ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

悲しみを乗り越えて

2019年06月24日 | ガジ丸のお話

 キヨは走った。南風原の親戚の家に行って、食料となる芋を分けて貰っての帰り道、首里の家までの上り坂を上っている途中で突然、激しい爆弾の音が鳴り響いた。噂に聞いていた艦砲射撃の音だ。見上げると、我が家のある辺りも煙に包まれていた。首里に近付くに連れて砲弾の音は大きくなっていく。多くの人々が逃げまどっている、多くの人がキヨの居るところに向かって走ってくる。キヨは立ち尽くす。
 逃げる人々の大きな流れには逆らえず、キヨも彼らと同じ方向へ流される。その時声を掛けられた。隣人の宮城のタンメー(爺様)だった。「ナマー、ウカーサン。ヤーカイヤムドゥララン、(今は危ない、家には戻れない)」と言い、キヨの肩を抱いて皆と同じ方向へ走る。砲弾の激しさにキヨも、もはや宮城のタンメーに逆らうことはなかった。 首里から南風原方面へ下っていた人々は、道が下り坂になった辺りの野原、崖下に潜んだ。キヨも同じようにした。砲弾はここまでは届かなかった。「夫は、子供たちは?」という想いが心を占め、キヨは家族の無事を祈りつつ、眠れない一夜を過ごした。
 空が白み始めた頃、何人かの人が動き出した。艦砲射撃の音はもう聞こえない。動き出した人々にキヨも付いていった。首里の街に入ると家屋は倒れ、燃えている家もあった。道には死体らしきものが多く転がっていた。それを見ながらキヨの心は乱れていく。

 家に着くと、家は半壊していた。キヨは半狂乱になって夫の名を呼ぶ、子供たちの名を呼ぶ。返事は無い。瓦礫を押し除けその下を探し回る。そこには見たくないものが転がっていた。キヨは半狂乱になりながら夫と子供たちの全ての死体を確認した。

 一人生き残ったキヨ、未だ現実を信じることのできない茫然自失のキヨは、なお銃撃戦の続く戦火の中を周りの人に促されるままあるガマ(壕)に隠れた。しかし、時間が経つにつれて現実が事実としてキヨの心にのしかかってくる。もはや自分が生きている意味が無いと絶望し、弾に撃たれて死のうと思いガマから出た。
 そこへ、泣き叫びながらフラフラ歩いて来る女の子と出会う。抱きとめて話を聞けば、家族が全員死んだと言う。自分と同じ境遇を哀れに思い、さらに話を聞く。
 「名前は何て言うの?」の問いに、
 「ツル子」と女の子はポツリと答える。キヨはハッとする。自分の長女と同じ名前だ。
 「歳はいくつ?」と訊くと、これまた偶然にも長女と同い年であった。「あー、これは神が引き合わせたのだ。我が子の生まれ変わりなのだ」と神に感謝し、この子を守りながら自分も生きていこうと決意した。そして、その後、2人は絆深い親子となった。
     

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 キヨの家族、昭和20年(1945)4月の時点で、夫は1912年生まれなので33歳、本人は1913年10月生まれなので31歳であった。
 2人は1929年に結婚し、翌年1930年に長男を授かり、以降、長男を含め2男4女を儲ける。1945年4月の時点で、長男は14才、長女は13才、次男は11才、次女は9才、三女は7才、、四女は5才となっていた。
 その家族、夫と子供たち7人が全員、戦禍に合う。絶望したキヨは自らも命を絶とうとし、死に場所を求めて壕の1つへ入る。そこで偶然出会った少女、「家族はみんな死んでしまった」と言う少女は偶然にもキヨの長女と同じ年齢、同じ名前だった。
 運命を感じたキヨは少女を抱きしめる。そして、2人は親子の絆を結び、その後も長く仲良く幸せに暮らしたそうである。その後、再婚して、子や孫にも恵まれたキヨは1992年に天国へ旅立ち、キヨを最後までみとった養女のツル子は今も健在。
     

 沖縄戦が終わって74年、74回目の慰霊の日が昨日だった。糸満市摩文仁の丘には沖縄戦で亡くなった人、沖縄の民間人、だけでなく日本兵も、アメリカ兵も、朝鮮人も中国人も、その他の国の人々も戦争で亡くなった人の名前が刻まれている。ここは「お国のために」と死んでいった人たちを慰霊するだけでなく、戦争の犠牲になった全ての御霊を慰める所となっている。昨日6月23日は、皆で御霊を慰め、平和を祈る日であった。
 そんなところに安倍総理がやってきた。ありがたいこと、であるが、相変わらずとぼけたもの言いをしたようだ。総理の挨拶がネットのニュースに載っていた。

 安倍首相は来賓あいさつで「沖縄の方々には、米軍基地の集中による大きな負担を担っていただいております。基地負担軽減に向けて、確実に結果を出していく決意であります。」と話したが、辺野古移設については直接触れなかった。
 とのこと。辺野古に触れないということは。「これからも負担してね」ということのようだ。「国のためだ、沖縄は犠牲になれ」ということかもしれない。
     

 記:2019.6.24 島乃ガジ丸 →ガジ丸の生活目次