毎日のできごとの反省

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書評・日本をここまで壊したのは誰か・西尾幹二・草思社

2013-08-24 14:15:15 | Weblog

 最初の2,30頁を読んでいていやな気分になってきた。事実だが嫌な事ばかり書かれているからだが、そればかりではないようである。ようやく通り抜けて何とか読み切ることが出来た。日本の経済人は政治に口を出すな(P56)という項では、キャノンの御手洗社長などの、日本の経済人が日本に不利益になっても自社が世界で金儲けができればよい、という発想でしかないことを批判する。本当は経済人は政治に口を出すなと言うのではなく、日本の国益無視で会社の利益しか考えられないような経済人は政治に口を出すな、と言いたいのである。日本の経済人でも、まず国益ありきの姿勢を貫いた人たちはいたのである。

第一次大戦では日本海軍はオーストラリアを支援したのにもかかわらず、日本を敵視し恐れた。極度に不安がるのでイギリスの植民大臣が、日本は南シナ海以南に進出することはないから安心せよと打電したと言う(P67)のだ。戦後もことごとく日本に敵対した。 それは心の問題である、という。オーストラリアはイギリスの囚人の捨て場だったのが後に自由移民がやってきてトラブルとなり囚人を差別し、原住民を絶滅させた。支那の移民を受け入れたがレベルが低いので日本移民を入れたが、アメリカ同様排斥が始まった。こうして非白人の差別感情が発生した。全てはかつて悪事を働いていた集団であったという、オーストラリア人の暗い心の闇が原因である(P70)。

 ドイツでは私の想像の範囲の事態が冷戦終結後起きている。占領軍がドイツに加えた数々の不法に対して、これまでは「ヒトラーの犯罪で帳消しだ」と言われるのを恐れて黙っていた。それが戦後五〇年祭の1995年を契機に、赤軍による暴行、ボヘミアからの逃亡ドイツ人虐殺について、ヒトラーの犯罪では帳消しにはならない、という声が挙げられた。また、バルト三国、ポーランド、チェコスロバキアのズデーデン地方に定住していた千数百万人のドイツ人が追放されたことについて、「土地や財産を返せ」と言い始めたというのだ(P103)。

 そんな声は例えばエストニアにも「われわれを苦しめたのはロシア人だ。バルト三国は1941年6月に侵攻してきたナチス・ドイツ軍を解放者として歓迎したはずだ」(P104)という意見が出てきたと言うのである。日本人は連合国と枢軸国を善悪の単純二元論でしか見られない。そしてヒトラーの罪を謝罪してヨーロッパに受け入れられているドイツ、という単純極まりない主張を信じている。そうではないことなど、少し考えれば分かるのだ。

 鈴木敏明氏の「逆境に生きた日本人」と言う本を紹介して、思いもよらない物事の見方があるものだ、ということを考えさせる(P199)。南北戦争は死傷者百万人に対し、戊辰戦争はわずか三万人に過ぎず、いかに新政府に簡単に寝返ったのか、というのだ。第二次大戦で日系人は強制収容所に入れられるが断乎拒否して刑務所に入れられたのは例外である。ところが無法にも財産を奪い、強制収容所に送られたのに、アメリカに忠誠を誓い、志願して二世部隊としてヨーロッパ戦線に行き、多大な犠牲を出して活躍したのは、理解できないし、情けないと言うのだ。

 これに対し西尾氏は、戊辰戦争のケースは欧米の圧力に挙国一致で応えるために、御公儀の国から天子様の国に国民の心が切り替わったのだ、と反論するがその通りである。日系人部隊のケースは従前このような見方が示されたことがなく、意外性に西尾氏も驚いている。日本の武士道は郷に入らば郷に従えで、新しい共同体への忠誠心においても公平に発揮できる普遍的なものだと考えて納得していたが、鈴木氏の見解を聞き、西尾氏は混乱し判断を保留すると書く。多大な犠牲を出して戦った日系二世については、それなりの信念を感じるが、マッカーサーが来てから一月も経たずに、英会話本がベストセラーになったと言うそれこそ情けないエピソードが同レベルで語られると考えさせられる

 肝心なのはここである。「・・・日本に起こったことは、一国による『征服』であった。その後アメリカは戦争を世界各地でくりかえしたが、朝鮮戦争でも、中東戦争でも、湾岸戦争でも、日本に対してなされたような戦後の社会と政治まで支配する征服戦争は一度もなかった。ドイツに対してもなかった。ドイツに対しては連合軍の勝利であり、戦後は四カ国管理であった。・・・大東亜戦争ではなく『太平洋戦争』という名の戦争が仕掛けられ、戦争は引き続き継続していたのだが、誰もそのことを深く自覚しなかった。史上最も穏健な占領軍という評価だった。だからそれを『進駐軍』と呼び、敗戦を考えたくないので『終戦』と言った。そして経済復興だけに力を注ぎ、さらに反共反ソの思想戦だけに熱心だった。後者はアメリカとの共同行動だった。それが保守と呼ばれた勢力の主たる関心事だった。」(P260)

 本書の意図がここに凝縮されている。日本はアメリカに征服されて、文化、社会、政治まで破壊された上に改造されたのである。従順な日本人はそれを言葉の詐術でごまかし続けた。保守と呼ばれる人たちですらこの体たらくだから、戦後ソ連や中共の手先となって働き続けている者たちは最早日本人ですらない。勇猛果敢と讃えられていた日系二世部隊の働きの評価を、先に鈴木氏の著書で覆されて、判断を留保せざるを得ない気持ちは分かるのである。


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