毎日のできごとの反省

 毎日、見たこと、聞いたこと、考えたこと、好きなことを書きます。
歴史、政治、プラモ、イラストなどです。

ある顕彰碑

2020-01-07 20:48:36 | 大東亜戦争

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富士山の麓の街を旅して、ある小学校の校庭に「顕彰碑」なるものを見つけました。次に記すのは、縦書きを横書きにしただけで、文体等はそのままです。

顕彰塔誌 

 霊峰富士を仰ぐ、この地に建立されたこの忠霊塔には、西南の役以来幾多の戦役に従軍し、一命を 皇国にささげられた旧御殿場町在籍の英霊三百九十余柱が鎮まります。

 顧みれば、英霊は明治維新の大業成り、国民皆兵の義務のもと、皇国の防衛と国権の維持に力を注ぎ使命感に徹し忠君愛国の精神を堅持して、西南の役日清日露両戦役に従軍し国威を全世界に宣揚した勇士や続く満州事変日支事変に際して国家の権益擁護に敢闘し一死国恩に報じた列士、更には八紘一宇の大理想と東亜被征服民族を開放し、万邦をして各々その所を得しめんとの、大義名分を旗印とする大東亜戦争に及ぶや感泣勇躍、陸海空を所狭く転戦中忠孝の道きわまり散華した義士であります。この聖戦に散男女青少年学徒、一家の柱石等総力を傾注して戦い、天に三百十余万の生命を犠牲にしましたが昭和二十年八月十五日終に敗戦といふ結果を招きました。

 国破れて山河あり。この冷厳な事実を直視した国民は異口同音に日本を再建しなければならない、その再建は日本人自身の不屈の努力によらなければならない、他人の援助や偶然を期待してはならないとの眞剣な自覚を促すにいたった。この自覚の由来は実に英霊が身を以て実践垂範せられた遺産に外なりません。一度は敗れたとはいえ 外、東亜諸民族は相次いで独立した。正に英霊は身を殺して仁を為すと称せらるべきもの。内にしては、焦土と化した大小都市に高層建築を林立せしめ、剰え今日世界屈指の経済大国を形成せしめた。これまた、英霊各位の遺徳偉勲の賜ものに外なりません。終戦三十周年に当たり顕彰塔詞を建立して、その遺徳を万世に伝える次第である。

    昭和五十年十一月十六日

 私は、この碑が昭和50年と言うそれほど古くない時代に、しかも戦後30年の記念として作られた事に驚いている。現代日本のように、自虐史観が跋扈すると同時に大東亜戦争を肯定的に評価する書籍も多く出ている時代と違い、戦時中に青春を過ごした人たちが多く生き残って、戦争の実相を知っていたのにもかかわらず、人々は戦争について黙して語らなかったからである。この碑のように維新以後戦後までの日本の歩みについてこれほど簡潔に述べたものを私は知らない。当時の市井の人々は語らずとも、精神は健全だったのである。

 そのわずか10年後の昭和60年には、国会においては、侵略戦争の謝罪決議などと言う運動が出てきた。その間に日本は洗脳されつくされたのである。現代にこのような碑を学校のような公的な場所に建てようとしたら、反対運動で実現不能であるのは間違いない。