毎日のできごとの反省

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映画・スリーハンドレッドとは何か

2019-09-13 15:33:54 | 映画

映画・スリーハンドレッドを歴史から見る

 ギリシア遠征のペルシア軍に300人の精鋭兵士で迎撃するスパルタ王、レオニダスの絶望的な戦いの物語。例によってストーリーはさておく。ギリシアとペルシアの対比は何を意味するか。現代とのアナロジーがそこに隠されている。ギリシアとは西欧であり、ペルシアとは中東のイスラム諸国である。そしてペルシアを迎撃するギリシアの1国家スパルタとはアメリカに他ならない。すなわち現代のイスラム教徒のテロと闘うアメリカを表現している。

 これは考えすぎではない。王に援軍をと議会で演説する王妃は、自由と正義のためにと熱弁を振るう。これは現代アメリカの理想でもある。そして300人の軍団のなかで、王の命令で軍団の戦いを伝えるよう命令されて生還した一人の兵士は、神秘主義と暴君への戦いを民衆や兵士に語り続ける。

 アメリカもキリスト教国家が根底にあるが、表面的には理性化されて宗教は陰を潜めている。それに比べ宗教の教義が即法律であるイスラム国家は、日本や西欧諸国には神秘主義としかいいようがない。そして湾岸戦争当時のフセインのような独裁者。イスラム諸国とは西洋人には神秘主義と暴力の支配する世界である。

 この映画は政府のプロパガンダではない。しかし民間でこのような映画が作られることは、多くの米国民は政府のイスラムとの戦いを支持していることを証明している。その象徴がこの映画である。硫黄島の戦いのアメリカ映画も現代アメリカの戦いを支持していることの証明である。硫黄島の戦いはアメリカにとって苦しい闘いであった。それを勝ち抜いたのは彼らの誇りである。その意気を現代に投影しているのである。ブラックホークダウン、プライベートライアンなども同様である。

 ギリシアは西欧諸国の前身ではない。DNAや文化において断絶がある。しかしルネサンス、文明復興といったように、西欧諸国はギリシア、ローマの末裔と嘘をついている。そこでギリシアより文明文化、あらゆる面ではるかに強大ですぐれたペルシア帝国を世界史の刺身のつまにし、弱小なギリシアを主人公にするというインチキを今もしている。

 そしてこの映画である。レオニダスらの最後の闘いは、明らかに勝つことを目的としていない。盾も兜も捨てて弓矢の前に身をさらして前進する。名誉ある戦死。それはアメリカとの日本軍の絶望的な闘いが背景にあるようにすら思われる。私は希望をつなぐ。この点において日本とアメリカには戦争観において、共通の価値観があるのではないか、と。軍事同盟する共通の価値観があるのではないかと。

 映画スリーハンドレッドのスパルタ戦士は米軍のアナロジーだと前述した。それはディティールでもいえる。むしろ史実として残されていないディティールを想像で描くからこそ、米軍の行動パターンのアナロジーが顕在化する。戦闘のディティールが歴史的記録に残されているものは少ないだろう。つまり映画の脚本家によるディティールは史実ではなく、脚本家自身の考え方そのものであるのだ。


 とりあえず戦闘が休止した場面で、スパルタ王レオニダスは敗れて転がっているペルシア兵に止めを刺すことを戦士に命じる。戦傷で苦悶するペルシア兵に次々に剣を突き立てて殺す。これは合理的ですらある。大東亜戦争の太平洋の島々の戦闘でも、米軍により同じことが行われた。戦争の常識として、戦死者1名に対して戦傷者は2~3名程度発生する。


 ところが日本軍の玉砕では千人の死者に対して数人しか生存しない。これは尋常ではない。たとえバンザイ突撃して機関銃で掃射されても、被弾して戦闘不能になっても、その中で即死しているのはわずかなはずである。致命部分に弾丸を受ける確率は低いからである。まして怪我しても「人道的な米軍」が負傷した日本兵に戦闘後治療を施せば多くが生命だけは助かる。


  ところが太平洋の島々での戦闘では圧倒的多数の日本兵が死んでいる。とすれば米軍は、スパルタの兵士と同じく、戦傷した日本兵に止めを刺したのである。これは想像ではない。米軍、ことに海兵隊の指揮官は、日本軍の捕虜は取らないという方針を明言した記録がある。国際法では厳密には、敵兵は武装解除されて収容されてはじめて捕虜と認められる。だからレオニダスの行為も米軍の行為も、国際法違反かと言えばグレーゾーンである。戦闘の継続として負傷者を刺殺したと言えなくもない。国際法では、グレーゾーンは自国に有利に、が原則である。だが、戦闘不能となった戦闘員を殺すのは、世間の常識では残虐行為である。


  人道的な米軍を信じさせられている現代日本人はおろかである。支那人やロシア人の残虐は常識である。だが米軍も、それよりまし、という程度である。スパルタの兵士の負傷兵刺殺の行為の詳細については米国人の想像に負うものである。それは米国人のセンスが投影されている。だから多くの戦傷した日本兵は米兵にとどめを刺されたのである。それが大東亜戦争の島嶼戦での日本軍の玉砕である。

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