毎日のできごとの反省

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やる気のない栗田の水偵放棄

2014-06-23 15:25:22 | 大東亜戦争

 左近允尚敏氏の捷号作戦はなぜ失敗したのか、は著者の経歴によって類書とは隔絶した評論となっている。全般については、別途述べるとして、ここではひとつだけ考えてみたい。それは、栗田艦隊が、故意に艦載の偵察機を射出して基地に帰してしまったことである。「栗田艦隊司令部は二十三日午前と二十四日の朝、艦隊の水上偵察機四〇機以上を手放してしまった。」(P319)とあり、草鹿参謀長は、その理由をブルネイから出撃する際には警戒を厳重にしなければならないので、水偵のほとんどをミンドロ島に進出させ、艦隊の航路の対潜警戒にあたらせることになった、という。

 ところが対潜哨戒は行われず、逆に米潜に自由に跳梁されているから話にはならない。栗田の参謀としてこの指揮をとった小柳少将は、戦後の著書でサマール沖海戦について「惜しいことに飛行機皆無の栗田艦隊はこれ(レイテ湾)を確かめる方法はない、と書いて著者に「手放した責任者の『惜しいことに』は驚かされる。」(P320)と無責任さに呆れている。他人事のような無責任の言動に腹が立ったのである。戦死せずレイテ湾から逃げ帰った艦隊の幹部には、このような人物が多数いる。

 著者は水偵がいれば危険な任務だが、スコールと煙幕を利用すれば米護衛空母艦隊の状況はかなり把握できたろうと惜しんでいるが、その通りで、これこそが艦隊に艦載機を搭載した本来の任務だからである。艦載機は海戦中に弾着観測や敵艦隊の状況把握のために搭載されているのである。その艦載機のほとんどを出撃直後に手放したのは、栗田艦隊の司令部が初手から海戦をやる気がないことを証明している。

 善意に解釈すれば、栗田艦隊は艦載機搭乗員の命を惜しんだのであろう。水偵は複座の零式観測機か、零式三座水偵だから、四〇機ならば、搭乗員は100人前後にもなろう。搭乗員としてはかなり大勢である。海戦中に敵艦隊に向かって行った艦載機は敵戦闘機の迎撃を受け、帰還できる見込みは少ない。まして、このときは、水偵をカバーする零戦は一機もいない。海戦中に帰還したところで、停止できる艦はいないから、見捨てられる。それならば、いっそ帰してしまえと考えたとしても不思議ではない。不思議ではないが、何としても敵艦隊に勝つという戦略が感じられない。