折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

「まな板の鯉」の心境~「ガン検診」初体験記

2008-09-19 | 日常生活
「ウンチの出が悪い、ウンチが細い、出きらない感覚がある、左の腰が痛い。それで大腸ガンではないかと疑って来たんだ」

そう言いながら院長は机の引き出しからおもむろに1冊の小冊子を取り出して小生に説明を始めた。
それは「手遅れの癌」で死なないためにと表題がついていて、院長自身が著者である。



院長の著作<「手遅れの癌」で死なないために>
表紙には、今回小生に説明した書き込みが


「人間は癌では死なない。進み過ぎた手遅れの癌で死ぬのだ」

「医者は癌から助かる手伝いができるのみ」

などと「薀蓄(うんちく)」を傾ける。

のっけから「癌」と決め付けられたのには参ったなと思っていると、

「それで、内視鏡の検査の予約に来たってわけ?お前さん、怖くて病院に来るのをためらっていたんだろう。せっかく勇気を出して病院に来たんだ。ここで予約したら、その日が来るまで、またブルーな気持ちになっちゃうだろう。今日、やれることは、やってやるよ」

べらんめえ調の院長の物言いに面くらいながらも、心のうちの温かさが伝わってきて、即お願いすることにする。


病院で検診を受けようと思ったのには伏線がある。

その一つは、昨年11月に亡くなったかみさんの妹のご主人のKちゃんのことが常に頭にあった。

Kちゃんも「ウンチの出が悪い、ウンチが細い、出きらない感覚がある」と言って、医者に行き検査の結果「ガン」であることがわかったのだ。

その話を聞いた時、かみさんに「おれも同じ症状があるぜ」と思わず口にしてしまっていた。

「それじゃあ、病院にいかなければ」とかみさん。

しかし、その後も病院に行くのが怖くて、ぐずぐずと1日延ばしにして来たのだが、そんな気持ちに否応無く踏ん切りをつけざるを得ない事態が出来した。

本ブログでも何回も紹介した秩父の札所めぐりの先達役をつとめてくれた幼なじみの大親友Kくんが腸のガンで入院、手術したのである。

幸いにも、初期のガンと言うことで先日無事退院したが、お見舞いに行った時に彼が言うには、その症状は「ウンチの出が悪い、ウンチが細い、出きらない感覚がある」と言うものであった。

そして、「気になることがあったら、早く医者に行って診てもらう方がいいよ」と述懐していた。

この一言が「引き鉄」となった。

最早、ぐずぐずとためらっている時ではないと意を決して、その日4年ぶりに病院に行ったのである。

検査が始まった。

採尿、採血、腹部レントゲン撮影、腹部超音波撮影、CT撮影、腸のレントゲン撮影とめまぐるしく検査が続く。

CT撮影や腸に造影剤を注入してのレントゲン撮影などどれも初体験である。

次から次へと検査を受けているうちに、「ひょっとしたら、ひょっとすることになってしまうかな」という不安が沸いてきて、気分が段々沈んでいく。

「はい、これで検査は全て終了です。先生から結果説明がありますから、外科病棟の前で待っていてください」という一言で、12時過ぎから始まった検査は約2時間弱で終わった。

後は、先生からの結果説明を待つだけである。

いつ頃その説明があるのかわからないまま、ただじっと椅子に座って呼び出しがあるのを待つ。

こう言うのを「まな板の鯉」の心境と言うのかなと思った。

そして、幼なじみのKくんが検診の結果「ガン」を言い渡され、病院の紹介状を手に家に帰る時の心情を思った。

「おれの家系は、ガンになった人は誰もいない。ガン系統の家系ではないのだ。だから大丈夫」という楽観的な考えと、「もしも、ガンだったら・・・・・」と言う悲観的な思いがさまざまに頭の中を駆け巡る。

「Kさん、お入りください」と言う声。

一瞬、胸がドキッとする。

入室すると、件の院長がレントゲン写真を見ていた。

「結論から言います。あなたはガンではありません」

と例によって、人を食ったような物言いであったが、その目は優しく微笑んでいた。

そして、ひとくさり「薀蓄(うんちく)」を傾けていろいろと説明してくれたが、「安堵感」でしばしぼうっとしていた小生の耳には入らなかった。

「これに限らず、これからも何か気になることがあったら病院に行く。この勇気が大切なんだ。ガンなんて、早く見つければ怖い病気じゃないんだよ。今日はお疲れさん、良かったね」

「ありがとうございました。お手数をおかけしました。お陰で、安心しました」

こうして、初めての「大腸ガン」の検診が終わった。

19,550円、病院の窓口で支払った受診料である。

これで、こと腸に関してはしばらく思い煩うことはない。「安心料」と思えば安いものかも知れない。

そして、これで造影剤を注入された時の痛かったこと、先生の結果説明を待つ間は「まな板の鯉」の心境であったことなど、かみさんに「笑い話」として話せると思うと晴れやかな気分で家路についたのであった。