A Challenge To Fate

私の好きな一風変わった音楽を中心に徒然に綴ったページです。地下文化好きな方は見てやって下さいm(_ _)m  

【音楽解放宣言】産み落されてしまった音楽・聴かれたがっている音楽を野に放て!

2017年07月25日 07時52分57秒 | 妄想狂の独り言


Declaration of Music Liberation
誰が音楽を所有しているのか?誰に音楽を所有する権利があるのか?音楽は誰かの所有物でありたいのか?その疑問に対する答えは立場によって異なるだろうが、音楽の立場に立って考えれば、誰が作ったか。誰が歌ったか。誰が演奏したか、誰が録音・録画したか、それはどうでもいい、とにかく聴かれたい、聴いて欲しいと願うのが当然ではないか。ましてや、レコード盤やカセットテープやCD盤に録音され、かつて一度は誰かに聴いてもらおうと頒布されたにもかかわらず、不本意ながら何処か暗いところに仕舞い込まれ、二度と人の耳に聴かれること無く幽閉されたままの音楽は、まさに不幸なる哉である。

産み落されてしまった音楽は作者や演奏者の手を離れ、他の人に聴かれるという存在意義を与えられてしまっている。しかしながら自らの意志で鳴ることは出来ない。そんな“聴かれたがっている”音楽を解放し、少しでも多くの人にその存在を知らしめようとする行為は、果たして非難されるべき悪業なのだろうか。聴かれたがっている音楽を封じ込め、音源の所有者(“音楽の”では無いので念のため)が、自らの慰みとして独占的に聴取する、もしくは聴クコトすらせず、単にコレクションするだけの行為こそ、音楽への虐待として糾弾されるべきではなかろうか。ましてや自己の利益のために粗悪な海賊盤を頒布したり、利殖の道具として高額な価格で転売したりする行為は赦されるべきではないだろう。

作詞作曲者や編曲者、演奏者、制作者の権利を無視することは道義的に問題があるかのように言われる。それを否定する訳ではないが、例えば著作権など人間の姑息な利害関係の明文化は、紙切れ1枚の契約書次第で誰にでも譲渡・転売可能であり、「音楽」を第一に考えれば真の当事者である音楽自身の権利を不当に無視した横暴と呼べるのではないだろうか。そんなしきたりや柵の鎖を断ち切り、音楽を野性に解放することこそ『A Challenge To Fate 運命への挑戦』に他ならず、それが『地下音楽への招待』を執筆した動機のひとつであり、その実戦の第一段階が『盤魔殿』のDJプレイであることをここに名言しておきたい。

個人的な感情だけで音楽の解放を拒み、音楽の意に反して暗い牢獄に幽閉しようとする人がいたならば、素直な心で音楽自身の本当の意志に耳を傾けていただけるよう切に願っている。



盤魔殿
音楽解放
駆込寺



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