毎日のできごとの反省

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表現の不自由展の怖ろしい深謀遠慮

2019-10-12 20:22:11 | 政治

 あいちトリエンナーレ2019の企画展「表現の不自由展・その後」の再開は着実に日本を悪くしていくだろう。この騒動を計画した人たちには、周到な計算があった。「平和の少女像」なるものと昭和天皇の写真を焼く映像などというものは、普通の日本人にとって耐えられるものではないから、激越な反発があることは予想された。彼らは激越な反応があるからこそ、表現の自由の名のもとに、美術館側が警備を厳重にしてでも、展示を再開せざるを得ないとふんだのである。

 「慰安婦像」と昭和天皇への侮辱は脈絡のないものではない。彼らの論理はこうである。昭和天皇は「東京裁判」で追及されるべき戦争責任を、運良くまぬかれた。戦争責任の中には、セックススレイブとして朝鮮女性を強制連行した、非道な日本軍の総責任者が昭和天皇である、という論理がある。

 これによって今まで行われたことのない「慰安婦像」の日本における展示と、昭和天皇を公然と侮辱することに成功したのである。これは大きな実績になってしまった。たとえまともな日本人が反発しようと、公的機関での展示が可能となったのは大きい。もういかに反発があろうと、公的機関であれ、個人の美術館であれ、このような展示公開を禁止することはできなくなったのである。もっと日本人を侮辱した悪質なものさえ登場するだろう。

 展示再開の翌日の産経新聞に、国際政治学者の三浦瑠莉氏が、「今回の展示によって激しい政治的対立が起き、非常に息苦しい社会が生まれた。展示によって表現の自由はむしろ後退した」などという頓珍漢な論評をのせた。この問題は表現の自由の問題ではない。まして芸術性があるかないか、などという問題ではない。

 芸術であろうとなかろうと、セックススレイブなどという虚偽の象徴である「慰安婦像」や皇室を侮辱するものが公然と、日本人自身によって展示が行われたこと自体が問題なのである。これを実績として、日本人を貶める展示は今後も増殖していくであろう。彼らは、日本人の良心として過去を反省しているつもりであろう。しかし、これらの展示は確実に日本人の心を蝕んでいく。

 そればかりではない。世界の人々は、日本人はセックススレイブを使う非道な民族であり、皇室などというものは軽蔑に値するものだと思うだろう。日本人自身がそう告白しているのだから。いくら「おもてなし」などとやさしげな言葉を使おうと、日本人の本性はこんなものに過ぎない、とせせら笑うであろう。