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ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

ちょいと良い季節

2011年01月03日 | 沖縄01自然風景季節

 今は2007年7月6日の朝、「サン、サン、サン、サン、サン、サン・・・」とサンサナー(クマゼミ)が激しく鳴いている。サンサナーは真夏のセミという印象を、私だけでなく多くのウチナーンチュが持っているはずだ。「サン、サン、サン」は「太陽、太陽、太陽」と言っているみたいにも聞こえ、「暑いぜ!」とつい思ってしまう。
  私の住まいや職場の周辺では、セミは先ず、シーミーグヮー(くろいわにいにい)の声から始まる。シーミーグヮーは清明小と書き、清明の頃に出てくるセミということ。その後、ナービカチカチ(りゅうきゅうあぶらぜみ)の声が聞こえるようになる。ナービカチカチは鍋の底を叩くような音という意味、鳴き声がそうだということ。ナービカチカチは梅雨明けの頃に出る。今年は早かった。6月15日に職場の庭に出現した。
 文献には、ナービカチカチは6月下旬から、サンサナーは6月中旬からとあり、サンサナーの出現が早いようであるが、私の印象ではサンサナーはナービカチカチの後である。サンサナーの声が聞こえると真夏である。死ぬほど暑い夏。
     

 このところずっと現場仕事が続いている。梅雨の頃は合羽を着ての肉体労働で、サウナスーツを着ての運動と一緒で、したたか汗をかいたが、私の肉体に対するダメージはそう酷いものでは無かった。梅雨が明けて夏となった。合羽を着ることは無いが、したたか汗をかく。沖縄の夏の直射日光は厳しい。肉体に対するダメージも激しくなる。
 私は身長が170センチある。5年前までは70キログラム近い体重だったが、粗食小食に加え毎日のちょっとした運動によって体重が徐々に落ちていき、3年前からはだいたい62キログラム前後となっている。その適正体重が、この時期、現場に出ると60キログラム前後となる。その体重で体脂肪率は12から14%となる。
 その数字だけ見るとカッコいい体型だが、実際はそれほどでも無い。旧日本人の骨格を遺伝している私は顔が大きく、脚が短い。「風采の上がらないオッサン」という表現がピッタリくる。顔デカ短足のオジサンはその上、加齢臭を持つ。去年まで、夏に現場仕事は年に2、3日あるか無いかであったのではっきり気付かなかったのだが、一ヶ月以上も現場が続いている今年は、加齢臭を確実に認識した。汗の浸み込んだシャツや作業着を洗濯して干す。それらが洗濯洗剤の匂いでなく、オジサンの臭いがするのだ。

 我が身の加齢臭を認識したからといって、私が落ち込んでいるなんてことは無い。加齢臭はたいした問題では無い。女性にもてなくなるということはあるかもしれないが、加齢臭のせいで仕事ができなくなるなんてことは無いからだ。問題は加齢臭では無く、体力の衰えである。10年前なら真夏の現場仕事も、そりゃあきついのに変わりは無かったが、ちゃんとこなせたのである。重いのを持ったり、穴を掘ったりの重労働も何とか一日もったのである。今はしかし、重労働に長時間耐えられない。30分動くと10分の休憩を必要とする。重労働そのもののせいでは無い。空に輝く夏の太陽のせいである。
  今のところはしかし、そうやって休み休み仕事をすれば一日の労働は何とかこなせる。家に帰ってビールを飲めば、元気が戻る。ナービカチカチの鳴く頃はまだ、木陰は涼しいし、夜も涼しい。沖縄の梅雨明けは夏至の頃である。その頃からしばらくは南風が吹く。南シナ海から10~15mの南西季節風で、これが涼しさを与えている。この、ちょいと良い季節は梅雨明けから7月の初め頃まで続く。今年はその時期が延びていて、昨夜も良い風が吹いていたし、今(7月6日の朝)も窓から風が流れ込んでいる。
 沖縄の、梅雨明けから10日間ばかりは、ちょいと良い季節となっている。この季節が終わるとあの恐ろしい「含み笑いの季節」がやって来る。
     

 記:ガジ丸 2007.7.6 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行


ムーチービーサ

2010年12月26日 | 沖縄01自然風景季節

 先週土曜日の1月7日は、倭国では七草の日で、七草粥を食う日のようであるが、その日は旧暦(太陰暦)でいうと12月8日にあたっていた。旧暦12月8日は、沖縄ではムーチーの日で、カーサムーチーを食う日である。
 ムーチーについては既に、去年の今頃に「沖縄の飲食」で紹介済みである。紹介しておきながら私は、その内容をまったく覚えていなかったので、どんなことを書いたのかと、その記事「ムーチー」を読みかえしてみた。
 馴染みの喫茶店のオバサンたちが、いかにいい加減であるかを改めて認識する。「ムーチーの日はだいたい2月」と彼女らは言っていたが、よく考えると、旧暦は新暦(太陽暦)の約1ヶ月遅れだから、旧暦12月8日は新暦の1月上旬から中旬になるはずだ。で、去年が1月17日、今年は1月7日が旧暦12月8日にあたった。

 ムーチーの日には気候を表す、ウチナーンチュの多くが知っているほどに有名な言葉もある。それは、ムーチービーサと言う。ビーサはヒーサが変化したもので、「寒さ」という意味。全体では「ムーチーの日からは寒さが厳しくなる」といったようなことを表している。ムーチーの日から10日前後で二十四節季の大寒となるから、その季節感はだいたい合っている。沖縄は概ね1月下旬から2月一杯にかけてが最も寒い。まあ、しかし、寒いといっても南の島のこと。倭国に比べれば、その寒さは屁みたいなものだろうが。
  そんな屁みたいな沖縄の寒さの中、ここ4、5年、あるいは5、6年間、着る機会の無かった革ジャンを押入れから出した。冬の寒い日にバイクに乗る時、冬の寒い日にキャンプをする時などに着るための革ジャンなのであるが、冬の寒い日にバイクに乗ったり、キャンプをしたりすることが、ここ4、5年、あるいは5、6年、私は無かった。寒さに立ち向かう元気が無かったのだ。若さが無くなったということなのであろう。屁みたいな寒さにも勝てなくなってしまった私は、北国にはきっと住めない。
 押入れから出された革ジャン、久々に娑婆の空気に触れさせようと思ったのだが、土曜日出かける予定が急にキャンセルになって、そして、翌日から沖縄は暖かくなって、革ジャン、出されたまま部屋の中で、どうしたもんかと壁に飾られたままなのである。
     
 →参考記事(鬼より怖い先公より怖い

 記:ガジ丸 2006.1.13 →沖縄の生活目次


季節の変わり目

2010年12月18日 | 沖縄01自然風景季節

 「新潟から山越え東進の旅」で、暑い新潟、暑い群馬を経、雨が降って、いくらかは涼しくなった東京から南の島へ帰った翌日、朝、寒くて目が覚めた。「何だって沖縄が寒いんだ。」と思いつつニュースを見れば、全国的に涼しくなったようである。
 10月から11月にかけては、沖縄でも季節の変わり目となる。日増しに日が短くなっていき、北よりの風が吹き、夜風朝風が肌寒く感じる。
 生物季節という言葉がある。広辞苑に「動植物界に見られる季節現象。開花、落葉、鳥の渡り、虫の発声など。」と説明されている。蝉の声が消え、秋の虫の声が大きくなり、町にトックリキワタの花が開き、畑にアキノノゲシが咲いた。秋ということである。
     

  生物の1種である私にもまた、私なりの生物季節がある。部屋の夜の気温が30度以下になり、夜ぐっすり寝られる。明け方にはタオルケットを必要とする。これが秋。タオルケットが毛布に替わると晩秋、毛布が布団に替わると冬、ということに概ねしている。私は毛布が肌に触れる感触が好きでないので、じっさいには、タオルケットから直接ふとんになるが、タオルケットでは寒く、布団では暑いという時期があって、それが毛布の季節となる。布団に毛布を重ねるようになると真冬となる。
 夏から秋、及び冬から春へと移る季節の変わり目の頃に、もう1つ私の生物季節の現象が現れる。右手を右から、左手を左から、頭皮の上を滑らすようにして髪の毛の中を通していく。両手がぶつかった辺りで、親指を除いた4本の指を互いにしっかりと組み合わせる。髪の毛が指と指の間に何本も挟まったまま手を頭皮から離す。その手を見ると、髪の毛がそのまま何本も挟まったままとなっている。髪の毛をティッシュに落とす。この動作を頭皮のあちこちで十数回繰り返す。そうやって抜けた毛は、ティッシュの上に黒い塊となる。季節の変わり目は、私にとって切なくも寂しい抜け毛の季節でもあるのだ。

 記:ガジ丸 2005.10.31 →沖縄の生活目次


秋は来(き)ぬ

2010年12月18日 | 沖縄01自然風景季節

 9月2週目の週末、10日辺りに台風15号が先島諸島を襲って、沖縄本島も強風圏に入った。さほど強い風では無かったのだが、九州を襲ったその前の週の台風14号に続いて、2週連続の強風圏となる。そのせいなのか何なのか、沖縄の季節が一つ消えた。
 9月11日からピタッと蝉の声が消えた。以来、昨日(23日)まで、首里でも宜野湾でも蝉の声はまったく聞こえない。9月になると確かにクマゼミもアブラゼミも数は少なくなる。が、でも、まだ消えるには早い。また、それらのセミの数が少なくなる頃にはクロイワツクツクが入れ替わるように現れて、ジーワ、ジーーーワと夏の終わりを告げてくれる。これが例年なのだが、今年は変。ちょっと早い蝉の季節の終わりである。
     

  吉田拓郎の古い歌に『夏休み』というのがあって、その歌詞の中に「ひまわり、夕立、セミの声」というのがある。「ひまわり、夕立、セミの声」が夏のものであることは、拓郎さんの故郷、広島でも、おそらく今住んでいらっしゃる東京でも、そして、ガジ丸が住むここ沖縄でも同じなのである。・・・たぶん・・・一昔前までは。
 8月19日付のガジ丸通信の記事「晩立」で書いたが、夏の風物詩の一つであると拓郎さんも認める夕立が、ここ数年来、あるいは十数年来、沖縄では少なくなった。それは、温暖化という地球規模での環境変化のせいだと思う。セミの声も、そのうち聞こえる時期が変わってくるかもしれない。ひまわりが、春の花になるかもしれない。

 と、ここまでは昨日(23日)書いた。壊れたパソコンの修復などに時間がかかって、最後まで書けず、アップできなかった。で、今、続きを書いているわけなんだが、
 朝9時から10時頃、クロイワツクツクの声が聞こえた。数は少ないが、近くにいる。タイワンシロガシラが、これは数日前からだが、しきりにさえずっている。彼らの恋の季節が始まったということ。そして、東北に面した台所の窓から北寄りの涼しい風が吹き込んでいる。これはまぎれもなく秋の風。ほんの一つか二つ小さな季節が消えたとしても、大まかに言えば、秋はちゃんとやってきた。
 今は午前11時。私の格好は相変わらずパンツとTシャツ姿だが、汗はかいていない。今日は晴天。よって、午後には陽光が差し込み暑くなるだろう。汗を滲ませるであろう。外に出て畑仕事をしたならば、汗が滴り落ちるであろう。でも、今、窓から吹く風は秋の風。秋の匂いが間違いなくする。したがって、沖縄は、今日から秋です。
 というわけで、前半の内容は「消えた季節」だが、タイトルは「秋は来ぬ」。

 ※国語の苦手な友人がいるので、彼のために注釈。
 「秋は来ぬ」の「来ぬ」は「こぬ」と読むと否定形になり、「秋はこない」ということになるが、「きぬ」と読むと「秋がきて、今は秋」と完了形になる。友人は画家であり、感性はいいのだが、唱歌の「夏は来ぬ」を未だに「夏はこない」と解釈している。

 記:ガジ丸 2005.9.24 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行


含み笑いの季節

2010年12月18日 | 沖縄01自然風景季節

 昨日7月22日は旧暦の6月16日、16日だが月齢はおよそ15日であり、晩夏の満月であった。雑談「オヤジ達の黄昏船遊覧」に書いたように、煌々と輝くでっかい満月を私は半覚半睡の中、見るには見たが、面倒臭がって写真は撮らなかった。
 昨日の夜から沖縄は季節(一般に認められたものでは無い。ガジ丸が感じる季節)が変わった。そう感じたのを証明するかのように今(午前7時)、やかましく鳴いているのはクマゼミばかりで、アブラゼミの声はほとんど聞こえない。ついにこの季節が来たかと思い、昨夜はシークヮーサー酒を飲んで、いつもより早めに酔っ払って、いつもより早めに寝た。就寝時間はたいてい12時を過ぎるのだが、昨夜は10時過ぎとなった。
  夜中、寝苦しさに何度か目を覚ましつつも、早めに寝たせいで今朝の起床は5時過ぎ、まだ未明。十六齢の月は西の空にあった。前夜ほどの輝きは無かったが、一応写真を撮っておく。「オヤジ達の黄昏船遊覧」の中で未明3時頃と書いたが、それは間違いで、月が西の空に輝くのは5時過ぎであった。朝日が昇るまでまだ1時間ほどあり、空は暗い。電線の上に2羽の、たぶん夫婦の、たぶんズアカアオバトが、寝ていた。
 5時過ぎの気温、一日のうちで一番低いと思われる時間だと思うが、私の部屋の気温は32度、トイレ行ったり、カメラを取りに行ったりの数分で汗をかく。写真はベランダに出て撮ったのだが、外も暑い。写真を撮る作業でさらに汗をかいてしまった。
     

  風は、そよ、とも吹かない。風鈴(あー、まだ新しいのを買っていない)のヒラヒラがピクリとも動かない、これがこの季節の特徴。台風か、なんかの拍子で気紛れに風は吹くこともあるが、概ねこれからしばらくは、この暑く無風の季節が続く。この季節のことを私は、「含み笑いの季節」と名付け、そう呼んでいる。無風の季節、ムフッ。
 この日の夕方、部屋の気温は37度あった。8月にはもっと暑くなる。どこまで上がるのかと思うと何だか期待する気持ちにもなってくる。40度をきっと超えるだろう。その時にはまた写真を撮って、「どうだ、参ったか!沖縄はこんなに暑いんだ」とHPで紹介したいと思う。参ってしまうのは自分なんだが、・・・なんとも。
     

 記:ガジ丸 2005.7.23 →沖縄の生活目次