ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

酷使の代償

2018年10月31日 | ガジ丸のお話

 2010年1月、若者が1人我が家にやってきて私の仕事を手伝ってくれるようになった。彼は前任のミスターXに比べずっと優秀で、彼のお陰で私の仕事も随分はかどるようになった。しかし、仕事がはかどるということに私は甘えたかもしれない。私は、そう意識はしていなかったが、彼を酷使したみたいであった。数年後、彼は倒れた。
 それでも、優秀な彼はすぐに立ち直った。視力をほぼ失うという後遺症を残したが、極端に度の強い眼鏡を掛けることによって視力を補い、依然とほぼ変わりない仕事をこなした。ただ、彼は外回りがきつくなった。そこで2015年5月、週一のパートであるが、さらに優秀な若者を雇った。前の若者をウルトラ7、新人の若者をエイトマンと仮に呼んでおく。ウルトラ7が作り上げた仕事をエイトマンが納品するという形になった。
 週一とはいえ納品の仕事をエイトマンがやってくれているお陰で、ウルトラ7も病を抱えながら何とか頑張ってきた。そんな2人の才能と努力のお陰で仕事はこの春からさらに忙しくなり、私は忙しいということに有頂天になり、ウルトラ7の体調のことをすっかり忘れていた。そして2018年10月25日のこと、

 その日、朝は普通に働いていた。2時間ほども働いた10時頃から彼の動きが少し鈍くなった。そう感じつつもそのまま午前中は働かせる。お昼後はしばらく休ませて、夕方からまた働かせる。その時は初めから彼の調子が「いつもと違う」と何となく感じていた。そして夜8時過ぎ、ウルトラ7は再び倒れた。その日はいつもより少し負担の大きい仕事だったかもしれないと後悔しつつ、その夜はとにかく安静にする。そして、翌朝からあれこれ手当を試みたが彼は目を覚まさない。そして2日後、彼はついに・・・。
     

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 2010年1月に購入し、2014年5月に画面が映らなくなったノートパソコン7、画面を外付けのディスプレイにして、以降もずっと使い続けていたが、2018年10月25日の夜、ついに、外付けディスプレイへ信号を送ることも不能になった。
 翌26日、朝から数時間その修復を試みるが、ダメ。その翌朝も1時間ほど最後の抵抗を試みるがやっぱりダメ。そこで私も諦める。日常のデータ、ホームページやブログのデータなどのほとんどはUSBメモリーに保管はしているが、一部、過去の写真のスキャンしたデータなどは壊れたパソコンのハードディスクに収めてあった。そして、日常使う頻度の多いソフト、ウィンドウズ10では動かないソフトのいくつかも入っていた。
 失った写真、使うことのできなくなったソフトについては勿体ない、惜しい、残念と思う。でもまあ、しょうがないと諦める。これまで多くの想い出を断捨離してきたんだからその程度はと諦める。いやいや、多く断捨離してきて、それでもなお、これはちょっとと断捨離しがたいものをパソコンに残したのだ、よーく考えてもやはり惜しい。
 それでもやはり諦めなければならない。もはや残り少なくなった人生、やっちまったことをクヨクヨして嫌な気分でいる時間の方がよほど勿体ない。
     

 2015年10月にノートパソコン(ウィンドウズ8)を購入し、それはインターネットのできる親戚の事務所に置かせてもらって、ブログのアップ用に使っていた。壊れたノートパソコン7は処分することにしてそのノートパソコン8を部屋に置く。それで日常の作業は問題ない、私がパソコンを開いている時間のほとんどはインターネットとは関係のない作業である。作文したり、写真整理加工したり、最近は薬草表作りにも多くの時間を使っている。私が使っているソフトはワード、エクセル、メモ帳がほとんど。後は画像加工ソフト、ホームページ関連、携帯(ガラケー)関連ソフトなど。
 ただ、困ったことに、W7で使っていたソフトがW8は動かないというものがいくつかあった。その代替ソフトを探してインストールしたり、使い方を勉強したりと私の頭はそれからの数日間てんてこ舞いとなる。これでは優秀な若者を雇っても使いこなせないであろう。脳味噌が新しいものに適応できない、これも老化か?あー、頭痛ぇ!
     

 記:2018.10.31 島乃ガジ丸 →ガジ丸の生活目次