ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

またもアメリカ追従?!

2013年08月30日 | 世界の問題
 アサド政権による「化学兵器」の使用について、アメリカや西側諸国は、国連決議によらずともシリアへの空爆を開始するという姿勢で、オバマ大統領は一両日中にも攻撃をする意向を語っている。

 しかし、イギリスの議会は、シリアによる化学兵器使用の根拠はあいまいだとの見解から、キャメロン首相は英国軍のただちの攻撃参加はしない意向を示したそうだが、我が国の安倍首相の見解は、どう見ても「アメリカ追従」以外の何物でもなく、大変嘆かわしくさえ感じるのである。

 ベトナム戦争、アフガニスタン攻撃、イラク戦争、湾岸戦争といつもアメリカが仕掛けた侵略的とも言える一方的な攻撃、戦線布告に対して日本は、「血を流していない」などと揶揄されたりして、多額の米軍戦費のうちの一部を負担したり、自衛隊が後方支援に赴いたりと、まるで親分の大義名分に寄与するが如き「子分の分際」を示してきたのである。

 いつの頃からかか、日米安保条約を基として、「日米同盟」とやらの確約がなされているが如く振舞う日本政府。

 世界の国々から観て、日本国はどうみても主体的な政治的独立をなしえていない国のようで、いつも積極的ではなくても、消極的賛成、もしくはアメリカの支援国家として君臨し、悪く言えば「アメリカの言いなり」、つまり「家来」の如く振り回されているのではないだろうか。

 今回のシリア情勢に関して、一般市民や子供や女性たちも含む非戦闘員の人たちが化学兵器によると思われる症状で倒れたり殺戮されたりしている事実に対しては、大い批判し国連での決議に至らなくても、声を大にして国際世論に対して警告すべきなのは当たり前なのだが、だからといって、すぐに米軍による空爆を支持するなんてことはあってはならないのではなかろうか。

 化学兵器による殺戮が如何に悲惨であり、国際法上も人権擁護の立場からしても許されざる蛮行であると指摘しても、方法論は違えども再び空爆などによる戦闘行為で多くの死者や多大な建造物やインフラに壊滅的な打撃を加えることは、改めて名も無き市民や生活者を苦しめたりし、批判の的にしているシリアと同等かつ同じような蛮行を繰り返すこととなるのである。

 地球上の人間社会に多種多様な争いや対立が尽きないのだが、「目には目を、歯には歯を!」なんて愚かな戦いを繰り返す愚行はやめさせなければならないのに、日本政府は釈然としにいまま、アメリカ政府を支持する姿勢であることは断じて許すことができない。

 尖閣問題での中国との軋轢や、竹島領有権での韓国との対立、また北方領土問題でのロシアとのギクシャクした外交など、日本が抱える国際的外交問題は多々あるが、シリアや中東問題は直接的な「火の粉」は飛んでこないようだが、原油の高騰という間接的ダメージはすでに影響が出ていて、安倍首相も中東を歴訪した際に、石油の優先的確保には率先してお願いをしたとのニュースは伝わってはいるが、わが国の利益や解くか損かという基準ではなく、国際的な視野での「軍事力の行使なしでの平和的解決」を目指しての日本独自の姿勢、すなわち外交が必要なのではないだろうか。

 国内的には、憲法解釈ではなく「集団的自衛権」なるものの見解の違いが議論されつつあり、戦争放棄の原則を貫いてきた日本国憲法の改悪への足がかりを、安倍自民党歯目指して歩みだしているが、辛うじてコバンザメ政党、創価学会公明党が時期尚早として議論以前に忠告しているので、しばしは私たちの危惧は時間的に有余があると見られるが、いつなんどき自民党を中心とする輩たちが強硬な手段で「突っ走る」かもしれないので、国民、有権者として注視しなければならないと考える。

 もういい加減に、アメリカの子分の様な親分への追従はやめようではないか。
 
 

 
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米中に揺れる日本

2012年11月10日 | 世界の問題
 この一週間は、アメリカ大統領選挙においてのオバマ大統領の再選と中国共産党大会においての胡錦涛国家主席から習近平氏への後継指名という、二大経済大国であるアメリカ合衆国と中華人民共和国、つまり米中の二大国家のトップの交代という政治的権力の移行が大ニュースとなって、日本の野田民主党内閣と自民党などの野党との国会を舞台とした政局、特に解散、総選挙を睨んだ対立などはほとんど影が薄いといった感であった。

 とにかく民主党のオバマ現大統領と共和党のロムニー大統領候補との実質は両者の一騎打ちの戦いは、ほほ一年以上の選挙戦のクライマックスとでも言うべきスーパーチューズディの選挙人を選ぶ最終結果が、接戦との予想に反して意外な大差で日本時間の水曜日の午後には、オバマ大統領の再選が報じられて、オバマ大統領の地元であるイリノイ州シカゴ周辺をはじめ、少年時代に過ごしたことがあるというインドネシアでも勝利を喜ぶお祭り騒ぎが報じられていたが、何と日本国内の福井県小浜市でもオバマ再選を喜ぶ市民がニュースとなっていたほどである。

 いずれにしても、共和党の大統領候補のロムニー氏と現職大統領のオバマ氏の論戦や政策的違いでは、この四年間をリードしたアメリカ経済や雇用問題などの現実的問題と照らし合わせて、新しい大統領をとの期待も大きく、ほぼ支持率は互角とまで言われていたのだが、オバマ大統領の劇的な再選になった大きな要因は、ミッシェル夫人の人気と共に、選挙前にアメリカ東海岸周辺に多大な被害をもたらしたハリケーンに対す現職大統領としての救援や対応ぶりが幸いしたとの見方が大きく、オバマの勝利は奥さんと台風のおかげだとの説が有力だという。

 アメリカ大統領の4年に一度の選挙は、アメリカ全土で約1年以上、政治的お祭り騒ぎとでも言うべきイベントでもあり、国民の多くの関心と共に一大マスメディアの餌食とでも言うべき対象として候補者自身だけでなく、支持者、家族、そしてネガティブキャンペーンとまで言われる中傷合戦にも発展し、両陣営とも巨額の資金を使っての大宣伝を繰り返したそうなのだが、それでも両者とも元気に長丁場の選挙戦を乗り切って投票日当日まで精力的な選挙遊説を続けたという。

 一方の中国共産党の5年に一度の中央大会で、胡錦涛国家主席の隣に何と前任者である江沢民氏が座っていたことは驚きだったが、この共産党大会が終了した翌日に、次期国家主席に内定していると言われている習近平氏への指名が行われる予定と言われているのだが、どうもアメリカ大統領選挙後の中国の最高権力指導者の交代劇に関しては、たぶん14億以上といわれる中国人民の大半は、そうなのかといった実感の伴わない既成の事実としてセレモニー的な人事として遂行されるのだろう。

 かつての冷戦時代は西のアメリカ合衆国と東のソビエト連邦を首領とする二大政治勢力が、自由主義経済圏と社会主義経済圏とに分別され、互いの政治的イデオロギーもあいまって対立していたのだが、現在では米中が地球上の同じ自由経済の市場で、GNPの世界第一位と第二位を誇る経済大国として君臨するようになって、日本はいずれの政治権力と経済的動向にも揺さぶられる存在の、GNP世界第三位の国として揺れているのである。

 かつてはアメリカが風邪をひいたら日本もくしゃみをする如く言われていたが、最近は中国の反日デモや日本製品の不買運動など、尖閣列島の国有化以降の中国政府の反発で、日本経済も大いに影響を受けていて、経済分野だけでなく民間交流やスポーツ大会への不参加、締め出しなども生じていて、くしゃみどころか扁桃腺を腫らしている様な状況となっている。

 米中の二大大国の権力移行に伴う、多大な軍事力なども背景とした国家の威信に対して、日本国内の新たな政治勢力と言われる幾多のグループの台頭が、何故か憲法改正と徴兵制を伴う軍隊の保有を目指すという理念が先行しているとの懸念と危惧を感じている。
 


 
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「石油高騰」の兆し。

2012年01月26日 | 世界の問題
 俄かに、再びと言ってもいいと思うのだが、石油の高騰が予期される事態となっている様で、世界の経済状況が不安定かつ厳しい実態の中で、多くのエネルギー資源のひとつである「原油」や「天然ガス」の輸入価格が高騰する見通しがささやかれ、早くも国際市場では1バレルあたり100ドルを突破し、今回の背景を考えれば最悪の場合は、なんと1バレル200ドル近くまで高騰する可能性があると言われていて、直接的なエネルギー資源としての「ガソリン代」だけではなく、あらゆる産業に影響が多大に出ると早くも警戒感が世界中を席巻しているという。

 そもそも、この「原油高騰」の原因は、中近東のイランという国が今に始まった問題ではないのだが、「核疑惑」が濃厚となっていて、アメリカ合衆国が「イランへの経済制裁を」とのことで、EU諸国をはじめ、日本、中国、東南アジアなどにも「イランからの石油輸入」を止める様にとの指示を出したことに端を発しているのである。

 国際原子力機関であるIAEAもイランの核問題で決議をしており、全世界的にイラン包囲網とでも言うべき「制裁」の罪状が波紋を広げていて、イラン当局は、このアメリカを頂点とする自国への経済制裁について、ホルムズ海峡の封鎖も辞さないとの強行姿勢をもちらつかせて、国際社会に対して自国の正当性をアッピールしょうとしているのが現状なのだろう。

 私はいつも、この問題の本質について単純に疑問に感じていることがあるのだが、そもそもイランや北朝鮮、またはパキスタンやその他の核開発に関する新興国に対して、アメリカをはじめとする所謂先進国が、「あなたたちの国が核開発をするのは認められない」として、抗議し糾弾し、その上に疑惑を払拭する様な行動や証明をしなければ、経済制裁や軍事力で「脅す」といった行動を繰り返していることに対して、基本的に疑問を感じているのである。

 つまり、アメリカ、ロシア、フランスなどの先進国と言われる国々は、多い少ないの差こそあれ原子力爆弾を保有し、実験を繰り返しており、歴史的に戦前からの世界戦略の中において、特に米国は第二次世界大戦末期に、ニッポンの広島、長崎に実戦としての「原爆」投下という、人類史上初の暴挙を行った国である。

 そんな「原爆先進国」の国々が、原子力のエネルギー開発の途上かどうかは定かではないが、十分「原爆」という核兵器を製造できる能力と施設を持つとされる新興国に対して、「我々は持ってもいいが、おまえたちはいけない」とでも言っている様な苦言を呈し、しかも「イラン、北朝鮮」の両国に対しては「野蛮な国」として一方的に烙印を押しているのである。

 私は決して、イランや北朝鮮が核開発を進め、核保有国の仲間入りをすることを良しとしているわけでは全くないのだが、どう考えても、一般的な常識で考えた場合に、説明がつかないし納得も素直には行かないのではないかと、常に感じているのである。

 例えて見れば、親でなくても分別や社会的ルール、モラルなどをワキマエテいると思われる大人が自分はしている悪事?、それとも銃や刀剣類を持っているにも関わらず、「おまえたちが持つことは許せない」と子どもたちや若者に言っている様なものではないかと、いつも簡単な矛盾を感じているのである。

 「嘘はドロボウの始まり」と大人たちは子どもたちに言って聞かせているのに、自分たちは都合のいい「嘘をいっぱいついている」としたら、子どもたちは「いい加減にせえ!」と、怒るのではないだろうか。

 国際政治や先進国と新興国との交渉では、そんな素朴で単純なルールや約束事は、全く通じないのだろうけれど、やはりもし「原子力開発」が、「核兵器」の開発に繋がるという危惧や疑惑が生じて、とんでもなく世界が危険にさらされたり、許しがたい混乱を招くとしたら、もう一度原点に立ち返って、アメリカもロシアもフランスも、全世界から「核兵器」を無くすための「軍縮の推進」をしなければ、外交交渉においても、どちらが鶏か卵かと言った感の言い合いになるだけではないだろうか。

 たぶん、イランもホルムズ海峡の封鎖という強行手段には及ばないと思われるのだが、一番情けないと思うのは、常にアメリカの「言いなり」になってしまうニッポンであり、今回も「イランからの原油の輸入」を経済制裁としてアメリカ同様にやると宣言している日本国なのである。

 原油だけに頼ったエネルギー政策も含め、この際昨年の福島原発事故を契機に大々的に議論となっている、「脱原発」、そして「自然エネルギー」への政策転換を、政府が率先して予算的措置も含めて、断固推進することで、イランだけでなく中近東をばじめとする原油生産国に対する「負い目」や「お願い」的外交から、すこしでも脱却し、世界平和と地球環境の持続しうるエネルギー政策へと、大きな舵取りを切る、またとないチャンスが再び到来したと思ったらどうだろうか。

 イタリアの地中海で座礁した大型観光客船ではないが、「ええかっこして沈没する」ことのない、国際社会での発言と責任ある指摘を、たとえアメリカやロシアに対しても出来る国、つまり「NOも言える国」となってもらいたいものである。
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GNHの国ブータン。

2011年11月20日 | 世界の問題
 世界でGNHと称される、国民総幸福度を大切にする国として有名な、アジアの小さな山の中の国「ブータン」の若き国王夫妻が、新婚旅行をかねて日本を訪問されていて、昨日は雨の京都を訪ねられて、金閣寺をはじめとする京都で過ごされ、東日本大震災と大津波でほとんどの松が倒れた岩手県の一本松で有名になった倒木を、京都の学生たちが大きな木彫の仏像彫刻に作り上げていて、その過程での「ノミ」を国王ならびにお后がいれられるというい一幕もあり、仲睦まじいお二人に多くの人が心を癒されたと思うのである。

 この「ブータン」という国は、インドと中国という人口が世界の一位、二位を有する大国と国境を隔てる、日本の九州程度の小さな国土に、何と70万人ほどの国民が生活するという小さな国で、しかも北部はヒマラヤ山脈に連なる山々が占めるという海抜7千メートルにも及ぶ地域が占めていて、平地は少なくほとんど農業と観光で成り立っている国のようである。

 そうした決して恵まれた資源や工業製品などの輸出などで、経済が潤っている国ではないのだけれど、タイトルにも題した「GNH」という、GNP(国民総生産)とは全く違う尺度で、とっても「幸せ」を感じる国民が多い国として世界に名をとどろかせているというから、不思議な国でもある。

 その小さな国の若き国王夫妻、31歳の国王と21歳のお后が、先月に結婚式を挙げられたばかりでの初のご旅行先として「日本」を選ばれて、特にこの春に起きた東日本大震災の被災地、東北への訪問を希望されての来日だったと聞くと、はなばた恐縮というか、少しびっくりするくらいの「親日家」としての国王夫妻だけではない、ブータンの人々の「日本への思い」に感激すら覚えるし、大震災に関しては1億ドルの義援金だけでなく、国をあげての震災被災者への追悼の儀式をされたりと、もはや感動以外の何物でもないのである。

 日本は戦後の高度経済成長期から1990年代に至るバブル経済絶頂期を経て、ここ20年ほどは「経済混乱期」の如く語られたりしているし、TPP交渉への参加表明だけでなく、「円高」「雇用の低迷」「産業基盤の海外への流出」など、資本主義経済下の多種多様な矛盾が、ここ数年露呈してきている様子で、毎年ごとに首相が変るという政治的不安定さ、国民の政治への信頼が著しく低下していると思われる昨今ではあるが、ブータンでは国民の94%が「幸せである」と自認しているという、経済だけでは幸せ度は計れないことを立証している国と言ってもいい国があるのである。

 国民総幸福量は「Gross National Happiess」、がGNHであり、物質的な豊かさだけでなく、精神的な豊かさを尺度に入れた「幸福度」を表す考え方であり、ブータンの前国王がGNPに代わる概念として提唱したもので、現在ブータン王国では、GNHの増大を国の開発政策の理念として掲げ、憲法にも明記しているとされているのである。

 世界的な経済不況の中で、日本ならびに日本国民の多くは、閉塞感に苛まれていたりして、常にいつも「景気回復」を願っているといっても過言ではない状況であるが、ブータンでは平均月収は、日本円で2万円程度ではあるが、個人が幸せを感じることが出来る環境づくりを国が目指していて、「幸せ」と感じる国民が9割以上で、イギリスのレスター大学の社会心理学者、エイドリアン・ホワイトによって作成された「国別幸福度地図」では、①デンマーク、②スイス、③オーストリア、④アイスランド、⑤バハマ、⑥フィンランド、⑦スウェーデンについで、⑧ブータンとなっていて、以下⑨ブルネイ、⑩カナダと続き、日本は何と90位にランクされ、アメリカ23位、ドイツ35位、イギリス41位、フランス62位、中国が82位とされている。

 ブータンでは、2年ごとに約8千人もの国民に対し、一人当たり5時間に及ぶ聞き取り調査を実施していて、GNHは、①心理的幸福、②健康、③教育、④文化、⑤環境、⑥コミュニティ、⑦良い統治、⑧生活水準、⑨自分の時間の使い方、の9つの構成要素について質問されていて、特に心理的幸福と言うGDPでは計れないものに対しては、正の感情として①寛容、②満足、③慈愛、そして負の感情としての①怒り、②不満、③嫉妬を抱いた頻度を地域別にも聞いて、国民の感情を地図上で表すという手法もとって、怒りや慈愛に満ちている地域などが一目でわかる様にしているという。

 ブータンの国立研究所所長は、GNHについて、「経済成長率が高い国や医療が高度な国、消費や所得が多い国の人々が本当に幸せだろうか」、「先進国でうつ病に悩む人が多いのは何故か」、「地球環境を破壊しながら、成長を遂げて、豊かな社会は訪れるのか」「他者とのつながり、自由な時間、自然とのふれあいは、人間が安心して暮らす中で欠かせない要素だ」と語り、金融危機の中、GNHに基づく政策への関心が一段と高まっていて、GDPの巨大な幻想に気づく時が来ているのではないかと言うのである。

 いずれにせよ、人口70万人のブータンの理想と少子高齢化が著しい現代の日本を同じ尺度で「幸福か?」と問うのには無理もあるのだが、若い国王新婚夫妻の表情や物腰をメディアを通じて見聞きしている限りでは、とっても「幸せ度」の高い国の国王としての雰囲気と国民の絶大な信頼と支持があるという実際はうなづける感じてある。

 
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モンゴル草原に核廃棄物!

2011年09月01日 | 世界の問題
福島原発のメルトダウン事故による未曾有の被害の広がりと将来にわたっての避難地域への帰還が困難との報道もあわせて、福島県の該当地域の避難民だけでなく、全国、いや全世界的に「やはり原発はやめるべきだ」という機運と、それに替わる代替エネルギーとしての自然力を使用した、太陽熱、地熱、風力、バイオ、波力などを含むあらゆる廃棄物を出さない電力生産の道が本格的に模索されている。

 そんな世界中の人々の思いと願いの中、日本では野田新政権が発足したが、党内融和やマニフェストの見直し三党合意も大切だろうが、今後の日本経済の舵取りと共に、将来のエネルギー施策への舵取りが明確には見えてこないばかりか、やはり大きな利権である「原子力」に纏わる施策の行く末については、はっきりとして言動が語られることはなく、原発被害と共に風評被害が収まるのを期待してか、徐々に再び原発の稼動をはじめとする原子力推進策が隆起し始めているのではないだろうか。

 日本国内にある原子力発電所54基のうち、既に2/3以上が停止している現状の中で、菅首相の「脱原発あるいは原発に頼らないエネルギー施策」という画期的な方向すらぼやけつつあって、敦賀のもんじゅの再稼動をはじめ、青森県の六ヶ所村の核廃棄物処理場の本格稼動なども原子力推進派によると着々と計画されている様である。

 そんな状況下で、前々から噂はされていたことだが、国内での核廃棄物処理が困難であれば、国外に核廃棄物処理を輸出しようとする動きが加速しそうな気配が益々進んでいるのだが、ウラン燃料の原発使用後の二次使用、つまり原発廃棄物からプルトニュウムを抽出する技術的業務をフランスに依存しているために、現在一部輸出されていた核廃棄物だけでなく、半永久的に日本、アメリカを中心に、アラブ首長国連邦とモンゴルの四カ国でモンゴルに核廃棄物処分場を作る計画で包括的燃料供給(CFS)が締結されたそうである。

 とんでもないことである。

 世界的には、アメリカのスリーマイル島原発事故、ロシアのチェルノブイリ原発事故に次ぐ、大事故となった日本の福島原子力発電所の三基のメルトダウン事故による放射能汚染の危機的状況が、まだまだ覚めやらない現状の中、着々と原子力発電を中心としたエネルギー産業と政府が国際的には問題になってはいるが、日本国内ではあまり問題視されない内にと思っているのか、とんでもない計画の推進を推し進めているのである。

 モンゴル国といえば、ソビエト連邦の崩壊、東西冷戦構造の終焉から、自主的な独立国家への道を歩み出したロシアと中国に国境をはさまれた草原の国なのだが、大相撲の横綱白鵬や元朝青龍の出身地としても有名だが、ウランバートルという中央の首都に国民の大半が住む他は、大草原に遊牧民が散らばって、今直素朴な大陸的ら生活をしているというお国柄だが、経済的には貧富の差が著しく、まだまだ経済的には困難な状況を脱しきれない国である。

 そのお国事情から、国内総生産GDP約66億ドルのうち、鉱業の割合が22.7%、輸出総額の81%を鉱物資源が占めると言う現状で、金、モリブテン、鉄、石炭、ウランなどが主要な輸出品であり、ウランの埋蔵量は世界で有数な国だとされている。

 しかし、経済的にはまだまだ厳しいお国事情と共に、共産圏の大国であるロシアと中国に国境を隔てているという状況は変わらないので、アメリカが共産圏の国々の脅威からモンゴルを守るとという表面的には「世界のポリス」を自認する米国が、ここでもしゃしゃり出て日本と共に、自然の楽園的モンゴル草原に、核廃棄物処理場を持っていくという蛮行に出たといっても過言ではない。

 つまり日本のODA、政府開発援助という形で、日本の技術力を生かして、発展途上国や未開発な国々のインフラ整備などに日本の企業が乗り込んで、大きな投資と共に多くの自然環境破壊をしているという現実と同様に、日本国内ではなかなか受け入れを了解してもらえない核廃棄物処理場の建設や稼動に対して、結局は経済的援助という名の下で、一般の国民、庶民が理解しないうちに、政府レベルでの助け合い的侵略がなされてしまうという構図になりかねないのである。

 モンゴル、ウランバートルの国立図書館前では、アメリカのバイデン副大統領が来訪するというので、一部の国民が立ち上がって、核ゴミ捨て場計画反対の抗議デモが行われていたそうだが、モンゴル緑の党という政党の呼びかけによるものだが、いかにも小規模な抗議デモに過ぎなかったらしく、国民の多くはその重大事を自覚してはいないという現状ではなかったかと思うのである。

 
つまり、日本における54基もの原発の立地や稼動についても、いくつかの地域的反対で原発建設が中止された場所もあるが、多くは地域振興と雇用拡大、経済的メリットのためと、多額の原発立地による奨励金や支援金が地域自治体にばら撒かれて、危険性の危惧があったとしても、「お金に目がくらんで」、立地を容認したために原発立地の地方市町村のインフラ整備と町並み、公共的建物だけは、とてもれ立派なものが建っているが、果たして住民にとってはどうであったのだろうか。

 今回の福島原発事故による周辺自治体の多くの原発避難民は、特別な許可を貰っての一時帰郷を除いては、これから数年から十数年は故郷には帰れない、すなわち自分の生まれ育った町では暮らせないという悲劇に陥ってしまっているのである。

 全世界中の住民が、過疎地に迷惑施設をという経済論理や大手企業や政府の「ゴミ処理」の発想の被害から、少しでも回避できるようにするためには、やはり全ての原因であるゴミを生産する元から絶たなければいけないのである。

 すなわち、半減期が永遠に近く続く様な核廃棄物やわ放射能を撒き散らす危惧のある廃棄物を生み出す、原子力発電そのものを徐々に減らして、近い将来においてはドイツ、イタリア、スイスだけでなく、全世界の国々から危険な核廃棄物のリスクがあるゴミを出さない自然に近いエネルギー生産に切り替えて行く英知を、地球上の人類が確認する時代にならねばならないと思う。
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カダフィ体制崩壊寸前。

2011年08月23日 | 世界の問題
 なんと今年二月に端を発した、アフリカ大陸北部の地中海に面したリビアの42年間も続いたカダフィ独裁政権が、いよいよ首都トリポリの大半を反体制派が掌握したとの報道で、最後の抵抗をカダフィ大佐とその一族と政府軍が行っているようだが、時間の問題で陥落するという状況になっているという。

 あの奇抜な服装と言動で、憲法や国会などの民主的機関もほとんどなく、独裁的軍事政権として君臨してきたカダフィ一族が支配し、国民生活と経済、雇用もでたらめでどうにもならないところまで来たらしく、「アラプの春」と称されたチュニジアとエジプトでの民主化運動のうねりがリビアでも起き、インターネット上のフェイスブックがデモの呼びかけなどに大きな機能を果たして、一気にリビアもという勢いであった。

 しかし、カダフィ大佐自らと大佐の次男であり後継者と言われるセイフ・アルイスラム氏が内戦の危機と称して、首都トリポリなどでは戦闘機がデモ隊を空爆するなど、政府軍の戦いが全国に広がり、地方都市での反政府勢力も一時は劣勢に立ったところもあったようだったが、2月末に国連安保理がリビア制裁決議を採択し、3月には対リビア武力行使容認決議案を安保理が採択したことから、仏英米などの多国籍軍がリビアの空爆を行い出して、反体制派に力が加わって、今日に至ったらしい。

 しかし、いくら民主化が目的とはいえ、一国の内戦状態にNATO、北大西洋条約機構の国々が武力で参戦し、多くの犠牲と戦場化した市民生活が続いたことだろうと思うと、我々がマスコミを通して見聞きする映像や状況報道以上に、極めて悲惨な光景や犠牲がたくさん出たことだろうと推察する。

 しかし、長年にわたる権力を独り占めにしてリビアのみならず、国連や全世界に対しても言いたい放題の言動と行動を繰り返して来たカダフィ大佐は、自国民との戦いに容赦なく軍事力を最大限使って、仏、英、米などの多国籍軍とも戦い、大きな犠牲を国内地方都市も含めて出し続け、自らの身の安全と一族の利益を守ろうと必死の戦いに及んでいた模様である。

 しかし、6月下旬には国際刑事裁判所がカダフィ大佐ら3人に逮捕状を発行し、徐々に首都トリポリのカダフィ体制の牙城をも攻めだして、一昨日頃からほぼトリポリの市街地をも反政府派が制圧した模様で、カダフィ体制が始まる前の三色の赤、黒、緑の旗が翻り、42年にわたる独裁体制の崩壊が近づいたことが明白になったとされている。

 その後の報道では、政府軍が三発のミサイルを発車して抵抗の狼煙を上げているとか言われてはいるが、カダフイ大佐の後継者と言われる次男は既に反政府派に拘束されているらしく、カダフィ大佐本人の居場所は定かではないが、反政府派は殺さず生け捕りにして、その42年間にわたる独裁者を裁判にて裁きたいとしているらしい。

 思い起こせば状況は違うが、あのイラク戦争の挙句、アメリカを中心とする西側諸国の執拗な攻撃と共に、最後の抵抗をしたフセイン元大統領は、地方の小さな町の隠れ家の地中から発見され、どう見ても時の権力者だつたとは言い難き姿で逮捕、拘束されて、裁判の末処刑されたという記憶が残っているので、どうもリビアのカダフィ大佐についても、最後の最後まで抵抗したり反撃したとしても、末路は寂しい姿で拘束されることになるのではないかと想像するしかない。

 アメリカのオバマ大統領は、早速リビアのカダフィ体制の崩壊を明らかにして、次期政権を担うであろう反体制派指導者を名指しで評価したりしているが、彼にとってはリビアの民主化よりも、来年秋の大統領選挙に自らの再選をかけて戦おうとしているのだが、アメリカ経済の先行き不安もあって、支持率が40パーセントを割り込んでいる現状を鑑みると、他国の民主化や自立への協力というよりも、少しでも自らの存在感を高めるかにパフォーマンスしているに過ぎないようにしか写らない。

 このアフリカ北部の国々での「アラプの春」と呼ばれる民主化運動は、紅海の東に位置するシリアやサウジアラビアでも起きている模様で、中東の石油産油国としての国際的な意味からしても、世界の国々が本当の意味での、その国の自立と民主化を願っているというよりも、石油利権を如何に今後スムーズに自国に寄与させるかを考えているに過ぎないのではないかとさえ思える向きもあるのである。

 シリアでは、今回のリビアの反政府派がトリポリをほぼ掌握し、カダフィ大佐が拘束される寸前まで至っていることに対して、「おめでとう、次はバシャル(シリアのアサド大統領)、お前だ」などとシリアの反体制派デモが行われている中部の町ホムスで、多くの人々が街頭に飛び出して叫んでいる模様が、インターネット動画サイトユーチューブに登場しているらしい。

 しかし、安堵してはいけない面もあるらしい。NATOの空爆などの支援もあって、反体制派が追い詰めているリビアの首都トリポリではあるが、カダフィ大佐側の政府軍はまだ降伏しておらず、大統領居住区を中心とした地上ゲリラ戦になる可能性もあると伝えられていて、そうなるとやすやすNATO軍などの国連軍や外国の軍隊が侵攻するわけにも行かず、しばし長期化する恐れもあるという。

 いずれにせよ、一国の自立、民主化への道は、ひと筋縄では成就するわけではなく、たとえカダフィが拘束されたり亡命したとしても、今後の国の形と体制づくりが肝心であり、他国の利益や干渉もなく、自国民だけでどのような国づくりが始まるかが肝心なのであり、国際社会は見守りつつ、必要な手助けだけをするべきなのである。

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ビンラディン氏殺害される。

2011年05月02日 | 世界の問題
 アメリカ政府、大統領府ホワイトハウスは、昨日夜にオバマ大統領が緊急声明を出すと発表し、国際テロ組織アルカイダの最高指導者と言われた、十年前の2001年に起きた米国多発テロ事件の首謀者と見られる「ウサマ・ビンラディン容疑者」をパキスタン、イスラマバード郊外の建物で発見し、銃撃戦の後本人と見られる男を殺害し、遺体を米軍が収容したとされている。

 突然の発表、しかもここ数年は所在すら不明だったし、糖尿病などで既に死亡しているとの説もあったのだが、本人と確認し殺害したと、いかにも「容疑者の逮捕、殺害」にたどり着いたといわんばかりの大袈裟な発表となった。

 前ブッシュ大統領時代に起きた衝撃的なニューヨーク、マンハッタン島の貿易センタービルへの民間旅客機の衝突、炎上という、まるでCGの如きリアリティなき映像が突如、日本の夕刻の寛ぎ時のテレビを通じて伝えられ、その後資本主義社会の象徴的存在だった、このツインタワービルがもろくも崩壊するという信じられない出来事から、もうすぐ10年が経とうとしている今、突然にビンラディン容疑者を見つけて殺害したと報じられても、何で今頃と言った感を免れない。

 アメリカの威信、世界のあらゆる面での超大国として、許しがたい屈辱的なテロ行為によって、3千数百名の人々がいのちを落とした事件としての「怒りややりきれなさ」は十分分かるのだが、直接の実行犯でもなくたぶん首謀者であったと確信するということで、極悪非道の犯人として米国は、事件後のイラク戦争をしかけ、続けてアルカイダの一掃のためにアフガニスタンへの戦争を仕掛けて、支配勢力アルカイダは弱体化したらしいが、今なお米国の主敵であるタリバンは健在だとされている。

 そんな状況の中、今は既に神格化されていると言われている「ビンラディン」を容疑者として見つけて殺害したアメリカの執念は、顔に泥を塗られた賢い少年が「逆恨みの末」に行った蛮行と言っても過言ではないだろう。

 世界のポリスを気取っていた時代とは、現代は大きく変動しているのにも関わらず、アメリカ合衆国のお坊ちゃまは、未だに「いたずら少年」の恨みを果たすために、大量の米軍兵士たちを異国の地に派遣し、十年かかってやっと初期の目的を果たしたとでも言うべきなのだろうが、この十年に派遣された多くの兵士たちの披露と巨額な戦費、そしてアフガニスタンや周辺諸国の、米軍が戦場と変えた大地、町、人々の生活は戻ることはないのではないだろうか。

 キリスト教国アメリカが、世界平和のためにという錦の御旗で「イスラム教国」を仮想敵国の様に対象として、中東からアジア、はたまたアフリカ北部へと戦闘の嵐を吹きかけ続けて、遂に「ねずみ一匹」を退治したと言った感が強い。

 ブッシュ大統領の後任として初の黒人大統領オバマが就任した時の華々しさと期待は全世界的なものだったと思われるが、なんと皮肉にも、ノーベル平和賞なるものを受賞してから、イラクからの撤退は決めたがアフガニスタンへの増兵を進めて、誰もが「平和のための正しい戦争」などとは思わないという矛盾をさらけ出しているのであった。

 いずれにせよ、ビンラディンを殺害してしまったとしても、何も世界は変らないし、平和も訪れないのだ。

 

 
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カダフィの次は?

2011年02月24日 | 世界の問題
 アフリカ北部のチュニジアで起きた反政府でもに端を発しての民主化移行への波が、インターネットのフェイスブックやツイッターから波及し、大きな国民の怒りのデモとなって、隣の国エジプトのムバラク政権を崩壊させ、国民の勝利となってまだ数週間も経っていないが、チュニジアとエジプトにはさまれた国りビアの革命のヒーローであったカダフィ大佐が、実権を握り40年間も思いのままに権力行使をしてきたのだか、多くの国民の反政府抗議行動の嵐に最後のあがきとも言える無差別爆撃や傭兵による殺人行為が続いているらしいが、時間の問題で政権は倒れることは必至である。

 このようなアフリカ北部の民主化の台頭がイスラム社会にも波及し、現在バーレーンやイエメンでも多数の国民による反政府デモが続出していている様子で、改めてインターネットという情報伝達手段の威力とでもいうのでしょうか、いくら強権国家の大統領や政府指導者がインターネットや海外からの情報をシャットアウトしようと躍起になっても隠しきれない地球上のコミュニケーションツールは絶やすことができない現状である。

 果たして、こうしたインターネットだけではないが民主化や独裁政治に反旗を翻す多数の国民、人民の嵐が中国や北朝鮮などの日本に近いアジアの国々も波及するのかどうかは疑問だが、できることなら中国共産党の一党独裁状態の中で政治犯として拘留されているノーベル平和賞受賞者を含む多くの中国国籍の人たちや、すぐに国家反逆罪として公開処刑されてしまうという北朝鮮の実態をも変えて行く原動力となってくれることを強く期待するものである。

 それに引き換え、日本の民主党政権の体たらくぶりは民主化を叫ぶ、これらの国々の人々の悲痛な実態とは相当な温度差はあるが、我々日本国民にとっても全く人事とは思えない強い示唆を与えてくれているのではないかと思うものである。

 あの1990年の第二次中国天安門事件に象徴されたような民主化を封じ込めた時の中国政府を例に出して、リビアのカダフィー大統領は、70歳近い高齢にも関わらず、「革命を貫くと」と豪語しつつ、国民を皆殺しにしてでも自分の権力は守るとでも言いたい感じで叫んでいるのが、如何にも最後のあがきとしか聞こえないのは、全世界の普通の人々の感想であろう。

 しかし、リビアをはじめとする強権国家の中で今を生きている多くの国民にとっては、必死で戦っていて、少しでも平和で心豊かな日々を送りたいとの願いであると思われるのだが、私たちに出来ることはなかなか見つからないのである。

 そこで日本政府は、民主党の内乱的政局や政治家同士の足の引っ張り合いばかりをやめて、国際社会に堂々と発言していく先進国家として、強いアッピールと支援をすべきだと思うのだが、菅内閣は治外法権とでも考えているのか、ほとんどそうした民主化支援の声すら聞こえてこないのは残念で仕方がないのである。

 全世界の地球人が少しでも日々を平安に暮らせて、自由に思ったことを発言したり行動できる民主国家や地域にできるようにと心から祈る思いである。
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チェルノブイリ「友の写真」

2011年02月15日 | 世界の問題
 皆さんのご記憶にある方と全くない方がいらっしゃると思いますが、今から約25年前の1986年4月26日に起きた、当時ソビエト連邦のウクライナ、チェルノブイリの原発4号機が大爆発を起こして、全世界に放射能汚染の恐怖を撒き散らしたのですが、特に風下にあったベラルーシ地方では、多くの人たちに被害が出て、特に小児癌や白血病の発症が多発したのでした。

 それから4年数ヵ月後のウクライナ共和国のチェルノブイリに日本の仲間たちと私は、日本チェルノブイリ連帯基金のお世話で現地に行ったのですが、目に見えない放射能の恐怖よりも、多くの子供たちが白血病や小児癌の病気と闘っている現実を見て、やはり「原子力発電」が如何に原子力の平和利用といわれても、やはり事故や事件が起きる危険性が大であることを改めて知って、私たちの生活、原子力発電に依存した生活を見直すべきだと痛切に感じたのでした。

 その日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)が松本に拠点を置いて活動しだしたのが、1991年1月でしたので、以来丸20年が経っていますが、現在も創立したときのメンバーである鎌田實氏が理事長を務めておられて、「グランドゼロ」というJCFの機関紙が送られて来ています。

 その巻頭に、友の写真と題する、プラート・オクジャワ(1924~1979)の氏が同じくJCF事務局長を長年になっていただいている神谷さだ子さんの訳で掲載されていたので、ここに記したいと思いました。

 友の写真

 お金を浪費し、亡者になる
 
 言葉は荒く

 タバコを吸う

 ただ面影だけが残っている

 そして見覚えのある眼差し・・・

 泣いているのだろうか、彼らは

 笑っている 彼らの声は聞こえない

  
 写真からは

 海辺の情景が漂う

 何もかもが ほんとうに

 僕らが織り成した人生

  
 そこに見えるのは

 苦しみでも涙でもない

 ただずまいからは羨望や不幸は感じられない

 ふと興味がわくこともなく   

 新たな感慨もない


 光ーそれは、何物にも変えがたく

 時代ーそれは、奇跡ではない

 僕たちは今生きている彼らを抱きしめよう

 彼らを愛し、彼らのために杯をほす


 ・・・ただ残念なことに、

 気づくのはいつも少し遅いのだ


   非常に意味深い詩を読んで、私は新たな闘志とやさしいエネルギー、モチベーションに包まれた。
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エジプトの民主化。

2011年02月13日 | 世界の問題
 ここ一ヶ月、世界的ニュースとして伝えられ続けていた、エジプトのムバラク大統領の退陣を求める、大規模なデモによる抗議活動が実を結んだ形で、ようやく30余年の独裁体制が続いた「ムバラク政権」が崩壊した形で、軍部に政権の権力が移行されて、次の新大統領選挙に向けての民主化の波が大きく動き出したと報道された。

 オバマアメリカ大統領をはじめ、主要先進各国の首脳は、これを評価し中には国民の勝利として絶賛している首脳をいて、世界はチュニジァ、エジプトにつぐ、こうした民衆の蜂起による独裁政治の終焉に向けてのムーブメントが、アフリカ、中近東諸国に波及する可能性を示唆しているのだが、果たしてエジプトの今回の大統領退陣が、素直に国民が望む「民主化」、生活の向上につながるのかどうかは、まだまだ見通しは見えていないと言ってもいいと思うのである。

 インターネットの「フェイスブック」が代表されるソーシャルネットワークサービスが世界的に有名となり、今回の数十万人から二百万人といわれた首都カイロに集まった群集たちの情報源は、新聞、テレビなどのマスメディアではなく、世界中がネットで結びついている「SNS」が、今回の底辺を揺るがす地殻マグマを掘り起こして結び付けたらしいとされている。

 私も最近知ったばかりなのだが、果たして本当にこうした民主化と言われる台頭がインターネットでの結びつきだけで起きたのかは定かではないのだが、少し藪にらみ的視点から見ると、そもそも「民主化」といわれているが、本当に「民衆の手に」政権運営が譲渡されたり移行されるとは思わないのである。

 結局長期独裁政権であった「ムバラク大統領」の退陣そのものは一歩前進だと思うのだが、この背景にはいろんな世界的な思惑がからんでいると見た方が良いのではないだろうか。

 つまり一説では、アメリカは経済的にも世界をリードする先進国を自認する民主的国家として、親米派のムバラクを最初は擁護していたように思うのだが、民衆の大きなムーブメントの盛り上がりを見て、違う新たなシュミレーションを描いたのではないだろうか。

 つまり、ムバラク政権が退陣して、イスラム原理主義的な新政権が野党的な立場から成立したとすると、新たにイスラム社会とイスラエルとの中東戦争の構図が再び起こりかねない状況となって、新たな戦争、対立が起き、アメリカ経済の背景にある軍事的産業や、中東の石油生産や企業の業績が高騰し、結局は資本主義経済の大親分である、あめりか経済にプラスをもたらすというシナリオが見え隠れしているのである。

 決して「民主化」を否定するものではないが、一見良かった!と賛美したくなる結論は、あくまで一ページを群集の力でめくっただけであり、そのエネルギーや行動を盾に、世界の経済や権力を維持しようとするフィクサーたちは、違うステージで、ひそひそとまたは堂々と自分たちの論理の利害の計算で着々と、この期を利用しようとしていると思うのだが、ひねくりすぎた感想だろうか。

 いずれにせよ、世界のトップニュースとしてのエジプトの民主化だが、その背景を冷静に見ながら、日本の政権もしっかりとした本当の「民主政治」を進めていただきたいものである。
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