ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

自然が神様

2016年03月11日 | 通信-環境・自然

 2月27日、いつものようにコツコツと草抜き作業をしていると、お初のオジサンに声を掛けられた。西原町民の多くがそうであるように彼もまたウチナーグチだった。
 「ニーサン、ヌー、ヰートーガ(兄さん、何植えてるの)?」と大きな声を出しながら私の畑の前までやってきた。私は植付けではなく除草作業をしていたのだが、彼の元へ近付きながら、1週間ほど前に種を播いた畝を指差しながら答えた。
 「エダマメです。」
 「メーニチ ヰジョーシガ ユー ハマトーンヤー(毎日見ているけど、よく頑張っているなぁ)」と、ニコニコ笑いながら言う。その顔は、私より数年先輩に見えた。
 「体壊さないようにのんびりやっていますよ」と応じると、「この男はウチナーグチを話さない人」だと認識したのか、この後は和語での会話となった。オジサンの名前はSさんといい、ナッピバルの南隣りTさんのキャベツ畑、その隣の休耕地を挟んで、そのまた隣の角地、去年10月頃から整地作業をしている畑の持ち主。
 15~20分くらいの立ち話は、お互いがやっていること、これからやろうとしていることなどであったが、「農業で生活するのは難しいよ」がお互いの経験から出た結論であった。Sさんは年金を貰っていて、農業からの利益はそう期待していないらしい。
          

 「農業で生活するのは難しい」はもう、私の実感である。毎年毎年長雨にやられ、干ばつにやられ、台風にやられ、害虫にやられ、散々な結果だった。去年は、10株ほど植えたゴーヤーは収穫1本、2畝80株ほど植えたエダマメは収穫10株ほど。ダイコンは20本ほど収穫できたが、成長がまちまちで売れるほどにはならなかった。
 売れるほどにはならないが、自家消費には十分役立っている。成長がまちまちなので、大きくなったものから順次収穫し、長い期間私の胃袋を満足させてくれた。ジャガイモも長い期間(1ヶ月半ほど)、私の主食として大活躍した。つまり、自然は人間に都合の悪いことを起こして、金を得ることを阻害するが、自然は基本的には人間が生きていくことを許している。太陽のおかげ、雨のおかげで作物ができ、私は生きていけている。

 2月21日、ある教会で行われた講演会に参加した後、宗教についてあれこれ考えて、既に4題の文を書いて先週までのガジ丸通信としたが、けしてしつこい性格ではない私なのに、なおまだしつこく考えて、もしも神がいるのならと、私の神を想定した。
 「自然は自然に発生したものではありません、全て神様が造られたものです。」
 「その神は誰が造ったんですか?」
 「神は造られたものではない、存在するものです。」
 以前、どこぞの宗派の人とそんな会話をした。その時はそこまでだったが、「なら、自然も存在するものでいいじゃないか、目に映り、耳に聞こえ、鼻に匂い、手に触れる、それこそ間違いなく存在し、人が生きていける環境を与えている。」と今は思う。
 「人が生きていける環境を与えている」ということは、「人がそこで生きていくことを許している」と言い換えても良い。つまり、自然こそが私を生かしてくれている者に他ならない。ということは、私が感謝しなければならない相手は自然ということになる。というわけで、もしも神がいるとしたならば、「私の神は自然です」となった。 
          

 記:2016.3.11 島乃ガジ丸


噂を信じちゃ・・・

2016年03月11日 | 通信-その他・雑感

 新聞読まないテレビ観ない私だが、ラジオのニュースは1日に数回聴いている。経済通産大臣がお金の問題で辞職したとか、自民党の議員が出産したばかりの妻がいながら浮気して、それがバレて辞職したとか、3人の女性閣僚が問題発言をしたとか、日銀がこれまでにない政策をやったが、株価の下落は止まらないとかなど、一応知っている。
 朝、ラジオでもテレビのワイドショーみたいな番組をやっているので、スポーツ関連、芸能関連のニュースも耳に入ってくる。しかし、スポーツはもう、知っている選手が少なくて、大相撲もプロ野球もその他にもほとんど関心が向かない。プロゴルフの宮里藍が調子悪そうなのが気になるのと、同じくアメリカツアーに出ている女子プロの野村ハルキヨ(ラジオからそう聞こえる)のハルキヨがどういう漢字なのかが気になる程度。
 テレビを観なくなってもう4年半余りになるが、それ以前もテレビをよく観ていたわけではないので芸能関係は元々疎い。今、どんな歌が流行っているか、人気のドラマは、俳優は、アイドルは、歌手は、お笑い芸人は、などといったことを知らない。知らなくてもちっとも困らない。それらは、私が幸せであることにちっとも関わりが無い。
          

 政府が何をしたか、何をしようとしているかについて私は関心を持っているが、その他マスコミの情報の多くはどうでもいいことだと感じている。今これが流行りですよ、買った方がいいですよ観た方がいいですよ遊んだ方がいいですよと情報を流し、庶民に金を使わせる、謂わば、マスコミの多くは政財界の手先のようなものだと感じている。それは言い過ぎだとしても、少なくとも「経済成長は必要」の立場から、庶民にできるだけ多くの消費をしてもらおうという戦略がマスコミから垂れ流されていると思っている。
 「経済成長は必要」という噂を私は信じていない。現在月10万円で生きていけるなら100年後もそうできるようにしたらいいと思う。「労働効率や生産効率の成長」はあってもいい。労働者の負担軽減になり、余暇が増え、趣味を楽しむ幸せを得る。
 噂の1義に「世間で根拠もなく言いふらす話」(広辞苑)とある。「我々の政策を行えば良くなる」などの政府の言うことは噂に過ぎず、「噂を信じちゃいけないよ」の類となる。当然「辺野古移設が唯一の解決策」も、私はほぼ100%信じていない。

 コマーシャルで「これを使うと楽です」と体を動かさないで済む機械を買わせ、「これで痩せますよ」と運動する機械を買わせる。「美味しいよ」と甘いお菓子を買わせ、「糖分摂りすぎでもこれで健康」とサプリメントを買わせる。「経済成長は必要だ、なので、庶民の欲をかきたてて大量生産、大量消費させよう」という思考なのであろう。
 「体を動かして、余分に食わなければ痩せて健康になる」が私の経験則だ。ちなみに、健康であることを私は人生の中で最も重要な項目とはしていない。頭痛、腹痛、風邪など日常にあっても構わないと思っている。ある日突然、「ガンです、余命1年です」となっても構わない。それが私の寿命だと観念する。私が人生の中で最も重要と見なしているのは「幸福であること」だ。というわけで、テレビは観ないがタバコは吸う。
 不健康の元の代表格みたいなタバコであるが、「煙草は百害あって一利なし」という噂も私は信じていない。煙草嫌いのオバサン達によるヒステリックな、魔女狩り的な宣伝だと判断している。タバコにもさ、一利くらいはあるはずさ、誰か証明して。
          

 記:2016.3.11 島乃ガジ丸


強き者たち

2016年03月11日 | ガジ丸のお話

 去年(2015年)11月、畑に1匹のネズミが落ちていた。触ってもピクリともしない、完全に息絶えている。ネズミは体長5センチほどと小さく、後で調べるとワタセジネズミという種であった。目立った外傷はない、それが畑の真ん中で死んでいる。「何で?どういうわけ?心筋梗塞でポックリ逝ったということか?」などと考え、妄想。
     
 「お腹すいたわ、早く食べなきゃ」と獲物を捕まえて住処へ急いでいるサシバの目の前に、下方から黒い影が飛び出してきた。彼女は驚いて羽を立て急ブレーキ。黒い影は彼女の横に並んで、彼女に顔を向けた。雄のサシバだった。
 「やー、お嬢さん、きれいだね、嘴が素敵だね、飛び方がカッコいいね、良かったら俺と結婚しないか?安心しな、生活の面倒はみてやるぜ。」
 「何言ってんのバーカ、急に飛び出してきて結婚も糞もないわよ。顔洗って出直してきな。アタシはね、男がいないと生きていけないような弱い女じゃないのよ、アンタの世話なんか要らないよ!」と一蹴。あての外れた雄はスゴスゴと消え去った。
 「あっ、しまった!バカのせいで獲物を落としてしまったわ。」と、サシバ雌は鷲掴みしていた手が開いているのに気付く。辺りを見渡したが、獲物は行方不明。
 「ちくしょう、あの野郎、今度会ったら蹴っ飛ばしてやる。面倒みてやるなんて時代錯誤も甚だしいバカ野郎め、女は1人じゃ生きていけないとでも思っているのかよスットコドッコイ、ノータリン、アホ、マヌケ、あー、腹の虫が収まらないわ。」
 なんてことが畑の上空で起きて、畑の真ん中にネズミ、なのかもしれない。
     

 私の畑には畑を始めた当初からイソヒヨドリの雄が番鳥(他の鳥を追い払ったりする)として睨みを利かしているのだが、彼は今も毎日いないことはないが、最近留守がちである。その代わりなのか、最近はジョウビタキの雌をよく見る。ジョウビタキは冬鳥で、沖縄では10月~3月に見られる。その時期、去年は数日だけ姿を見せたのだが、今年はほとんど毎日いて、1ヶ月ほど前からは、私のすぐ近くまで寄るようになった。
 「人懐こい性格」だとは文献に書いていないが、私が草刈などの作業をしていると、すぐ傍、50センチほどまで近付く。私が振り向くと逃げるが、それでも1mほどしか離れない。そして、私を見ている。何か言いたいことがあるのか?と思って、
 「何の用だ?何か不幸なことが起きるのか?」と訊くが、彼女はクッ、クッ、クッと鳴くだけで、お告げらしきことは何も言わない。私には実は、気になることがあった。1ヶ月ほど前、久々に血圧を計ったら160を超えていたのだ。畑の健康野菜をたっぷり食べていて健康であるはずなのに、それ以降も150を超える日が続いている。
 「何か不幸なことが起きるのは叔父でも叔母でも無く、俺の身ということだな?俺もそろそろ死に時なのか?心筋梗塞でポックリか?」と問うが、やはり答えない。
     
 私の体調、血圧は高いが、快食快眠快便はずっと続いている。眩暈とか頭痛とか胸の痛みとかもない。倒れる前には何らかの予兆があるはずだ。少なくとも、何かあったとしても1~2週間後とかの近々ではあるまいと私は勝手に想像して、話を変えた。
 「お前、初めてここに姿を見せてから4年目になるけど、ずっと恋人ができないじゃないか。ジョウビタキの雄は独特の色模様をしているので会いたい思っていて、お前が連れてくるのをずっと期待していたんだぞ。」と訊いた。すると、これには応えた。
 「大きなお世話よ、結婚するしないは私の勝手でしょ。男がいないと生きて行けないような軟な女じゃないのよ私は。1人で生きていけるのさ。」とのこと。

 ジョウビタキの雌にしても、サシバの雌にしても女1人でも十分幸せに生きていけることを証明(?私の妄想だが)している。私の周りの適齢期を過ぎた独身女性たちを見渡すと、楽しくなさそうな人もいるが、静岡の才媛K女史やアラサーのA嬢はいつ会っても表情が優しい。1人をそれなりに楽しんでいることが、その表情から見てとれる。
 ちなみに、ジョウビタキの雌が私の傍にいるのは、私にお告げがあるというわけではないようだ。私が手を動かすと土の中、草の中からコオロギが飛び出してくる。彼女はそれを狙っていて、私の傍に近寄ってコオロギを口に咥えると、すぐに1メートルほど離れた所へ行きコオロギを飲み込む、それを繰り返しているのであった。
 「あんたは、私の獲物とりを手伝ってくれているだけさ、有難いとは思っているけど、お告げなんか何もないよ」と彼女は思っているかもしれない。
     

 「男勝り」という言葉を最近聞かない、いつから聞いていないのか覚えていないが、もうだいぶ前から死語になっているのではないか。今は「男勝り」が普通になったからではないかと私は思う。念のため、「男勝り」という言葉を知らない人のために、
 男勝りとは「女でありながら、気性が男にもまさるほどに勝気であること。また、そのような女」(広辞苑)で、勝気とは「人に負けまいとする気質」(〃)のこと。
     

 記:2016.3.7 ガジ丸 →ガジ丸のお話目次


欲の成せる宗教

2016年03月04日 | 通信-科学・空想

 美女に誘われ、ある教会で開かれた講演会を聴きに行って、それに対する感想などを書いている内に、私の脳味噌はしばらく宗教のことに関心が向いた。で、ちょっと妄想。神の存在をちっとも信じていない私だが、こんな神ならいいかも、といった妄想。

 私の神は怒ることが無い、人間が何をしても怒らないし、罰を与えることもしない。いつも静かに微笑んでいる。子供がやんちゃしてもイタズラしても黙って見ている。不良グループが万引きしてもカツアゲしても黙って見ている。親が子供の首を絞めても黙って見ている。成功者が覚醒剤に溺れても黙って見ている。
 清原がついに天寿となって三途の川を渡る。渡りきるとそこに神がいる。神には時間と空間の概念が適用されないので、一遍に無数の時間と空間に存在するので、清原1人に構うこともできるのだ。そして、神は清原に語りかける。「辛かったか?」と。
 清原はここで胸の内を洗いざらいぶちまける。そして最後に、ゆっくり深い息を吐きながら「辛かったです」静かに呟く。神はそんな清原に手を差し伸べ、
 「そうか、辛かったか、でも、もう大丈夫だ、お前を解放してあげよう、さぁ、こっちへおいで」と言い、清原を我が身のもとに寄せ、彼の背中をさすってあげる。その時、清原に光が射す。清原は安堵を得、無上の喜びに浸り、感謝と幸せで涙が溢れ出る。
          
 
 人間は何故悪いことをするのか?悪いこととは何ぞや?ということもちょっと考えてみた。私が思う悪いこととは「他人の生命財産を奪うこと」のただ1つだけ。生命財産には健康、時間、自由、感性などといったことも含まれる。「何故悪いことをするのか」については、「身の程知らずの欲望があるから」ではないかと考えた。
 「食って、糞して、寝て、働いて、結婚して、子を成して、子を育て、天寿を終える」こと以上の欲望を人間は持ってしまった。そうすると、他人の生命財産を奪ってまでも我が欲望を満たしたいと思う者がどんどん出てきた、のではないかと考えた。
 悪い奴が増えると社会が安定しない。奪う奴がいると、農夫も安心して作物を生産できない。作物ができないと支配者たちも大いに困る。よって、悪い奴らは捕まえて罰に処さなければならない。しかし、警察の力には限界がある。どうする?
 ある日ある時、「そうだこうしよう」と良いアイデアが浮かんだ。「一人一人に悪事を恐れる心を植え付ければいいのだ」という画期的アイデア。
 「お前も俺もそうだが、民衆も「永遠の命が欲しい」という欲望がある。そこにつけこむのさ。善人であれば天国へ行き、永遠の命を得られる。悪事を働けば地獄へ落ち、永遠の苦痛が与えられる、ということにしたらどうだ?」
 「飴と鞭ということですね、良い考えです。早速そのように手配しましょう。」

 というわけで、宗教が生まれた。地球上のどの人間社会でも同じような悩みがあり、そして、同じようなアイデアが生まれ、同じように実行された。ということで、地球上のあちらこちらで神が生まれ、天国と地獄が生まれた・・・のではないか。
 社会の安定のために宗教が生まれ、人間の「永遠の命に対する欲望」が天国という架空の存在を望んだ・・・のではないかという妄想、そう、あくまでも妄想です。
          

 記:2016.3.4 島乃ガジ丸


寛容による平和

2016年03月04日 | 通信-社会・生活

 先週のガジ丸通信『頂いた命への感謝』の続き。H女の容姿と品格の美しさに疑いを持つものではないが、彼女の信じるものを信じるには私の感性は遥かに遠い。私は神の存在も、天国地獄の存在も信じないし、価値観の押しつけをするような宗教、お互いの感性を認め合わない宗教は大嫌いだし、逆に、お互いの感性を認め合うことが平和の元ではないか、仏教で言う慈悲、キリスト教で言う寛容が大事ではないかというのが私の感性。
 念のため断わっておくが、H女の通う教会が「価値観の押しつけをする」とか「お互いの感性を認め合わない」などと言っているのではない。H女も教会の代表者も教会の教えや考え方を述べたが、私に入信を勧めることはなかった。慎ましく上品であった。
          

 その日の講演会の内容はしかし、あまり上質とは感じなかった。私にとっては初の宗教関連講演、良い言葉や興味深い話があればと、私は紙とボールペンを出し、講師の言葉を書き留めていった。講話が終わるまでに(途中の15分ほどは瞑想に入っていたが)文字はA5サイズの紙一杯(字が大きいので全部で150字位だが)に連ねられた。そして、その内の後半分は、講話を聴いての私の批判(ツッコミみたいな)となっていた。
 例えば、存在の否定と神の怒りについて、講師はこれを人間の親と子に喩えて語った。その話の前から既に私は批判的になっている。なので、これにもツッコミしている。
 「あなたが親として、我が子に自分の存在を無視されたら怒りますね。それと同じように神もその存在を我が子であるあなたたちに無視されたら怒ります」と言う。神を人間と同じ感情を持つ存在と捉えていることにツッコミ、神は無視されたら怒る程度の度量の持ち主かとツッコミ。怒られるから崇めないといけない存在なのかとツッコム。

 聖書の語ることが、「私を無視した奴は地獄、私を尊敬する者は天国」というのであれば、「俺様のことを無視する奴は死刑だ!俺様を尊敬する者には褒美を与える」みたいな政治をやっているらしい日本の近所の小太りオジサンとちっとも変わらない。
 神の怒りによる人間に対する罰は、聖書をほとんど読んだことのない私でも少しは知っている。アダムとエバがエデンを追われたとか、神の怒りで言語が様々に別れたとか、バベルの塔やノアの箱舟の話などだが、自分の子供(神の創造物)をそんなに虐めなくても良かろうと思う。北風と太陽の喩もあるじゃないか、罰するのでは無く、寛容と愛で包み込み、その優しさに感動させて神を好きになるようにした方が良かろうと思う。もしも私が神を感じる時が来たとしたら、私の神はそのような神であって欲しいと願う。
          

 人間に罰を与えるのは同じ人間に任せておけばいいのだ。いや、だからといって、現実のこの世で、金輪際神の存在を信じない私が警察に捕まり、「神の存在を信じない罪」と裁判所から判決され、牢獄に入れられることはご勘弁願いたい。
 信じる信じないは心の問題。心は自由にさせて欲しい。大地震があっても日本人は略奪などしない。キリスト教を信じる人が多い国よりも信じない人の多い日本の方が倫理観に優れている。心の自由が人に知恵を与え、寛容を生み、平和を呼ぶのだと思う。
 などといったことを考えている内に、「永遠の命に対する欲望」が宗教を生んだのではないか?とまで思考が進んだ。これについては次の『欲の成せる宗教』に続く。

 記:2016.3.4 島乃ガジ丸