大音響のガムランにのって、きらびやかな衣装で舞い踊る「バリダンス」は、ウブドでは欠かせないイベントであり、観光客にとっては、とってもエキゾチックな民族芸能として魅了されるものである。
私もバリ・ウブドに着いた翌日の夜に、バリ舞踊の中では「レゴンダンス」と言われる宮廷舞踊として発展した舞踏を観に行った。
観客は日本人カップルやグループと西洋人たちのグループが中心で、そう多くの観客ではなかったために、ゆっくりと鑑賞できた。
華麗で繊細な踊りなのだけれど、まず目を見張ったのが踊り子たちの顔の化粧と目の大きさ、そして決して瞼を閉じない訓練された演技力であった。
ほんとうに目の玉が飛び出んばかりに大きいだけでなく、彼女たちは眼を左右に機用に動かせては、いろんな表情でそれぞれの感情表現をしている様子であった。
彼女たちの訓練された踊りの世界は、目だけでなく両手の指先まで細かく表現していて、決して真似の出来ないくらいに両手の指を開いたり閉じたり、自由自在に奇妙に動かせるのであった。
それに、足腰のひねりや首の動きなども加えての多様な表現は、それぞれのストーリーを物語るのに不可欠な動きであるらしく、その不思議な世界に魅了されずにはいられなかった。
衣装はバリ独特のもので、これもスカワティ王の宮廷で始まった頃からの伝統美だそうだが、現代的にアレンジされたものもあるという。
レゴン・クラトンと呼ばれる舞踏は現在は15種類もあるといわれていて、基本的なテーマは、「神と王の繁栄を祈り、称えること」なのだそうだ。
バリダンスには、このレゴン・クラトンのほかに、「ケチャ」と呼ばれる宗教舞踏のサンヒャンから派生したものを、ドイツ人芸術家が、新しい芸能として確立したものだそうで、100人もの男たちが、複雑な構成の掛け声と共に、ダンサーとしての動きを演出し、ラーマーヤナの物語にマツチした熱気あふれる芸能イベントとしても親しまれているようだ。
また「バロン・ダンス」と呼ばれるものもあり、魔女ランダと聖獣バロンの終わりのない戦いを描いたダンスで、バリの善と悪をつかさどる神様、つまり二元論の世界を表すものだそうだ。
いずれにせよ、全ての舞踏の原点に、バリの島を包み込んでいるヒンドゥー教の精神的な風土があり、善悪の霊が戦ったりはするのだが、決して一方的には勝敗がつかず、殺されたり滅ぼされたりはしないところが、バリの人々の精神性にも及んでいる様子であった。
つまり、どの踊りも伝統的な衣装、形、顔、音楽を背景に宮廷にささげられたものだろうが、戦士の力強さ、老人のひ弱さ、極楽鳥の求愛、恋愛に夢中の若者の様子など、インドネシアの混乱期にも静かな芸術表現として続けられてきた、とっても楽しく見入ってしまう迫力ある舞台であった。
ダンサーの女性たちは、さぞ小さい頃からの鍛錬を経て、専門的な指導を受けたプロであり、ガムランを演奏する男たちも楽しそうであった。
私もバリ・ウブドに着いた翌日の夜に、バリ舞踊の中では「レゴンダンス」と言われる宮廷舞踊として発展した舞踏を観に行った。
観客は日本人カップルやグループと西洋人たちのグループが中心で、そう多くの観客ではなかったために、ゆっくりと鑑賞できた。
華麗で繊細な踊りなのだけれど、まず目を見張ったのが踊り子たちの顔の化粧と目の大きさ、そして決して瞼を閉じない訓練された演技力であった。
ほんとうに目の玉が飛び出んばかりに大きいだけでなく、彼女たちは眼を左右に機用に動かせては、いろんな表情でそれぞれの感情表現をしている様子であった。
彼女たちの訓練された踊りの世界は、目だけでなく両手の指先まで細かく表現していて、決して真似の出来ないくらいに両手の指を開いたり閉じたり、自由自在に奇妙に動かせるのであった。
それに、足腰のひねりや首の動きなども加えての多様な表現は、それぞれのストーリーを物語るのに不可欠な動きであるらしく、その不思議な世界に魅了されずにはいられなかった。
衣装はバリ独特のもので、これもスカワティ王の宮廷で始まった頃からの伝統美だそうだが、現代的にアレンジされたものもあるという。
レゴン・クラトンと呼ばれる舞踏は現在は15種類もあるといわれていて、基本的なテーマは、「神と王の繁栄を祈り、称えること」なのだそうだ。
バリダンスには、このレゴン・クラトンのほかに、「ケチャ」と呼ばれる宗教舞踏のサンヒャンから派生したものを、ドイツ人芸術家が、新しい芸能として確立したものだそうで、100人もの男たちが、複雑な構成の掛け声と共に、ダンサーとしての動きを演出し、ラーマーヤナの物語にマツチした熱気あふれる芸能イベントとしても親しまれているようだ。
また「バロン・ダンス」と呼ばれるものもあり、魔女ランダと聖獣バロンの終わりのない戦いを描いたダンスで、バリの善と悪をつかさどる神様、つまり二元論の世界を表すものだそうだ。
いずれにせよ、全ての舞踏の原点に、バリの島を包み込んでいるヒンドゥー教の精神的な風土があり、善悪の霊が戦ったりはするのだが、決して一方的には勝敗がつかず、殺されたり滅ぼされたりはしないところが、バリの人々の精神性にも及んでいる様子であった。
つまり、どの踊りも伝統的な衣装、形、顔、音楽を背景に宮廷にささげられたものだろうが、戦士の力強さ、老人のひ弱さ、極楽鳥の求愛、恋愛に夢中の若者の様子など、インドネシアの混乱期にも静かな芸術表現として続けられてきた、とっても楽しく見入ってしまう迫力ある舞台であった。
ダンサーの女性たちは、さぞ小さい頃からの鍛錬を経て、専門的な指導を受けたプロであり、ガムランを演奏する男たちも楽しそうであった。