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ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

子作りの季節

2010年12月18日 | 沖縄01自然風景季節

  ゴールデンウィークが終わる頃、概ね5月5日頃から沖縄は梅雨の季節となる。沖縄の梅雨の季節は、その始まりの頃も覚えやすいが、終わりの頃もまた覚えやすい。ウチナーンチュにとっては平和を願う大切な日、条例で県民の休日ともなっている6月23日、慰霊の日(詳しくは次回に)の頃が、概ね沖縄の梅雨の明ける頃である。
 梅雨明け1週間前にして、ここ数日、豪雨が続いている。滝のようなとか、バケツをひっくり返したようなとかの形容があるが、ジーパン穿いて外に出ると、十数秒でパンツまでびしょ濡れになるような 激しい雨、と私は表現しておこう。

 今朝もそんな豪雨が降り続いていた。アパートの階段は流れの速いカスケードと化し、靴が濡れる。車のドアを開け乗り込むまでのほんの短い時間に、肩口からズボンの裾までが濡れる。車の中にも雨が入り込む。濡れた場所をタオルで拭いて、呼吸を整えて、車を走らせた。
 雨はフロントガラスを激しく叩く。ワイパーを強にしないと落ちてくる雨の勢いに勝てない。水しぶきで前方がぼやけている。道路のあちこちで水が溢れている。それでも、運転に危険は少ない。速く走れないからだ。10時過ぎという時間帯にも関わら ず、渋滞しているのだ。宜野湾市にある職場までは、片道およそ30分くらいなのだが、今日は倍の1時間もかかってしまった。
 職場まであと数百メートルの辺りに小さな川がある。その川に漫々と水が流れているのを、私は、もう15、6年もこの道を通っているが、初めて見た。川の水は南から北へ流れているのだということも今日始めて知った。水は、赤土色に染まって凄まじい勢いで流れていた。

 梅雨に入ってから一ヶ月余り、しばしばカラ梅雨となって夏の水不足を招くことも多い沖縄なのだ が、今年の梅雨は雨が多い。水源であるダムの全てが今、満杯となっていることだろう。そんな中、ほんの数日あった梅雨の晴れ間に、虫たちの交尾する姿を見た。虫たちにとってはこの時期が子作りの季節みたいである。私がすぐ傍に近付いても逃げようとしない。彼らにとって我が命よりも子孫を残すことが大事なのかもしれない。それは、太古より連綿と続くDNAの成せる技なのかもしれないが、あっぱれ!と思った。先週の土曜日、今年初のセミの声も聞いた。
     
     
     
     
     

 記:ガジ丸 2005.6.17 →沖縄の生活目次


子育ての季節に

2010年12月18日 | 沖縄01自然風景季節

  今(5月22日午後4時)、ズアカアオバトが相変わらずの上達しない尺八を吹いている。窓の外を見ると、道向いの2階建ての屋上にあるテレビアンテナの上に1羽いる。おそらく、この間まで一所懸命子育てをしていた奴。雛と雌親のために餌を運んでいた雄親と思われる。彼が今いるところから巣のあったナンヨウスギまでは10mほど。そこへ行かないということはもう雛は巣立ったのであろう。お父さんは頑張って、自分の責任を果たしたというわけだ。
 近所にあったメジロの巣、職場のメジロの巣にも もう親鳥たちは近付かない。彼らも既に、親の責任を果たしたのであろう。東風平の畑にあったヒヨドリの巣を見つけたのはもう一ヶ月以上も前の話なので、その雛もとうに巣立っていることであろう。
     
     
     

 そんなこんなで、鳥たちが子育て終えてホッと一息ついている頃、私はしかし、まだ私の子供ともいうべきものを育てるのに四苦八苦している最中にある。
 子供というのはこの「ガジ丸の島」。新HPソフトでのページ刷新に着手したのは5月5日、ページそのものの移動は面倒なことではなかった。まあ、量が多いので時間はかかった。それでも3日後の日 曜日には概ね、7割方といったところは終わって一安心していた。ところが、職場のパソコンから「ガジ丸の島」を覗いてみたら多くのページがどこか変。新旧ソフトの間には、どうやら書式か何かに違いがあるようで、望んでいる形になっていないのであった。
 以来、平日は2、3時間、週末は5、6時間を費やし、参考書片手に原因を追求し、その修復に励んだ。「HTMLソース」なるプログラムみたいなものにも手を伸ばして、あーでもない、こーでもないと試行錯誤しつつ、少しずつ、「何がどうだからこうなっているんだ」ということも理解しつつ、前進して いる。が、全てが自分の望む形になるまではまだ遥かなる道。
 たぶん、慣れている人にとっては何てことも無いことで、「ちょっと貸してみろ」と言って、ちょちょいと数時間程度で済ませてしまうかもしれない。だが、オジサンは、このくたびれた脳味噌ではあるが、「何でこうなるの?」ということを理解したいのである。とーーーっても遠回りしているかもしれないが、聞けば簡単にできることを、他人に頼らず自分の力で何とかしようとするのは、多くのオジサンの特徴らしい。私も端から見ればきっと、頑固親父なのであろう。
  ここんところ、平日も夜中12時近くまでパソコンに向かっていて、寝るのは1時過ぎとなっている。日ごろ7、8時間の睡眠を取っている自分には睡眠不足の日々が続いている。朝寝坊して、雲子ができない日が先週は2回もあった。1週間で2回なんて前代未聞のこと。「知る」ことは概ね易しいが「解る」ということは概ね難しい。「解る」は楽しいけれど、なかなか疲れることである。
     
     
     

 記:2005.5.22 ガジ丸 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行


恋の季節

2010年12月18日 | 沖縄01自然風景季節

 先週土曜日(12日)は休日出勤(しかも、1時間のサービス残業付き)となった。全国的にも寒かったようだが、沖縄も、とても沖縄の3月とは思えない寒さとなり、その上、小雨ではあったが終日冷たい雨が降った。そんな中、仕事は現場作業。穴掘ったり、重いもの担いだりの力仕事。体は大いに疲れ、大いに冷えてもしまった。
 その日の夜は模合(モアイと読む。頼母子講のようなものだが、実質的にはただの飲み会)があって、疲れて、冷えた体を癒すために、泡盛のお湯割をたらふく飲む。疲れた体にたらふくの泡盛は効いたらしく、翌日は二日酔い。頭痛いし、体だるいし、寒くもあったので、トイレ行ったりお茶沸かしたり以外は布団の中。午前中は動けなかった。
  月曜日も現場、天気は一転晴れ。風は涼しいが、日向は暑い。力仕事で汗をかく。休肝日を返上して、その日はビール1缶と泡盛の水割りを数杯飲む。
 以後、気温は日増しに上昇し、沖縄も春本番となった。朝、家の周りの鳥たちがうるさく鳴く。シロガシラもヒヨドリもウグイスもキジバトもみな恋の季節となり、しきりにさえずる。ここは世界の中心では無いだろうが、彼らはみな大声で愛を叫んでいる。
 木曜日も現場となった。力という意味では月曜日よりは楽な仕事だったが、月曜日よりずっと気温は高く(最高気温25度を超えた)、一日快晴で、陽射しも強かった。汗は月曜日の倍以上かいた。家に帰って、ビール2缶とワイン1本を飲む。
     

 恋からはとんと遠ざかっているオジサン、鳥たちにとっては恋にどっぷり浸かれるこの暖かい季節は、建設関連会社に勤めるオジサンにとっては毎年、現場作業に数日は駆り出される季節である。年毎に現場作業が辛く感じるようになり、2日現場が続くと、体のあちこちが筋肉痛になる。特に腰に重みとだるさを感じるようになる。「歳だなあ。」と思う。鳥たちにとっての恋の季節は、オジサンにとっては老いの季節となっている。
 オジサンの老いの季節は、老いを忘れるために、酒に浸る季節ともなっている。この時期、畑からキャベツ、セロリ、シマラッキョウ、枝豆と、この先6月まで野菜が楽しめ、これから海のものも食卓に上るようになる。海藻類、貝類の季節が始まる。
 沖縄では旧暦3月3日は女の行事、ハマウリ(浜下り)である。ハマウリは女たち(今は男女関係なく)が海に入って、近場で取れる海藻類、貝類を収穫する行事。今年のハマウリは4月11日に当たる。ハマウリについては、その日が近くなって、あるいは、ハマウリに私が参加する機会があれば、その後に詳しく紹介しましょう。

 記:ガジ丸 2005.3.18 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行


強力な寒さ対策

2010年12月18日 | 沖縄01自然風景季節

 「さぶい!!」と叫びたくなるほど寒い。金曜日(4日)から冷え始め、昨日さらに寒くなり、そして今日もまた寒い。3月になったというのに今期一番という寒さだ。昨季一度も無かった10度未満という気温。例年でも気温が10度を切るなんてことは1日あるかないか、多い年でも片手で数えるほどしか無いというのに、昨日、今日と2日連続の気温9度。そんな中、「さぶい!!」と叫びつつ、お昼前、気合入れて散歩に出た。
 1月から5月にかけて、・・・もう少し丁寧に述べましょう。1月15日から5月5日まで、沖縄では花のカーニバルという催し物が行われている。観光客の少ない冬場に客を呼ぼうとの意図でもあるが、実際この時期、本土に比べるとはるかに多くの花々が沖縄では咲いている。カエンボク、コガネノウゼン、アカバナイペー、キワタノキ、シャリンバイなどがもうそろそろ咲く時期となっている。散歩の途中でそれらの花を見つけたら撮ってやろうと思い、ポケットにはデジカメを入れてある。
 その日の散歩道にはカエンボク、コガネノウゼン、シャリンバイがあったが、花にはまだ早いようだった。花の写真は1枚も撮ることができなかった。花の写真は取れなかったが、街路樹のウナズキヒメフヨウの刈り込みの傍、車道側にポツンと立っているウグイスがいた。ウグイスは何か考え事でもしていたのか、近くに寄っても逃げなかった。
     

  さて、ウグイスの写真1枚が収穫となった寒風中の散歩は約1時間半。体が温まるかと思ったが、寒風に晒されて却って冷えてしまった。家に帰って一服していると、寒さが、朝よりきつく感じるようになった。家にはごく小さな電気ヒーターしかない。部屋を暖める役には立たない。座っていると体が震えてくる。記事書きはしばし中止。
 布団乾燥機は強力な暖房器具ではあるが、寝る時にしか使えない。でも、私には昼間でも役に立つ強力な寒さ対策がある。その場駆け足である。部屋の中で走る。1、2、3、4と数えながら走る。片足600歩、両足で1200歩を走る。この日はそれを1時間おきに3回やった。前日の土曜日も3回やった。2日間で計7200歩を走った。1歩が1mとすると7200m走ったことになる。体は温まるし、運動にはなるし、私の強力な寒さ対策は一石二鳥の、まったくもって良い方法だと思うのだが、友人たちに薦めても誰も真似しようとはしない。減量にもいいのだが、太ったMにも無視されている。

 記:2005.3.6 ガジ丸 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行


トタン屋根の上の太鼓叩き

2010年12月17日 | 沖縄01自然風景季節

 先週の土曜日から暖かい日が続いている。今日(29日)も暖かい。部屋の中では半袖のTシャツ姿でいられる。今、私はズボンも脱いで、半袖Tシャツとパンツ(トランクス形)姿でこれを書いている。机は西向の窓の傍にあるので、西日がガンガン当る。天気予報では一日曇りの予想であったが、空に雲は少ない。少し汗ばんでしまっている。
 去年も沖縄は暖冬だったが、今期の冬も概ね暖冬。大晦日から3週間ばかり寒い日が続いたが、寒いといっても沖縄のこと。その間、羽毛ふとん1枚で夜を過ごせた。去年数日間は必要だった毛布をまだ出していない。同じく去年、数日間は役に立った厚手のブルゾンやセーターの類もまだ押入れから顔を出していない。やはり、暖冬なのだ。
 昨夜は、ワインを飲んだ。貰い物のボジョレーヌーボー、飲み遅れてしまった。1月の末のボジョレーはもうすでにヌーボーでは無かったかもしれない。これはしかし、暖冬のせいでは無く、私がボーっとしていたせい。単に忘れていたせい。

  年末ジャンボ宝くじを年末(当然だが)に10枚買った。まだその当選番号の確認をしていない。年末で新聞を止めてしまい、確認ができずにいる。同じ理由で、お年玉年賀はがきもまだ確認していない。これらも暖冬のせいでは無く、私がボーっとしているせい。昨日、ネットで両方の当選番号を入手した。当選番号はこのパソコンの中にエクセルで保存した。しかし、当選番号のこと自体を忘れていて、まだ調べていない。今、これを書きながら思い出した。はて、だが、さて、買った宝くじはどこに置いたっけ。
 このように私がボーっとしているのは、私個人のせいでは無く、冬でも暖かい沖縄のせいであろう。ウチナーンチュが概ね私のようにボーっとしているのは、これもやはり、そんな環境のせいだと思う。30分くらいの遅刻は遅刻に入らない。郷に入っては郷に従えというように、沖縄に来た倭人も、遅刻くらいでガタガタ言わないで欲しいものだ。
     

 さて、しかし、この沖縄も昔は今よりも寒かった。子供の頃は家に石油ストーブやコタツや火鉢があり、冬の間それらは大いに活躍していた。セーターも厚手のジャンパーも今よりずっと着る機会が多かった。手には霜焼けができた。寒い冬だった。
 寒いとはいっても南国のこと、雪の経験は無い。が、しかし、稀にではあったが、霰は降った。子供の頃、屋根の一部はトタンであった。霰が降るとそのトタン屋根がパラパラと硬い音をたてる。めったに無いことなので、子供ははしゃぐ。トタン屋根がパラパラ音をたてると寒さも構わず窓を開け、手を伸ばし霰を掬う。霰は手に落ちた瞬間に水に変わったが、手に当たる霰の感触は心地良かった。「冷たいね、寒いね」と言いながら。

 記:ガジ丸 2005.1.29 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行