映画評論・バイオハザード ファイナル
もちろんバイオハザードシリーズの完結編である。ストーリーを説明するつもりはない。画面に何回か出る、荒廃した大都市の風景には、どこか見覚えがある。そう、原爆などの米軍の無差別爆撃で焼け野原になった、日本の都市の風景の写真にそっくりなのである。
猿の惑星の「猿」のモデルが実は日本人で、原作者は、大東亜戦争当時、東南アジアで日本軍に収容されていたピエール・ブールというフランス人である。ブールは、無力な白人たちと白人が開発したはずの兵器で白人を支配する猿たちの関係と、大東亜戦争で捕虜となった白人兵士と日本兵の関係にアナロジーを見たのである。
小生も最初はそれに気付かなかった。何年かして、ようやくこのアナロジーに気づいた。知人に話してみたが、笑って取り合ってもらえなかった。その後、ある雑誌で、実は想像は正しかったばかりではなく、この映画が日本で公開される際に、米国人は日本人が、この映画を嫌って見に来ないのではないか、と恐れたという。しかし、ほとんどの日本人は気付かないどころか、ヒット作になった。
ニューヨークにはハーレムという地区がある。その昔、アメリカ出張の際の休日の観光で、ハーレム見学とメトロポリタン美術館見学コースがあって、小生は後者を選んだのを一時後悔した。当時のハーレムは浮浪者などが占拠するひどく荒廃した地区で、一人で入ったら出てこられない、という話だった。
観光もバスに乗ったままで、危険だから絶対外に出るな、という注意があった。テレビで見たハーレムの光景は、ハリウッド映画で見る核戦争などで荒廃した街とそっくりであった。これはハーレムをモデルにしたのだと勝手に想像している。それを実見しなかったのを後悔したのである。その後ハーレムは徹底的に治安改善が行われ、普通の街になったそうである。
これらは、フィクションであっても、実体験や見聞が映画などの元になることがありがちだ、という見本である。バイオハザードで見る、ウィルスの被害で荒廃した光景は、米軍の無差別爆撃で破壊し尽された日本の都市がモデルに違いないと思う。そればかりではない。ぞろぞろと行進する「アンデッド」の群れは、空襲で焼かれた日本の民衆の死体がモデルであろうと邪推する。
東京都内では、空襲で焼けただれた民衆が、灼熱に水を求めて隅田川や旧中川などに飛び込んで折り重なって死んでいった、と聞く。アンデッドにはそのイメージがあるのではないか。アメリカ人が日本の無札別爆撃を表向き、いかに正当化しようとも、意識の下では罪悪感があるのだと思う。