毎日のできごとの反省

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漢文を中国語とは何事か

2021-01-31 21:13:16 | 支那大陸論

 NHKの歴史教養番組の「歴史ヒストリア」の「空海からの贈りもの」でとんでもないことが堂々と語られている。空海の手紙を見せ、ナレーターの渡辺あゆみさんが、空海の手紙について「漢字ばかりが書かれていますね」と言った後、何と「当時の日本人は自分の気持ちを中国語に翻訳して書いていた」というのだ。さらに「この頃の書き言葉、中国語は結局は外国語、日本人の心の世界をうまく書き表わすことはできなかった。」という。 その後空海が発明した象形文字による「益田池碑銘」を紹介して空海が自由な表現を求めて漢字を換骨奪胎したもので、これがひらがなの発明につながった、という学者の言葉を紹介している。さすがにこの学者は漢文のことを中国語だとは言わない。

 渡辺あゆみさんは漢文という言葉を知らないのだろうか(´Д`)へ中国史などの研究で著名な岡田英弘氏は「この厄介な国中国」で漢文は中国語ではない、と断ずる。もちろん「漢文とは、中国語の古典ではない」のである。漢文は古代中国語の文字表記ではないのだ。だから源氏物語は現代日本人には難しくても読む手掛かりはあるが、現代中国人にとって漢文は発音することはできても、意味は皆目分からないと言う。それどころか漢文には文法もなければ、動詞や名詞と言った品詞もない表記であるというのだ。要するに漢文とは表音文字を使った、おそろしく原始的な表現方法である。しかも現代中国人が「温故知新」という論語を読んでも広東語の母語の人と北京語を母語にする人では発音が異なる、という奇妙なことになる。

文字は漢字のように表意文字から始まる。ものの形をまねて文字にするのが一番作りやすいからである。しかし、それでは音声による言語を文字に書き写すことは不可能だから次第に表音文字に進化してもっぱら音を表わすようになる。アルファベットしかり、ひらがなしかりである。ところが漢字は、古いものは絶対に正しく変えてはならないという尚古主義の伝統が災いして表意を墨守したために、実際に使われている言語を表記する手段に進化することができなかったのである。

 だから漢字は言いたいことを正確に表現する手段としては極めて不適切な文字である。そこで漢文の古典には必ず意味を解説した注釈というものが必要である。清朝では膨大な四書五経などの漢文の古典を満洲文字で書かれた満洲語に翻訳した。満洲文字はモンゴル文字から生まれた漢字とは関係のない文字である。現代の西洋人は漢文の古典を研究するために、死滅したに等しいと言われる満洲語を習う人たちがいるという。満洲文字で書かれた四書五経は漢字では書かれていない解釈を加えて翻訳しているから普通の言語として読むことができるのである。昔の支那では漢文の注釈も漢文で書くしかないから難解で理解できないのである。

空海が漢文では日本人の心の世界をうまく表わせなかったのは、漢文が表現手段としては実に原始的で、心の機微を表現することなど、漢文を書いた中国人にすらできなかったのであって、漢文が「外国語」だからではない。高校では漢文の授業があった。私は漢文の事を中国語と言ったのを聞いたのは生まれて初めてである。渡辺あゆみさんは教養もないお馬鹿な人ではなかろう。その人が大真面目に漢文のことを中国語だと言うのだから世も末である。