ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

イエシロアリ

2011年07月22日 | 動物:昆虫-カマキリ・他

 シロアリは梅雨時に発生する、ということを私は睾丸の、じゃなく紅顔の美少年だった頃から知っている。それは、周りの大人たちがそう話していたのを聞いていたから。
  そしてその通り、去年の5月、我が住まいである築40年以上のボロアパートの、私の部屋にシロアリが発生した。四畳半二間の床板の多くが食われ、畳の全ても一部、またはほとんどを食われるという被害に遭った。奴らの巣は床下にあった。
 市販のシロアリ殺虫剤で間に合うような状況では無く、人が住めるような状況でも無かった。畳は全て使えないし、床板のあちこちに大きな穴が空いていた。
 床板の全てを張替、畳の全てを新調して、「これで安心」となったのは8月。以来、何事も無く時は過ぎていった。ところが、シロアリは梅雨時に発生するという通り、今年の5月、またしても部屋の中にシロアリが発生する。

 発生したシロアリの写真を、その被害状況まで含めて、去年も今年も撮っている。ブログの記事にしようと思ったからだが、シロアリの巣をまじまじと見、シロアリの姿をまじまじと見たのは、おそらく私は生まれて初めてのことだと思う。
 シロアリの巣は、遠い宇宙の生命のほとんど存在しないどこかの星の、荒れ果てた地表のような感じ。抽象画にもありそうだが、見ていて気持ちの良いものでは無い。
  シロアリは、手足の生えたウジ虫のように見える。ウジ虫のように見えるので気持ち悪い。私は、その辺のアリが私の体(腕でも足でもお腹でも)を歩いていても「キャー!気持ち悪い」なんてちっとも思わない。ただ、もぞもぞして鬱陶しいので、摘まんで窓の外に放り投げるか、強く摘まみ過ぎてつぶしてしまうかだ。
 だがしかし、アリに清らかな「白」と名が付いたシロアリは気持ち悪い。なるべくなら触りたくない虫の部類に入る。見た目がウジ虫のようであるからということもあるが、シロアリは、アリと名はあるがゴキブリの仲間だからでもある。ゴキブリは大嫌いである。なるべくなら触りたくない虫の部類の、今思いつく限りでは筆頭に来る。ゴキブリを見つけたら即殺している。よって、同じ仲間のシロアリも殺す。去年と今年と合わせて、おそらく数千匹のシロアリを私は殺している。これは罪になるかい?神さん。

 
 イエシロアリ(家白蟻):ゴキブリ目の昆虫
 ミゾガシラシロアリ科の昆虫 西南日本に分布 方言名:シルアイ
 シロアリの由来、広辞苑に「体の形はややアリに似る」、「体の色も白い」、「アリに似た社会生活を営み」などとあり、そこから付いたと思われる。ただし、アリは膜翅目の昆虫でハチの仲間。シロアリは直翅目で、ゴキブリの仲間。本種は屋内でも多く見られることからイエ(家)と付いたものと思われる。
 広辞苑にシロアリ目とあり、『沖縄昆虫野外活用図鑑』にもシロアリ目とあったが、かつて、「シロアリはゴキブリの仲間」とシロアリ駆除業者から聞いたことがあり、ウキペディアで確認したらゴキブリ目とあった。『沖縄昆虫野外活用図鑑』の発行は15、6年も前なので、ここはシロアリ駆除業者とウキペディアを信じることにした。
 平地から山地にまでいて、家屋の他、庭木やサトウキビなども加害するとのこと。リュウキュウマツが好物というのは文献にもあったが、木工職人からもそう聞いている。私の部屋ではスケッチブックや書籍といった紙類も多く食われた。
 体長は、有翅虫9ミリ内外、兵虫6ミリ内外、女王30ミリ内外。朝鮮半島、中国、台湾などにも分布する。乾燥した所でも生育する。沖縄では4月から6月に出現し、「沖縄で被害の最も多いシロアリ」(沖縄昆虫野外活用図鑑)とのこと。
 
 巣

 記:2011.7.14 ガジ丸 →沖縄の動物目次

 参考文献
 『ふる里の動物たち』(株)新報出版企画・編集、発行
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『沖縄昆虫野外観察図鑑』東清二編著、(有)沖縄出版発行
 『沖縄身近な生き物たち』知念盛俊著、沖縄時事出版発行


ラヂオ生活

2011年07月22日 | 通信-社会・生活

 私の勤める職場(週に2日しか出勤しないが)は仕事中、ラジオを鳴らすのは禁止となっている。それは、私が通常勤務(それでも週4日勤務)している頃、建設業不況が始まる前の、事務員が事務所に2人(今は0人)いる頃の十数年前に決まった。事務員2人が大きな音でラジオを鳴らして、集中型脳の私が「ラジオの音が煩い、仕事の邪魔、イヤホーンで聴いてくれ!」と優しく怒鳴ったことから、社長命令で「勤務中ラジオを鳴らすのは禁止」となった。それは今でも続いている・・・と思っていた。
 今年の初め頃だったか、社長夫人が事務所に詰めるようになった。それまではたまにしか来なかったが、連日朝から夕方までいるようになった。「おっ、いよいよ真面目にやる気になったか?」と感心していたら、数日後からラジオを点けるようになった。社長夫人なので私も数日は我慢したが、やはり煩い。仕事に集中できない。で、「確か、うちの会社は勤務中のラジオは禁止だったはずですよ」と注意すると、「私は特別じゃないの?」と仰る。「特別でも何でも、煩いです。仕事の邪魔です」と応える。仕事の邪魔と言われたら社長夫人も従うしかない。ラジオを消した。消して、その姿も消した。それ以来、彼女が事務所に顔を出すことはほぼ無くなった。(事務は自宅でやっている)

 ブログやHP用の記事を書いている時、それが頭の中で想像していることを文章にするだけの場合は、私はテレビの音、ラジオの音を聴きながらでも難なくできる。文献を調べながら正確な情報を文章にしなければならない時は、テレビもラジオも点けない。集中したいからだが、そんな場合でもCDやMDでバッハの曲は流したりする。音は音でもバッハは煩くない。むしろ、集中力を高めるBGMとなってくれている。
 脳科学者では無いので確かなことは言えないが、思うに、歌詞の無い音楽(クラシックなど)を聴く脳と、仕事や勉強をする際に論理的に働く脳とでは、その働く場所が違うのではないか。なので、両方一緒にやっても互いが邪魔にならないのではないか。
 あるいはまた、バッハやモーツアルトのような音楽は脳に優しいのではないだろうか。優しいので煩く感じないのかもしれない。日本語の歌は何を言っているんだろうと気になるし、ロックやポップスはリズムが煩く、叫ぶような歌い方には頭痛もする。

  食事する時、晩酌する時、集中力のあまり必要でないパソコン作業をしている時、私はこの一カ月ほど前からテレビを観る時間よりもラジオを聴く時間が多くなった。NHKFMのクラシック、『民謡でちゅううがなびら』や『民謡の花束』などの民謡番組などを聴いている。車の運転中も概ねラジオだ。朝早く起きて、畑へ向かう。家から畑までは20~25分程の道のり。その間もラジオを聴いている。『あかちちでーびる』という民謡番組が流れている。ちなみに、「あかちちでーびる」は「暁でございます」という意。ついでに「ちゅううがなびら」は「今日のご機嫌を伺います」といった意。
 何故、ラジオを聴く機会が増えたか?って、それはもう決まっている。明後日からの地デジ開始に備えて、ラヂオ生活に慣れておこうという考えだ。地デジが始まれば私はテレビを観ない。テレビは観ないが社会の情報は必要なので、ラジオは聴く。
 民謡番組以外でも地域密着的、または生活密着的話が多く、ラジオはなかなか面白い。テレビが無くてもこの先十分楽しく生きていけるぜ、と自信がついた。
          

 記:2011.7.22 島乃ガジ丸