ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

バリダンス。

2009年03月31日 | ガリバー旅行記
 大音響のガムランにのって、きらびやかな衣装で舞い踊る「バリダンス」は、ウブドでは欠かせないイベントであり、観光客にとっては、とってもエキゾチックな民族芸能として魅了されるものである。

 私もバリ・ウブドに着いた翌日の夜に、バリ舞踊の中では「レゴンダンス」と言われる宮廷舞踊として発展した舞踏を観に行った。

 観客は日本人カップルやグループと西洋人たちのグループが中心で、そう多くの観客ではなかったために、ゆっくりと鑑賞できた。

 華麗で繊細な踊りなのだけれど、まず目を見張ったのが踊り子たちの顔の化粧と目の大きさ、そして決して瞼を閉じない訓練された演技力であった。

 ほんとうに目の玉が飛び出んばかりに大きいだけでなく、彼女たちは眼を左右に機用に動かせては、いろんな表情でそれぞれの感情表現をしている様子であった。

 彼女たちの訓練された踊りの世界は、目だけでなく両手の指先まで細かく表現していて、決して真似の出来ないくらいに両手の指を開いたり閉じたり、自由自在に奇妙に動かせるのであった。

 それに、足腰のひねりや首の動きなども加えての多様な表現は、それぞれのストーリーを物語るのに不可欠な動きであるらしく、その不思議な世界に魅了されずにはいられなかった。

 衣装はバリ独特のもので、これもスカワティ王の宮廷で始まった頃からの伝統美だそうだが、現代的にアレンジされたものもあるという。

 レゴン・クラトンと呼ばれる舞踏は現在は15種類もあるといわれていて、基本的なテーマは、「神と王の繁栄を祈り、称えること」なのだそうだ。

 バリダンスには、このレゴン・クラトンのほかに、「ケチャ」と呼ばれる宗教舞踏のサンヒャンから派生したものを、ドイツ人芸術家が、新しい芸能として確立したものだそうで、100人もの男たちが、複雑な構成の掛け声と共に、ダンサーとしての動きを演出し、ラーマーヤナの物語にマツチした熱気あふれる芸能イベントとしても親しまれているようだ。

 また「バロン・ダンス」と呼ばれるものもあり、魔女ランダと聖獣バロンの終わりのない戦いを描いたダンスで、バリの善と悪をつかさどる神様、つまり二元論の世界を表すものだそうだ。

 いずれにせよ、全ての舞踏の原点に、バリの島を包み込んでいるヒンドゥー教の精神的な風土があり、善悪の霊が戦ったりはするのだが、決して一方的には勝敗がつかず、殺されたり滅ぼされたりはしないところが、バリの人々の精神性にも及んでいる様子であった。

 つまり、どの踊りも伝統的な衣装、形、顔、音楽を背景に宮廷にささげられたものだろうが、戦士の力強さ、老人のひ弱さ、極楽鳥の求愛、恋愛に夢中の若者の様子など、インドネシアの混乱期にも静かな芸術表現として続けられてきた、とっても楽しく見入ってしまう迫力ある舞台であった。

 ダンサーの女性たちは、さぞ小さい頃からの鍛錬を経て、専門的な指導を受けたプロであり、ガムランを演奏する男たちも楽しそうであった。

 
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バリの旅(3)宿泊地。

2009年03月30日 | ガリバー旅行記
 ところで、今回のバリ一人旅は、旅行社の友人のちょっとした紹介で、バリ島中央部のウブドにある、「ビラ・ビンタン」という名の小さなコテージに4泊したのだ。

 この「ビラ・ビンタン・ウブド」は、10年ほど前から日本人の方々がスポンサーとになって建設された、田園の中に建つバリ風の茅葺屋根の清楚なコテージが民家風に5棟並んだ小さな宿泊施設でした。

 しかし、隣接し行き来が自由にできる環境に姉妹コテージとして、ビンタン・パリとビンタン・プソナがあり、併せて14室を使うこともできて、大勢で泊まる事も可能とのことでした。

 3月23日の夕刻にバリ・デンバサール空港に着いた私は、早速空港から電話をして、迎えの車と運転手さんを確認し、約一時間半でウブドの街中から少し離れたところに佇んでいる「ビラ・ビンタン」に到着した頃が、ちょうど日が沈む時間だったために、とっても美しい夕陽に迎えられたようでした。

 コテージのオーナー的な日本人ホストの光森さんとの出会いと紹介で4号室に旅の荷物を下ろしてくつろいだあと、一緒にコテージの横のレストランでバリでの初めての食事をとりました。

 すっかりと陽が落ちたコテージ周辺一帯を散策するのは翌朝にお預けして、ゆったりとした気分でツイン使用のダブルベッドに一人眠りました。

 早朝に目覚めた翌日の朝は、とっても気持ちよく、久しぶりに鶏の目覚めの鳴き声に続いて小鳥たちのさえずり、そしてしばらくして村人たちが仕事に向かうバイクの音と続く朝を体験しました。

 空港に到着した夕刻でも30度を越す暑さを感じたバリ島でしたが、自然豊かなウブドの田園地帯の夕刻から朝方にかけては、少し涼しいくらいに気温も下がり、起きぬけの頃には一枚の毛布では少し寒い感じがしました。

 翌朝にしっかりとコテージの部屋の前を見ると、すばらしい稲が実っている田んぼが続いていて、その向こうに背の高い椰子の木が林立していました。

 夜になると、この田んぼに多くの蛍が飛来し、真夜中の夜空には南十字星を中心とした満天の星が輝くすばらしい天体ショーとも言うべき見ごたえある大空が広がっていました。

 あのヒンドゥー教のお正月にあたる「ニュピの日」は、一切外に出てはいけない日で、灯をともしたり大きな音も立ててはいけない日なので、部屋の前のテラスにあるソファとカウチに寝そべっての読書三昧を楽しみました。

 田んぼの緑の稲に、椰子の木の緑がマッチして、青空がとても雄大に広がっているロケーションは、全く見飽きないどころか、少し散策したり角度を変えて観れば、庭に咲き乱れる色とりどりの南国の花も楽しめる素敵な空間でした。

 自然の素晴らしさは極上の上に、ビラ・ビンタンのスタッフのもてなしの心が、それ以上に素敵で、現地のマネージャーであるボンさんをはじめ、ドライバーのカデさん、ストーさん、スェッチさんにも大変お世話になりました。

 
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心に響くジェゴク!!!

2009年03月29日 | ガリバー旅行記
バリ島から昨日帰国して着替えるまもなく移動八百屋の積み込み準備をして急いで愛用のディアス軽四輪で金曜、土曜といつもの様に訪問するお客様たちの家を回った。

 いつも来られる時間に来られないので、「春休みかと思った」とか、「どうしはったんかな?」と心配された方もおられて、ともかく恐縮しつつ、実は金曜日に帰る予定で出たのだが、ヒンドゥーのお正月にあたる「ニュピ」にあたって、飛行機が飛ばず一日遅れたと説明した。

 しかし、実は私の確認ミスそのもので、はじめから金曜朝に関空にバリから直行で帰国する便は空港の閉鎖もあってなかったのであった。

 今、この文を入力している夕方、バックにはバリから持ち帰った「JEGOG」という、現地の竹で作った楽器を中心とする心に響く重低音の演奏CDが流れていて、一昨日の夕刻にウブドで聞いた気分の延長となっている。

 一グループ16人というバリ島のウブドの男たちのグループが2つあって、私たちが聴衆として聞かせていただいたグループには、顔見知りの宿泊先のドライバーも二人混じっていた。

 巨大な竹、日本だと孟宗竹と呼ばれる太い竹を木琴のように並べて演奏する打楽器を中心とするリズム音楽と踊り子たちの優美かつ土着の芸能の踊りが、週に何回か村はずれの演奏場で開かれているのだ。

 この「ジェゴグ」と呼ばれる「竹のガムラン」による演奏は、バリ島西部のヌグラ地方で演じられはじめたものだそうで、直径20センチ以上、高さ3メートル50センチもある竹を8本組み合わせた楽器によって奏でられるのである。

 その重低音は海鳴りのように音の洪水が体に迫ってくるような迫力があり、高音と中低音の音色がそれぞれに混ざり合って、不思議かつ力強い意思と物語を語りかけてくれて、空気を響かせ聴衆を踊りと共に異空間に連れて行ってくれます。

 バリ島には各種、多様な民族芸能が息づいていて、単に観光客に見せるためだけでなく、地元の人たちのコミュニティ独特のツールとして、村や集団の絆のひとつの表れでもあり、楽しみでもあるようです。

 非常に単純な竹が醸し出す素朴な音の連続なのに、強弱や音の重なり具合によって「誰かが語りかけている」様な響きになったり、喜び、怒り、静寂をいり混ぜての精神的な世界をも表現できる芸能となっているようです。

 心揺さぶられるジェゴグの音の余韻を胸に、私のバリ島一人旅の短い6日間は幕を閉じたのですが、未だに脳裏には自然豊かな緑の島バリと人々の笑顔、美味しい料理、そして音楽と踊りが焼きついているのです。

 民俗芸能の中心地、バリ・ウブドの王宮から北に2.5キロのブントゥユン村で行われていた「ジュゴグ」の演奏は、ヒンドゥ寺院の祭礼の奉納演奏としてはじめられたものだそうで、ちょうど「盆と正月が一緒に来た」ようなバリの人々の喜びと祈りが重複していた盛り上がりを感じました。
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ウブドの休日。

2009年03月28日 | ガリバー旅行記
 ひょんなことから、神々が宿る島と言われている、インドネシアのバリ島に4泊6日の旅をすることとなった。

 それは、昨年夏の私自身の久しぶりの一人旅、「ネパール・インドの旅」の往復航空券の手配をしてくれた西宮の小さな旅行会社のプレゼントが当たっての「幸運」からだった。

 昨秋に知らせを貰ったのだが、「バリ島往復航空券」が当たったそうなのだが、一人分のガルーダ航空の関空-デンバサールのチケットだけであり、昨年中は日程面と共に燃油サーチャージャーとやらもチケット代を凌ぐほどかかるというので、適用される三月末までを待って、出来るだけ安く行けたらと考えた。

 せっかくのチャンスなので家人を誘ってはみたが、今回は行かないとのことで、やむを得ず、昨年夏以来の海外一人旅となってしまった。

 「バリ島」といえば、南太平洋に浮かぶリゾート地のイメージしかなく、かつて私の友人夫妻が新婚旅行に行って、ふくろうの木彫りのお土産を貰ったことくらいを記憶している程度で、女性たちが好きな「癒しとビューティーの島」と言った情報しか持ち合わせていなかった。

 しかし、いざ行くとなると、旅行者の友人がガリバーさんなら、ウブドがお似合いかもしれないと、ビーチ中心のマリンスポーツやダイビング中心の旅ではなく、緑の棚田の美しい「ライステラス」を眺望できる自然豊かなところとのことで、心動かされて出かけたのであった。

 先週末の忙しいスケジュールを終えて、月曜日の早朝に空港へのリムジンバスに乗って関西空港へ。

 いつもの海外脱出時と同じように、なぜか「そじ坊」の「日本蕎麦」を食してから、予定より少し早めにインドネシア・ガルーダ航空のデンパサールへの直行便が飛び立った。

 四月以降はさらに原油の値下げの影響で、燃油サーチャージャー代が格安になるとのことで、三月中の海外旅行は少し抑え気味の様子で、機内の乗客は定員の3割程度だった。

 早朝に自宅を出たせいもあって、もひとつの機内食を食べた後は、ウトウトしたり、機内モニターで放映されていた、あの「ホームレス中学生」の映画を観たりしながら、約6時間半のフライトで、海辺の海岸線が美しい空港に着陸した。

 私がウブドで連泊する予定の「ビラ・ビンタン」のドライバーであるストーさんが出迎えてくれて、約一時間半で夕陽がちょうど沈みかかった美しいバリ風の木造葺き屋根の宿舎に漸く着いた。

 ここのスポンサーの一人で、オーナーとでも言うべきMさんが笑顔で迎えて下さって、バリ・ウブドでの生活が始まった。

 目前に広がる稲田は青々として既に米を八分ほど実らせていて、夜になると蛍が飛び交う光景が見られ、バックシャーンには、ほんと絵になる椰子の高い木が独特の影を醸し出す様にと林立していた。

 日本の喧騒と仕事の毎日をいったん中断し、思い切って出かけた「バリ・ウブドの旅」がいよいよ始まる。

 明日より数回、私自身が始めて訪れて、とても気に入った「バリの風景と風」を報告したいと思う。
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何故にWBC

2009年03月22日 | プロスポーツ
 三月上旬から始まったワールド・ベースボール・クラシックなるWBCという名の野球世界大会が、こんなにまでマスコミだけでなく日韓国民の興奮する戦いとなろうとは、何故なんだろうか。

 第一ステージと呼ばれたWBCアジア予選で緒戦は中国と戦った「○○ジャパン」と称された日本チームだが、二回戦で宿敵韓国チームをなんと14-2のまさかの7回コールド勝ちで勢いがついたかと思いきや、第一ステージ決勝戦と第二ステージの準決勝では、なんと韓国には二連敗し、決勝戦でやっと勝って一位通過でドジャーススタジアムに決戦の場を変え、アメリカ戦へとつないだ。

 しかし、普通のトーナメント戦だととっくに敗退が決まっていたはずの日本は、アメリカに準決勝の明日勝てば、再びWBC決勝戦で韓国と5度目の戦いをすることになるのである。

 ○○ジャパンなんて勝手に呼び出した日本チームを、独占テレビ中継を続けるテレビ朝日系だけでなく、天下のNHKも含め民放各局がこぞってスポーツ特番のような形で日韓戦を中心に克明に報道するので、日頃はプロ野球にあまり関心のない主婦層や高齢者、若い人たちまでもが興奮気味に、ニッポンが勝つとか韓国の優勝だとインタビューで答えている。

 誰が仕掛けた「世界野球選手権」だとかは知らないが、サッカーの4年に一度の「ワールドカップ」に引けをとらない位の注目度で、日本のWBC二連覇を祈るような日本全国の急増ファンが騒いでいる。

 私は野球大好き人間の一人だが、どうもこのWBCの人気と興奮振りにはついていけてない感じである。

 猫も杓子もといった感じの日本全国が興奮ムードになること自体がなんとも嫌な感じだし、しかもお隣の国、韓国との歴史的因縁の戦いのような雰囲気を醸し出すマスコミや評論が飛び交うのは、どうも仕掛け人の手にま乗っている感じがする。

 純粋な意味で「野球を楽しむ」ならば、勝利も大事だが「いいプレイ、緻密な野球」の魅力に満ちた、メジャーリーガーも活躍する試合そのものを楽しめたらいいのであって、どうしても勝たなければ「お国の恥」のような決戦ムードには閉口している。  

 迫り来るWBCの決勝ラウンドであるドジャースタジアムでの準決勝戦の日本は、明日アメリカと戦うのだが、幸いか不幸か私は、この試合を見ることができないのである。

 さて、アメリカとの試合は松坂大輔が先発し、肉離れを起こして緊急帰国した横浜の村田内野手に替わって渡米した広島の栗原内野手をはじめとしたレギュラー陣がどんなプレイを見せてくれるのかは、大変楽しみなんだけれど、来週金曜日に日本に帰国するまでは、日本に国際電話しない限り、たぶん私がちょっと出かける海外の国では、情報が乏しいことだと思う。

 とにかく、野球は大好きな私だが、国を背負って戦うほどのことはないのが、たかが野球なのであって、宿敵とか骨肉の争いなどと煽り立てるようなことのない、面白くてすばらしいスポーツとしての「ペースボール」を野球の本場、アメリカで見せてほしいと思うだけである。
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「平安時代」

2009年03月21日 | とんでもない!
 今日は「暑さ、寒さも彼岸まで」と言われる「春のお彼岸」を過ぎて、確かに温かさが増して、花粉症も際立ついい天気だったが、行楽日和となって全国的に人手が多かったみたいである。

 その上、例の高速道路料金の土日、祝日、一律千円が瀬戸大橋架橋や東京湾アクアラインなどで始まり、自家用自動車での家族連れを中心とするトウデが始まったみたいで、本格的には名神、東名などの全国的な有料道路の一律千円化が始まる来週からますます自家用車にる遠出が増える見込みである。

 我々京都に住まうものとしては、地元京都が全国的にも有数の観光地として脚光を浴びていることは十分承知しているが、昨年の源氏物語千年紀をはじめ、「京都」は、794ウグイス平安京、と覚えた「平安時代」の始まりと共に栄え、文化と栄華を極めたすばらしい時代のように伝えられているが、果たしてどうだったんだろうか。

 確かに京都に現存する古き建物や文化財の数々の中には、平安時代からの建物も数多くあるし、あの「金閣寺」も藤原氏の強い影響力で足利尊氏が建立したらしいし、奈良の東大寺の大仏も藤原氏の権力を活かして全国から銅を集めて作らせたらしく立派な文化財となっている。

 しかし、この平安時代以前から栄華を極めたといわれている「藤原氏」は、関祐二氏の著作「藤原氏の正体」では、古事記に早くも登場している藤原氏は、大化の改新の際に中臣皇子、後の天智天皇と共に活躍した朝鮮半島からの渡来人で、天皇から「藤原」という姓を賜ったとされている。

 すなわち、朝鮮半島の百済から人質としてやってきた王が、朝鮮語のホゼワラ、すなわち「ホゼ」は百済のことで、ホゼワラとは「倭国の百済」という意味で、これを和風な音と漢字を当てはめて「藤原」としたという説がある。

 そうした「藤原氏」の一族を中心とする人たちが、その当時の京都、平安京の中で権力の中枢、天皇家を操って、自分たちの栄華を極めたのである。

 つまり、一般の庶民、民衆たちは決して豊かで幸せな生活をしていたわけではなく、貧しく助け合って生きていただけで、一部の宮廷に仕える人々と権力にアマネク藤原一族が、大変文化的な豪勢な暮らしをしていただけなのである。

 そんな暮らしの中で、生まれた「源氏物語」の主人公、光源氏という人物は、歴史上に実在した人物かどうかは知らないが、間違いなく藤原氏の勢力の中にいたドンファン的、好色男であり、今この時代に生きていたとしても、セレブ
と呼ばれたかもしれないが、とんでもない「女好き男」の典型だったに違いない。

 そうした恵まれた「アマちゃん男」を主人公とする「源氏物語」が、千年も後の現代にあって、特に女性を中心に持てはやされているのは、とっても不思議である。

 決して平安時代は「源氏物語絵巻」で描かれているような栄華きわまる美しく文化にあふれた時代だったわけではなく、権力中枢に擦り寄って自分たちの利権をむさぼっていた「藤原氏」一族のよき時代であっただけなのではなかろうか。

 
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「おくりびと」

2009年03月19日 | 季節の話題
 先月からアカデミー賞国際映画部門でオスカーを獲得したという、滝田監督、本木主演の映画「おくりびと」がやたら話題になっていた。

 家人に「おくりびと」を観に行こうと誘っても、「死んだ人が出てくる映画」なぞ見たくないと一緒に鑑賞することを断られてしまった。

 そうこうしている内に娘が昨日、レンタルショップでDVDの「おくりびと」を借りてきたので、今晩三人で家のテレビで観ることとなった。

 私自身も昨年の暮れ頃には、やはり「死者を納棺する仕事」である、「納棺師」という専門職そのものを知らなかったし、どう考えても暗いイメージの映画だろうと積極的には観たいとは思わなかった。

 しかし、多くの人がそうであったように、アメリカでのアカデミー賞にノミネートされ、あれよあれよという間に、なんと「外国作品賞」を獲得してしまい、滝田監督と主演の本木と広末がレッドカーペットを踏んで帰国したことから、一気に国内の映画館での上映が急速に増加して、大変なブームになったという。

 結局、レンタルしたDVDを観だしたのが、9時頃だったために、2時間余の作品を見終わったのは、つい先ほどであった。

 観終わった感想を一口で言うと、「やっぱり暗くて重い」映画であった。

 その上、なぜか私には20数年前に観た、伊丹十三監督作品で話題になった「お葬式」を連想させる場面もいくつかあり、また納棺師として本木が勤める会社の社長が山崎努ということもあって、伊丹十三監督作品には欠かせない俳優だったために、どうもダブってしまう感じだった。

 映画の脚本としては、本木が演ずるオーケストラのチェロ奏者が、オーケストラの解散を機にも自分の才能の限界も知って、田舎に帰って生活するという形になって、妻の広末涼子と共に、秋田県庄内地方に帰って生活を始め、新聞広告の「旅のお手伝い」という求人広告で就職したのが「納棺師」の会社だったのである。

 世に人が生きて死ぬわけだから、確かに葬儀屋さんか納棺師と称される方々が遺体を納棺する際の儀式やお手伝いをされているわけだが、こんなにも克明に「納棺の儀式」を私も直視したことがないので、なんとも奇妙な映像として感じた。

 何故にアメリカのアカデミー賞で、この作品「おくりびと」が外国作品賞を受賞したかは定かではないのだが、どう考えても東洋的あるいは日本的儀式の不思議さや異文化的所作に驚きと珍しさを感じた外国人たちが評価したのであろう。

 私は、この作品「おくりびと」を映画的には面白いと感じたが、アカデミー賞の受賞作として鑑賞したが、どうも映画の完成度として観ても、作品の優秀度から見ても、決して世界で評価されるほどの作品とは思えなかった。

 ある種の娯楽性とエンタテーメントとしての「映画」のひとつとしては当然題材、テーマの特異性からして面白いとは思ったが、厳しい見方かもしれないが、もう一度観たい映画には入らない話題性で観たにすぎない映画の一本であった。
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「大学教授」

2009年03月18日 | ガリバー旅行記
 私の小学生時代の友人から「源氏物語」カルチャー講座という一冊の本が贈られてきた。

 私にとって、「源氏物語」とは、ただ単に今から千年ほど前の平安時代に書かれた紫式部の作品であり、その内容とは<
好色男の光源氏を中心とする宮廷のスキャンダラスな話、現代でいうと芸能界の男女の相関バトルのようなものだとの認識であった。

 しかし、今回送られてきた本は友人の努力と研鑽の成果でもあるので、そんな私の一方的思い込みではなく、ちゃんと理解するチャンスだと手にとって読むことにした。

 「源氏物語」とは何なのか。また源氏物語に登場している人たちの人間観や人生観を紐解いた、著者の思いを少しでも理解できればと、彼が大学教授であることも大きなきっかけとして読む気が起こったのであった。

 幼稚園から高校までの教育現場で教えることは、ちゃんとした免許が必要なのだが、なぜか大学教授には免許は必要ではない。

 昨今の現状は各大学が少子化も手伝ってか、大学入学対象学生が減少している中で、少しでも多くの学生を確保すべく、タレント的人物やニュースや話題性を持つ人たちを客員とか臨時とかで「大学教授」にしていることもある。

 多くの大学の先生たちが何を研究されているのか、または何をご専門に教えておられるのか、わからないような御仁も少なくないが、私の小学一年、二年生時代のクラスメイトに何と4人もの大学教授がいたのだ。

 この「源氏物語」カルチャー講座の著者は、某私立女子大学の国文学のF教授で、専門が「源氏物語」と「枕草子」を中心とした平安時代文学で、全国各地のカルチャーセンターでも「源氏物語講座」を担当している。

 また東京の某私立大学の教授を務めるI氏は、NHK教育テレビのビジネス英語の講師で出演したことがきっかけで、私たちの小学校時代の旧友であることが判明し、昨年のミニ同窓会には東京から駆けつけてくれた。

 またT君は長年大手電気会社のデザイン部門に勤務した後、東京の私立大学で、それまでの経験を生かした「商業デザイン」を専門とする講座を持っているという。

 もう一人は公立大学で「化学」のある専門を教えているというのだが、本当のところの専門分野や研究については私自身が理解できていない。

 いずれにせよ、私たちが学んだ大阪阿倍野の小学校で、一、二年生という幼い時同じクラスにいた仲間の中から、4人もの「大学教授」が誕生している現実を思うと、誰でもとはいわないが、ちょっとしたはきっかけで「大学の先生」は誕生しているようである。

 「大学の先生」たちが、如何に社会に役立ち社会に貢献しているかは、我々凡人には分りにくい面もあるが、どうか立派な研究と共に、今後の日本、世界を担う優れた非凡な人間を生み出すためにも、「先生」してほしいと期待したい。

 
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サクラ咲く。

2009年03月17日 | 季節の話題
 今日は全国的に春到来を思わせるような陽気に日中はなり、コートやジャンパーを着て外出した方々は、たぶん途中で暑くてぬがれたことだろう。

 九州、四国の各地では早やくも「サクラの開花」の報告があり、全国的にも今年の「サクラ前線」の北上は予定よりもかなり早くなりそうである。

 今朝は京都府内の公立高等学校の合格発表の日だったこともあって、府内でもいたるところで「サクラ咲く」、嬉しい報告がされたことだろう。

 特に中学生までの義務教育とは違って、これからの勉学の場を選んで合格した高校新入学の少年、少女たちにとっては、本当に「サクラ咲いた」、うれしい日だったに違いない。

 さすが「暑さ、寒さも彼岸まで」とはよく昔から言うが、今日はきっちりと「彼岸の入り」といわれる日であり、その彼岸の日に合わせたかのように、温かい地方からの「サクラ開花の便り」がニュースでも流されている。

 日本の一番南に位置する沖縄県においては、もう既に彼岸ザクラと呼ばれる少し赤みがかった琉球サクラが咲き誇っていて、沖縄県でのサクラ前線はなぜか北から南へと下るそうである。

 これからの日本列島は、サクラ前線が日増しに北上するのは必至で、しかもその加速度は地球温暖化の影響もあって、加速度的に早まる傾向が顕著だという。

 先日の新聞報道によれば、今後のサクラ開花を告げる年の初めの季節の便りは、年々早まって、なんと100年後、21世紀の終わり頃には、2月中にサクラの開花を告げるサクラ前線の日本列島縦断が実現しそうだという。

 何でもかんでも早くなることがいいとは思えないのだが、新幹線も開業した1964年の東京オリンピックの年には、東京、大阪間をたしか4時間10分で走っていたのに、今やその当時の0系ひかり号が引退して、現在の700系のぞみ号は、時間短縮を1時間30分以上するスピードで、まさに超特急と化している。

 日本列島をそんなに急いでどうするのと言わんばかりに、新幹線は開業40数年にして所要時間を開業当時の3分の2程度に縮めたのだから、サクラも早く開花するようになって当然なのかも知れない!!!。

 交通機関としての列車としては、あのブルートレインとして親しまれた、東京発大分、熊本行きの寝台特急、「富士、はやぶさ号」が遂に引退の時を迎えて、先日多くの鉄道ファンだけでなく、惜しまれつつ廃止された。

 日本列島に走る寝台特急としては、まだ残る大阪、青森間を走る、トワイライトエキスブレス「日本海」には、まだ乗ったことがないので、いずれ無くならない内に贅沢な時間をかけた列車の旅としての北海道旅行に利用したいと思っている。

 高校二年生の時に初めて北海道へと旅立つ際に、大阪から乗った特急「白鳥」、そして深夜の青森、函館を結ぶ青函連絡船を経て、早朝の函館からの道内を走る特急「あおぞら」に乗り継いだ長旅を思い出すが、やはり時間がかかる列車の旅も楽しめるJRであってほしいものである。

 サクラ前線よ、ゆっくりと急がず私たちを楽しませてオクレヨ。
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タレント知事の実力。

2009年03月16日 | 日本の課題
 元タレントであった、東国原宮崎県知事と橋下大阪府知事の活躍ぶりがテレビではよく紹介されている。

 いずれも知事に当選して一年以上の月日が経ったが、麻生首相の支持率と比べると雲泥の差の県民、府民の支持を得ているらしい。

 しかし、夕刻のテレビニュースでは、大阪府の橋下知事は国際児童文学館の廃止を決めたことで、寄贈図書の返却を願う児童文学者らによる訴訟が起こされているし、藤本義一氏をはじめ昔の弁護士時代の同僚からも厳しい批判を投げかけられている。

 一方の東国原宮崎県知事も、芸能界時代の度重なる不祥事や知事就任後のゴシップと併せて、タレント的テレビ出演は目立ってはいるが、県政のかじ取り役としての成果や評判はあまり芳しくはないという。

 いずれもタレント知事として、テレビ、雑誌を中心とするマスコミにもてはやされ、一般県民、府民には人気はあるようだが、果たして政治家としての資質や行政の長としての評価はイマイチではないだろうか。

 ご両人とも、多くの有権者が以前の知事の失態に愛想をつかした時に登場したタレント候補で、一時の人気を集めて当選はしたものの、難しい地方行政の真のかじ取り役としては如何なものかと思うのである。

 全国に多くの革新派、改革派、市民派知事が誕生している中で、また千葉県の知事選挙に、元青春派タレントの元参議院議員が立候補しているという。

 柳の下のドジョウは何匹いるのか知らないけれど、またしても元タレントが漁夫の利を得る選挙結果になるのか、または地元のたたき上げの政治家や地域の再生ビジョンを持った経験豊かな市民が登場するのかは全く分らないが、日本の地方政治が変わろうとする機会には、素人的タレントの発想や改革が功を制することもあるのではないだろうか。

 アメリカ合衆国でも、あのカリフォルニア州知事を務める元俳優や、市長を務めた経験のある元大物俳優、元映画俳優だったレーガン大統領の例もあるから、どの国でも、タレントが政治家になる場合がある。

 何が言いたいのかといえば、政治家も人気商売と言っても過言ではないのだから、テレビ、映画で有名になった俳優やタレントが、しっかりとしたマニフェストやプラン、ビジョンを持って立候補するのを妨げたいとは思わないが、政界や政党が安易に人気を票に換えて、議席や首長の座を獲得しようとすることは避けてほしい。

 テレビや新聞、雑誌で取り上げられることが人気のバロメーターのような芸能界、タレント商売と、政治家、行政のかじ取り役としての首長は、全く勘違いしてもらっては困るのである。

 テレビ、雑誌のマスコミに取り上げられることは、本質的な意味での政策、改革とは全く次元の違うことなのである。

 タレント知事や議員の本当の実力や実績をちゃんと評価できる有権者であってほしいのである。

 
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