折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

我が意を得たり~2通の新聞投書から

2012-02-17 | 雑感
昨日、今日と続けて「我が意を得たり」と思う新聞投書記事に出会った。

一つは、「他人を見る目が殺伐としている」という山形県在住の人の投書であり、もう一つが「一声かければすむものを」という東京に住む人の投書である。

             朝日新聞の投書欄「声」

先ず1通目の投書だが、その意見を抜粋させてもらうと、以下の通り。

「不快な暖炉の煙、法規制を望む」(2日)という意見がありました。(中略)少し前にはたき火への苦情も掲載されましたが、昨今は他人への不寛容さが広がり、他人を見る目がどんどん殺伐としている気がします。いつから私たちはこんなに心をささくれさせてしまったのでしょう。近年は、子どもが校庭で遊ぶ声や電車内の学生のおしゃべりにも学校に苦情が持ち込まれると聞きます。人が普通に暮らすうえで生じる当たり前の音やにおいを許容できないとなれば、社会は成り立ちません。

まさに「我が意を得たり」のご意見であり、特に「人が普通に暮らすうえで生じる当たり前の音やにおいを許容できないとなれば、社会は成り立ちません」という意見は全くその通りだと思った。

そして、岩手の震災がれきを受け入れようとしている島田市に対し、市民が抗議している話も、何が何でも放射能は一切認められないでは、社会は成り立たないと思った次第である。


次に2通目の投書の意見は以下の通り。名文なので全文を原文通り引用させていただく。

電車が駅に止まる。降りる人はあたふたと、ひたすら前に人をかき分け扉に向かう。ものも言わずに。「ちょっとごめん」「降ります」。何でもよい。少しの声を出せばずっと楽に下りられると思うのだが、ただ黙って。
バスが停留所に着く。しばらく、降りる人の気配がない。やっと、後ろの席から老人が出てきた。
老人は動作が遅い。それは当たり前で、私もそうだ。ただ、「降ります」とか何とか、声を上げれば車内は納得するのだが、その老人は黙って、みなを待たせるのだ。回転ずしに入る。混んでいる。すしを食べていると、横の男性の腕が私の前にニューッと突き出てくる。しょうゆ差しを取ったのだ。
これも、ひと言「失礼」と言って取ればすむものを、と思う。そうすれば「どうぞ」と私が返す。それだけのことなのだ。
無言国ニッポン、嗚呼・・・・。



多くの人が、共感する思いではないだろうか。

小生も、朝の愛犬の散歩の時間が、ちょうど生徒たちの通学時間と重なる。
狭い歩道を横一列に並んで話しながらゆっくりと歩く生徒たち。

追い抜くのも一苦労である。

後ろから、「ごめんね、ちょっと通してね」

と声をかける小生。

ほとんどの生徒が、後ろを振り向いて黙って道を開ける。

例外的に「すみません」と言って道をあけるグループもある。

そんな時は、心が通い合ったような気がして、ちょっとハッピーな気分になる。