フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

【投稿漏れ記事の再投稿#24】閣僚辞任ドミノ「私は何も悪くないが議会運営のために身を引く」/W杯で思い返す我が子のサッカー熱(2022.11.21)

2024-04-11 09:34:16 | 日記

岸田内閣の閣僚の更迭が続く。この1ケ月で3人もの大臣の首が切られた。それもお粗末な辞め方だ。
既にこのブログに取り上げているが一人は「私は知らないけど、そのようなものがあったのならそう見るのが自然だ」と他人事のように言っていた山際経済再生相。続いては「死刑執行のハンコを押した時だけ新聞・テレビに載るような地味な存在」と、自分の職は注目もされないと愚痴っていた葉梨法務相。
そして今回新たに、自らの政治資金の疑惑の言い訳を続けていた”第三の男”寺田総務相。
「私は何も悪いことはないが国会は多くの重要議案を抱えており、審議の支障にならないように身を引く」みたいな最後っ屁で内閣から去った。
自民党としては多士済々、幾らでも代わりはいるからハイハイお次・・・というのだろうか。
これも、安倍元首相⇒自民党議員⇒岸田内閣・・・と国会や国民の目が厳しくなった統一教会疑惑のドミノ効果というべきだろうか。


明日(20日、日本時間21日)サッカーW杯カタール大会が開幕する。中東では史上初ということだが、カタールの首都ドーハで開かれたアジア地区最終予選で日本が試合終了直前に同点ゴールを入れられW杯出場を逃した「ドーハの悲劇」。もう30年近く前の1993年の出来事だが、サッカーファンならずとも記憶に生々しく残っていることだろう。

テレビも新聞ももうW杯持ち切りのこの頃だが、そう言えば今は我が家にいない息子たちもサッカーに夢中になっていた頃があった。
長男は中学・高校でサッカー部。中学の時は(私が勤務していた)大分県代表チームの合宿に招聘されたことがある。
毎日の練習で顔は真っ黒になり、顔の前後(まえうしろ)が分からない、とよくからかわれていた。
中学で同じサッカー部に入った次男は監督から「お前の兄きは部の史上最高のキーパーだった」と言われて誇りに思ったそうだ。
その次男も中学・高校をサッカー部で通したが、入った大学にはサッカー部がなく自分たちで同好会を立ち上げたそうだ。福祉系の大学で女子学生が多いからとの事情だった。1998年のW杯パリ大会に合わせて次男はパリで結婚式を挙げて試合を観戦し、披露宴は帰国後に開いた。社会人になってからも地元のクラブで汗を流しているようだ。

 

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