人は、いっしょにいるだけの存在には、
なかなかなれない。
自分のやりがいとか、
自己実現とか
そういうことを言わないで、
ただいっしょにいるだけ。
それって意外に難しい。
でも、人が試練や悲しみの中にあるとき、
特にそういう存在が必要。
まみちゃんを思い出す。
まみちゃんは、
パプアニューギニアの二人のウィクリフ宣教師を
助けるために村に入った。
言葉もできない、
聖書翻訳には関われない、
でも、ただいっしょに住んだ。
水汲みをし、
子どもたちと遊んだ。
宣教師と寝食を共にして、
おしゃべりをした。
自分のやりがいとか、
自己実現とか達成感とか、
そんなことを言わないそんな彼女の存在が、
宣教師たちにとって
大きな励ましとなり、
力になったのだと。
昔は、どの家庭にもそんな存在がいた。
お母さんだったり、
おばあちゃんだったり。
でも、今はそういう存在が
家庭からいなくなった。
お母さんたちも
生きがいとか、
自己実現とか、
達成感がほしい…。
ただ家族の世話をして、
家にいるだけの存在じゃつまらない。
わたしだってそう。
でも、そんな存在が実は必要。
共にいるだけの存在が。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます