フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

「花は咲く」に声詰まらす/てんらん会に思う

2015-11-18 12:45:25 | 日記

   私の住む三鷹の市民活動グループが集って毎年開催される「みたか わの縁日」。「わ」は人の輪、みんなの輪であり、「縁日」はお祭り、賑わう集いを意味している。私が携わっている活動グループも参加団体に名を連ねているが、諸準備やプレゼンテーションはいつも主宰者のTさんに頼り切りにしている。今年は2日目の日曜だけ会場に足を運び、模擬店で小腹を満たしたり、グループの展示を見たり、アトラクションのハーモニカ演奏やフラダンスを観たりしたのだが、ハーモニカ演奏の時にちょっと声を詰まらせた。歌詞カードが配られ、ハーモニカに合わせて一緒に歌う中に「花が咲く」が入っていた。NHKが東日本大震災の復興応援歌として流し続けて、今や国民的な歌になっている。東北三県出身やゆかりの歌手・タレント・スポーツ 選手などが歌い継ぐ画面は何十回となく見ているわけだが、前の人の歌詞カードを見ながら歌っていたら目頭がジーンとし、声が詰まってしまった。今まではボンヤリ聞いていたのだろう。メロディーはしっかり耳に残っているが歌詞はよく覚えていなかった。今回歌詞カードを見ながらメロディーと歌詞に胸を揺さぶられたのだ。何と意味の深い歌なのだろう。これを書く前にネットで改めて聴いてみたが、やはり目頭が熱くなってしまった。これから先も同じことになりそうである。

   その前日の土曜は臨時で小学校の見守り当番に就いた。運動会に続く秋のイベントである展覧会の保護者たちの参観日であった。。少し寒い日だったが、大勢の保護者が来校した。私も見守りの合間を縫って会場の体育館で参観させてもらった。以前にも観たことはあったが、今回作品の数に驚いた。学年ごとにテーマを決めて平面作品(図画の類い)2種と立体作品(工作や陶芸など)の全員の作品を展示していた。児童数750人くらいの大規模校である。単純計算でも2千点に上る作品である。我々の時代の展覧会といえば、図画・工作や書道、自由研究などの優秀作が展示され、金や銀の張り紙が付けられた。今ではそれは児童の”差別”になるのであろうか。確かに毎年同じような生徒の作品ばかりが展示されるのは不公平なのかもしれないが、そこには競争心も生まれない。まあ義務教育は優秀な児童を育成する場所ではなく、すべからく平等が望ましいのかも知れない。それで飽き足らなければ塾や教室に通って人の上を行く、という時代なのであろと思った。
  

[日本語教師の帰国後編]#13東京見物1(初上京のドタバタ劇)

   研修生みんなを東京見物に案内したかったが、それは残念ながら東京からの遠隔地在住者にはできないことであった。日帰りで東京見物ができるのは首都圏在住者に限られた。具体的に宇都宮と栃木佐野および大宮の研修生たちである。
   ところで、初めての上京ではとんでもないドタバタ劇があった。それは研修生たちがまだ携帯を持っていなかったことに由来する。その一つは宇都宮からケイ・コウエンとその仲良しのチョウ・ホが出て来た時のことである。宇都宮始発の電車に乗る時に公衆電話から私の携帯に発車時刻を連絡すること、上野駅で下りたらそこから動かないことを前日のメールで申し合わせしていた。私はその連絡を受けてから家を出れば十分に到着ホームで迎えることができる。ところが電話が来たのは「上野に着いた」という連絡であった。「何い!」、私はすぐ上野駅に飛んで行った。しかし、どこにいるのかこちらからは連絡ができない。取りあえず上野の駅員に公衆電話のあり場所を聞き、中央改札出口付近の電話コーナーに行ったらそこに2人がいた。1時間ほどそこでじっとしていたようだ。とにかく時間は遅れたが落ち合うことができた。【写真左】  二つ目は佐野のケイ・ショウロ及びトウ・セイと新宿駅で待ち合わせた時のこと。2回の乗り換えを含めた電車の時間を教え、新宿駅に着いたら一歩も動くなと前日のメールで確認しておいた。しかし、予定通り電車が着いてもホームにはいなかった。丁寧に2往復してみたけれど見つからない。もしかして電車の遅れなどで乗り換えがうまく行かなかったのだろうか、今どこにいるのか、こっちからは電話ができない。日本でまだ西も東も分からない2人である。さんざん気を揉んでいたら30分以上経って公衆電話から連絡が入った。「さっき新宿に着いた」と。私は「一体どこにいるんだ。一歩も動くなと言ったろう」と怒鳴り返した。南口にいると言うので改札内を見たり改札を出て探したりしたが見当らない。また電話があったので、そこから何が見えるか聞いたら「みずほ銀行」と言う。これまた探し回ったがみずほの支店などいくらでもあるだろう。いい加減にもう帰ろうかと思ったところに3回目の電話。今度は「高島屋」が見えると言ったのでやっと出会うことができた。そこは南口ではなくて新南口であった。言いつけを守らなかったことで思わぬトラブルに遭い、私はキレて怒りまくっていた。事情を聞くと、中国では出迎えや見送りなどでホームに入ることが出来ない。日本での事情の違いを知らず、とにかく下車客の流れにくっついて行って、駅を出たところで待つものと考えたようだ。それで改札を出たものの公衆電話が容易に見つからなかったらしい。同じ間違うにしても南口に出ていればすぐそこに公衆電話があり、もっと早く連絡ができたものを。とにもかくにも約1時間気を揉んだ果ての合流となった。【写真中】
   大宮のソン・ソバイたちの時は、大宮発着の電車が多すぎてどれに乗せたらいいか分からないので、大宮駅で待ち合わせをしたためそういうドタバタは起こらなかった。【写真右】
       
 宇都宮からケイ・コウエン(左)とチョウ・ホ 佐野のケイ・ショウロ(左)とトウ・セイ  大宮のソン・ソバイ
  

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