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ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

折々の花その1(春)

2011年01月06日 | 沖縄01自然風景季節

  私の実家は那覇市の市街地にあり、近辺の家々の多くが、敷地が狭く、庭らしい庭のある家は少ない。よって、周りに緑は少なく、実家はコンクリートとアスファルトに囲まれていると言っていい。そういった環境が私は好きでなかった。が、長い間、定職が無く貧乏だったため、独立することができず、実家に住まわざるを得なかったのであった。
 15年ほど前に定職を得て、何とか独立できるほどの収入を得られるようになって、今のアパートに移ることができた。ちなみに、独立できるほどの収入を得たといっても、余裕があるわけでは無い。”貧乏”が”やや貧乏”になっただけ。都心のマンショ ンどころか田舎のマンションも無理で、家賃3万円のボロアパートを選ぶしかなかった。

 話はちょっと逸れるが、「私は本当に貧乏か?」と思って、日本のサラリーマンの平均年収をインターネットで調べてみた。2005年度の統計データがあって、サラリーマンの平均年収は436万円とのこと。都道府県別の1位は東京都で601万円、沖縄は46位で343万円(最下位は青森で335万円)となっていた。46位沖縄の平均年収の、私は約6割ほどの年収しか無い。なので、貧乏と言っても差し支えなかろう。
 
 さて、「家賃3万円のボロアパート」は首里石嶺に所在する。首里石嶺は那覇市ではあるが、つい40年ほど前までは所々にサトウキビ畑が残っている田舎であった。今でもその田舎臭さが少し残っていて、近所にも昔名残の畑がいくつもある。また、田舎なので、家々の敷地が実家のある那覇の都心部に比べ広い。あるいは、敷地が狭くても樹木に対する愛着の深い人が多いのか、猫の額ほどの庭でも木を植えてある家が多い。なので、今の住まいの近辺は実家に比べて数倍も緑が多い環境となっている。
  貧乏オジサンのボロアパートには畑がある。6坪ほどの小さな畑だが大いに役立っている。そして、アパートの周りには緑が多い。駐車場周辺にはクロキ、ネズミモチ、オオムラサキシキブ、ヒカンザクラ、ニンニクカズラ、アリアケカズラ、シマグワ、テッポウユリなどがあり、私の部屋の隣は大家の庭となっているが、そこにはアカギ、ピンクダチュラ、ヤドリフカノキ、トベラ、カイエンナット、ハリツルマサキを見ることができる。

 このホームページを開設して3年と8ヶ月になる。この間、500種近くの植物を紹介してきた。紹介 はしているが、しかし、それらの多くは自分の目でじっくり観察しての紹介では無く、文献から得た知識に頼っているので、名前については500種の内、8割方は記憶に残っているが、個々の性質については、逆にその8割方を忘れている。
 ところがである。名前だけでも記憶に残っていることが、少々心の余裕になっているみたいで、この頃は、花の咲く時期について気を留めるようになった。私は常々、将来は風流を解するオジーになりたいと願っているので、それは嬉しい事である。
 「おー、もうトベラの咲く季節になったか、虫たちの季節になったんだな。」などと、杖をついて、花を 見上げながら独り言を言うのだ。カッコイイと思う。

 3月になって、トベラの花が咲き、その周りをハチが飛び回るようになった。4月にはネズミモチの花も咲いて、そこにも虫たちが集まった。同じ頃、職場のサンゴジュの花が満開になって甘い香りを漂わせた。5月には部屋のベッドの傍の窓からさらに甘い匂いが漂ってきた。ピンクダチュラがたくさんの花を咲かせていた。ゲットウやテッポウユリも良い香りを放つ。5月の晴れた日、それらの白い花が、太陽の下で輝いていた。
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     
     

 記:ガジ丸 2008.6.1 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行


自然の音楽

2011年01月06日 | 沖縄01自然風景季節

 旧暦4月から5月(今年は5月5日が旧暦4月1日)頃のことを沖縄では若夏と言う。若夏の頃は梅雨(沖縄では概ね連休明けから6月20日頃まで)でもあるが、晴れた日は爽やかだ。窓を開け放していれば気持ちの良い風が入ってくる。薄手の毛布1枚か厚手のタオルケット1枚を掛けてちょうど良い。気持ち良く眠りに入ることができる。
 気持ちの良い中、このまま朝までぐっすり寝たいのだが、しかし最近、明け方に目が覚めることが多い。近所の鳥たちもこの季節は気持ちいいみたいで、明け方から煩く鳴く。で、目が覚める。まだ日の出てない時刻だ。その時刻に、特に煩い奴がいる。

 奴は4月の初め頃から煩く鳴いていた。その声はきれいなんだが、2、3秒のフレーズを果てしなく繰り返すので煩く感じる。彼は空が白み始めると共に鳴く。で、私は空が白み始めると共に目覚めさせられる。5時頃だ。当然、寝たり無い。少し腹が立つ。
 「お主、いったい何者?」と思う。正体を暴いてやろうと長年押入れに仕舞い込んでいたフィールドスコープを取り出し、ある日の休日、声の主探しをやった。
  声の主は、私の部屋の真向かいにあるナンヨウスギと、部屋のすぐ傍にあるトベラとの間を行ったり来たりしている。トベラよりもナンヨウスギにいる時間が長くて、トベラはまた、葉が茂っていて、声の主の正体が見づらい。で、スコープは向かいのナンヨウスギに照準を合わせた。そして、午後になって、声の主を捉えることができた。
 声の主はメジロであった。じつは、それより数日前にトベラから声が聞こえ、そこにメジロを発見し、その写真を撮ってあった。しかし、メジロはチーチーとかピーピーとか鳴くものと覚えていたので、その時は、声の主がメジロという確信を持てなかった。おそらく、そのメジロは雄で、その煩い鳴き声は囀(さえず)りなのであろう。

  東の空が白み始めた時刻からメジロが大声で歌う。あんまり煩くて、しかも長時間ひとところで鳴くので睡眠妨害となっている。それから20~30分経つとタイワンシロガシラが加わる。これもまた声が大きいので煩い。スズメも朝から鳴いているが、これはたいした音量では無い。ヒヨドリもやってくる。タイワンシロガシラと同程度の音量で、しかも彼らの声はギャーギャーといった叫び声なのでとても煩い。幸いにも、ヒヨドリはお寝坊さんみたいで、朝早くからはやってこない。
 その他、煩いとは感じないが、ウグイス、イソヒヨドリ、キジバトの鳴き声も聞こえてくる。遠くからニワトリの鳴き声も聞こえる。

 煩くて、朝早く起こされるのは迷惑なんだが、周りに鳥の鳴き声が多いというのは良い環境なのだと思う。周りには鳥に限らず、夏になればセミが騒ぐし、虫の声も多いし、湿った日には蛙の声もよく聞こえる。家の中にはヤモリがいて、時々鳴く。
 『ふらここ』のまりこさんがブログに、『鳥に教わったもの』という題で「人間が鳥から教わったものがある。音楽とファッションとダンスだ。」といった内容のことを書いている。そうだ、確かに私は教わっている。鳥だけで無く、虫や風や葉擦れの音などからきっと自然の音楽を教わっている。だから、私の作る曲は田舎臭いのだ、たぶん。
     
     

 記:ガジ丸 2008.5.6 →沖縄の生活目次 →音(鳥たちの声)

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行


南下するカラス

2011年01月06日 | 沖縄01自然風景季節

 4月中頃の明け方、ネコの唸り声に目が覚めた。時計を見ると、まだ6時前であった。二匹の声がする。代わる代わる唸っている。どうやらケンカしているみたいである。声がごく近いので、あんまり煩くて目が覚めたのであった。
 ベランダにいたネコを追い出すために、まだ寝たり無いのではあったが、起きてしまった。夜中、小便で起きることはあるが、朝の6自前に起床なんて久々のこと。

  『沖縄の動物』の中で既にカラスを紹介しているが、そこで、「沖縄島では嘉手納以南にカラスはいない」と書いた。しかしその後すぐに、友人のTから「末吉公園でカラスの鳴き声を聞いているし、うちの近所の識名霊園でも聞いている。」と話があった。
 去年の夏、現場仕事で南城市に行った際、その昼休みにカラスの鳴き声を聞いた。一緒にいた年配の人が「はぐれカラスだ。」と言い、「南部にカラスは少ないが、時々はぐれもんがいるみたいだ。」と続ける。それから3、4ヶ月後、同じく南城市の別の場所で、ついにカラスの姿も発見した。はぐれもんは増え続けているみたいであった。
 今年4月の中旬、家から近いバス停でバスを待っている時に、近所では初となるカラスを見た。そして、ベランダでネコ共が唸りあっていた日、

 久々に早起きして、のんびりした時間を過ごしていた。のんびり朝飯を作り、のんびりテレビを観ながらのんびり食べていたその時、アー、アーという鳴き声を聞いた。素早く窓の外を見る。アパートの上空を西の方面へ飛んでいく1羽のカラスがいた。
 カラスはついに、私の住まいの傍までやってきたようだ。カラスもチャレンジャーなのである。知らない街へ行きたがるようである。那覇の街もやがて東京みたいに、カラスに悩まされることになるであろうと予感された。

 窓からカラスを見た時には、写真を撮る暇も無く、音を録る暇も無かった。先週、首里にドバトがいるかどうかを確認するために末吉公園を散歩した。その時、ヒヨドリのけたたましい鳴き声を録音していたら、カラスの声が入った。その姿も少し見えた。カラスはここでも1羽だけであった。旅烏はどうやら、独りが好きみたいである。
     

 記:ガジ丸 2008.4.29 →沖縄の生活目次 →カラスの鳴き声「Bengadake1karasu.MP3」をダウンロード

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行


減り続ける農地

2011年01月06日 | 沖縄01自然風景季節

 友人のHから電話があって、「息子が面接試験のレポートを出さなければならない。題は『3億円あったらどう使うか』で、お前ならどう書く?」とのこと。
 「そりゃもう、当然、貯金。使い道はゆっくり考える。」と答えると、
 「ゆっくり考える時間を与えられているレポートなわけさあ。ゆっくり考えてどうするか?ってことよ。お前ならどう書く?」
 「ほう、ならば、俺にもゆっくり考えさせろ。」と電話を切る。

 「あんなこといいな、できたらいいな。」なんて、私はドラエモンの物語のように妄想癖のある人間だが、3億円あったらなんて過去に考えたことは無い。私の妄想が3億円には及ばないのである。1千万円くらいならあったかもしれない。

 さて、3億円。もしも3億円あったなら、私は農業をする。
 農業従事者の高齢化と後継者不足によって、沖縄には休耕地が多くある。それらの価格を調べると、本島南部で、だいたい30000円/坪、北部だと、だいたい10000円/坪。
 自分一人が生きていく分なら300坪あれば良いが、産業として成り立たせるほどの規模にするなら、その10倍、3000坪は最低必要だと考える。
  本島南部の農地3000坪を購入する。それだけで1億円はかかる。残りの2億円は、その他、もろもろの設備投資、向こう数年の運転資金などに使われる。
 そして、農業体験のツアーを企画する。
 「シマラッキョウを作ってみませんか?」ツアー
 「ゴーヤーを作ってみませんか?」ツアー
 「自分専用のシークヮーサーの木、持ちませんか?」ツアーなどなど。
 それによって、多くの人が農業に興味を持つ。すると、自給自足からほど遠い、日本の危うい食糧事情についても考える。そして、いつか、その人達の中からプロの農夫となるものが多く出てくる。そうなれば、日本に田畑が増えて、自然環境も良くなり、食料自給率も高くなる。安全でエコロジーな日本国となる。めでたしめでたし。
     

  沖縄の農業についてちょっと調べてみた。2005年までの資料があった。その15年前、1990年に4万7千ヘクタールあった農地が、2005年には3万9千ヘクタールに減り、5千8百ヘクタールだった酪農地は逆に、6千4百ヘクタールに増えている。沖縄でも、年を追うごとに穀物野菜の生産は減って、肉の生産は増えているみたいである。先週観た映画『いのちの食べかた』で大量生産されていた牛を思い出す。
 農家の数にいたっては激減している。1970年、6万戸あった農家が、1990年には3万8千戸、2005年には2万4千戸にまで減っている。全国的にも農家数は激減しているが、沖縄のそれは全国平均に比べても著しい減り方となっている。
 農林業で働く人の数はさらに激減している。1970年、9万8千人、1990年、5万4千人、2005年、2万7千人だ。この15年で半減している。

 食は生きる基本だと思う。他国におんぶや抱っこではいけないと思う。自給自足に近付くよう、地産池消で沖縄の日常の食事が賄えるようになって欲しいと思う。沖縄に田園風景が増えることを望む。3億円あったら、微力ながらそれに使いたい。
     

 記:ガジ丸 2008.4.14 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行


沖縄の冬の心地良さ

2011年01月06日 | 沖縄01自然風景季節

 子供の頃の私は「なんぎ(難儀)」が口癖の怠け者(いくらか良くなってはいるが、今でも多少そうである)で、したがってヤーグマイ(家籠り)することが多く、出不精であった。ヤーグマイ好きについては今もほとんど変わっていない。
 出不精の私は旅行にも興味が無く(今は好き)、高校の修学旅行にも行っていない。合宿やキャンプで久米島や慶良間諸島には行ったが、沖縄県からは離れていない。
 私が始めて沖縄(島では無く、県)を出たのは19歳の冬であった。大学受験のために東京へ行った。初めて飛行機に乗り、初めてモノレールに乗り、初めて電車にも乗った。初めて雪を見て、初めて厚手のセーターに厚手のジャンパーを重ねて着てもなお震えるという寒さを味わった。2月の東京は寒かった。
 もう一つ初めてがある。その時、西日暮里に住む友人Kのアパートに1泊した。その部屋に入る前にKが言う。「ドアノブ、触ってみ。」と。で、触る。ビリッとする。ビリッとする静電気を経験したのもこの時が初めてであった。
 小学生の頃、プラスチックの下敷きを擦って髪の毛を立たせたりして遊んだ、あの楽しい静電気が、東京の冬では自然に発生し、しかも、不快なものとなっていた。
 その後、面白いもの見せると言ってKが部屋の電灯を消した。そして、着ているセーターを脱いだ。彼の体から火花が飛び散った。静電気を目で見たのも初めてだった。

  今、1月の下旬から2月上旬にかけてが沖縄の最も寒い時期となっている。これを書いている1月19日、午前10時の気温は15度、まあ、沖縄の冬の気温だ。まれに10度くらいになったりするが、厚手のセーターや厚手のジャンパーを着る機会は、沖縄では滅多に無い。それらの2つを重ね着するなんてことは、私は1度も無い。
 私の部屋には優秀な暖房器具が無く、隙間風が吹き込み放題なので外の気温とほぼ変わらない。なので、外から帰ってきて、外出着のまま部屋で過ごすことができる。
 沖縄の冬は、つまり、厚着の鬱陶しさが無い。寒い外と暖房の効いた室内とを出たり入ったりして、コートを着たり脱いだりの面倒が無い。沖縄の冬は楽なのである。

 さて、静電気の大嫌いな倭人には朗報である。ビリッときて、イライラする静電気が沖縄には発生しない、と断定していいのかどうか分らないが、少なくとも私はそのような経験が無い。よって、静電気の不快さから逃れたい人は沖縄へいらっしゃい。
 晴れた日には半袖で過ごせ、寒い日でも薄手のジャンパー1枚で凌げる。したがって、厚着の面倒が無い。そしてまた、鬱陶しい静電気も無い。沖縄の冬は心地良いです。
     

 記:ガジ丸 2008.1.19 →沖縄の生活目次