今日の祈り会で、
ローマ書8:26-30を学びました。
8章28節が中心聖句かな?
「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。」(新改訳聖書2017年版)
私の知り合いのご夫妻の娘さんが、
私の知り合いのご夫妻の娘さんが、
30歳ぐらいのとき、乳がんになって、
全摘出手術をしました。
その後に彼女が書いた文章を読むことがあって、
強く印象に残っています。
彼女はこう書いていました。
(うる覚えだけど…)
(うる覚えだけど…)
なぜ自分が乳がんになったかは、
神さまは答えてくださらない。
もともと神さまに説明責任はない。
説明してくださったとしても、
自分にはきっと理解できない。
苦しみの中で、
私たちは神さまなぜですかと問うけれど、
多くの場合その理由は明かされない。
彼女の言うように、
神さまは主権者なので、
説明責任(義務)はないし、
神さまの知恵はあまりに深いので、
聞いたって私たちには理解できない。
本当にそうだと思う。
「益となる」の「益」って何か。
それは、神さまの御手の中で
私たちが造り変えられること。
神のかたちを取り戻し、
きよめられ、成長し、
神の栄光を映し出す、
キリストに似た者になること。
神さまは陶器師で、
私たちは粘土に例えられる。
私たちが造り変えられるために、
私たちにできることは何もない。
ただ、神さまの御手にゆだねる、
それだけ。
神さまは善いお方だし、
私たちは愛されているから、
安心して、
神さまの御手の中にいればいい。
神さまは、
万事を働かせて益としてくださるから。
苦難は避けたいし、
渦中にいるときには、
つらいし、苦しい。
祈れなくなる時もある。
でも、そんなときは、
私たちの心の内に住む聖霊が、
共にうめき、
祈りを助け、導いてくれる。
祈りを助け、導いてくれる。
ローマ書8章26節
「同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。」
「同じように御霊も、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、何をどう祈ったらよいか分からないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって、とりなしてくださるのです。」
先週のゴスペルの曲は、
The Storming is Passing Over
嵐は過ぎ去る…でした。