私は中学から高校にかけては映画大好き少年だった。母の職場が映画館を経営する会社だったことから毎月映画招待券を貰ってきていて、そのほとんどを私が使った。
中学生の頃には、一緒に住んでいた従姉Mが「映画音楽大全集」というLPレコード10枚(もっとあったかも)組を購入し、それも私は何度も繰り返し聴いていた。大全集には名作と言われていた映画、アカデミー賞とかカンヌ映画祭とかベネチア映画祭とかで賞を取った作品の音楽が収められていて、まだ観ぬ映画を想像しては楽しんでいた。そういった往年の名作がリバイバル上映されると期待に胸ふくらませ観に行っていた。
『サウンドオブミュージック』、『ウェストサイド物語』、『風と共に去りぬ』、『ベンハー』、『大脱走』、『史上最大の作戦』、『真昼の決闘』、『荒野の七人』、『荒野の用心棒』、『シェーン』、『大いなる西部』、『汚れなき悪戯』、『ロミオとジュリエット』、『エデンの東』、『チキチキバンバン』など、数え上げればきりがない。
「映画音楽大全集」のお陰で、今でも覚えていて、口ずさめる映画音楽も多くある。例えば、とこれも挙げればきりがないので止す。中学3年生の時、クラスにYという西部劇マニアの友人がいて、互いに映画のタイトルを言い、そのテーマ音楽を口ずさむというゲームをやっていた。彼とは、ロバートレッドフォードが運転する自転車の前輪の上にまたがったキャサリンロスのスカートが捲り上がって中が見えたかどうかで話が盛り上がったこともある。その映画とは『明日に向かって撃て』、音楽は『雨に濡れても』。
往年の名作と評価される映画で「観てみたい」と思った映画は若い内にその概ねはリバイバル上映か、テレビの映画番組かで観ているが、オジサンとなってからは邦画を好むようになり、特に小津安二郎の淡々が好きになり、派手な洋画は好まなくなった。
それでも、最近、懐かしい映画タイトルを見て、ノスタルジーに浸りたいという気分になることもある。ノスタルジーに浸りたいって・・・オジサンからオジィになりつるある証拠かもしれない。近くの宜野湾市民図書館には古い映画のDVDも置いてある。この3年間でたくさんのDVDを借りて、まだ観ぬ往年の名作もいくつか観ている。
『誰が為に鐘は鳴る』、『波止場』、『そして誰もいなくなった』、『ドクトル・ジバコ』、『王様と私』、『オズの魔法使い』、『お熱いのがお好き』、『ニューシネマパラダイス』、『ジキル博士とハイド博士』、『オペラ座の怪人』、『上海特急』など。しかしながら、この中で早回しすることなくちゃんと観たのは『オズの魔法使い』だけ。
それまで生きていればの話だが、10年後、私は紛う事無きオジィになっている。もしも20年後まで生きていたとしたら、なおかつ、元気に畑仕事を続けているとしたら、作物を毎日眺め、勝手に生えてくる雑草も毎日眺め、作物に集ってくる虫たちを眺め、畑にやってくる鳥や他の動物たちと挨拶を交わし続けている私はきっと、ちょっとした魔法は使えるような白髪(禿げていなければ)白髭のオジィになっているはず。
親戚や友人達の曾孫が時々訪ねてくる。オジィの魔法使い(私)は、畑のエダマメを少し収穫して、それを手で握りしめる。数分後に手を開くとエダマメは焼き上がっている。子供達はそれを見て「すごいぃ!」と言い、エダマメを食べて「美味しいぃ!」と言う。なんていう妄想もしたが、『オズの魔法使い』は今も紛う事無き名作だと思った。
記:2016.9.23 島乃ガジ丸
先週金曜日(16日)、国と沖縄県が争う裁判の判決があった。何が何でも沖縄に米軍基地を押し付けようとする国の言い分を裁判所も支持した。南の島の呑気なオジサンである私だが、そんな私もその結果を残念に思った。しかし、呑気なオジサンは呑気なので、家で料理をしながらラジオでそのニュースを聞いて、替え歌を思いついていた。
元歌のタイトルは「可愛いスーチャン」、古い歌だ、調べると1945年頃に流行ったとのこと。私がこの世にやってくる前の歌だが、私はメロディーははっきり、歌詞は1番だけ覚えており、ギターを弾いて歌うことができる。その替え歌、
お国の為とはいいながら 人の嫌がる軍基地を
押し付けられてる哀れさよー 愛しいウチナーよ何処へゆく
替え歌の次は妄想。
嘉島仙世の先祖は小作人を数多く抱える大地主であった。先祖代々の土地は戦中戦後の混乱期に地籍が不明となったものもかなりあったが、それでもまだ、多くの土地が残されていた。それらのほとんどは畑では無く住宅地となって、民家が立ち並んでいる。
戦後の混乱期、嘉島家の土地に承諾を得ず勝手に工場が建てられた。当時の家長であった祖父は文句を言ったが、工場は国の後ろ盾があり、借地料も支払うということで渋々認めることになった。工場で働く人の住まいのため祖父はさらに多くの土地を借地として提供した。仙世の父の代になると、嘉島家の土地以外にも人々が住み着くようになり、大きな道路ができ、住人のための店舗、病院、学校などもでき、辺りは賑やかになった。
祖父の代に建てられた工場は町のほぼ中心にあった。化学薬品を製造する工場、煙突からは煙を出し、大量の汚水が下水へ吐き出された。公害が社会問題として大きく取り上げられた頃、父は工場から排出される煙や水について調査を求めたが、工場側は、最新の浄化装置を設置したので安全だということのみ言い張り、調査はうやむやにした。
で、住民は怒った。工場撤去せよの運動が起こった。そして、工場側もついに移転を表明した。実は、工場側にとっては、老朽化した建物の建て替えと新設備導入が必要なことだった。しかし、そのことは伏せて「住民の安全のために我々は移転を決意しました。」と宣言し、「移転のためには新たな土地が必要です。町外れで良いので十分な広さの土地を提供して下さい。そうすればすぐに移転しましょう。」との条件を出した。工場側のこの手前勝手な提案に工場撤去を要求している住民達は怒りの声を挙げた。
「何で我々が工場移設の為の土地を提供しなければならないんだ!」
「たとえ町外れに移設したとしても、町外れに住む人々もいるんだ、国の利益のためならそういった一部の人間の犠牲はしょうがないということか!」
「長い間、この町は工場のために不利益を被ってきたのだ、その不利益は国全体が責任を覆うべきものだ、なんでこの町だけが犠牲になるんだ!」などといった声。嘉島仙世は工場撤去運動市民団体の代表者の1人でもある。彼もまた声を挙げた。
「私は自分の土地に公害の元凶があり、町の人達に迷惑をかけていることを心苦しく思っている。なので私は私の土地を返せと言っている、これは正当な要求だ。」と。嘉島仙世の怒った顔がスクリーンに大きく映って・・・ここで私の妄想はお終い。
記:2016.9.23 島乃ガジ丸