去年(2018年)夏頃、左下奥歯の1本がグラグラしていたので歯医者へ行く。グラグラしている歯は、放っておけば抜けるというので放っておくことにして、歯槽膿漏と診断され、歯の掃除をすることになり、その後数回通う。
その時「舌の裏が歯に当って炎症を起こした痕がある」と指摘された。
同年秋頃、炎症を起こした痕から少し離れた個所に径1センチほどの円形の膨らみがあることに気付く。「何か怪しい」と思うが、放って置く。
今年春、円形の膨らみの周りがただれていることに気付く。気付いて、またも「何か怪しい」と思ったが、2019年6月中旬までは、ただれもそう広がることは無く、痛みも無かったので放って置く。2019年6月下旬からは痛みが出てくる。
7月に入ると、ただれている個所が広がり始め、舌の左側が膨らんで、舌が動かしにくくなり、唾液が止まらないと感じるほどに多く出るようになった。舌の左側の膨らんだ個所の下部から出血もあり、痛みも強くなる。ここまでくると知らんぷりはできない。
7月下旬になると食事(食べ物を口内に入れ咀嚼すること)するのもきつくなる。
「何の病気だ?」とネットで調べ、「舌癌かも」とあり、
「病院は何科?」と調べると口腔外科とあった。
家の近くの口腔外科を調べると琉球大学付属病院がある。しかし、琉球大学病院で診療を受けるには「紹介状」が必要とのこと。そんなこんなで手間暇かかって、診察をうけることができたのは、やっと8月8日になってから。その日、即日入院となった。
琉大病院の診断は「舌癌でしょう、それも末期です」とのことだった。
さすが大学病院で、検査は口の中だけでなく体全体に渡った。2泊3日の入院生活となる。医者は「手術した方が良い」との意見であったが、西洋医学に疑問を持っていた私は即答はせず、「考えさせてください」と、一旦退院することになった。
その後、何度か通院して、今後どうするかを医者と相談する。
8月28日、主治医とこれからの話をした。
「なるべくなら、抗癌剤治療も放射線治療もやりたくない。死ぬ時が来たら死んでいいという想いです。」と希望を述べると、主治医は正直に答えた。
「抗癌剤にしろ放射線にしろ、あるいは手術による摘出をしたにしろ、あなたのその後の人生は病院暮らしとなります。抗癌剤投与となると副作用も大きいので、苦痛も伴います。治療を何もしなければ副作用の苦痛はありません。しかし、治療をしなければ癌の進行は進みます。命にかかわることですが、これはもう生き方の問題です。あなたがそのような生き方をしたいのであれば、医者として反対もできません」とのこと。
「そのような生き方」とは、「苦しみながら3年生きるか、楽しく1年生きるか、を選ぶのなら、楽しく1年の方がいい」ということ。
入院するなら「国立沖縄病院」が適しているかもしれないとの医者の勧めで、9月12日そこで面接となり、合格となって、入院することとなる。
国立沖縄病院はホスピスであり、主たる目的は治療ではなく今の痛みを緩和して生きることをより楽にすることを目的にしているらしい。「病気を積極的に治すことはしないけど、生きている間はより楽に生きることができるようにしますよ」ということらしい。私が望むこととピッタシカンカンであった。
ところが、琉大病院の医者もそれを進めていたが、沖縄病院の主治医も「いかがでしょうか」と勧める癌治療があった。「そんなに言うのなら」と承諾した。
それは放射線治療。9月19日午後4時頃から放射線照射の初治療を行った。放射線治療は10月4日までの間に10回行った。初治療以降、酷い副作用があったが、治療したお陰で、私の舌癌は今治りつつある。というか、主治医が言うには「癌はほぼ治っています」とのこと。ということで私は、元気になりつつ現在に至る。・・・続く。
記:2019.10.21 島乃ガジ丸 →ガジ丸の生活目次