フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

目を覆う球磨川の濁流ー1年半住んだ町の光景に身震い

2020-07-05 11:19:06 | 日記
一昨日(3日)からの記録的な豪雨による熊本県の球磨川を中心とする水害の模様は、テレビなどを見ていて目を覆わんばかりであった。球磨川下流域の八代市にある工場に1年半勤めたことがあり、脳裏によみがえる光景が濁流に襲われているその画像に身震いがした。
球磨川は日本三大急流の1つとされ、その急流下りは人気の観光資源になっているが、テレビ画面に映るこんな光景は見たこともないし、想像すら出来ない。
川口に当たる八代市内では悠々の流れになっており、広い河川敷は市民の憩いの場所でもあるが、そこに濁流が渦巻いていた。

私の勤めた工場は生産工程やボイラーに使う水は深井戸の汲み上げで、地表の洪水・濁流には影響されないが、冷却や洗浄に用いる雑用水は球磨川から数キロの専用水路で引いたものだ。沈砂池や濾過装置で清澄化はするもののこの濁流では間に合わないだろうと思い、昨日朝テレビの画面を見ながら工場に電話してみた。
私が勤めたのはもう四半世紀前のことで電話口の従業員の名前は知らなかったが、工場は動いているとのことで安堵した。
同工場へは会社創業からの事業を廃止するという重いミッションを背負わされての赴任であった。任期中にその大合理化と工場創業60週年の記念行事、従業員OB会の発足会・・など1年半の間で血圧がみるみる上がったが、多くの同士を得ることも出来た。その後工場を去り、さらに会社を退職した後もOB会に呼ばれる等訪ねることのあった町の、この度は身の震えるような光景であった。
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