フォレスタの散歩道(パート4へ) 東日本大震災の20日前、2011年2月にスタートしたこのブログも1000回を超えた

概ね2~3日毎の更新、1回に3題の記事をめどとして来たが、以後間隔や記事の数などに捉われずに更新することとしたい。

奇妙な天気/原節子追悼記事で/ブラック「ワタミ」の和解

2015-12-11 18:42:48 | 日記

   今日は奇妙な天気であった。午後からは小学校の見守り当番だったが、正午に引き継ぐ時は朝の内の雨が上がり、生暖かい風の吹く晴天になっていた。その内強かった風が止みだし、雲一つない快晴になった。夕刻近くまでは4月頃のような暖かい陽気。その後今度は黒い雲が広がり、当番を終えて帰宅したあと雨が降り出した。妙な天気である。
←夕陽に照らされる校舎と空を覆う黒い雲が異様な対照を見せる

   ”伝説の女優”原節子を追悼する報道が続いている。新聞・テレビから週刊誌へ、さらに月刊誌へと。映画関係者は軒並み最大限の賛辞を送っているが、それにふさわしい女優であったのであろう。その中で一つ「ん?」と思う記事があった。私と同じ歳の評論家が、初めて原節子をスクリーンで観たのは『ノンちゃん雲に乗る』だったと言い、ノンちゃんの母親役だった彼女の演技について触れている。昭和30年(1955年)封切のこの映画は、学校の推薦映画として私も観ているが、60年前の11歳の時である。私は主役の鰐淵晴子の記憶しかなく、原節子など知らなかった。そして下卑な話だが、当時子役のスターだった鰐淵晴子のスカートの中が見えたシーンが一番の強い印象である。評論家も同じ小学生のはずで、その時からそういう鑑賞眼があったのであったとは考えにくい。恐らく後年その道に入って観た時の評価であろうと思うが、それにしても映画を観る眼の彼我の違いは大きい。

   ブラック企業の代表格に挙げられていた居酒屋チェーンの「ワタミ」。その従業員過労死(自殺)訴訟で経営者の渡辺美樹氏が法的責任を認めて謝罪し、一転して和解したことが大きく報じられている。ほかにも、牛丼チェーンの「すき家」や居酒屋チェーン「日本海庄や」などで過労による自殺等で訴訟が提起され、ブラック企業として従業員不足や客離れを招いているが、居酒屋やファストフード店など過当競争の業界の縮図とも言えそうである。今回の訴訟和解で改めてその過酷な労働実態が紹介されていたが、これが日本の企業なのか想像を絶するような状態である。
   しかし、「ワタミ」は新しい事業モデルとして成長の波に乗り、脚光を浴びた経営者の渡辺氏は著名人となって国会議員(参議員)にまで登り詰めた。その渡辺氏もブラック企業批判の世論には抗しきれなかったと見える。今後、自社企業を社会で存続価値がある体質に改善できるのか、渡辺議員の命運がかかっているのではないか。

 [日本語教師の帰国後編]#21東京見物9(我が母校へ)

  
日本語教師を勤めた経貿学院ではイントラネット(学内インターネット)で私の履歴書は公開されていて(勿論中国語で)、学生たちが中国の北京大学に相当する大学の出身と知って敬愛の目で見てくれた部分があり、得をさせてもらった。東京に出て来た研修生には時間があれば私の母校に誘い案内をしてみた。時代を感じさせるレンガ造りの建物やキャンパス内の憩いの場の池周辺の静寂、銀杏並木の秋の黄葉などを見て歩き、そして学生食堂の食事を試食してもらった。日本では格安な値段の学食だが、経貿学院の食堂ではその5分の1から10分の1であった。でもキャンパス散歩も楽しかったようでまずはよかった。余談ながら私は北京大学の広大なキャンパスを歩いたことがあるが、風情のある光景はあったものの歴史を感じさせる建造物は意外に少なかった。
 

     
   大学の象徴となる講堂   三四郎池の静寂    その色から通称「赤門」   構内の銀杏の黄葉

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