どうしても時代の風は、吹くし、私たちは、その風に吹かれる。
・・と始めると、うん??なんだ??でしょうが、大したハナシではない。
偶然、ボラさんの郷里の団地を造る時、大きな影響を与えた方の名前が、福祉亭の厨房での会話であがる。
有名人とは言わないけれど、でも、その時代に新しい街を造る時のベースとなる考えを出されている。
その方と1・2年職場を同じくされたというスタッフさんが、福祉亭におられる。
今は、もう解散してしまったけれど、NPOセンターがこの街にあった時も、話題に上がった団地造成に携わったご同僚がスタッフとしておられた。
多摩NTにも、知る人ぞ知る・・ハナシは、いろいろ。
興味は尽きない。
でも、どれだけの方が、NT建設計画の立ち上げからのハナシをご存知で、この街に住まわれているのだろう。
福祉亭を始める前から、NTで暮らしているワタシも、街の最初期のハナシを知ったのは、福祉亭開設からご一緒しているスタッフを通して。
街を風景としてみている間と、街の歴史を知って住まうのとでは、街そのものの立体感が違う。
そして、そんな街で、昭和を駆け抜けてこられたみなさんが、年齢を重ねて、なお、この街に住まわれている・・という今という時代。
ご縁という言葉は、あるけれど、街と街を行き交うみなさんの姿の向こうにある昭和という時代の影を陽ざしの中で追ってしまう。
福祉亭と一緒に歩いて来た20年と、これからの福祉亭の姿。
あまりの非力さで、できたことは、少なく。
福祉亭という場で、日々やり続けていることに、なにか街と福祉亭の未来の姿に通じるようなものがあるのかどうか。
たまには、考えてみると、何かが変わるかな。
・・と始めると、うん??なんだ??でしょうが、大したハナシではない。
偶然、ボラさんの郷里の団地を造る時、大きな影響を与えた方の名前が、福祉亭の厨房での会話であがる。
有名人とは言わないけれど、でも、その時代に新しい街を造る時のベースとなる考えを出されている。
その方と1・2年職場を同じくされたというスタッフさんが、福祉亭におられる。
今は、もう解散してしまったけれど、NPOセンターがこの街にあった時も、話題に上がった団地造成に携わったご同僚がスタッフとしておられた。
多摩NTにも、知る人ぞ知る・・ハナシは、いろいろ。
興味は尽きない。
でも、どれだけの方が、NT建設計画の立ち上げからのハナシをご存知で、この街に住まわれているのだろう。
福祉亭を始める前から、NTで暮らしているワタシも、街の最初期のハナシを知ったのは、福祉亭開設からご一緒しているスタッフを通して。
街を風景としてみている間と、街の歴史を知って住まうのとでは、街そのものの立体感が違う。
そして、そんな街で、昭和を駆け抜けてこられたみなさんが、年齢を重ねて、なお、この街に住まわれている・・という今という時代。
ご縁という言葉は、あるけれど、街と街を行き交うみなさんの姿の向こうにある昭和という時代の影を陽ざしの中で追ってしまう。
福祉亭と一緒に歩いて来た20年と、これからの福祉亭の姿。
あまりの非力さで、できたことは、少なく。
福祉亭という場で、日々やり続けていることに、なにか街と福祉亭の未来の姿に通じるようなものがあるのかどうか。
たまには、考えてみると、何かが変わるかな。
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