ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

何がどう変わるのかな。

2009年08月31日 | 日本の課題
 民主党が選挙前の予想通りの大躍進で、308議席を獲得し、社民党、国民新党との連立内閣を目指して、協議に入る模様である。

 鳩山由紀夫代表の日焼け顔もほころび、いつもの岡田幹事長、菅直人、小沢一郎両代表代理と共に、満面の笑みでそろって記者団の記念撮影に応じていた。

 一方の自民党麻生太郎総裁は、昨夜に総裁辞任を示唆しておきながら、来月14日に開会が予定されている、総選挙後の臨時国会での「首班指名」の投票においても、自民党の国会議員は「麻生太郎」を首相としてふさわしい人物として投票させるつもりなのか、総裁選挙は9月18日告示、28日投票で行うと発表した。

 こんなにも歴史的大敗と言われる、戦後日本政治史上一番の惨敗をきした責任をほんとうに感じているのだったら、即辞任し早急に次の総裁を選任した上で、国会における「首相指名選挙」に臨むべきではないだろうか。

 十年に及ぶ自民党、公明党による「連立内閣」が崩壊しただけでなく、公明党の大田代表および北側幹事長、および冬柴元大臣まで落選してしまった公明党も、早期に新たな代表を選任して、国会に臨むべきだろうと思う。

 それにしても、とんでもない数を国民の審判によって獲得した「民主党」だが、議員としての経験のある前議員、元議員は100数十名はいるが、それ以上に初めて議員に選出された多くの新人たちは、またもや「小沢ガールズ」とか呼ばれたりして、その資質や実力のほどについては疑問を呈されているが、早期に公設秘書探しから始まって「国会議員」としてのイロハから勉強すべきである。

 しかし、従来の「永田町の歩き方」ではなくて、新たな発想の転換をした「国民目線」での新型国会議員として活躍していただきたいと思うので、先輩議員を見習うのではなく、また○○チルドレンのような揶揄の仕方をされない、自立した自分らしい議員活動を目指していただきたい。

 そんな新しづくめの中で、果たして「民主党マニフェスト」として公表した政策公約をどのように実現しようとしているのかは、甚だ疑問だが、時間をかけてじっくりと検討し、官僚の言いなりではない生活者目線での政策実行へと歩みを進めていただきたい。

 26000円の児童手当や高速道路無料化、公立高校無償化、揮発油税の撤廃などの目玉的バラマキ政策を果たして実現できるのだろうかと大いに心配なのだが、総予算の抜本的組み換えは、既得権益議員や企業の立場と共に従来の霞ヶ関の思考形態を変えなければ、到底でき得ない難題が、大きな壁として存在していることは明らかである。

 国民、有権者として、私たちは、これからの民主党を中心とする内閣による「政権運営」と「政策実行力」に対して、厳しい眼差しで見守っていかねばならないことは当たり前だが、「何がどう変わるのか」を実感できる「新しい政治力」に期待したいと思う。

 ともかく与えられた四年間という、政権交代がもたらした「やってみたら!」を「やれば出来る」に変えて、真の国民にとって「変わった!」を実感できる社会にしてほしいものである。
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のりピーの貢献。

2009年08月30日 | テレビマスコミ
 芸能界の大麻、覚せい剤汚染は留まるところを知らず、今月初旬から連日のように報道されている「酒井法子容疑者」に関連する逮捕、起訴の背景に、多くの「覚せい剤の蔓延」の現実が隠されているようだ。

 俳優、押尾学の逮捕に続いて、酒井法子の別居中の夫である、高相容疑者逮捕で、まさしく芸能界の「覚せい剤汚染」は、相当のものだとの現実が明らかになった。

 しかし、歌手であり、女優の酒井法子については、多くは「夫の逮捕」を恥じて身を隠していると当初思われていて、マスコミも「酒井法子不明」のニュースを、同情的に伝えていたが、数日経って一転し、「酒井法子容疑者」として、とんでもない犯罪人として報道するようになり、逮捕から起訴に至る連日、関係者や捜査当局および弁護士などからの取材と称して、本人の過去から覚せい剤の常習犯であったとの報道に変化してきた。

 ここ一ヶ月近くの報道を見聞きしていて、最近感じるのは、これほどまでに「創られた偶像」だったかもしれないのだが、清純派アイドルから歌手、女優として活躍し、台湾、香港、中国、韓国などでも人気の高かった彼女の実態と私生活の現実が暴露されるにつれて、とんでもない私たちの勘違いがあったのではと思うのである。

 人は見かけによらないとも言うが、たいていは「見かけによって判断」することが80%以上であるのが現状なので、テレビ、新聞、雑誌などで報道される創られた「人となり」を多くの視聴者、国民は信じて疑わなくなっているということである。

 しかし、一つの事件、事実が判明したとたん、全く逆の「評価」が急に増加して、「酒井法子」についても、出生から今に至るまでの「人生」を「さびしく暗い人生」だったと確信的に伝える報道まで出てきている。

 私は、特別のファンでも支持するものでもないが、昨今の報道を見聞きしていて思うのは、今回の事件、事実が克明に報道されることを通じて、「大麻や覚せい剤」のとんでもない危険性や中毒性、つまり人間を廃人化させてしまう、極めて怖い猛毒であることを再認識させる、絶好のチャンスであると感じている。

 彼女が犯した罪と言うべきか、「誘いに乗った違法行為」は、断じて許されるものではないし、起訴されての裁判による司法判断で刑に処されるのは当然だと思うが、彼女が結果的に大きく「覚せい剤や薬物」の危険性を世に知らせるきっかけとして貢献したとも言えるのではないだろうか。

 若い人や学生だけでなく、主婦や普通のサラリーマンが、ちょっとした「好奇心」や「経験してみたい」などという、体験主義で手を出してしまうことで、字の如く「病み付き」になってしまい、直らぬ病としての「覚せい剤依存症」や「薬物中毒症」となってしまい、心身ともに廃人のようになったり、精神まで異常をきたしてしまう現実に、どうにかストップをかけなくてはならないのである。

 その薬物中毒、覚せい剤依存など蝕まれる人間の背景で、多くの金銭が動き、暗脈する業界、密売、密造、密輸、そして暴力団などの実態が笑っているのである。
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何故か「一口」

2009年08月27日 | 感じたこと
 全国各地に珍しい地名や難解な地名が日本には存在している。

 私の現在住まう京都南部周辺にも、たくさんの難解な地名や関西人なら読めるが、関東地方やその他の地方の人には読めない、または難読の地名が多い。

 大阪府枚方市は、全国ニュースでもアナウンサーが時折「まいかた」などと読んでしまう地名の代表的なものだが、私自身は大阪出身なので、同じJR片町線、現在は学研都市線とよばれる沿線に「放出」という駅があり、これも「はなてん」とは読みがたい地名で、駅前にあるパチンコ屋は、「放出会館」、まるで出玉のいいパチンコ屋のイメージである。

 他にも「交野」を「かたの」と呼ぶし、「私市」を「きさいち」と読ますなど、他の地方から来られた方には、難読というより覚えるしかない独特の地名である。

 そんな中で、多くの人がビックリするのが「一口」と記されている地名であり、どう転んでも「いもあらい」とは読めないものである。

 東京で活躍するメタボの芸人さんの中でも、特別変わった芸名の「芋洗係長」などという太っちょでメガネをかけて蝶ネクタイの踊りの上手なおじさんがいるが、この「芋洗い」は、たぶん「芋洗い坂」から来ているのだろうと思われるが、京都府久御山町の「いもあらい」の所以は何だろうか。

 昔、この地域には京都で一番大きな淡水池である「巨椋池」という池があって、全体的に湿地帯だったといわれている。

 その湿地帯のはずれで、現在の宇治川に面した集落が「東一口」、すなわち「ひがしいもあらい」と言われる地域であり、ここが唯一の水のはけ口、「一口」だったのだろうと思われる。

 昔、この地域に疫病が流行って、それを洗い流すためにも、この一口を利用して、撲滅したとの言い伝えもあるみたいだが、私の推測では「醤油や調味料」を小さな出口のついた小皿に入れて注ぐ様に似た「いもを洗うやり方」が存在していて、そのような形態の地域だったために「いもあらい」という地名になったのではないかと思っている。

大阪府には、他にも「吹田」(すいた)や和泉(いずみ)などの関西の人でないと読めない地名がたくさんあるが、京都の南部には実はもっと読めない地名があった。

 その名は「祝園」なのだが、これは「ほうぞの」と読むが、実はその所以はアイヌ語であり、古代に木津川のこの辺りは「人を葬るところ」だったそうで、葬儀場のことをアイヌ語では「ほうその」と称し、縁起のいい名ではないので、当て字として「祝う園」をあてて、「祝園」としたそうなのである。

 現在は、京都府精華町祝園として、京都府南部の唯一の自衛隊の「弾薬庫」がある地域であり、京田辺市にもまたがる「祝園弾薬庫」は、精華町と京田辺市に国からの特別助成金が交付されている地域で、「祝いの園」となっている。

 

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真剣だと知恵が出る。

2009年08月26日 | とんでもない!
 今年の夏は「冷夏」と言われていて、稲作をはじめとする農作物の「生り」がよくないらしい。

 そこで急遽、農林水産省をはじめとするお役所が「規格外商品」の排出を奨励しだし、スーパーや八百屋さんにも、曲がったキュウリや溝の入ったトマトなど、日頃は店頭に並ぶことなく処分されたり、家畜のえさとなっていた野菜たちを、商品として取引し、消費者に安価で提供するという試みをしだした。

 今までは、農協を中心とする農作物を集荷し、卸売業者たちや市場に納品する側が、消費者のニーズに合わせてという名目で「規格品」としての大きさ、長さ、重さ、色や形態を一定の枠内で決めているために「出荷できない」農作物がたくさんあったのである。

 私の町の特産のひとつに「茄子」があるのだが、もうずいぶん昔にはなったが、住宅街から少し緑の多い散策路や池や谷のある憩いの場所の道路の脇から少し入ったところに、大量の「大きな茄子」が捨てられていたことがあった。

 まだ十分食べられる鮮度もあり、軽トラック一杯分ぐらいあったので、全部ではないが遺棄されていたので、集めて持ってきて、子どもたちの「遊びや工作の材料」として活用したことがあったことを思い出した。

 ほんとうに「もったいない」ことで、大きさや形や色の違いや曲がりなどがあっても、ほとんど味や食材としての栄養分などに変わりはないのに、商品価値がないとの理由で破棄されていた農産物が、今まではどんなに多かったことだろうか。

 消費者の多くは決して「形や大きさ、曲がり」などの有り無しで選択しているとは思わないのだが、いつのまにか生産者を取り巻く商売人である卸業者や仲買人が「品定め」することで、一定の規格標準を決めてしまっていたのである。

 それは、特に生産地から遠隔地の消費地までの流通にリスクが少なくするために、規定のケースや箱を用意して、そこに収納できる大きさや形を「良し」とするといった、いつのまにか『工場生産物』と同様の規格が出来上がっていたのである。

 春、夏、秋、冬と、日本の四季に応じた「旬」の時期に大量の消費や売り上げを期待して、まだ成熟していない内の農産物を収穫して、流通のために必要な日時の間に「食べごろ」の時期を迎えるようにと計算された出荷も多くなっているようである。

 いずれにせよ、天候異変や収穫不足を補うための「知恵」としての「規格外農産物」の出荷に終わらせないで、今後の食糧問題としての「国内自給率の向上」や「もったいない」精神を活かすためにも、農産物の不ぞろいや形の違ったものなど、規格外商品としてではなく、自然な農産物の「生り物」を買って食する習慣をできるだけ心がけて、消費者が選ぶ自由と少しでも、安全性を優先した「農作物」の流通を目指してほしいものである。

 「真剣だと知恵が出る。中途半端だと愚痴が出る。いい加減だと言い訳ばかり。」という、名ことわざを胸に、経済危機も食糧危機も乗り越えようではありませんか。
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「納得診療」・・?!

2009年08月25日 | 感じたこと
 一昨日から気になっていた高齢の母の病状について、医者の薦めもあり大きな病院での検査の結果、兄姉とも話し合って即入院を決めた。

 高齢の母がお世話になっている老人施設のかかりつけ医から電話があったのが一昨日だったのだが、私の姉妹が昨日いつもの別の病院に通院し、症状を訴えて問診も受けたが、検査は血液検査だけで、後の検査は先の予定日しか取れないとのことで一旦帰ってきた。

 しかし、最初に母の病気の異常に気づいた施設の近所のかかりつけ医の指摘で、急遽今朝、大きな病院での外科診療に紹介状を持って行ったところ、比較的早く、血液検査をはじめ、レントゲン、CT、エコー検査などをしていただき、即刻問診していただいた医師からの説明を受けた。

 これがいわゆる「インフォームドコンセント」と言われる、医師からの病状の説明と本人もしくは家族の質問、同意というやつで、日本語的には「説明と同意」、または「納得診療」と言われる過程だと認識した。

 詳しく母の現状を検査の指数とレントゲンやCTの画像と共に、医師が簡略な図式を元に分かりやすく説明をしてくれたのである。

 母の病状ならびに現在の状態の認識には大変役立つ説明であったが、今後の診察、入院、治療方法などについては、即決定とはいかなかったので、少し時間をいただいて家族で話し合うことにした。

 当然、意見の違いや考え方、情報の有無などの違いはあるために、いろいろなケースといろんな対処の仕方を想定した上で、可能性と安全性、つまり一番優先すべきは、当然母の健康状態への回復なのだからと、じっくりと検討したのである。

 やはり、「善は急げ」と言うわけではないが、紹介されて診察を受けた病院の医師を信頼して、少しでも早く回復に向かう可能性のある処置、施術を行っていただく必要があるとの合意を得て、午後に即入院することとなった。

 この「インフォームド・コンセント」と呼ばれる概念は、「正しい情報を伝えられた上での合意」を意味するものなのだが、医療行為に際して日本で定着したのは、1997年に医療法が改正されてからだから、まだ12年しか経っていないことである。

 患者や家族が、医療行為としての投薬、手術、検査などに対して、治療や臨床試験、治験の内容の説明を受けて、理解した上で、治療方針や対応について合意、納得するためのものなのである。

 しかし、いくら丁寧、かつ親切に説明されても、所詮立場が異なるし、素人と医者という専門家のコミュニケーションには限界がある部分もあって、なかなか難しいものである。

 患者側の心配や不安は当然のことなのだが、医者は「納得して同意」してほしいと薦めるものなので、選択の余地は非常に少ないものでもある。

 私の知人で、癌にかかった患者さんなのだが、医者の薦める「手術、放射線治療、抗がん剤投与」の選択を断り、自らの情報と知識によって、食事を主とした免疫療法と温熱療法によって、現在「がん細胞」が消えたという状態で、元気に暮らしているおじさんがいる。

 インフォームド・チョイスと言われる選択肢が少なすぎると思われる現状の実態の中で、自らのよりよい選択を勇気を持ってする難しさを痛感した。
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流行性ウイルスと選挙。

2009年08月24日 | 季節の話題
 今年の五月頃から大騒ぎだった「新型インフルエンザ」の水際作戦とやらの政府の見解と予防対策などで、一斉に「マスク」が市場から無くなったり、車内の半分以上の人がマスクをしている異様な光景となっていた。

 それから何故かいつのまにか沈静化していたと思ったら、ここ一、二週間再び大騒ぎで、プロ野球の日本ハムの主力選手やコーチに感染者が出たり、甲子園球児にも感染した者が出て、勝敗にも影響しかねる事態となった。

 私の「おっさんフリーター」の職場でも、食品に関わる仕事なので、五月頃は「全員マスク」の徹底が促されたりしたが、他人やお客様と話すのに、マスクをしたままは「失礼」でもあり、「話しにくい」ので極力避けたい気持ちだった。

 またもや「インフルエンザ予防」ということで、「マスク着用」が指示されかねない状況が近づいてきているみたいなのだが、衆議院総選挙の投票日の8月30日が近づいていることもあって、北野武の司会する選挙特番では、タケシ本人が口をすべらせ、「選挙妨害のための流行」とする冗談を言っていた。

 確かに事前の期日前投票も大幅に増加し、アンケート調査によれば、なんと84%もの有権者が「必ず行く」か「行くつもり」と応えていて、戦後の総選挙の中でも一番の関心があるみたいで、実際のところでも70%を越す投票率となる公算があると言われている。

 そんな「選挙ブーム」の中で、「インフルエンザが蔓延」したら、それこそ大変であり、投票したい人も投票所に行けないくらいの高熱としんどさに襲われる症状になる恐れもある。

 何食わぬ顔で突然飛び出した、いつものタケシの毒舌の一言だけれど、これだけ与党、自民党と公明党の敗北、劣勢が予測されていると、大きな権力、力と金と人の動因で「よからぬ選挙妨害」をしたくなる影の思いも出ないとは限らない。

 政治とは恐ろしいものである。一旦、反対の風が吹くと、どうにも止まらないような地滑り的な、予想以上の結果が出る場合もあるものである。

 ちょうど、中国、韓国、日本などのアジア民族の志向性とアメリカ、イギリス、カナダなどのヨーロッパや西欧型の発想、ものの考え方には大きな違いがあるというテーマの特集をテレビでやっていたが、日本人は「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という、群集心理とでも言うべきか、いつのまにかマジョリティーになってしまう精神性を持っている民族であるという。

 すなわち、欧米人は「個人個人」の個性を尊重し、自分の意見、考え方をかたくなに持っている人が多いが、日本人は最終的には「長いものには巻かれよ」タイプの「調和?」や「みんな一緒」を好む民族だからである。

 ちょっとしたテレビや新聞報道で「インフルエンザ騒動」が起きて、過剰な反応とまで言われた「マスク状態」があったように、今回の選挙を前に、再び「みんなの雰囲気」に自分を棚に上げて、従うような行動や予想結果に乗るような対応だけは避けてもらいたいものである。

 選挙に流行性のウイルスはいらない。
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期日前投票。

2009年08月23日 | 感じたこと
 いよいよ、あと一週間に迫った「第45回衆議院選挙」の投票日。

 テレビ、新聞、雑誌などのマスメディアは、毎日、毎号、「総選挙特集」とやらで大騒ぎである。

 特にテレビでの各党首、代表者によるテレビ討論は、毎日のようにどこかのテレビ局で放映されているような感じだが、いずれも各党のスローガン、キャッチフレーズ的主張と与野党間における、論争というより「けなしあい」と言った感じの「言い合い」が主で、特に目新しいところはない。

 新聞各紙の総選挙における各党の獲得議席予測が一斉に出たのが一昨日で、まだ選挙期間12日間の半ば前なのに、早くも「民主党単独で300議席を越す」勢いとの予測が堂々とトップ記事として報じられている。

 週刊誌の中には、なんと現在の政権与党である自民党の獲得予想議席は40数議席に激変し、万年全員当選を目指しかなえているらしい公明党まで、議席数を減らすとの大胆予測まで堂々と掲載されていて、とんでもない「民主党の地すべり的勝利」を予測しているものもある。

 そんな予測が気になるのか、ならないのか、麻生首相と大田公明党代表は、ともかく精一杯やって、何とか自公で過半数を獲得し、政権維持を狙うと白々しくも、まだ言っている。

 確かに天下の公党を自称する、自由民主党と公明党なのだから、あっさり「今回は野党に政権を譲る」なんてことは「言えない!」だろうが、なんとも子どもじみた「うわごと」のように両党首のコメント、メッセージが聞こえてならない。

 そんな衆議院選挙の公示から、まだ四日しか経っていないのだが、早くも私たちは「期日前投票」とやらに行って、投票を済ませてしまった。

 「小選挙区」ならびに「比例代表」の二つの投票に際して、候補者名と政党名をはっきりと明記して投票箱に投函してきたので、国民としての責任と義務を果たしてしまったという安堵感はある。

 休日の市役所に事前投票のために午前中に出かけたのだが、入り口でインフルエンザ流行に伴う、アルコール消毒液がおいてあり、一応手にプッシュして投票所へと向かったのだが、その際に女性がひとり立っていたので、市の案内担当の職員だと思って、「ごくろうさま」と声をかけたが返事がなかった。

 投票を終えて、再び市役所の入り口から帰ろうと、さっきのところを通ったところ女性に声をかけられた。

 「すみません、NHKです。出口調査にご協力ください。」と言うのであった。

 なんと、期日前投票においても出口調査とやらをやっているのかと半信半疑のうちに、「お名前とか個人情報は聞きませんから」との声がしたが、私たちは無視して入り口を後にした。

 まだ実質の選挙戦が始まって4日目だのだが、こうした出口調査をはじめとする各テレビ局や新聞社による取材で、たぶん投開票日の夜八時に投票が打ち切られて、すぐのテレビ報道番組などで「当確」という、当選予測による「結果」の前倒し的発表がなされるのであろう。

 国民、有権者の大半の投票結果を、もう既に期日前投票の出口調査だけで「憶測」し、「結果を予測」しているマスメディアの報道体制にはビックリである。
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黒部ダム!!

2009年08月21日 | ガリバー旅行記
 雨と風が激しく降り注ぐ中、長野県大町市側の扇沢から、関西電力のトロリーバスに乗って、黒部第四発電所に向かった。

十数年前からチャンスがあれば一度は実際に見てみたいと思ってた、関西電力最大の黒部峡谷の黒四ダムに今朝初めて行くことが出来たのである。

何故行きたかったかというと、ひとつは我々の関西地方の電力を全て担っている関西電力最大の水力発電所であり、あの「黒部の太陽」など映画作品としても紹介された「世紀の大工事」の末、多くの犠牲者を出した現場だったからである。

 その上に、全く私的なことなのだが、私の40年前に亡くなった父が、若き時代に登ったという、この「黒部峡谷」から見上げると凛々しく男らしく聳え立っている「立山」の姿を見上げてみたかったからである。

 父が私が幼い頃も山が好きで、いろんな登山した話を聞かせてくれたのだが、ある年の冬に「立山」に職場の仲間と共に登山したらしいのだが、北側の傾斜面で滑落し、なんと200m以上滑り落ち、転落死していたかもしれないところが、先を行っていた先輩の「三浦さん」という方が、持参していた「ステッキ」、つまり木製の杖を雪上に突き刺してくれて、滑落がとまって、膝の傷だけで命に別状なく生還できたのだと言うことであった。

 それ以来、私の大阪の実家にあった大きな「雪の立山」の雪渓の写真がいやに気になっていたのだが、親父の死後、心の中では「いつか行ってみたい」と思っていただけで、富山、長野両県に行くことがあっても、黒部峡谷や立山に足を向けるチャンスはなかった。

 今夏の思いつきで、見つけた「バス旅行」に、黒部ダムへ行く信州の旅があったので、妻を誘って行くことにしたのであった。

 あいにくの風雨激しい中、扇沢を出たトロリーバスは順調に黒四ダムの停留所まで運んでくれたが、展望台やアーチ型のダム上の観光道路を歩く頃には、激しさを増していて、帽子も飛びそうだし傘も差してはおれない状態の中、辛うじて「観光放水」を続ける巨大な「黒四ダム」を見学し、頂上は雲に隠れた「奥立山」を見ることができたのである。

 いたるところに、「黒四ダム」の出来るまでの関西電力関係者の努力と、延べ1000万人もの労働者、作業員の必死の努力の甲斐あって、七年余の難工事が完成し、昭和38年に初めての発電を開始したという「黒四の歴史」を学び、200人近い作業員が殉職したという、恐ろしく危険な工事の過程も紹介されていた。

 あの有名な『黒部の太陽』として完成した石原裕次郎主演の「黒四ダム建設」のドラマは、実際の工事から50年近く経った今も、綿々と歴史と男たちの戦いを物語っていて、リニューアルされたドラマも放映されて、再び注目を集めたみたいであった。

 こんな険しい黒部の渓谷に巨大なダム建設を計画した「夢とロマン」は、現実的には死闘の難工事となったのだが、現在の我々の生活を支える大きな基礎ともなっていることを改めて知った。
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上高地で偶然知人と出会う。

2009年08月20日 | ガリバー旅行記
 朝早く自宅を出て、ちょっぴり夏休みを満喫しようと、信州、黒部への一泊二日のバスツアーに参加した。

 高速道路を乗り継いで走り抜けて、岐阜県の高山から長野県の上高地の名高い大正池へと向かった。

 夏の暑さを少しでも回避して、涼しくて快適な信州の名所のひとつである、上高地の大正池湖畔を河童橋を目指して家人と歩いていると、反対方向からやって来た知人夫妻に全く偶然に出会ったのだった。

 京都の自宅から500キロ近く離れた見知らぬ土地で、いくら大勢の人が来る観光地とはいえ、同じ地域の市役所で働いている職員のひとりで、懇意にしていた課長さんに、こんな場所で偶然会うなんて驚きであった。

 まだ京都は日中は30℃を超す暑さの真夏なのに、上高地は涼しくて、23、24℃の快適な気温の中を歩き、大正池や梓川の流氷は、さらに冷たく10℃位の水温で、途中の岸辺で手を入れると、とても気持ちよい憩いとなった。

信州で偶然に出会った市職員の彼には、実は三日前に私が広島の旅から自宅に帰る途中のJR電車の車中でも会っていたので、さらに驚いたのであった。この時は私は声もかけずに確認しただけで降車したので、彼は気づいてはいなかったかもしれない。

この「偶然と思う」出会いについて、実は私が敬愛する歴史地理学の名誉教授の先生の名言だが、「それは偶然ではなく、歴史的必然性の出会い」ということになるのだろうか?

ともかく驚きの出会いもあったが、清清しい信州の涼しい風に包まれて、のんびりと散策できた半日に感謝しながら、明日は黒部ダムを見に行く予定なので、ぼちぼち休むことにする。

いろんな「出会い」や「出来事」に私たちは遭遇するのだが、先生の言われる「歴史的必然性」を信じながら、楽しい旅を続けたいものである。

 皆さんも、決して「偶然ではない」出会いや出来事に端を発しての「縁」や「きっかけ」が実を結んで、今良き伴侶を得て幸せな生活をされていたり、友人、知人、恋人との出会いを楽しんでおられることも多いのではないだろうか。

 私たちの勝手な思い込みだけで「偶然」なんて思っている「出会い」や「出来事」が、大きな力や意思で結実した「歴史的必然性」に富んだことであったとすれば、より感謝と共に大切に「その方」や「その出来事」と共に歩まねばならないと思うのである。

 私にとって、将来の「何か」を連想させてくれる「出来事」だったかもしれない「出会い」を決して「偶然」と思うのではなく「大切な出会い」として記憶しておこうと思ったのである。
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光と影の世界展

2009年08月19日 | 感じたこと
 仕事の夏休み中の一週間、今年の夏は前半が広島、福山、尾道、しまなみ瀬戸内海を旅したのだが、明日からは信州へ一泊旅行の予定だ。

 その間の二日間は、昨日一日が孫とのプールで、背中や肩が痛くなるほど日焼けしてしまうほど、約6時間強も流水プールを中心に遊び、付き合ったのだ。

 今日は、昼から「夏の芸術鑑賞の半日」として、京都は三条高倉にある「京都文化博物館」へ、まずは「藤城清治・光と影の世界展」を観に行った。

 もうずいぶん前になったが、版画のような「イエスキリスト」を表紙に描いた「藤城清治」さんの絵本を見て、衝撃的な出会いをした画家のひとりであった。

 それ以来、多くの影絵的作品に触れることがあって、着々と多くの作品を生み出すパワーと細かい表現方法を積み重ねた「藤城作品」の魅力は十分感じていた。

 今回の「光と影の世界展」は、既に80歳を超えてなお活動されている「藤城画伯」の最後の大掛かりな個人的作品展示会となるであろう感じだったので、じっくりと展示されている230点あまりの作品を時間の許す限り見た。

 夏休みとあって、子どもたちもたくさん来場していたが、女性たちの来場、関心が深い印象が強かった。

 ひとつ、ひとつの作品がなんともロマンチックなイメージの「こびと」や「どうぶつ」たちが主人公になっているようで、繊細な作風なのだが、とっても明るく夢がある作品が多く、暑さを忘れて、希望と夢を抱かせてくれる素晴らしい世界に誇ることの出来る「藤城ワールド」が続いていた。

 小学低学年のこどもたちも、両サイドの鏡と作品の下にある水によって映し出される無限の「藤城作品」の世界に興じているようで、たとえば鏡の奥の観覧車の数を頭を突っ込んで数えている少年までいた。

 ほんとうに根気良く何度もデッサンされた作品の下絵から、何度もなんども細かな切り絵を作っては貼りあわせたり、奥行きのある描き方にするための重ね画的手法も取り入れられていた。

 有名な「ブルーメンの音楽隊」や「角笛と少年」などの作品だけでなく、多くの童話、民話、そして京都の著名な観光名所も藤城先生の手で作品として輝いていた。

 その中で、あの一世を風靡したキャラクターであった「ケロヨン」と称されたカエルが、藤城作品であることを改めて知ったし、彼は約十年間はケロヨンをはじめとしたヌイグルミ劇や表現に没頭していた時期があり、影絵作品の「空白の10年」だったらしい。

 2時間以上の鑑賞時間を費やして、じっくりと楽しんだ後、同志社今出川キャンパスの元学生会館あとに建てられた「寒梅館」のホールで、同志社大学と信州大学の男性ばっかりのコーラス部である「ジョイントグリークラブ」の演奏を聴いたのである。

 同志社のグリーは100年以上の伝統あるクラブだが、現在の団員は30名ほどで少なくなっていたが、ここ数年の交流が続いている長野県松本市からやってきた信州大学のグリークラブは50名近くいて、ジョイントコンサートとして、各々の得意な数曲を歌った後の、ジョイント演奏はやはり圧巻であった。

 アンコール曲を二曲演奏した後のホールロビーで、再び三曲を熱唱した迫力は、さすが学生男性合唱団という力強いものであった。
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