今から約25年前、1986年、昭和61年に京都で開催される、都道府県持ち回りの二巡目の最初の京都大会を機に、国旗「日の丸」と国歌「君が代」の掲揚と斉唱が実質的には、義務教育である小中学校の公立校には義務付けられるようになったと、私は記憶している。
この年、私は子供たちの「入学、卒業式や運動会」には、日の丸、君が代はいらないと訴えて活動したが、徐々に政府は国旗、国歌の法的根拠を定める法制化をはかり、また学校現場には「日の丸、君が代」の励行を義務付けたり、強制したりする暴挙を続けだしのであった。
つまり、1989年3月に、入学式、卒業式での国旗掲揚と国歌斉唱を学習指導要領で義務付ける形で告示し、それから10年後の1999年にようやく、「国旗、国歌法」が制定されて、「日の丸」を国旗とし、「君が代」を国歌と初めて正式に政府、国会が定めたのであった。」
多くの学校現場の先生たちや保護者の中に、それまでは「日の丸」の掲揚と「君が代」の起立斉唱には反対する人たちも多くいたのだが、特に先生たちのそうした行動や君が代不起立の姿勢を崩そうと、2002年4月に大阪府教委が君が代斉唱時の起立を文書で指示したり、翌2003年4月には東京都教委が、日の丸掲揚と君が代起立斉唱を義務化したのであった。
その後は、いたちごっこと言うべきか、教育委員会、学校長と現場に立つ教師たちの間で、君が代ピアノ伴奏拒否の教師の処分や君が代斉唱時不起立をした定年教師の再任用採用を職務命令違反の前科があるとして却下したりしたために、両者が処分不当、違憲だとして訴訟したのであった。
こうした目だった戦いのほかにも、多くの教師の君が代斉唱不起立や日の丸掲揚反対の行動はあったのだが、徐々に「懲罰」の対象とするという脅しで、表面的には数が少なくなっていただけではないだろうか。
実は私は学校教師ではないが、一地方都市の議員として4期16年間、主に地元の小中学校の入学式、卒業式には欠かさず来賓として出席していたが、一度も「君が代」斉唱と起立は行わなかったのである。
多くの会衆がいる前でもあり、入学、卒業に際しての「厳粛なる儀式」の場ではあったが、「立たない」ささやかな「勇気」を続け、「国歌」や「国旗」についての考え方についても、多様な自由な姿勢や思想に基づく態度、行動があってもいいという「お手本」のつもりで堂々と座っていたのだが、やはり大きなプレッシャーを感じる時もあった。
たとえば、隣に座っていた地元の来賓の一人が、あからさまに「何故立たないのか?」と問うてきたり、これ見よがしに「君が代」を私の身元で絶叫したりして、「おまえは非国民だ」とても言わんばかりに睨みつけられたりもしたことがあった。
思想、信条、宗教などの自由は、日本国憲法でも保障されているはずなのに、わざわざ「君が代」という明治時代に「天皇賛美」の精神から生まれた歌を歌わなければならないのか、また多くの戦争で「国家の御旗」として特にアジア、太平洋の国々や地域に侵略の戦いを仕掛けてきたニッポンの歴史上の「日の丸」は、デザイン的にはシンプルで決して悪くはないが、戦後の民主国家としての「ニッポン」の国旗としては、あまり評価も出来ないし、敗戦国日本が生まれ変わって出直す戦後に、新たな国旗を創るべきだったのに、その時期を逸してしまっただけなのであると思うのである。
いずれにせよ、今回の「君が代起立命令」最高裁での合憲判決は、今後の教育現場だけでなく、国会、スポーツ、芸能、地方議会、NHKなども含む、日本社会での「挙国一致」とか「富国強兵」だった時代と同じく、すべてが同じ価値観や行動を強いられるという、とんでもない「ファシズム」的方向へのターニングポイントとなる危険性を孕んでいるといえよう。
おまけに、大阪府の橋下徹知事が代表する「大阪維新の会」が、大阪府議会で公立学校教師の「君が代起立斉唱」を義務付ける条例を来月提案し可決しようとするなど、全く民主主義に反する政治家の横暴であり、橋下知事の「きちんとした判断が出た」というコメントは、末恐ろしい地方ファシズムの再来のスタートともなるのではないだろうか。
この年、私は子供たちの「入学、卒業式や運動会」には、日の丸、君が代はいらないと訴えて活動したが、徐々に政府は国旗、国歌の法的根拠を定める法制化をはかり、また学校現場には「日の丸、君が代」の励行を義務付けたり、強制したりする暴挙を続けだしのであった。
つまり、1989年3月に、入学式、卒業式での国旗掲揚と国歌斉唱を学習指導要領で義務付ける形で告示し、それから10年後の1999年にようやく、「国旗、国歌法」が制定されて、「日の丸」を国旗とし、「君が代」を国歌と初めて正式に政府、国会が定めたのであった。」
多くの学校現場の先生たちや保護者の中に、それまでは「日の丸」の掲揚と「君が代」の起立斉唱には反対する人たちも多くいたのだが、特に先生たちのそうした行動や君が代不起立の姿勢を崩そうと、2002年4月に大阪府教委が君が代斉唱時の起立を文書で指示したり、翌2003年4月には東京都教委が、日の丸掲揚と君が代起立斉唱を義務化したのであった。
その後は、いたちごっこと言うべきか、教育委員会、学校長と現場に立つ教師たちの間で、君が代ピアノ伴奏拒否の教師の処分や君が代斉唱時不起立をした定年教師の再任用採用を職務命令違反の前科があるとして却下したりしたために、両者が処分不当、違憲だとして訴訟したのであった。
こうした目だった戦いのほかにも、多くの教師の君が代斉唱不起立や日の丸掲揚反対の行動はあったのだが、徐々に「懲罰」の対象とするという脅しで、表面的には数が少なくなっていただけではないだろうか。
実は私は学校教師ではないが、一地方都市の議員として4期16年間、主に地元の小中学校の入学式、卒業式には欠かさず来賓として出席していたが、一度も「君が代」斉唱と起立は行わなかったのである。
多くの会衆がいる前でもあり、入学、卒業に際しての「厳粛なる儀式」の場ではあったが、「立たない」ささやかな「勇気」を続け、「国歌」や「国旗」についての考え方についても、多様な自由な姿勢や思想に基づく態度、行動があってもいいという「お手本」のつもりで堂々と座っていたのだが、やはり大きなプレッシャーを感じる時もあった。
たとえば、隣に座っていた地元の来賓の一人が、あからさまに「何故立たないのか?」と問うてきたり、これ見よがしに「君が代」を私の身元で絶叫したりして、「おまえは非国民だ」とても言わんばかりに睨みつけられたりもしたことがあった。
思想、信条、宗教などの自由は、日本国憲法でも保障されているはずなのに、わざわざ「君が代」という明治時代に「天皇賛美」の精神から生まれた歌を歌わなければならないのか、また多くの戦争で「国家の御旗」として特にアジア、太平洋の国々や地域に侵略の戦いを仕掛けてきたニッポンの歴史上の「日の丸」は、デザイン的にはシンプルで決して悪くはないが、戦後の民主国家としての「ニッポン」の国旗としては、あまり評価も出来ないし、敗戦国日本が生まれ変わって出直す戦後に、新たな国旗を創るべきだったのに、その時期を逸してしまっただけなのであると思うのである。
いずれにせよ、今回の「君が代起立命令」最高裁での合憲判決は、今後の教育現場だけでなく、国会、スポーツ、芸能、地方議会、NHKなども含む、日本社会での「挙国一致」とか「富国強兵」だった時代と同じく、すべてが同じ価値観や行動を強いられるという、とんでもない「ファシズム」的方向へのターニングポイントとなる危険性を孕んでいるといえよう。
おまけに、大阪府の橋下徹知事が代表する「大阪維新の会」が、大阪府議会で公立学校教師の「君が代起立斉唱」を義務付ける条例を来月提案し可決しようとするなど、全く民主主義に反する政治家の横暴であり、橋下知事の「きちんとした判断が出た」というコメントは、末恐ろしい地方ファシズムの再来のスタートともなるのではないだろうか。