毎日のできごとの反省

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朝日新聞の社是fは恥も外聞も捨てて、会社をつぶさない

2018-05-21 20:41:58 | ジャーナリズム

朝日新聞の社是

 朝日新聞の社是は、打倒安倍内閣だ、と朝日新聞の幹部が言ったとか言わないとかで、裁判沙汰になっている。朝日新聞の大幹部には、戦前の緒方竹虎、戦後の秦正流がいる。この二人の言葉を検証してみる。

 緒方竹虎は副社長までなった人物で、リベラルの評価が高い。緒方は「五十人の新聞人」という本で、戦前の新聞界を振り返って、こう書いた。

 「これは丸腰の新聞では結局抵抗はできない。只主筆とか、編集局長が自ら潔しとする意味で、何か一文を草して投げ出すか、辞めるということは、痛快は痛快だが、朝日新聞の中におってはそういうことも出来ない。それよりもこれは何とか一つ朝日新聞が生きていかなければならないという意識の方が強くなり・・・」

 

 結局、新聞で権力に抵抗するよりは、社員は朝日新聞の存続を図るため、筆を曲げろ、というのである。この自分勝手な一文は、当時の左翼人士からも侮蔑された代物である。

 

 一方、朝日新聞大阪版では、一読者が「新聞も戦争に加担した」ことにはならないか、と投書したことに対して元大阪本社編集局長の秦正流氏が連載記事で答えた。そこにはこうある。

 

 「多数の従業員をもち、多年の伝統をもち、社会的信頼を寄せられている新聞社としては『余程』のことがなければ玉砕は許されない。」

 

 意味は明快である。何のことはない、戦争に協力せずに弾圧されて倒産すれば、社員が路頭に迷うので、多数の社員を抱えた大新聞としてはそんなことはできなかった、ということを品良く言ったのである。

 

更に秦は「新聞がどうして戦争協力に走ってしまったか。」と自問して次のように答える。

 

 「それは新聞自体が生きのびるためであった。そのような新聞を国民が望んだことも、つまり鶏と卵の関係が生じていたことも忘れてはならぬ。鶏と卵のどちらかはともかく、新聞だけがその原因をなしたのではなく、最大の責任は軍部を抑え切れなかった政府にある。その政府を支援してきた財界にもあったということだ。今も。」

 

 秦はついに開き直った。マスコミは正しいと信ずることを報道することが、健全な政治の重大なひとつの要素であるという自負はない。恥も外聞も捨てて、他に責任を転嫁する。新聞社がつぶれたら俺たちは困る。国民が望むから戦争に協力したのだ、お前たちに非難されたくはない。そもそもの責任は政府と財界にあるのだ。露骨に言えばそう述べたのだ。

 

秦の責任転嫁は更にエスカレートする。

 

 「言論界の外でも、歌謡曲が情緒に訴えて国民の戦意を高揚した。小説、映画にも干渉が加わり、軍国の母、軍国の妻が称揚された。作家も画家も動員された。そして、この流れに乗ったのが、まず今日も現存している著名な出版社をはじめとする大小の御用出版雑誌社。」

 

 秦は調子に乗りすぎたのである。新聞ばかりではない、あらゆる階層が戦争に協力したではないか。新聞だけ批判されるいわれはない、と開き直ったのである。他のジーナリズムを御用出版雑誌社と言うなら、朝日新聞社自身は御用新聞社ではないか。よくも言えたものだと呆れるしかない。

 

 この二人の朝日新聞幹部は戦前戦後と時期は違うにもかかわらず、「ジャーナリズムとて真実の報道に固執して社がつぶれるよりは、何よりも朝日新聞紙が生き延びることが肝心である、と見事に同じことを書いている。秦はこれに加えて社員の生活がかかっているからつぶれては困る、とさえ明言している。安倍内閣打倒が社是である、というのは言ったの言わないのと物証のない水かけ論である。しかし、彼等二人の「朝日新聞がつぶれないよう、筆を曲げるのもやむなし」と言う言葉は、自ら書いた記録が残されている。まぎれもない朝日新聞の社是である。