台湾からの留学生だった余さんが、来訪。
博士論文のテーマも、福祉亭。
福祉亭のそれまでの、感覚的な利用実態を、
キチンとデータで裏付けてくださった。
その作業は、その後、数年経っても、変わることのない貴重なデータ。
ワタシたちは、そのデータのおかげで、
ジブンたちの感覚的なとらえ方が、ほぼ間違いのないことと知ることにもなった。
福祉亭開設当初から、福祉亭の「意味」の数値化ができれば・・と、言われつつ、
ワタシたちの手では、できなかった作業。
そして、その後、やっぱり同じように、修士論文として、福祉亭を題材にしてくださった学生さんたちもおられた。
どの出会いも印象的。
そして、さらに、できあがった論文は、思考の未熟さも含め、それぞれ、福祉亭の「客観視」となるものだった。
学生さんたちとの交わりは、おもしろく、繰り出される質問は、ワタシたちにとっての、現状分析にもなった。
ただ、文系的な分析と、比較的、理数系に偏る分析とでは、結論に至るまでの考察が違い、
興味深さと共に、学問の世界の違いにもつながって、大変、福祉亭運営のための力になった。
素人集団が、何がおもしろくて、福祉亭運営という課題に日々、勤しむのか・・の答えは、
こんな出会いの中からそれぞれがジブンなりの答えを導きだしているということだと、つくづく。
目の前に山積みとなる地域課題の山を、一つひとつ登っていく力の源泉にもなっているようにも思います。
登る山は、違っても、日々よく、それぞれの福祉亭への努力が、続いているものです。
博士論文のテーマも、福祉亭。
福祉亭のそれまでの、感覚的な利用実態を、
キチンとデータで裏付けてくださった。
その作業は、その後、数年経っても、変わることのない貴重なデータ。
ワタシたちは、そのデータのおかげで、
ジブンたちの感覚的なとらえ方が、ほぼ間違いのないことと知ることにもなった。
福祉亭開設当初から、福祉亭の「意味」の数値化ができれば・・と、言われつつ、
ワタシたちの手では、できなかった作業。
そして、その後、やっぱり同じように、修士論文として、福祉亭を題材にしてくださった学生さんたちもおられた。
どの出会いも印象的。
そして、さらに、できあがった論文は、思考の未熟さも含め、それぞれ、福祉亭の「客観視」となるものだった。
学生さんたちとの交わりは、おもしろく、繰り出される質問は、ワタシたちにとっての、現状分析にもなった。
ただ、文系的な分析と、比較的、理数系に偏る分析とでは、結論に至るまでの考察が違い、
興味深さと共に、学問の世界の違いにもつながって、大変、福祉亭運営のための力になった。
素人集団が、何がおもしろくて、福祉亭運営という課題に日々、勤しむのか・・の答えは、
こんな出会いの中からそれぞれがジブンなりの答えを導きだしているということだと、つくづく。
目の前に山積みとなる地域課題の山を、一つひとつ登っていく力の源泉にもなっているようにも思います。
登る山は、違っても、日々よく、それぞれの福祉亭への努力が、続いているものです。