毎日のできごとの反省

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マラソンをなめるなよ

2008-02-09 21:20:43 | 文化

 大阪国際女子マラソンで期待された福士加代子選手は無残な結果に終わった。足を引っ掛けられたわけでもないのに、よたよたになって何回も転倒した上に、記録も悪かった。最後まであきらめずに走った精神力を賞賛する声が多いが私には到底そうは思えない。

 翌日の日経新聞によれば福士の練習は20km走のスピード練習が大部分で、最長は30km走が1回きりだったという。本人の意志なのか、監督の方針かは知らない。しかしこれはマラソンの距離をなめていたとしか思われない。誤った練習方法をとっていたのでは結果が悪いのは当然である。

 私もフルマラソンを数回走った経験がある。10km、20kmは毎週よく走っていたが、フルマラソンの距離は自信がなかった。そこで大会にエントリーする前に一度名古屋城の周回コースを走った。1周4キロのコースを10周走り、更に4分の1程走ったところで、とうとう足が動かなくなった。

 このコースは正確には4kmに少し足りないのだが、それでも40kmは走ったと思う。それで安心してエントリーした。その晩夕食をして、一人で缶ビールで乾杯して祝ったが、全部飲まないうちに睡魔に襲われて、八時前に寝てしまった。40kmの体力消耗はすごいものなのである。

 福士選手の無謀な挑戦については、スポーツ評論家の二宮清純氏が、ある新聞で指摘していた。しかし問題はそれに止まらない。なぜあんな状態で完走させてしまったかである。あんな走りでは精神的にも肉体的にも福士選手には相当なダメージを残しているだろう。

 また私事になるが、私は間違ったトレーニングをして、膝に違和感があったのに走り続けたために、ランニングを1ヶ月休むはめになった。膝がロックして走れないのである。それでも問題なく回復したのだが、10年近く経ってから膝の違和感が再発して、段々痛みに変わっていって今に至っている。そこでやめる勇気の大切さというものを知った。

 福士選手や監督などは長い経験から、安全な無理と危険な無理の区別はつくはずである。福士選手は最初の転倒の際にレースをあきらめるべきだった。本人が走ろうとするなら、監督が止めるべきだった。外国人選手の優勝候補などは途中で歩き始めると案外早くレースを放棄するケースがある。

 これは外国時に特有のドライさなのではなく、無理して無残な記録を残すのなら後々良くないと考えた決断の結果だと思う。福士選手の監督は福士選手の将来のためにレースを放棄する勇気がなかったのに過ぎない。面子のために走り続けさせたのに過ぎない。完走するよりも途中で止めさせるほうが勇気がいるのである。

 福士選手は今後マラソンに復帰するには、レースを完走した以上の精神力がいるものと思う。なまじ完走したために、ダメージや恐怖感が残り今後は大変である。ど素人が生意気なことを言うが、マラソンはスタートラインに立ったときには、90%レースは終えているものである。

つまりマラソンの結果はそれまでの練習の積み重ねと当日の体調で決まる。それをレース中の根性で克服できるほどマラソンは甘くはない。ところでです。福士加代子さんて井川遥に似ていると思いませんか。(*^o^*)