毎日のできごとの反省

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書評・昭和の精神史・竹山道雄・講談社学術文庫

2015-09-24 16:25:30 | 政治

 昔読んだことはあるとは思うが憶えていない。大東亜戦争肯定論(番町書房版「続」のP297)に引用されていることから、再度読んでみた。当然ながら、意外な部分とそうでない部分があり、不思議な感じである。竹山氏といえば、生前に朝日新聞の投稿で、ビルマの竪琴を書いた人が、こんな発言をするなんて、という非難があった。どんな案件か忘れたが、竹山氏が反戦主義と思ったら、それに反する発言をしたという非難である。

 講談社学術文庫には昭和の精神史と手帖というふたつがおさめられている。林氏が引用しているのは「昭和の精神史」の、軍部ファシストの反乱の失敗が、かえって強力な軍部ファシズム機構の完成に導いた、という左翼の見方の矛盾の指摘である。最初から日本の軍部はファシストで、最終的に軍によるファシズム支配が完成した、という結論があって、それを二二六事件と言う、軍部による軍部に対する反乱の側面もある、現実の出来事に無理やり適用したことによるインチキな結論である、というのが竹山氏の主張であり、正しいのである。

だが、全体を読み通すと、さすがの竹山氏も、時代の風潮を乗り超え切れなかった風がある。昭和の精神史からいくと、上からの演繹の間違いを否定するが、それは結局マルクス主義の批判である。結論が先にあって、それに都合のよい事実だけ取り上げる、という昔からの日本のマルクス主義者の決定的間違いを否定したのである。

 二二六事件に関しては素直に納得できる解釈がされている、と感じた。最近の論者でも北一輝などの関係者が隠れ共産主義者で、首謀した軍人も似たようなものである、などとも言い得るように、二二六事件は考えれば考えるほど複雑怪奇な事件である。竹山氏の見解はもっと素直に、首謀した軍人たちは、全員が窮乏した農民の出身などではなく、単に彼等に同情し政財界の腐敗に憤慨しただけなのである、というものである。

 複雑に見えるのは、それに便乗した軍首脳や政治家などの関係者がいて、それらが連携しておらず、連携していない人たちは当然思惑が違うから、二二六事件は矛盾だらけに見えるのである。だから、矛盾を強いて解こうとすれば複雑怪奇な迷路に入っていって、どんな陰謀説も出来てくる。だが事件が起った直接の原因と首謀者の意図は、彼等の遺書や言動をそのまま読めばよいのである。竹山氏は直截にそうは書いていないが、そう言いたいのであろうと思う。

 竹山氏は、もし戦争をせずに内乱が起きて、主戦主義者が覇権を握ったら、結局戦争への直線コースとなっていた、という緒方竹虎の意見を紹介して賛意を表明している。竹山氏は林房雄氏と異なり、大東亜戦争を国内的要因だけに帰し、外的要因の巨大さを考慮しないと言う、現在の日本人にも共通する倒錯をしている。

 確かに昭和三〇年に書いたという、林氏の10年前の時点である限界を免れなかったとは言うものの、大東亜戦争に突入するときに既に壮年に近かった人の意見としては、大東亜戦争に至るまでの、世界情勢に対応する日本の苦衷を後世の若者に残してもよかろうと思う。長谷川美千代氏が「からごころ」で大東亜戦争肯定論を、同時代の若者を元気づける、と言ったのは正鵠を得ている。小生自身も維新以後の日本の正当性をようやく主張してくれた人が出てきた、と思ったのである。

竹山氏の世代は知識人としてそれをなすべき世代だったのである。だが、GHQの策謀に容易に絡めとられた。竹山氏の世代は戦前戦中の日本の正義、というものを知っていたはずである。軍部の相克や政財界の腐敗があったのは事実であるが、世界史的に日本が苦衷にあったと言うことに比べれば、些末であり、本筋に据えるべきではない。

竹山氏の誤謬は、「手帖」のローリング判事への手紙、という項に如実に現れている。ローリング判事は、日本人の美徳を知っているからこそ、「この日本人がどうしてああいう残虐なことをしたのだろう?」(P280)と質問したのに対して、ある日本人が日本は封建制が清算されていないから、と答えると、日露戦争の日本軍将兵は欧米では敬意を持たれていたのに、日本は今度の戦争ではどうして?と反論した。

それに対し日本人は、温存された封建性が明治以後増大した、と答えたのだ。まるで司馬遼太郎のようである。しかし竹山氏は、そんなことがあろうか、と反問する。むしろ封建性が衰弱して日本人を支えていた精神体系がくずれていって、邪悪なものをときはなったのではないか、と結論する。原因はともかく、結論は司馬と同じなのである。竹山氏はGHQが宣伝した、バターン死の行進、南京大虐殺その他の、ねつ造された日本軍の残虐事件について、何の疑問も持たずに受け入れているのである。

ローリング判事は西洋人だから当然としても、同時代の日本人として、何かおかしい、と疑問を持たないのだろうか。小生の若い頃、終戦直後の日本では手紙を米軍に検閲されていた、と話してくれた年寄りがいて、当時は半信半疑だったが、今思えば本当だった。米軍による検閲や洗脳、ということを、同時代人は常識として知っていたのである。さすがにパル判事は日本軍の残虐行為というものを全て真に受けることはしていなかった、と思う。その根底にはインドでお前ら英国人がしていたことは何だ、という気持ちがあったのだろう。

記憶違いでなければ、大東亜戦争肯定論には、一切巷間言われていた日本軍の残虐行為には触れていなかった。読後感の一つとして、言われている日本軍残虐行為に対して、弁護や弁解が欲しかったと言う記憶がある。巷間流されている情報に対して、裏を取れない現在では触れるべきではない、と思ったか、大東亜戦争肯定論の本質とは関係なし、と思ったかのいずれかか、両方かである。いずれにせよ、触れなかったのは林氏の見識である。