわたって「黙認」してきたきらいがあるからである。

 地方議会選挙においても「市長支持派」と「反対派」などという構図ではなく、市民生活のあり方と地元自治体の施策を議論して決める、つまり「行政府」に従属する「議会」ではなく、「立法府」としての独自の主体性が望まれるし、当たり前の議会のあり方ではないのだろうか。

 ここに来て「橋下大阪府知事」が自分を支持する「大阪維新派」なるグループを立ち上げて、大阪府議会および市議会、そして政令指定都市の「堺市議会」にいわゆる「橋下派」で過半数を占めて、自分の施策を推進しようとする、とんでもない手法での策を講じようと躍起になっていて、来春の統一選挙で戦おうと気勢を上げているというのだが、私は全く賛同することはできない。

 つまり市議会と市長は本来「対立」する施策があって当然であり、市長提案や議員提案の施策や条例を真摯に審議して、予算も含め、市民のために何が必要でどうするべきかを決めるための議会制度であって、首長の思い通りに地方行政を強引にするのは非民主的な手法であり、許しがたい形なのではないだろうか。 
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いのちの奇跡。

2010年11月28日 | イベント
 今日は、地元の社会福祉会館で開催された「1/4の奇跡~本当のことだから~」の自主上映会に参加して、すばらしいドキュメンタリー映画を鑑賞してから、高齢の私の実際の母をたずねて大阪の老人ホームへ会いに行った。

 ほんとうに私たちの「いのち」は、毎日、毎日普通の如く日々を送っているようだが、何億年昔からの祖先、地球の誕生、宇宙の誕生に端を発した「いのちのリレー」とも言うべき、「いのちの源」、DNAの連鎖、遺伝からなる膨大な歴史と奇跡の結果であることが改めて感じることができたのである。

 このドキュメンタリー映画は、石川県の養護学校教諭である「山元加津子さん」の出会いと経験を通しての「私たちのいのち」について考えさせられるメッセージを秘めた実話であり、障害を持った児童、生徒との関わりを通じて「気づいたこと」、「教えられたこと」などを暖かい語り口調で講演されたり、本として著されたりしている実態をフィルム撮影で追い、編集されたものであった。

 人生に疲れたり、自信を失ったり、経済的に困窮したり、病や障害を苦にして自殺したりする人が後を絶たない、この国にあって、社会的には弱者と一方的に称されたり、福祉の対象者としてしか見られない場合がある「障害者」と言われる少年、少女、青年たちと接する中で、多くの「いのちのメッセージ」を感じさせられた、「やまもっちゃん」「かっちゃん」のドキュメントの一部である。

 私たちが重たいテーマだとか思ってしまいがちな「障害者問題」や「高齢者問題」だが、よく考えて見れば誰もが早かれ遅かれハンディのある人間になることは間違いないのであって、他人事や「しょうがい」がある人間ではなく、そのことによって私たちの命や人生が成り立っていることを知らされるという「1/4の奇跡」についての科学的説明がなされていた。

 映画に出てくる「原田大助くん」や「笹田雪絵さん」の詩や言葉から伝わるメッセージは、私たちには「目から鱗」以上の「いのち」の大切さや重要性を教えてくれる、すばらしいものである。

 「生きるってすばらしいこと」であり、すべての存在が大切であり、大好きな自分に、いのちに感謝すべきだと自問自答させられるテーマがふんだんに盛り込まれていたのであった。

 山元加津子さんとの出会いを通じて、本音で語ったり伝えてくれた数多くのメッセージが映画の中でも紹介されていたのだが、彼ら養護学校の児童、生徒らの作品としての絵やイラストが、なんとペルーの古代文明に残されている作品や絵と共通しているという発見を彼女がしていて、宇宙、地球、いのちの源との対話ができる彼らの先天的な能力や感性に驚きを感じざるを得なかった。

 「人は殺されるためには生まれて来ないし、殺すためにも生まれて来ないのに、戦争は大事なことを忘れている。」という原田大助くんの言葉や難病のMSとの闘病生活の末に若くして亡くなった笹田雪絵さんは「私はMSになって良かった、だってなっていなかったら先生や多くの仲間に会えてなかったかも」という言葉など、すべての人は「生まれてきたのに理由がある」大切な存在なのだというメッセージを伝えてくれている。
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ハリー・ポッターを観る。

2010年11月25日 | ファミリーイベント
 イギリスの作家、J・K・ローリングによるファンタジー小説で、世界的ベストセラーとなっている「ハリー・ポッター」シリーズの映画が、いよいよ第7弾目となる「ハリー・ポッターと死の秘宝」の原著の発売から3年余経って、先日日本での公開がなされ、いつものように妻と時間が合う頃を見計らって劇場での鑑賞に及んだ。

 「ハリー・ポッター」の原著を私自身は読んだわけではなく、魔法使いの少年の話としてのフィクション、つまりファンタジー小説の世界を如何に映像化して楽しませてくれるのかに期待して、いままでの六作も全部観ているのだが、作品のストーリーなどはほとんど忘れていて、主演しているハリー・ポッター役のダニエル・ラドクリフをはじめとする俳優たちが成長する過程と共に映画が製作されているために、仲のいい三人である、ロン・ウイーズリー役のルパート・グリントとハーマイオニー・グレンジャー役のエマ・ワトソンの成長と変化に驚きつつ、楽しんだのであった。

 特に写真にあるように、女優として成長したエマ・ワトソンは少女からうら若き女性と成長し、二人のまだ子供ぽさを残したハリーとロン役のふたりとは違った妖艶さまで兼ね備えた女優に成長していると思える感じで、映画の中でもロンとの関係とハリーとの三角関係のような表現もされていて、微妙に描かれている。

 いずれにせよ、第1巻「ハリー・ポッターと賢者の石」が映画化されて公開されたのが、2001年であるからおよそ十年に及ぶ製作過程があるので、すべてのキャストの人たちが十歳は年取っていることになるので、特に少年、少女として登場した彼ら三人とボグワーツ魔法学校の生徒たちの成長振り、変身ぶりは目を見張るものがあるのである。

 そもそも20世紀末のイギリスを舞台に、魔法使いの少年ハリー・ポッターの学校生活やハリーの父母を殺害した当人でもある世界支配を企てる強大な悪の闇の魔法使いであるヴォルデモートとハリーとの戦いを描いた物語なので、前編が暗くて危うくものものしい背景や、いつ何処から妖怪や敵が現れるかがわからないストーリーが続くのである。

 七作すべて、「ハリー・ポッターと○○」と称するタイトルでシリーズの著作も映画も紹介されているのだが、第二巻「秘密の部屋」、第三巻「アズカバンの囚人」、第四巻「炎のゴブレット」、第五巻「不死鳥の騎士団」、第六巻「謎のプリンス」と続いて、今回の第七巻は「死の秘宝」だそうで、第七巻だけ映画ではパート1とパート2に分かれているのである。

 今回のハリー・ポッターと死の秘宝も、観客を飽きささずファンタジーの世界に集中させる迫力があり、私なんかは映像と音響もあって、四度も全身に鳥肌が立つほどの衝撃ともいえる「驚き」、つまりビックリを経験したくらいで、怖いというべきか恐ろしい瞬間もあり、ハラハラどきどきで心臓にも刺激となったようである。

 ヴォルデモート卿を信奉する死喰い人のひとりであるベラトリックスというスキンヘッドで鼻のつぶれたような敵が不気味で怖い存在なのだが、ハリーたちの脱出劇や三人の友情と戦いには勢い力が入って、観終わった後に夢に出てこないか心配になったほどであった。゜
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勤労感謝の日。

2010年11月23日 | 季節の話題
 今日は国民の祝日のひとつで「勤労感謝の日」であったが、誰が誰に感謝する日なのか全くわからないままに、私自身はしがないパートのおじさんとしての仕事に、いつものように出かけたのであった。

 昨日は11月22日で、人呼んで「いい夫婦の日」だったそうだが、こんな語呂合わせの日は、それなりにラジオ、テレビ、雑誌などの話題として語られたりするだけで、何の影響もないし、一部商戦に利用されるだけがおちではあるが、適当に話題として付き合えばと思うのだが、国民の祝日ともなれば、少し考えてしまうものである。

 仕事と言っても、多種多様な仕事の種類があって、一説によれば2万8千種類にも及ぶと言われているのだが、果たして何処までを「仕事の種類」として種別化されているのが定かではないが、まさか「暴力団員」や「やくざ屋さん」まで含んでいるとは思わないが、世界中には全く想像もできないようなレッキトシタ仕事があると言われている。

 日本中でも、たとえば「霊媒師」や「乳もみ屋」や「詐欺師」も仕事になるのだろうかと自問自答してしまうほど、人は生きるためにまたご飯を食べるために、信じられないような仕事を生業にしている場合があると思われる。

 話は変わるが、平凡かつ普通のサラリーマンに始まって、世間的に堂々と「仕事をしている」と言われている人々にとっても、今日のこの日、つまり「勤労感謝の日」は、改まって「ありがとう」と仕事をしていることに「感謝」の言葉や意思を表わしてもらった人がどれほどいるのか、はなはだ疑問でもある。

 もともと、日本における「勤労感謝の日」の源は、たぶん「新嘗祭」と呼ばれていた「米作りを中心とした農業の収穫」を天皇家にささげるお祭りをする日として、伝統的に歴史的に伝わっていたセレモニーをする日を、戦後の日本国憲法下での「天皇制度」の象徴天皇制の下で、一般的な「収穫感謝祭」的行事として継続させることを柱として「勤労感謝の日」が制定されたものと理解しているのだが、その意味や意義はほとんど薄れて、ただの秋の祝日としての休日になってしまっている。

 日本の「国民の休日」を定めた「法律」によって、一月元旦に始まって十二月二十三日の「天皇誕生日」まで、多くの祝日があるが、ほとんどが明治憲法下の天皇制の基での祝日の延長であり、国民主権の民主憲法とされている「日本国憲法」の精神に基づく「国民の祝日」と言える日は数少ないのではないだろうか。

 いずれにせよ、勤労者が休めるはずの休日なのだが、大企業や学校、行政職などの公務員などは完全休日なのだろうが、多くの労働者が働かなければならない日となっていることは否めない。

 本当に意味での「勤労感謝」のためには、どうすればいいのだろうか。まず家族や友人、知人でのお互いの勤労を感謝し、慰め、激励する日となればいいのだが、就業すらままならないご時勢で夢のまた夢なのだろうか。
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尼崎市長に稲村さん。

2010年11月22日 | ちょっと可笑しいよ
 昨日、11月21日の投開票の兵庫県尼崎市長選挙で、前任の女性市長白井文さんの後継として立候補した前兵庫県県議の稲村和美さん38歳が圧倒的な票差で当選を果たして、次期尼崎市長になることとなった。

 稲村和美さんは、前市長の白井文さんの市長選挙のときからのスタッフとして活躍し、白井市長誕生後は兵庫県議に立候補して二期を務めて今回の白井市長が二期で退任するのを受けて後継市長として立候補して、見事当選したのだが、五歳の子供を育てるママでもあり、今後の市長としての激務をどうこなしていくかが注目されるところでもある。

 彼女は、早速今朝は地元の駅頭に立って、当選報告をしたらしいが、その前に最愛の長女を保育所に自転車で送り届けてから駅頭に立ってマイクを持って挨拶していたというからあっぱれである。

 市民派的立場から県政に対してもどんどん発言していた彼女だが、議員時代とは違って、今度は尼崎市政を担うトップである市長として手腕をふるわなければいけない重責を自らすー勝手出て、それなりに評判のよかったと言われている前任者の白井文市長の後、まだまだ難問山積の赤字財政をはじめとする尼崎市政をどのようにリーダーシップをとって行くのかが見ものである。

 私自身も三年余前に地元の市長選挙にやむにやまれず立候補した者として、同じように市民派という、組織や政党の所属ではなく、市民の側に立って発言し行動すると言うスタンスは、理想ではあるが非常に厳しい現実の中で、市職員や府県と言う上位?にある自治体との権限の違いと国政の意向や予算配分、税の負担など、多くの地方行税独自では決められない課題を背負いつつも、一番身近な自治体としての市政運営を「市民の立場」に立って先導してもらいたいと念願している。

 マスコミ、メディアは、全国一若い女性市長として取り上げて注目しているのだが、女性、男性ではなく、一政治家としてのしっかりとした理念と理想を持っている稲村和美さんに期待するところ大であり、多くの有権者の市民の声に耳を傾けつつ、信念を貫いて、特に社会的弱者をサポートする市政運営を明るく堂々と展開していただきたいと思うのである。

 早速インタビューに答える形で、彼女は朝に食事の準備をして幼い子供さんを保育園に送ってから、市役所へ通勤し、市民のための政治を全力で展開したいと明るく強く語っているのであるが、残念なのは5万票以上の次点の候補者にダブルスコア以上の大差をつけての当選だったにもかかわらず、投票率がなんと30パーセントにに満たないという状況下で、結局有権者市民の15%ほどの支持で市長になったという現実があるのである。

 本当に一番身近な地方自治体の首長選挙に、三人に一人も投票せずにいて、自分勝手な欲求や文句を言う人がいるとすれば、それはあまりにも理不尽でもあり、義務を果たさず権利だけを主張すると言う典型的な「身勝手住民」という形になるのであって、やはり選挙で一票を投じる市民参加をはじめとする地方行政となってほしいものだと痛感するものである。

 いずれにせよ、稲村和美さん、市長としての重責を担って全力投球を明るく元気に信念を貫いてやっていただきたいとエールを送りたいと思う。
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人生の秋を迎えて。

2010年11月21日 | 感じたこと
 晩秋と言うべきか、初冬と言うべきか、暖かかったり意外と寒く感じたりと季節の移ろいは感じるものの、秋でも冬でもいいが季節を感じられる日本の四季は、やはりとってもうれしいものである。

 人生においても、おぎゃーと生れ落ちた春に始まって、青春期を夏にたとえれば、間違いなく人生の秋を迎える期間が一番長いのかもしれないが、人それぞれの思いであって、還暦を迎えて一般的には退職あるいは、現役仕事からのリタイアを考える時までを秋と一応称すれば、私も間違いなく「人生の秋」を迎えていることとなる。

 少しでも人生の冬とも言える、昔の人がよく言っていた「老後」などという言葉を使いたくはない気持ちが強いので、まだまだ私は「秋を満喫したい」と思っているのだが、実際の今年の秋は少々短いようで、すでに「冬模様」の天気予報や冬支度を感じる動植物の自然界のニュースと共に、クリスマスや年末商戦が華やかである。

 先日来、この人生の秋を迎える日々に、多様な他人様の人生のリアルなご苦労やいさかいごとや離婚や別離などのお話を伺ったり、親子の葛藤の現場に立ち会ったりと、いくつになっても人間関係の複雑さ、難しさを痛感させられることが多かった。

 ある年配の奥さんで親しくしているのだが、その四十近くになるご子息が大きなハンディを抱えておられる、いわゆる障害者であることから、長年の人生をはぐくむために二人三脚、いやご主人も含めて三人四脚で歩んでこられているのだが、ちょっとした意見の相違、気持ちのすれ違いから、とんでもない親子喧嘩に発展する場面に遭遇してしまった。

 母の気持ち子知らずとも言えるし、子供の気持ち母知らずとも受け取れる行き違いは、さほどの問題ではないと思われたのだが、当人たちにとっては大問題、いや長年の気持ちの蓄積、我慢や鬱積していた不満などが一気に破裂したかの様に、息子さんがパニックのように「死んだるわ!」叫んで包丁を持ち出して立てこもる形になってしまった。

 老いた母親も、売り言葉に買い言葉で、「死ねるなら死ね!」と応答して、二人は包丁をめぐって抱き合う形となってしまったが、危険を感じたので、親子げんかに口をはさむつもりはなかったが、同じ場所に居合わせた者として、ほっとくわけにはいかず、とりあえず「危ない包丁」だけは取り上げようと実力行使で参戦したのであった。

 幸い、菜切り包丁で先が尖っていたり出刃包丁ではなかったので、しばらく力比べのような時が経ったが、無事取り上げることができたので、後は口げんかでも時間をかけて少しづつ穏やかになればと祈りつつ、その場を離れることができたのであった。

 その晩、長年連れ添ったご主人さまと現在は別居されている七十代にもうすぐ手が届くと言うご婦人の、結婚の経緯から現在に至るまでの家庭内外の、知られざる「事実は小説より奇なり」とでも言うべき、驚くべきと言うべきか、とんでもない現実を食事をいただきながら、耳にする機会に招かれたのであった。

 いずれも他人様の家庭の事情であり、長年の人生の山坂の過程での出来事や状況なのだが、人生の秋を感じる私にとっては、いまだ人生の機微や困難を克服でない課題を背負って日々の暮らしをされている多くのご家族の一面を見て、まだまだ私ごときの経験は甘いと感じざるを得なかったのであった。
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小さな喜び見つけよう。

2010年11月18日 | 感じたこと
 最近の私は、パートのおじさんとしての日中の仕事でも、週末の移動八百屋の引き売りでも、とってもハッピーな「小さな喜び」をたくさんもらって、日々をおくっている。

 先日も金曜日の夕方から夜にかけての有機八百屋の引き売りなのだが、数週間前からお客さんになっていただいたお家を夜八時過ぎに訪問すると、もう夕食が終わったご家族のうち、お母さんのお買い物を見学する形で、12歳のお兄ちゃんと7歳の一年生の女の子と、まだ4歳の幼稚園の年中さんの女の子が出てきたのであった。

 金曜日の夜に「やおやガリバー」が来るということで、三人兄弟の子供たち、特に下の女の子たちが楽しみにしてくれていると聞いて、私自身も張り切って明るく元気よく皆さんに応対しながら、お母さんのお買い物時間を過ごそうとしていたのだが、かわいい女の子たちが少し恥ずかしそうに「お手紙を書いた」と言って、私宛のA4の白い紙に書いた「絵」をプレゼントしてくれたのであった。

 A4の紙に描かれた「絵」は、お姉ちゃんが青空に太陽が半分描かれていて、下の半分には青い色で塗られた山の様な風景が描かれていて、反対側にはなぜか釣り針でつられそうになっている金魚のような赤い魚が薄く塗られた池か海の背景の中に描かれていたのだが、私はとってもうれしくて何度も「ありがとう」とお礼を言った。

 表紙にはたどたどしいがしっかりした平仮名で、「私の名前」が色鉛筆で書かれてあったので、重ねてキレイニ書いてくれてありがとうと言ったところ、お母さんが一年生の女の子に代わって、この子はまだ「な行までしか字は習っていないので」と仰ったのであった。

 「なに?」、なるほど、まだナ行までしか平仮名を習っていない小学生が、一生懸命私の名前を書いてくれたのだが、習っていない字はお母さんに書いてもらって、見よう見まねで書いたそうで、よけいにありがたく思った次第であった。

 下の女の子も色鉛筆で何色もの色を重ねてイメージ画を描いてくれており、とっても色使いが多様で素敵だと感じたのであった。

 家に帰って、家内に「今日、子供たちが絵のお手紙」をくれたんだと告げて、二人の力作とでも言うべき「お手紙」を見せたところ、昔幼稚園の先生をしていた我が女房は、「子供の絵はみんなそんなもの!」と、あっけらかんに言って特別な関心を寄せることはなかった。

 私にとってはとってもうれしい「お手紙」であり、各々の子供たちの気持ちが伝わってくる「すばらしい作品」だったのにもかかわらず、妻にとっては「ふつうの子供の絵」に過ぎなというギャップがあって、私自身は拍子抜けした思いであった。

 いずれにせよ、渡る世間は厳しいかもしれないが、ちいさな喜びや発見、感動がたくさんあると思うのだが、少しずつ大人になることで、ちょっとした「喜び」や「感動」または「発見」を見失ったり、気づかなくなっているのではないでしょうか。

 二人の女の子の絵をお見せすることはできませんが、私のパソコンのわきに飾ってあって、いつも私を励ましてくれているようにも感じています。

 ぜひ、小さな喜びを日々見つけてください。心の安らぎ、和み、落ち着きを与えてくれる、人生の機微を味わいましょう。
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若き教師の死。

2010年11月17日 | 感じたこと
 昨夜のテレビ朝日系列の「報道ステーション」で特集された、新任の女性小学校教師の自殺の背景について、いろいろな実態が報告されていて、また遺族の悲壮な叫びにも似た、本人の「助けて!」という信号、または不安といらだちの葛藤の時期の一部が本人のノートから推察できるのであった。

 教師だけではないが、年少者では小学三年生の女の子のいじめを苦にしたと思われる自殺から、高齢者の病気や老いとの葛藤や経済的破綻、介護疲れ、または若年層から壮年期まで、過労死とも言われる「仕事が原因」の自殺まで、さまざまな背景、理由があったてのことだと思われるが、日本における自殺者数が1998年以来、年間三万人以上を記録している実態が続いている。

 昨晩の報道ステーションの特集で紹介された24歳の若き女性新任教師は、「子供たちと楽しく向き合う」ことを目標にして、教師採用試験に合格し初めての教壇として、小学四年生の担任として教師生活をスタートさせていたという。

 いつのまにか、早くも夏休み前からクラスでの授業が思ったようにいかなくなっていたらしく、同僚や先輩教師からも「しっかりとやれ」とはっぱをかけられていたらしいが、二学期になってますます児童から反発やいやがらせなどもあって、相当悩んでいたらしい。

 大学で教員過程を習得したとは言え、生の子供たちと接しながら、子供たちのおのおのの性格や行動、その背景にある家庭環境などを鑑みながら、各々の習得度を見極めながら授業を展開していくというのは、ベテラン教師にとってもなかなか難しい面があると思われるが、ましてや新任教師にとってはどうしていいかわからない難題がいくつもあったのではないだろうか。

 いくら「いい教師でありたい」と願っても、祈っても、生身の児童たちの各々の欲求や性格に対して、万全な対応などできるものではないだろうけれど、徐々に深まって行ったらしい児童生徒と新任教師との「溝」とも言うべき、信頼感の欠如に、なぜ回りの教師や、学年主任、教頭、校長ら管理職のベテランの先生方が気づかなかったのだろうか。

 彼女が半年という短い教師としての小学校での担任として教壇に立っただけで、自ら悩み苦しんで自殺しなければならないまで追い詰められていたことを、誰も気づかなかったのだろうか。

 遺族は教育委員会に「過労死」や「労災」の認定を申し出たらしいのだが、あっさり認定は去れず、学校や教育委員会には落ち度や責任はなく、個人的な問題として片付けようとしているらしい。

 このケースの詳細については、私ごときが知る由もないのだが、どう見ても学校や教育委員会の責任逃れや事実の隠蔽が見え隠れしてならないのであって、教育の現場も「教育行政」という名の「公務員」たちの集団であり、組織的問題としては考えたり原因究明を図ったり、ましてや個人的責任などについては、多くの場合はあいまいにしたままに決着を出してしまうものなのであろう。

 多くの児童、生徒たちの「いじめによる自殺」のケースも、ほとんどが「いじめは認められなかった」とコメントした後、数日後に「いじめと思われる」などと発表したりしているが、教育の現場で人のあり方、生き方を教えているはずの教育現場で、若き新任教師が自殺せざるを得なかった責任は大きい。
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裁判員裁判初の死刑。

2010年11月16日 | 感じたこと
 先日の「耳かき店員殺人事件」は検察側の死刑の求刑に対して裁判員裁判の結論は「無期懲役」であったが、今回の「男性二人を殺害した」事件で強盗殺人など9罪に問われた32歳の被告に対して、今日行われた横浜地裁での裁判で、検察側の死刑求刑を受けて、裁判員裁判としては初の「死刑」の判決がなされた。

 いつも「死刑判決」の是非についての根拠として上げられるのが、「永山基準」といわれるもので、かつて4人を殺害した永山則夫被告を1983年に最高裁判所が死刑選択の基準として定めたもので、①事件の性質、②動機、③殺害手段の執拗性、残虐性、④結果の重大性(特に被害者の人数)、⑤被害感情、⑥社会的影響、⑦被告の年齢、⑧前科、⑨事件後の情状などを総合考慮し、刑事責任が重大でやむ得ない場合には、死刑適用も許されるとしている。

 しかし、死刑制度そのものに対して国際的には議論が伯仲しており、日本はマスコミの報道によれば、死刑制度存続の意見や態度の国民が半数以上、いや九割近いと言われているが、果たしてこうした意見が大多数だとする根拠は非常に薄いし、今回の裁判員裁判でも、何を常識として裁判員が「死刑」評決に賛成したかは、はなはだ疑問である。

 上記の「永山基準」と称される「死刑適用」に対する基準などは、誰が見ても「そうだな」と思えるものなのかも知れないが、日本の裁判制度や法令解釈など、多くは前例主義であり、人間が人間を「裁く」という困難かつ非常にデリケートな問題に対する「鉄則」などはないのであって、周りの意見、いや常識という名の「見えない圧力」や「常識的」と言われる判断基準に基づいてしまうと、本当に正しいのか間違っているのかは、まったくわからなくなってしまう問題を孕んではいないだろうか。

 そもそも裁判員制度がはじまる前から取りざたされていたように、二十歳以上の有権者であれば誰でも、裁判員として指名される可能性があるとされていたが、昨日私の93歳になる超高齢の母宛ての「裁判員候補者名簿への記載のお知らせ」が送付されてきてびっくりしたのである。

 今年の夏ごろに、全国各地の自治体で100才以上の住民票上、戸籍上生存していると思われていた人の多くが実際は亡くなっておられたり、行方不明だつたりと大騒ぎになったことがあるのだが、実際90歳を超えた人間がいくら元気だったとしても、裁判員として参加して被告の重大な判決に加わるなんてことは考えられないし、あってはならないはずなのに、いくら名簿記載のお知らせとしても、抽選の段階で70歳以上は外すべきものだと思うのに、最高裁判所からの「大切なお知らせ」として小冊子やDVD付きで送付されていて、税金の無駄遣いのひとつでもある。

 その証拠に、まず本人への調査項目の最初に「あなたは70歳以上ですか?」があり、「はい」と答えると調査はおしまいで、以下の項目には答える必要もなく審査が終了してしまうという、お粗末な調査用紙も同封されていたのであった。

 いずれにせよ、外国の制度を真似て制度化されたらしい、裁判員制度なのだが、ほんとうに裁判の民主化とか、厳正な裁判の判定という微妙かつ、死刑を含む刑罰制度の「命」を左右する問題を軽んじてはならないのだが、制度ばかりが先行しているきらいが否めないと痛感している。 
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